ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

命のはかなさ

2015年03月31日 | えっせー
 春風に吹かれて、ベランダで洗濯ものを取りこみながらふと考えた。
先日ドイツの飛行機が149人の尊い命を巻き添えにして、アルプスに激突
した信じられないよう恐ろしい事件があった。
 観光中のチュニジアの博物館でも、突然襲われ日本人が3人亡くなり、先日
無言の帰宅をしたことをテレビで見た。そんな不運な大勢の方のご家族はどんな
にか悲しみ、嘆いていらっしゃることだと思うと、とても他人事とは思えず
本当にお気の毒だと思う。また、人災だけではなく、東北大震災でも大勢の
方が亡くなったが、御岳山大噴火もまだ記憶に新しい。

 毎日新聞やテレビで見る事件なども、数限りなく起きているし、ことに幼い
命が奪われるのが、とても可哀想だと思うし、避けられなかったことが残念で
ならない。また天災もいつどこで起きるか、全く予想できないが、そう考えると
私達の命は、年齢に関係なく「風前の灯」なのだろう。
 私は子供の頃に戦争で家を焼かれ、とても恐ろしい思いをしたが、それ以外は
危険な目に合ったことは唯の1度もなく、今まで大過なく生きてこられたこと
だけでも、感謝に値すると思う。夫とのんびりと、穏やかに過ごせる毎日は幸せ
だと改めて感じる。自分の身内でも命にかかわる病人がいるので、今日はつくづく
そんなことを考えてしまった。仕事もできる範囲で続けたいが、これからは心に
引っ張られることなく、穏やかに平和に生きて行きたいと、しみじみ考えた
春爛漫の日だった。
 
 今朝これを読んで、「今日が一番若い日」と思っている私が、何時までおとな
しくしていられるか、実はあまり自信がないが。
 それにしても、今日も素晴らしいお天気。とても楽しみにしていたお花見な
ので、朝からウキウキしているが、これもまた生きている上での楽しみだ。
 今日もまた、大切に過ごしたいと心から思った。

若い人達との交流

2015年03月30日 | えっせー
 昨日はある学会で話したが、そのため猛勉強した。
その半分以上は話せなかったのは、毎度のことだが仕方がない。
 若い頃から目標を立てて一生懸命にやるのが自分の性格で、その燃えている
プロセスが大好きだが、さすがに疲れたのか、今朝は喉が可笑しく、もしかしたら
風邪?とも思ったが、明日はとても楽しみにしているお花見がある。
 「風邪なんか引いていられないわ」と、飛び起きて、メールを開いた。
すると、昨夜懇親会で知り合った男性からメールが入っていて、私の話を大変
褒めてくれ、豚年生まれの私はすっかりご機嫌になり、途端に元気になった。
 同じ席で同じ世田谷区に住む、我が家の子供達よりずっと若い男性と女性と
知り合って「今度3人で会いましょう」と約束したことを思い出した。
 二人ともとてもルックスが良いが、知的レベルの高い若い人との
対話はきっと楽しく、情報交換になるし、刺激的だろうと気持ちが弾んだ。
 だから人生楽しい、今日も素晴らしいお天気だ。

春なのに

2015年03月29日 | えっせー
 桜が咲くとウキウキするのは毎年だけれど、今年はそう喜んでばかりは
いられない。心配していた友人は大丈夫だったけれど、私のたった一人の兄
が食道がんで大変だと知らされて、昨日夫と急遽病院へかけつっけた。
 一度は手術したそうだが、また転移して、今では水も受け付けないのだとか。
兄はそれほどやせ細っていなく、案外元気だったけれど、喉が痛くて何も飲み
込めずまったく何も食べられないそうだ。
 そのままでいれば当然死を意味するので、そのため胃ろうを医師から勧め
られ、考えているようだ。いろいろな情報では胃ろうは良くないと聞くので
甥の電話で相談された私は、絶対強く反対した。
 でも、兄と会ってその状態を見て、「止めた方が良い」とは、どうしても
言えなかった。胃ろうは明らかに延命措置だけれど、兄は家に帰って家族と
一緒に暮らし続けたいという気持ちが、強く感じられたからだ。
 
 同じ兄妹とは思えないほど兄は壮絶な人生だった。
まだ30代の時、3歳と、5歳、小2の子供達がいたが、妻はある手術の麻酔
ショックで突然死した。その時の兄は涙一つ見せず、決して泣き言も、愚痴も
こぼさなかったほど精神的に強い人だった。
 その後再婚しまた息子が二人できた。しかし、これも運命なのだろうか
前妻の息子達も娘も若くして旅立った。
 その時兄は「前の人生でオレ、よっぽど悪い事していたのかな」と、ポツリと
もらしたが、甘ったれの私とは随分違って、優秀な兄はビジネスマンとしては
最高の地位に上りつめた。
 
 一人しかない妹なのに、兄の再婚相手は何故か長年私を避け続けたため
だんだん疎遠になり、最近では滅多に会うことはなかった。 
 現在は長男夫婦と二世代住宅、孫も生まれ平和で穏やかに暮らしている。
そんな幸せな老後を、もっと続けさせた上げたいと思う反面、そう長くない
命で、さらにまったく食べられなくては、人生が楽しいのだろうか?
 健康だった兄がそんな状態になるなんて、考えたこともなかったのに
やはり年齢でそんな病気になったのだろう。
 これからどうなるのか分からないが、穏やかで安楽な時間を過ごして
欲しいと、妹として心から願っているが、これからどうなるのかいくら
考えても仕方がないが、私にはどうすることもできない。
 



能里子風 メチャ料理

2015年03月28日 | 料理
 ☆ 超簡単大根のシャキシャキ炒め煮
 大根を1センチ角くらいに荒い拍子切りにする。
豚肉は千切りにし、フライパンで切った大根とごま油でいためてから
麺つゆを入れ少しだけ煮てから、お好みで七味を振りかける。
 大根は半煮え状態なので、鍋に入れたままでは煮えてしまうから、すぐ
に器に盛る。沢山出来たので、4階に住む息子のお嫁さんに「大根のアルゼンテよ」
と上げたら、「アルゼンテ?」とびっくりしたが、一口食べて「美味しい!」と
言ってくれたのでご紹介した。
 今大根は安いし、すぐできるし、シャキシャキとした食感がとても良く、美味しい
と思いますよ。大根がお好きな方、ぜひお試しあれ。
 あまり煮ないで、半生で火を止めすぐに器に入れることがコツ。


乾燥しょうがを飲んで3年

2015年03月27日 | えっせー
 私は24年3月から、毎日乾燥しょうがを粉末にして飲んでいた。
それは低体温を上げて、代謝率をアップさえ、さらにアンチエイジング効果が
あると知ったからだ。それから私はしょうがを蒸して、薄くスライスし天日に
乾し、乾燥させたしょうがをミルサーで粉砕する。
 それは大変手間ひまがかかる作業だったが、それを毎食後に飲んでいたが
気づいたら満3年。ときどき体温を測ったり、無論体重も毎日計測したが
目に見えるような効き目はまったくなかった。
 しょうがを飲むと体が熱くなるそうだが、私が鈍感なためか、初めから感じ
られなかったが、でも、自然の植物だし、絶対に良いはずだと思って続けていたが
さすがに嫌になった。そして、今日が最後のスプーン1杯を飲んだが、この毎日
続けた3年間は、一体何だったのだろうとしばし考えてしまった。
 でも、私がパーツ以外は健康なのは、もしかしたらその効き目もあったの
かも知れない、全く無駄ではなかったと割り切った今朝だった。

WHOの健康の定義についての間違い

2015年03月26日 | えっせー
☆昔を思い出して
  私は29日にある学会でお話しするが、WHOの健康の定義にも一部
触れるので、インターネットでいろいろ調べて見た。
 すると、すでに加えられていると書かれてあり、また、「厚生労働省発表資料」
「WHO懸案における健康の定義の改定案」として、肉体性、精神性、社会性に
霊的な健康が1999年に加えられた」と書いてあった。
 これは大分以前に間違っていたことがあるので、念のため直接厚生労働省
に問い合わせた。
         
 すると、「それは1948年から討議されているけれど、まだ承認されていない」
との返事だった。それなのにもどうして「スピリチュアルが加わった」と、一人
歩きするのだろう。日本語では「霊性」と訳されているが、宗教問題などがから
むので、大変難しいのだろうが、精神世界を昔から学んでいる私には、何故
「スピリチュアル」が承認されないのか理解できない。
 それは一般常識的には必要と解釈されるのからではなかろうか、アカデミック
な学会ではミスは許されないので、やっぱり確認して良かったと感じた。
 誰でも、自然に「祈る」「念じる」が、それなどは宗教ではなく「スピリチュアル」
そのものではないかと私は思っている。
             
 おそらく15年程前にオランダのライデンで開催された、「国際心理学会」
で当時WHO(世界保健機構)の事務局長だった精神科医の中嶋宏先生が
基調講演なさった。「whoでは、健康の定義、肉体性、精神性、社会性に加え
てスピリチュアル(霊性)を加える討議を何年もしているが、オランダなど
先進国の強硬な反対で実施されなかった。今や現世は霊界に近づきつつある
ので、必ず近年中には加えられるべき要素だ」とお話しなさったのは忘れない。
       
 友人と私はその国際心理学会にも参加したが、その前にドイツを観光した
ため、早稲田大学心理学系教授達のツアーより一足早くホテルに着いた。
 そのときにラウンジに行ったら、日本人の学者らしい人がいて、何となく
挨拶してから3人で合流しビールを飲んだが、それが中嶋宏先生だった。
 ライデンの田園地帯にあった「チューリップホテル」で、4日間缶詰に
なったが、中嶋先生と日本語が大変流暢なフランス人の奥様と、同じ席で毎日
食事をした。先生はとても明るく気さくな方で、実にさまざまな国際的なお話
をお聞きした。私達はそれを聞いて、感心したり、びっくりしたり、笑ったり
したが、とても楽しかったのも懐かしい思い出だ。
 でも、日本に帰ってから、そんなに立派な先生だったのだと知って驚いた。
 いずれにしても、インターネットで発信されていることがすべて正しいこと
ばかりではないと感じたが、安易にそればかりには頼ってはいけないと、肝に
命じた。
注 中嶋宏先生 精神科医、WHO事務局長を25年歴任。平成14年
 勲一等瑞宝章を授与された。平成25年ご自宅のあったフランスで、84歳で
亡くなる。WHO名誉事務局長。


春の歩行会

2015年03月25日 | えっせー
 ☆ 思いがけないお花見
 今日の歩行会は都内を歩いた。田町駅で集合した仲間はおよそ二十五人位
田町の辺りのあまりの変わりように驚いた。
 昔私はある大手企業の研修講師をしていたので、そこには研修所があって
度々通った風景とは全く違っていて、月日の流れを感じた。
 それから歩いて十分ほどの慶応義塾大学のキャンバスを見学した。
会員に慶応ボーイは二人いるが、その一人が校内を案内しながら詳しく説明
してくれた。同世代の男性だから、自分達が通っていた頃とは様子は随分違う
らしい。でもどんなものでも時の流れで,大きく変化するのは当然だろう。

 福沢諭吉邸後は福沢公園になっていたが、そこには碑が立っていた。
重要文化財である演説館や図書館なども見学したが、さすがに格式のある
重厚な趣がある立派な建物で歴史を感じさせられた。
 校内の正門に近い所で、思いがけなく満開の桜に出会えて、私はとても嬉しく
一足先にお花見をしたような気分だった。

 校内は外国人らしいグループが何組かいたが、お休みのためか学生がいない
ためか静かだった。私は歩きながらふと思い出したが、日本で初めて紳士録
を作成したのは、福沢諭吉先生だと聴いた。
 その頃最も権威あると言われていた紳士録に、私はもう随分大昔に掲載され
夫の名前や学歴まで載ったが、そのときは大変誇らしく嬉しかったのは忘れ
なかった。今は個人情報が重視されているが、あの類の分厚い紳士録は今でも
まだあるのだろうか?

 慶応大学の見学を終わり、その後綱坂を上りオーストラリア大使館のある
広い坂を下り、麻布十番を通り仙台坂を上ったが、それはとても長い坂で
上りに弱い私はちょっときつかったが、途中友人がサポートしてくれた。
 最終目的地の有栖川公園は、有名だが一度も来たことがなかったが、アップ
ダウンが大変多い公園で、都心だから仕方がないのかも知れないが、あまり
情緒的ではない。途中に池で亀が甲羅干しをしていたのが印象的だった。
 東京に生まれて育った私でも、知らない街は沢山あるが、歩行会ではいろ
いろなところを歩けるのがとても魅力的で楽しい。
 我が班の参加者は十一名、帰りに広尾でお茶をして別れたが、同じ世田谷
でも方向が違い、私達小田急線組は三人で帰ったが、それなりに楽しかった。

新聞を読む楽しみ

2015年03月24日 | えっせー
 読売新聞の連載記事「時代の証言者」は、前回は宇宙飛行士の向井千秋さんで
大変興味深く読んだが、今は別名「発酵仮面」とも呼ばれている小泉武夫先生で
「発酵はおいしい」と言うタイトルだ。
 私は東京農大の成人学校で4年間学んだが、友人と毎週経堂の駅で待ち
合わせ、徒歩約20分かかる道を、寒い日も暑い日も通ったのもとても懐か
しい思い出だ。そのため、農大の人気教授だった小泉先生のお話は4回聴
いた。小泉先生のお話は大変面白くて、笑いが絶えなかった。
 そのお陰で、健康維持にもっとも効果的と言われる、発酵食品についての知識
が随分増えたため、今でもできるだけ発酵食品を食べるようにしている。

 私は食生活を大変重視しているので、これからどんな展開になるかとまた
新聞を読む楽しみが増えた。昔は全く読まなかった一面記事にも目を通すよう
になったのは、物書きのはしくれとして、時代の最先端の情報を知る必要性を
感じているからだ。また、最近高齢になっても脳細胞は増えることが解明
されたのは、とても嬉しい事だった。
 たとえ物忘れが多くなっても、創造意欲や、学習意欲があれば、高齢でも
大脳はまだ発展途上と言っても良いのではなかろうか。
 これからもできるだけ時間と機会をつくって、いろいろとチャレンジして
脳細胞を増やしたい。ビビッドエイジング研究家としては、こんなにやりがいの
あることはないと思うし、だから人生は楽しいのだ。

心はスキップしているけど

2015年03月23日 | えっせー
 目覚めてすぐにベランダに出る。とても暖かいので嬉しくなる。
桜の便りが聞かれる頃になると、気持ちが弾んで、まるで心がスキップして
いるようになるのは幼い頃からで、それは高齢になった今でも全く変わらない。
 我ながら困ったものだと思う。友人達とのお花見や、それまがいの催しが
スケジュール表に一杯だから余計に嬉しい。
 しかし、浮かれてばかりはいられない、29日は学会での講演がある。
長年経験のあることでも、アカデミックな学会でお話しするためには、今日から
心を引き締めて勉強しなければならない。
 この気持ちをなだめながら、1週間がんばらなくては・・・・

お彼岸の中日

2015年03月22日 | えっせー
 ひと月ほど前に思いがけなく息子と3人で3か所のお墓参りをしたので、今日は
夫と小池の菩提寺だけ行った。バスで行ったが、お寺はお中日のためか大賑わいで
二人で「こんな賑やかなお寺は初めてだね」と話したが、考えたらお彼岸中日に
来たのは初めてだった。帰りは下北沢駅まで歩いたが、土地っ子の彼はこの辺りは
大変良く知っていて、ここは昔川で道がなく、森巌寺へ行くときは広い道を通った
そうだ。久しぶりに下北沢を歩いたためか、すっかり変わっていたのに驚いていた。
 いつもは若い人でごったかえしているが、午前だったためか、街はひっそり
していた。

 
 夫は母親の実家が下北沢の駅近くで、父親も世田谷区なので、あまりにも近い
ため、田舎がないので、友達が田舎へ行くと話していると、羨ましくて仕方な
かったと話した。井の頭線のガード下を歩いたら、土手だったそこは、いつの間
にか高架線になっていた。二人で改めて見ながら、一人では時々行くが、私は
そんなことは全然気がつかなかったけど、やはり夫と歩くと視点が変わり、色々
なこと気づくのだと感じた。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど、まだこれからも
寒い日があるのだろう。桜の開花宣言もされて、何かと心弾むこの頃だ。
 

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