ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ヨーガとわたしの関わり 三

2008年02月29日 | 健康
 
  ☆ ヨーガに不可欠のリラックス
 それより大分以前にヨーガ教室で一日催眠セミナーを受け、「こんなに
リラックスした状態を、指導者として人様に体感させることができたら
どんなによいだろう」と思い、早速その先生の元に入門しました。
 何故ならわたしが習ったヨーガ道場の個人指導は、緊張とリラックスを
交互にくり返す指導は、「リラックス」と言葉で指示されても、いつでも
目の前でじーっと見ていられるので、とてもリラックスができず、緊張
してばかりでしたから、生徒として大変違和感を感じていたからです。
 その頃「ヨガ式催眠法」という言葉がありましたが、その意味がわたしには
まったく理解できなかったからです。
 それからさらにそれに付随する心理学を、大学、研究機関、カルチャー
センターなど、次から次にと学んでいました。
 ヨーガの教室を開いたり、いろいろな勉強をしたり、ダンス教師をしたり
いつも留守がちでしたので、自営業でいつも家にいる人一倍愛妻家の夫は
大変不機嫌でしたが、思い起こせば、その頃がわたし達の夫婦の危機だった
かもしれません。そのため娘には、随分気を遣わたようですが、でもわたしは
走っている毎日の生活が、楽しくて楽しくてなりませんでした。
 その頃はまだ若くて、体力も、気力も、情熱も溢れていたからでしょう。
    ☆ 催眠療法を併設することにした
 ダンス教師をしながら、ヨーガを学び指導者になったわたしは、前回も
書きましたが、それ以前に催眠法も千葉まで10ヶ月間通い、個人指導を
受けてマスターしていました。そのために必要な心理療法や心理学を、一所
懸命に勉強していましたが、ヨーガ教室を開いてから、催眠法の先生に「宝の
持ち腐れだからヨーガ教室に併設して始めてはどうか、もしも不安でもわたし
がいつでも応援するから」と勧められていました。
 でもまだ自信がないからと躊躇していたのですが、ヨーガの生徒さんを被験者
(催眠をかけられる人)にし、その技法を練習しているうちに、だんだん自信が
ついてきました。(案外楽しそうだし、人のために役立つしごとだし、それでは
催眠療法をやってみようかしら)と考えるようになったのです。
 でも週三回ヨーガ教室を開いたその場所では、とても不可能ですし、(ここ
でいつまで指導していては、わたしの可能性が伸びない)と感じ、夫に相談し
梅ヶ丘駅前マンションの三階を借りることに決めました。
 そして、「梅ヶ丘ヨーガ教室&パーソナリティ」として、オープンすることに
したのですが、その頃都営の集会場の家賃より、マンションの家賃は確か13・4
倍でしたが、夫が保証人になってくれましたし、今度は私一人だけで自由に使用できるので、それぐらいは支払えると思いました。
 それに場所も状態も、これでは限界だと感じたので決断をしました。
 すると、今まで怒っていた夫も、大変協力的でしたので鬼に金棒の心境でした。ますます生徒さんは増え続けていたのも、その気持ちに拍車をかけたのでしょう。
                                能里子

なぜこうなるの?

2008年02月28日 | Weblog
  ☆ あまりにも過激に起きる症状
 昨年11月にシルクから出来たサプリメントの話を聞き(これは良さそう)
と感じたわたしは止せば良いのに、三ヶ月分を早速取り寄せた。
 今調べて分かったがそれを飲んでから、目が腫れたのは一週間後だった。
すぐに眼科に行き薬を処方され、一週間ほどで治ったが、また同じ症状に
見舞われ、もしかしたらあのシルクサプリが原因ではと気がつき、それから
すぐに止めた。それなのにまた目が腫れたが、もう今回で四回目である。
 さらに湿疹や、唇の蕁麻疹になった。これは関係がないかおもしれないが
腰が痛くなり、整形外科で2週間運動禁止を言い渡され、それからもう一週間
が過ぎた。すると、3日前から喉がいがらっぽく声が出ないので、昨日耳鼻科へ
行ったら、声帯が腫れているから、もしかしたら風邪かもしれないと診断された。
 声はわたしのもっとも大切な商売道具だが、でも困るのは声が出ないことだ。
さらに昨日は気分が悪く起きられなかった。
  ☆ 久しぶりに寝込んだ
 もしかして本当に風邪かも知れないと、久しぶりにベッドにいて、英語や
その他のお稽古事も休んだが、こんなことは滅多にないことで好きな音楽を
一日聴いていた。この二ヶ月の間に何と、内科 アレルギー内科 皮膚科 眼科 整形外科 耳鼻咽喉科など今までこんな短期間に、医者巡りをしたことは
初めてだ。もしかして難病かもと思ったが、他の症状はないので、整形外科
以外の先生方も「何故?」と首をかしげたが、原因はわからないので、もしか
して難病ではないかと不安になった。
 生まれて初めてこんな状態になったのは、多分老化だけではないと思う。
定かではないがもしかして、私の持っているアレルギーにシルク(動物)
のサプリが激しく感応したのかもしれない。
 でももしも他の人がわたしと同じようになったら、大変お気の毒だと思い
「調べてください」と丁寧な手紙をつけて残った一箱を送り返すことにした。
 しかし目が腫れて痒く、喉も変で、腰も痛いし本当に最悪だが、昨日より
まだ気分はよいが、不愉快でたまらない。健康老人の私がこんな状態になる
なんて・・・・・・ 今日はもう一度日赤のアレルギー内科を受診するつもりだが
目が腫れ痒くてたまらない。それに久しぶりで宝塚を見に行くので、楽しみ
にしていたのにこんな気分では、行けるかどうかわかららない。
 それにしてもあまりにも過激なこの症状は一体何なのだろう。人に恨まれる
ようなことはないと思うけど、わたしは誰かに呪われているのかしら?
と考えたくなるような今の心境である。
                               能里子


ヨーガとわたしの関わり

2008年02月27日 | 健康
   ☆難しかったポーズ
指導者になるために、ヨーガの歴史や、さまざまなポーズや、それらの効果
などを勉強しなければなりませんが、もっとも大変だったのが、シルシャーナ
と呼ばれるヨーガ独得の逆立ちでした。先生は「できなくても滅多に教える
ものではないから大丈夫」と言いましたが、プロになるための必須条件だと
心に決め、毎日練習しわたしにとっては、大変難しかったシルシャーナを
完全にマスターできたのです。 
 それから出張専門のインストラクターになって、都内だけではなく
鎌倉など近県にも指導に行きましたが、帰ってくるのが遅くなったり
朝早く家を出たり、まだ週三回ダンス教師をしていたので、毎日大変
タイトなスケジュールで、いつも走っていました。
 でも食事の支度は毎日必ずしたのは、(自分で好きで働いているの
だから主婦として、家族のためにそれだけはキチンとやろう)と言う
わたしなりのポリシーでした。家にいないことが多いため、夫や子供達
には随分淋しい思いをさせていたようでした。
   ☆自分で教室を開いた
 わたしはヨーガの指導をしてから、間もなく自分で教室を開きたいと
思うようになったのです。その準備研修期間として、何カ所かのヨーガ教室
に入会し、その指導法を学んでいました。
 しかし夫はヨーガは宗教だから嫌だと、強硬ではなかったのですが、反対
をしていたようですが、わたしはどうしても自分で教室を開きたくて、時間を
見付けては都内をいろいろ探しました。
 でも、借りられる物件は、主婦のわたしに手が出るような金額ではなく
諦めかけていたとき、近所の奥さん二人が「ヨーガを教えて欲しいと」と
頼みに来たため、家で教えはじめました。
 それから間もなく近所の人が、近くにできた都営住宅の集会所で、借り手
を探しているがヨーガを教えてみないかと、声をかけてくれたのです。
 それがきっかけで、勤めていたヨーガ道場を止め、梅ヶ丘でヨーガ教室を
開いたのです。自分で学んだものを基本に、ヨーガの基本に忠実(瞑想、呼吸法
ポーズ)に守り、宗教臭がない明るく楽しい独自のプログラムをつくりました。
なぜならわたしがインド人の先生から学んだヨーガは、いつも緊張していて
決してリラックスできず楽しくはなかったからです。
 その頃ヨーガブームの始まりでしたので、週三回レッスンを行いましたが
半年間で入会者は百人以上もありました。さすが素早いわたしも、あまりの忙し
さに、体力の限界を感じお手伝いさんを雇って食事以外の、家事はすべてやって
貰うことにしました。でも増え続ける生徒さん達を、一体どのように対応すべ
きか、他の場所を借りなければならないのではと、考え始めていました。
 何故ならその場所はわたし一人で借りているわけではないので、いくらきれいに
掃除をしても、きりがないほど汚され、毎回いらいらさせられたからです。
                              能里子    

ヨーガとわたしとの関わり 一

2008年02月26日 | Weblog
  ☆ 一生できる仕事を模索していた
 読者の方のご要望により、これから何度かにわたり、わたしとヨーガとの
関わりや、インドでの体験などについて書きたいと思いす。
 わたしがヨーガを始めたのは、確か35歳のときでしたが、その頃は社交
ダンスの教師をしていましたが、教えるのは好きでしたが、ダンス教師になって
から、(これは一生続けられる仕事ではない)とすぐに感じました。
 子育てをしながら、幸せには暮らしていましたが、なぜかその頃から
(わたしは商人の妻で収まる女ではない)と、心の奥からの声が絶えず
聞えていました。そして大家族からの批判的な目を受け、そのプレッシャー
に押しつぶされるようでしたが、夫には賛同され、自分の意思を貫いて
主婦だったわたしは、ダンス教師として社会にでたのです。
 でも(これはわたしが成長するためのプロセスにしか過ぎない)と、すぐに
感じたのです。そして(わたしが一生出来る仕事はないだろうか)と、絶えず
考えるようになっていました。
   ☆ ヨーガとの出会い
 それから辿り着いたのがヨーガでした。会った途端に(これを一生の仕事に
したい!)と閃いたのです。ヨーガを習ったのは、いつも肩こりに悩んでいた
夫が、テレビで見たヨーガの体験者が、いろいろな症状が良くなったことを
知り、興味を示したのがきっかけでした。
 わたしは以前からヨーガに関心があったのですが、その頃はすでにいろいろ
な習い事していたので、それを言い出しにくかったの、「渡りに船」で
夫を誘って早速ヨーガ道場に入門しました。夫は半年ほどで止めましたが
わたしは1週間に一度は休まずに通いました。
 先生はインド人でしたが、宗教的な雰囲気で哲学的な?な風貌の方で、
じっと目つめられると、レッスン中にも大変緊張を強いられる状態でしたので
多分夫はそれが嫌で止めたのでしょう。その頃はヨーガはまだ一般的ではなく
教えているところないためか、随分遠くから通ってきている人達がいました。
  ☆ヨーガインストラクターを目指して
 わたしは何故か(ヨーガはこれからきっと普及するはず)と感じ、できれば
指導者になりたいと、レッスンに通う以外にも、毎日家で特訓を続けました。
そのためか、体がどんどん柔らかくなりましたが、その頃経営者のヨーガの
先生から「これからヨーガは普及すると思うので、インストラクターになって
くれませんか」と声をかけられ、わたしは二つ返事で承諾しました。
 それから週二回、個人的に特別の指導を受けることになり、雨の日も風の日も
一日も休まず、一年半特訓を受けたわたしは、その道場でヨーガのインストラク
ターになりました。同じ頃に特訓を受けていた人がいたのですが、何故かわたし
に競争心を燃やし、何かと意地悪をするので、一緒に働くのは嫌でしたので
出張の指導を希望し、それからヨーガの指導者となりました。
                               能里子

早朝目覚めて

2008年02月25日 | Weblog
 今3時45分空を見たら、お月様が真上で煌煌として、とてもきれいで
した。わたしは昨日あるセミナーに参加しましたが、腰を痛めているため
長時間座ると腰に負担をかけるので、残年ながら途中で帰りました。
 家に帰ったのは三時半頃、少し英語を勉強してから、ソフアーに寝そ
べって音楽を聴きました。食事をしながら夫といろいろ話していたので
いつもよりビールの量が多く、眠くなったわたしはそのまま寝てしまい
目が覚めたのが2時半で、お風呂にゆっくり入り、今これを書いています。
 自分では気がつかなくても、最近はとても疲れやすくなって、顔も洗わず
歯も磨かないなんて・・・・・・やっぱり歳だなと感じざるを得ません。
 昨年年末以来、目がアレルギーのためか何度も腫れ、いろいろ調べても
まだ原因がわかりませんが、今朝もまた赤くなって腫れています。
 それに昨日の朝から咳が出て、のどがいがらっぽくてなりませんが
まさかこの上風邪をひくのではないでしょうね。
 先日読者の方から「わたしがヨーガを始めたのは?瞑想とは?」と
いうご質問がありましたので、今まで書いたことがなかったヨーガに
ついて書いてみようと思いました。多分相当長くなりそうなので何度か
に分けて書くつもりです。でも実は二年前に過去の記録を全部処分した
ので、正確な年月がわかりませんので、記憶をたどりながら、書いて
みるつもりです。今ヨーガはブームですものね。
 わたしはこれから、少し勉強をするつもりですが、今日も皆様お元気で。
                            能里子

教えて下さい

2008年02月24日 | 健康
 わたしは去年の12月半ばから目が赤く腫れて、真っ赤になり、痒くてた
まりません。ホームドクターに紹介され、アレルギー内科のある日赤に行き
ましたが、アレル源はスギ、ヒノキ、ハウスダストだけでした。
 高齢ですが内蔵的には、パーフェクトですし、いたって健康で、食事、運動
生活習慣などもかなり気をつけています。ストレスも我が侭な方なので、ほと
んどたまりません。体も年齢にしては、かなり健康度が高いです。また、医師の
指示通りに、服薬目薬の注入などキチンと守っています。
それなのに、一度治ったのに、もう四回目も、こんな症状が起きていますが
何故なのかわかりません。もしそれに役立つ方法があれば、ぜひ教えて下さい。
 本当に困っています。
          小池能里子  info@noristudio.co.jp

ぐるぐるキモチをスキッとさせる方法

2008年02月24日 | Weblog
☆ 久しぶりの著者校
 これは今度出る新しい本のタイトルだが、わたしはそれを今校正している。
著者校とは作家が自分が書いた本を出版前に、もう一度読みながら誤字
脱字をチェックし、修正などを行う作業だが、この本はわたしの三十七冊目
の著書だ。出版されるまでそのデザインや、装丁などがわからない場合が
多いので一体どんな本になるのだろうと、想像しながら校正をするが、なか
なか楽しい作業だ。この本は以前「気分転換のしかた」と言うタイトルで大変
売れ一週間で増版になった。そのため何社からぜひ文庫にしたいと申し
入れがあったほどだ。今回は時代に合わせて内容をかなり変更したが、可愛
らしいイラストが沢山入っていて、大変読みやすいと感じた。
 校正をしながら、これってわたしが書いたの?と思うほど我ながらホント
ユニークだ。確かに幼児性や、少女性がないと書けない本だと、妙に感心
した。わたしのカウンセラー、ヨーガ指導などの経験を素に、感性そのまま
の文章は今毎日書いているブログにも通じると感じた。
 カウンセラーとして、メンタルなアドバイスが多いが、ことにイラストは
わたしの好みなのでとても嬉しい。と言うわけで、この本は三月の中頃
出版され、ターゲットは若い方向きだが、高齢のわたしが書いた本なので
中高年の方にも、結構参考にしていただけると思った。
 ぜひ読んでくださいね。

 今でも忘れられないほど強烈な思い出があるが、ある夕方わたしがスタジオ
でヨーガのレッスンしているとき、若い女性がに訪ねて来た。
 わたしはいつものヨーガレッスンの見学者だと思っていたが、彼女はこう
言った。「こんな本を書いたのは、どんな人なのか思って見に来ました」と。
 その頃わたしの本はかなり売れて、問い合わせは大変多かったが、でも
こんなに、ダイレクトに「小池能里子を見に来ました」と言うのはさすが
初めてだった。しばらくレッスンを見学した彼女は、これを書いた人は多分
三十代のOLだと思い、とても共感することが多くて、ぜひ先生にお目にかか
りたいと思いましたと言ったが、あの日の情景は今でもわたしの脳裏に刻み
こまれて、決して忘れることはできない。
 またこの本は初版は6000部だそうだが、わたしの目標の出版部数
100万部に、また少し近づいたことは確かだ。でもわたしが生きている
内に実現できるかしら?それにしても沢山売れるといいなと思っている。
 皆様どうぞよろしく。
                           能里子



深い悲しみ

2008年02月23日 | Weblog
  ☆ 常識を逸脱する心のメカニズム
 わたしは一昨日あることで、深く傷ついた。いつも明るく前向き気持ちは
そんなときには、突然タイムスリップし、一変してガラス細工のようで、メラ
ンコリックな十五歳の少女に戻る。他人から見れば「そんなことで、どうし
て?」と、多分理解できないような些細なことなのなのに・・・・・・
 感受性が強いわたしは、時折心がささくれだったように感じることが
ある。でも昨日の出来事は、こころが傷ついて血を流しているのではなく
こころの奥の襞と襞とが互いに擦れ合って、血が出たような悲しさだった。
 
 わたしの言動はすべてハキハキしているので、まだ内面を知らない
他人はかなり勝ち気な女に見えるらしいので、誤解されることもある。
 わたしは生来嫉妬心や、競争心、攻撃心、敵対心など大変希薄なタイプで
そんな意味では生きているのが大変楽だと思っている。
 いつも自分が中心のわたしは、決して人と比べたり、争ったことがないので
心に余計な負荷がかからない、そのため分自分自身に集中して物事に
取り組めるのが、わたしの長所だと受け止めている。
 些細なことで時折傷つく感性は、カウンセラーとして資質の条件の一つで
あり、実践的は大変有利だ。何故なら言葉に出さない、クライアントのこころ
の動きを、敏感にキャッチできるからだ。
 と自分に言い聞かせんがらも、わたしのこころは、もう血は流れていないが
まだ擦れ合ったような、ひりひりとしたような痛みは残っている。
                               能里子

お金で買う美しさは永久ではない

2008年02月22日 | Weblog
   ☆ ビューティ・コロシアムを見て
 先日久しぶりにこの番組を見たが、これは容姿が十人並以下の人が応募し
テレビに出演する。そして、それらの人を整形手術をしたり、ファッション
や、ヘアースタイルなどを変えて、いわゆる使用前と使用後(美しく変身)
の状態の変化を比べる番組だ。先日見た「お岩さん」と呼ばれていた女性
は、本当にお気の毒なほどの容姿だったが、全身に及ぶ整形や、着るもの
やヘーアスタイルなどで、ものの見事に変身した。
 わたしも同性として見ても、あのままではあまりにもお気の毒過ぎると
感じたのであんな方こそ、現代の美容整形を活用して本当に良かったと思った。
 実はわたしも容姿は十人並以下と思っているので、若い頃からコンプレック
スがあり、整形をしようと思ったことも一度や二度ではない。
 そのために、いろいろ詳しく調べた経験もあり、友人が二重まぶたに整形
したとき、興味本位で一緒に付き添っていったこともあるほどだ。
(わたしは器量が悪い)という思いは少女の頃から、現在でもわたしの中に
シッカリ根づいているのだと、折々感じるのは女としてあまり嬉しくはない。

 現在はプチ整形と呼ばれる、メスを全然使わない方法があるが、体に害が
ない物質は自然に吸収されるのだそうだが、シワやタルミをとるためには
それらが大変効果がある。でもそれはあくまで一時的なものでしかない。
 毎日入ってくる美容整形の広告に興味があり、ときどきチェックするが
施術前後の差があまりに違うので、こんなの本当かしら?と思った病院に
問い合わせてみたことがある。それは鼻を高くすることだったが、鼻にヒアル
ロン酸?を注入すると、即座に高くなるが、それは三ヶ月で体内に吸収される
ので元に戻るのだそうだ。高い鼻をキープするためには、定期的にそれを
注射で補わなければならないのだ。つまり一度整形をすると、その形を維持
するためには、永久にお金がかかるのだが、ちなみに鼻の整形は二十万円だ
そうで、三ヶ月に換算すると、何と鼻だけで毎月七万円の費用が必要だ。
目の下のタルミ、シワ、頬など即座に改善されるようだが、聞くところ
によると、ある高齢で高名な女優さんは、毎月百万円以上かかっているそうだ。
 それにしても年齢のわりにあまりに若く見える女優さんは、それなりの施術
を施しているのかもしれないが、職業柄必要でなのだろう。
 でも整形してでもきれいになれるなら?と、考えるのは多分わたしだけ
ではないはずだが、でも美しくいるためには、莫大な費用がかかるようだ。
 だから美しくなくても、自然の方がよいのかもしれない。
                             能里子

ブログを書いて その2

2008年02月21日 | Weblog
  ☆ 嬉しいことは
 でも何と言ってももっとも嬉しいのは、読んで下さる方からメールが時々入る
ことだ。それは「大変参考になった」とか、「すぐに役立つ」など、お陰様でお礼やお褒めが多く、また毎日楽しみに読んでいますなどで、批判がましいものは
皆無で、本当に有り難いことだと思っている。
 でもブログ本文の投稿、1月26日「カウンセラーからのアドバイス86回、
記憶はいつもネガティブなものばかり」では、初めて批判的なものもあった。
 でもこれは人それぞれ価値観や、考えの違いであり、すべての人が同じ
ではないので仕方があるまいと、あまり気にしないことにしている。
 また直接お会いしてご指導した方にも、指導後に読者の方にお役に立つような
アドバイスは、ブログを通じて書けるし、わたしの気持ちも伝えられるので
一挙両得だと思う。比較的開放的なわたしは、かなりプライベートなことでも
書くので「私生活もガラス張りだね」と言われるが、何も悪いことをしている
わけではないのだからあまり気にしない。
 久しぶりにブログに今まで書いたものを振り返って読んでみたが、自己満足
だが結構面白かった。いずれにしても、わたしはヤッパリ書くのが大好き!
 これからも読んで下さる方がある限り、毎日かなりホンネで書き続けたいと
思う。それにわたしにはブログのチェックマンがいて、「てにをは」や間違
った部分があると、すぐに知らせてくれるのも嬉しいことだ。
 これからも楽しみながら、感じたことや、読んで下さる方が、情報となり
考えたり、気づいてくださるような、ユニークな文章を書いていきたいと
思っている。 愛読者の皆様、またご意見やご批判など、どんどんメール
して下さいね。今後とも応援をどうぞよろしくお願いします。
                            能里子
        

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