ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

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ぼたん雪

2009年02月28日 | Weblog
  ☆ 幼い頃の思い出
 梅が丘のホームで電車を待っている間も、大きなぼたん雪が沢山降って
いた。すると、幼い頃雪が降ると嬉しくて、寒い縁側でいつまでも降る雪を
見ていたことを思い出した。じっと見ていると、自分も雪と同じように
地面に落ちて行くような気持ちになるのが、子供心に不思議でならなかった。
 わたしは電車が来るまでしばらくの間、美しいぼたん雪をじっと見ていたら
まるで幼い頃と同じような気分になった。降る雪と共にわたしも地面に落ち
ていく……お河童頭の幼いわたしが、廊下に立ってガラス度に顔をつけて
じっと雪を見ているような、時限を超えた自分に出会ったような気がした。
 どこからか「寒いからお部屋に入りなさい」と、一瞬母の声が聞こえたような
気がした。滅多に雪が降らない東京では、子供にとって雪は美しいもので、嬉しいものだった。
 久方ぶりの雪は、はるか昔の記憶がよみがえったが、メンタルな意味では
幼い頃も今の年齢もあまり変化はないような気がした。

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年寄りの冷や水?

2009年02月27日 | Weblog
 ☆ことわざ辞典では
 「老人に似合わずない元気のよいお行いを言う。若いものに負けずに
冷たい水をつかったり、でしゃばって力仕事をするのは、健康に悪い」
のだそうだが、わたしもまさしくそのとうりになった。
 いくら努力しても思い通りにならない自分をもどかしく、たどり着いた
のが、マシーントレ-ニングだったが、古傷があるうえ自分の年齢を十分
意識的し、トレーナーについて、慎重にすすめたのに、この一月位膝や
腰に今までにない違和感があった。「でもこれぐらいは仕方がないだろう」
判断したのがいけなかったようだ。膝や腰がそれほどではないが、痛い
ので毎日治療院へ通っている。「だからジムは絶対に反対、止めた方が
良いと思うよ。もしも歩けなくなったら、何にもできなくなるんだからね」
と、たびたび友人はアドバイスしてくれる。尊敬している彼のアドバイスは
素直に聞くわたしだが、でも自分でも感じられる変化があったので、まだ
諦めきれないのだ。足の訓練は止めて、腕や背中などもう少しトレーニング
したいし、ブヨブヨな体をもう少し引き締めたいと思っているが、これって
やっぱり「年寄りの冷や水」かしら?
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怖かったチューリップの夢

2009年02月26日 | Weblog
   ☆ 機上から見たチューリップ畠
 わたしがヨーロッパへ行ったのはオランダが初めてだったが、有名な
キューケンホフ公園へぜひ行きたかったからだ。
 オランダのスキポール空港に着陸するとき、窓際の席だったわたしは
沢山のチューリップ畠を見て、その美しさに感動したが、その時の情景は
今でもありありと、まだまだと脳裏に残っていて決して忘れられない。
 先日ミニコンサートがあった銀座の喫茶店で、わたしの前にきれいな
チューリップがあったためか、わたしはその夢を見たらしい。
 広々したチューリップ畠を駆け回りながら、ハサミで赤、黄色、ピンク、白
何故かみどり色もあったが、そのきれいなチューリップを切っていた。
 持ち切れないほどの花を抱え、嬉しくて仕方がなかったが、気がついたら
帰る道がない。周りには誰もいない、不安になったわたしは夢中で
駆けだしたが、いくら走っても道がない。
 手から花がどんどん落ちていくが、それにかまわずひたすら道を見つけて
走った。「家に帰る道がない、帰れない」と、大きな声を出しながら……
 夢中で走る自分の悲鳴にも似た大きな声で、目が覚めたが、怖くてしばらく
眠れなかった。お花が大好きなわたしだけれど、とても恐ろしかったが、色々な
チューリップの鮮やかな色だけは、今でもハッキリイメージに残っている。
 同じきれいなお花の夢を見るのなら、もっと楽しい方が良いなと思った。
心理学では「夢は心の疲れをとるため見る」と学んだが、わたしはむしろ逆
だと思うが、楽しい夢よりあまり楽しくない夢が多いのは、自分の精神状態が
安定していないからだろうか?夢のない国へ行きたいと本気で思っている。

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低迷期から上昇期へ 2

2009年02月25日 | Weblog
   ☆ いつも燃えて生きていたい
 若い人が気力や活力があるのは当然だが、その頃は自分が老人になるなど
全く考えていない。でも40代も後半になると、最も感じるのは視力の低下で
誰でも少しずづ衰えている自分を意識する。それが六十代を迎えると、たとえ
気持ちは若い頃とあまり変化しなくても、その老化の加速度はだんだん早く
なるのがふつうだ。ますます寿命が延びる現代は、高齢者がだんだん増えて
くるが、生涯現役は無理としても、せめて、生きている限り、自分のことは
ある程度できるような体力を維持することが必要だと思う。
 そのためには「感情の老化を防ぐ」ことが欠かせないが、わたしは、心理学は
無論だが、広く浅いが生理学的、大脳生理的学的な知識もかなりあるし
ヒーラーとしてのパワーもある。

 さらに催眠法や自律訓練法がベースの「リラゼーション」には、カウンセラー
としての心理的効果を加えてあり、それがもっとも武器かも知れない。
 リラックスした状態にわたしが語りかける言葉は、心身がリフレッシュする
のでどこで指導しても大好評だった。
 さらに自分の年齢をたたき台の、「身体面だけではなく、メンタルな面を加えた」ものは
多分わたししかできないかなり画期的な方法だと自負している。
「世界心理治療学会」の発表で燃焼し、ズーット低空飛行状態だった気持ちが
物凄くハイになっている自分を感じる。そのトレーニングが何とか日の目を見ら
れるよう努力したいが、指導者としていつまでも現役でいたいし、「感情だけは
青春」のわたしだけど、でも実は張り切りすぎて、今膝や腰にガタがきているが、
そんな自分をコントロールしながら、やはり前に進みたい。



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何故なのかわからない

2009年02月24日 | Weblog
   ☆ヤフー検索件数
 わたしは自分がどのくらいヤフーやグーグルに出ているかを、時折検索
することがある。本当に不思議でならないのは、その数字があまりにも
変化することだ。昨日の夜はヤフーは44、800件だったが、その前日は
しばらく42.000件だったのが、その前日は39,500件だった。
そしてまた今みたら44,900件だった。
たった一日で何と5,400件も増えるなんて、何故なのだろう。
だってわたしはテレビにも出てないし、新しい本も出していないし、雑誌
にもでていないが、唯一月ほど前に講演講師サイトからの依頼で登録
したけど、そのときは数字はほとんど変化がなく、むしろ減り気味だったのに……
 しかしこの数字はどんな基準で表記されるのだろう? たった二日間で
54、000件も増えるなんて……この業界の内容はまったく理解でき
ないが、わたしが無知なためか、世の中の仕組みが分からいことばかりだ。
 ついでだからお知らせすると、わたしを検索すると、一ページ目に講演に
ついての項目があるが、その中に写真も出ているので、興味があったら
見て下さいね。いずれにしても、わたしにとってインターネットは、便利
だけど???の世界デース。
 
 ◆ 最近ブログが調子が悪く、なかなか投稿できませんので、何度も
  やらなければなりません。それもどうしてなのでしょうか?
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低迷期から上昇期へ 1

2009年02月23日 | Weblog
  ☆ 方向転換するタイミング
 大分以前から出版界は不況だったが、ことに最近はそれが極端になり
有名な出版社も雑誌も最悪の状況のようだ。超売れっ子の筆者は別と
して、あまり有名でないわたしに、執筆依頼や、新しい本の話がないのは
当然かもしれない。物書きとしては淋しいが、そのエネルギーを毎日ブログで
書けるから、印税は入らないがそれだけでも幸せかもしれない。
 よく考えたらでも元々わたしのルーツは、ダンスやヨーガで身体面の
指導者だったが、いろいろ勉強してから裾野が広がり、執筆や心理カウ
ンセリングなどをするようになったのだ。
 
 だから原点に戻って考えればと思い始めたとき、閃いたのが先日だった。
ますます超高齢化社会になる現代は、自分自身を含めて、社会参加し
趣味やボランティアなど積極的に行うことができたり、また他人の介護
を受けたりせずに、元気な明るい自立した高齢者でなければならない。
 そのためには、老化する心身と上手に付き合い、コントロールする方法
が必要だが、それに役立つ楽しく効果的なトレーニングを創ろうと思った。
 そして、わたしの年齢だからこそできる「六十歳代からのトレー二ング」
を創ることにした。過去の心身両面の指導経験、ことにわたしは他の人にでき
ない方法がいくつもあるから、そんなに難しいことではない、と思ったらスッカリ
楽しくなった。元々お調子者のわたしだから、気分がハイになると、ノリが
早い、「よしゼッタイにやるぞ!」と気合を掛けたら、こんなときのわたし
の頭は我ながら驚くほど素早く回転するのだ。


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時間このかけがえのないもの

2009年02月22日 | Weblog
   ☆ 忙しい一日
 昨日は東銀座で開かれるミニコンサートへ行くため、家を一時に出なけ
れならない。そのため、午前の早い時間にジムへ行き、帰ってから前の
治療院で膝の具合を診てもらって、昼食をしてから身支度と予定を立てて
いた。コートを着てバッグを持ち、出かける寸前に電話があった。
 一瞬出るのはとためらったが、そうもいかないと受けると、それは昔
お世話になった先生からの、家族についての相談だった。
(これは長くなりそう)と覚悟を決め、コートを脱ぎその電話での相談に
応じたが、そのため予定がすっかり狂った。
 でも今日は絶対にジムへ行かなくてはと家を出て、トレーニングは早めに
切り上げ、その後治療院へ、そして昼食をつくり食べたが、間もなく予定の
一時だ。ジムで汗をかくからメークをやりなおし、ドレスアップと思ったが
その時間がなく、仕方なく着替えもせず、ジーンズとセーター姿で出かけた。

 二時から始まるので、ようやく五分前に会場に着いたが場所がらか
喫茶店を借り切って行われたミニコンサートなのに、驚くほどドレス
アップしている人が多く、わたしは気が引けたが仕方なかった。
 ところが始まったのは十五分以上過ぎてからだったが、予定の人がこない
ため待たされたらしいが、一言も断りがなかった。
 (あんなに忙しい思いをして急いできたのに、遅くなるなら着替える
時間は十分あったのに)と、腹が立ったが我慢した。
 コンサートはそれなりに楽しかったが、ドレスアップした人に囲まれて
わたしは大変居心地が悪かった。わたしは時間を大切にして生きている
ので他人に時間を奪われるのは最も嫌だが、場合によってはやむを得ないだろう
でも、昨日は家に帰っても不快だったので、気分転換のため、夕食後に夫
を誘って我が家の地下にある日本料理で飲んだ。
 時間このかけがえなのないもの、わたしは決して人の時間は奪いたくない。

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ギリシャの思い出

2009年02月21日 | Weblog
  ☆ 大きな犬とふれあって
 先日R大の歩こう会で「池上本門寺」へ行った。有名なお寺だが世田谷から
は遠いので、あまり行く機会がないせいか、寒い日だったのに参加者は多く
37名だった。本門寺は犬の散歩が許されていて、犬好きのわたしは、いろ
いろな犬が歩いているので、とても楽しかったが、ベンチに座っていた中年の
男性は小型犬三匹と、ラブラドールと、また同じような黒い大きな犬を全部
飼っているのだそうだ。わたしは大きい犬が好きなので、大きい方の二匹と
少しだけ戯れたが団体行動なので、時間がなく後ろ髪をひかれるように離れ
た途端に、ギリシャのデルフイ遺跡での、野良犬とのふれあいを思い出した。

 幼い頃飼い犬に腕を噛まれたことがあり、本当は好きだけど犬は怖くて
仕方なかった。デルフイ遺跡は首都アテネから、バスで四・五時間
山の中にあるかなり遠い所だった。そこは大きな野外劇場の跡があり、そこ
には大きな野良犬が沢山いたが、何故かその大きな一匹がわたしと友人の
後に付いてくるので怖かった。でもあまり傍にくるので、頭を恐る恐る
そっと頭をなでたら、嬉しそうに尻尾を振るのですっかり緊張が解けた。
 そこを見学している間約三〇分ぐらい、わたし達からまったく離れないので
スッカリ可愛くなり、野外劇場の石段に座ってお菓子を一緒に食べた。
 集合時間になりバスへ帰るときも、傍についてきたので、わたしは
別れがたくなり「さようなら」と言って、大きな体を抱きしめた。
 バスがその場を離れるまでその犬はじっとしたが、何だか胸がイッパイ
になって涙がこぼれてきた。あの犬はまだ生きているだろうか?
 あの日の真っ青な空と、遺跡と、大きな白い野良犬とのふれあいは
きっと一生記憶の彼方へは去らないだろう。


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雨の朝

2009年02月20日 | Weblog
  ☆ 単なる悪戯か
 昨日の朝スタジオの入口にある、看板の上につけてある透明のアクリル
の箱の蓋がなくなり、中のパンフレットが全部も、さらに入口にあるパン
フも全部無くなっていた。また鉢植えにピンク、黄色、紫と植えてあった
パンジーが紫だけ残して抜き取られていた。
 いたずらの場合は近くに散らばっているものだが、周りを探しても見つ
からず、花を抜いたら土が落ちているはずだが、鉢の周りはきれいだった。
 多分花は袋を持ってきて、意識的に抜いたのだろうが、隣のビルの入口
にもきれいな花が植えてあるが、それは抜かれていなかった。
 わたしは他人に恨まれるような行為はまったくしたことはないのにと
思ったが、気持ちが悪い、これは単なる悪戯だろうか? 
 今朝は蓋がなくなったパンフレット入れに、一晩中降っていた雨水が
たまっていて、何だかとても情けなく、そして悲しくなった。
 新しいビルにしたとき作った看板なので、もう14年ぐらい経つはずだが
夫が「今までよく悪戯されなかったね」と言ったが、わたしはとてもそんな
に簡単には割り切れなかった。
 我が家は梅ヶ丘の駅から近く、24時間営業のコンビニも何軒かあり
街灯もついていて一晩中人通りが絶えない。あの透明なアクリルケースの
蓋はどこに捨てられたのだろう?水がたまっている中身だけのケースを見
ながら、朝から(世の中には何でこんなことをして喜ぶ人がいるのだろう)
と、たまらなく悲しい気分になった。
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改めて感じたこと

2009年02月19日 | Weblog
   ☆ あるテレビを見て
 今は医学が進歩したため、昔は育たなかった未熟児が大変多いらしい。
その子供を授かった母親は、すべてではないが、奇形児を育て結果になり
大変なご苦労をなさるようだ。これは多分両親が生きている限り生涯続く
ようだが、その子の命を保ためには、医学的な治療を受けなければならない
し、その精神的、経済的な負担は大変なものだろう。
 母親として自分が産んだ子どもに対する愛は、かけがえもなく深くその無償
の愛は、自分のすべての生活を犠牲にしても、子供のために尽くさざるを得ない。 
そのテレビを見て、お気の毒で涙がこぼれた。
  ☆ 我が家の娘と息子
 我が家には、早や中年になった健康な子供達がいるが、ほとんど
心配することもなく、無事に成長し社会に巣立って行った。
 そして、母親として幸せを十分与えてくれたが、今でもたまらなく愛しい。
この当たり前でふつうの状態が、わたし達両親にとって幸せで、ふつうの
両親が言うべきお説教、小言、干渉などはまったくしないせいか、お陰様で
我が家は人に羨ましがられるほど親子の仲が良いと思う。
 わたし夫婦は以前から子供達には何の要求もしないし、期待もしないが
二人ともわたし達夫婦より、もしかしてジョウデキだと思えるのは親バカ
かもしれない。基本的には子供達には頼らないつもりだが、精神的な支え
であることは確かだし、唯子供達が存在してくれるだけで感謝できるのは
わたし達夫婦の同じ意見だ。
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