ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ペルー旅行記 7

2010年09月11日 | Weblog

  ☆ マチュツピチュ遺跡に登って
 入り口には大勢の人がいたが、荷物預かり所と有料トイレがあったが、どちら
も混雑していた。その両方を利用したので、仲間を待たせてしまったようだ。
 入口はいろいろな国の人でごった返して、なかなか入場できないので、わたし
は驚いてしまった。入場までおよそ15分以上かかっただろうか。
 それから大勢の人に続いて歩き始め、いよいよ上り坂になったが、そこは石の
階段だった。自分の身長に合わせて調整したスティックは、とても使いやすく、その
ため足元が安定し、随分楽に登ることができた。
 一行20人の先頭にはガイドがつき、最後尾には添乗員がついていたので、遅れ
ても決して置いていかれないのは安心だったが、わたしはその前の方を、ガイドと
同じようなペースでずっと歩いていた。
 しばらく登るとだんだん呼吸が荒くなって、息が苦しくなったが、混んでいる
ため先が遣えて時々立ち止まるので、何とか持ちこたえられた。
 わたしは一生懸命に登ったが、雨は一向に上がることなく振り続いていた。
どれほど時間が経過したかわからないが、ガイドさんが「ここが遺跡の全体が見える
第一スポットです」と、やや広い所に立ち止まったので、ホッとした。
 ところが霧がたちこめていて何も見えない。
 
「ああ、折角ここまで来たのに何も見えない」と、全員がっかりしながらガイドの説明
を聞いていたところ、霧がだんだん晴れてきて、写真で見るようなマチュピチュ遺跡が
だんだん姿を表してきた。それは素晴らしく幻想的だったが、やがて遺跡がその全貌を
表したとき、わたしは思わず歓声を上げ、全身がしびれるような感動を受けた。
 無論全員もわたしと同じように感じたに違いないが、その場での説明が終わり、「では
もう一つのスポットに登りましょう」と言われたらしいが、まったく聞こえなかった。
「小池さん!」と声をかけられ、ハッとするまで、わたしはその感動のまっただ中に
意識は集中していたようだ。これは幼い頃からのクセらしいが、その瞬間は意識が
それのみに集中し、一瞬止まったようになる。
 それが、感性人間のわたしの特長かもしれない。
 ☆ 雨が上がって
 最も高い場所に見張り小屋があり、そこも遺跡全体が見える第二スポットだった。
わたしはそこで夢中でシャッターをきり、また携帯で友人達にも送ろうと携帯でも
かなり撮った。やがて雨が止んできて、雲が大きく動いていた。
 それから、遺跡の中のコンドルの神殿、日時計、三つの窓の神殿などの要所要所を
ガイドの説明を受けながら歩いているとき、空がだんだん青くなってきて、一瞬だが
薄日も差してきたので、わたしはとても嬉しかった!
 雨の中をひたすら一所懸命登ったが、雨が止んで遺跡の全景がこんなに美しく
見えたなんて……(ヤッパリ来て良かった)と、胸が痛くなるほどの感動と、導いて
下さった見えない力や、また健気に頑張った自分自身にも感謝の気持などを、誰にも
話せず心の中で反芻した。
 周囲が明るくなるにつれて遺跡全体がとても大きく、また歴史の重みも加わってか
全体が光って見えた。大昔こんな山の上にこんな大きな宮殿があったなんて……


 また、その生活様式は非常に合理的で、科学的だったと説明を受けたが、推定
では約700人ほどそこで生活を営んでいたらしい。
 明るくなってきた遺跡は、段々の棚畑の緑が映えてとても美しかったので見と
れていると、当然激しい音が響き渡った。
 びっくりしてその方を見ると、棚畑は立ち入り禁止なのに、そこに入っていた
人に警告したようだ。入場者数は一日2500人平均、多い日には何と4000人
も来るので、そのために監視員が巡回して警備いるのだとわかった。
 そのだんだんの棚畑には、初めて見た「リャマ」が、のどかなに草を食んでいて
それもカメラ納めた。その間霧が晴れたり、発生したりを何度もくり返したが
晴れたお天気の時より、こんな日の方が、幻想的で美しく見えると説明され
わたし達は本当に好運だったと、仲間と話し合った。
 そこに滞在したのは凡そ三時間、おそらく再び来ることがない遺跡を、わたしは
瞼にしっかりインプットした。

ペルー旅行記 6

2010年09月10日 | Weblog
   ☆ 最後のハイライト世界遺産へ
 きれいな鳥のさえずりで目覚め、パジャマのままドアを開けたら、まだ真っ暗だった。
二階は庭をはさんで、真向いにも部屋がある、すると男性が出てきて「お早うござい
ます」と声をかけられたが、近眼のわたしは誰だかわからないが、一応仲間であるのは
確かで「お早うございます」と答えた。
「あんまり鳥が鳴くので、外に出たんですよ」と言ったので、「わたしも同じです。何て
きれいな声でしょう」と話をしてから部屋に戻った。
 気にしていた足の調子は良く、いよいよ今日はマチュピチュ遺跡に登る日だが
大丈夫そうで安心した。その日のモーニングコール5時半、朝食6時半、出発
7時15分。外は曇っていた。それからバスで高原列車の出る「オリャンタイタン
ボ駅」に向かったが、30分ほどしたら雨になった。
 バスは4000メートル級の山に取り囲まれた道を走るが、その道すがら絵本
で見るような、民族衣装の人が多く、やはり地方は首都リマとは全く違うのだと
わたしは興味深々で、いくら見ても飽きなかった。

 家並みはやはり掘立小屋のようだが、ガイドさんが家の外側は「日干しレンガ」
だと教えてくれた。それは泥と干し草をまぜ形を整え、日光で乾かし焼いていな
いそうだ。家は自分達で建てるので、日本の大工さんのような人はいないとか。
 でもレンガは焼いていないので、大雨になると溶けだすこともあるようだ。
収入は月収250ドルぐらいだそうで、日本の平均収入とは比較できないほど低い
のだと感じた。途中は野良犬が多く驚いたが、保健所がないため、犬は自然のまま
でだんだん増えるそうだが、みんなやせ細って可哀そうな気がした。
 沢山の野犬を見たためか、わが家のペットに急に会いたくなった。
駅に着いたのはおよそ二時間後だったか、雨脚はかなり強くなっていた。
 列車を待つ間にガイドさんから聞いた、ホームで売っている美味しいコーヒー
を飲んだ。
   ☆ 高原列車に乗車して
 列車は予約制だが思ったよりきれいで立派だった。
乗り込むときにもまたパスポートの提示を求められ、写真と照らし合わされた。
 車内はなかなか豪華で、座席指定だった。一つの席が天井のガラス窓から雨が
漏っていて、座席がビショビショで座れない。
 もしかしたら満席かもしれないと添乗員さんが心配したが、その席の人は乗務員
の案内で他の車両に移って一件落着。でも皆んなで笑ってしまった。
 乗車時間は二時間八分、思いがけなくコーヒーや紅茶、コーラなど、好みのソフト
ドリンクと、お菓子のサービスがあった。
 終点の「アグアスカリエンテ駅」まで、途中にまったく駅はなく直行便だそうだ。
列車は天井がガラス張りのため、上が良く見えるが、山を削ったようなところもあり
木がかぶさるように天井にせまっている所もあった。
 雨足はますます強くなったが、列車は建物がまったくない
山の中をひたすら走った。
途中で登山をするような重装備の若者が何人か、ドアの方に向かったが、駅もない所に
列車は止まって、その若者達は降りて行った。
  
 後で聞いたが「インカ道」と呼ばれ、マチュピチュ遺跡まで、三泊四日間かけて
登るルートで、それに参加するために降りたそうだ。
 そのコースはガイドがつき添い、テントや水など必要なものをポーターが持って
案内すると言う。そのコースは大人気で、一日五〇〇人限定だが、半年以上前でない
と申し込めないそうだ。進行方向の左側に沿って川が流れていたが、そこに吊り橋があり、
その吊り橋を渡って、対岸のインカ道に入るそうだ。
 ビニールのポンチョの着重装備の若者が、列車に手を振っていたので、わたし
達も「ガンバッテね」と言う思いをこめて手をふった。
 これからマチュピチュ遺跡に入るためには、列車の線路と、インカ道しか交通
手段はないそうだ。そのため、大分以前にその川が氾濫し、線路が流され交通
ラインが遮断したため、テレビで見たように、ヘリコプターで大勢が救出活動
されたのだと理解できた。この鉄道はそのため、しばらく列車が休行されて
いたが、突貫工事が続いて、七月からようやく運転が再開されたそうだ。
 雨が激しく降って、ガラスが曇るので外が見えなくなるので、ときどきタオルで拭いた。

山の中を列車はスピードを上げひたすら走った。
「この様子ではマチュピチュ遺跡も大雨ではないか」と、一同は心配したが、「山の
お天気は変わりやすいので、必ずしも降っている訳ではない」と添乗員に説明を
受けて一同はほっとした列車は、「マグアスカリエンテス駅」に定刻に着いた。
 ここはマチュピチュ遺跡に入るためのルートで、そこから混載のシャトルバスに
乗るが、その前にその田舎町のレストランでランチをとり、わたし達はバス乗り場に
向かった。バス乗り場は大変な混雑だったが、15分ほど待ちようやく乗れたが、急坂の
うっそうとした山道をスピードで走り、恐ろしいように感じたが、これからいよいよだ
と思うと、気持ちがだんだん高揚してきた。
 走ること約30分、いよいよマチュピチュ遺跡に着いたが、わたしはバスの中で
(これからわたしが子供の頃から憧れていた、マチュピチュに遺跡に登るの、だから
頑張ってね)と、自分の膝や腰に心の中でずっと語りかけていた。

ペルー旅行記 5

2010年09月09日 | 健康
   ☆ 村の農家を訪問して
 わたし達がその日宿泊する「ウルバンバ、ペルー、ホテル」より、少し標高
が高い一軒の農家を訪問した。そこで農作物のトウモロコシや、ソラマメなどを
試食しながらお茶を頂いたが、なかなか素朴で美味しかった。
 そこの50代と思えるご主人の話を聞いたが、自分達は農作物を売って生活して
いるが、その収入では、電気料金も、電気製品も高いのでまったく使えない、あるのは
この蛍光灯だけだと話した。この時代に今でもそんな生活をしているなんて、隔世の
観だと大変驚いた。全員が目を丸くしているので、ご主人は気がついたのか「あ、ラジオ
はある」と持ってきたのは、年代物でソニーのラジオだった。

 それは農作業をするとき、必ず持って行って聞いているそうだ。
全て自給自足だそうで、その後家の中を見せてくれたが、台所にはかまどが
あり炊事は薪だけらしい。家の中は質素だがとても清潔で、ご夫婦仲も良さそ
うだ。子供は5人いてその三人の子が出てきたが、目がとてもきれいで、ニコ
ニコして愛想が良かった。またモルモットを飼っていて、食糧にもするとか。
 その小屋を見たが、実験材料になるモルモットより、ひとまわり大きくとても
愛らしかった。「今どきこんな生活をしているなんて」と、わたしは驚くと同時に
「シンプル・イズ・ベスト」と言う言葉を思い出した。

 山に囲まれた自然環境で、自分でつくった家に住み、ほとんど自給自足で暮らす
家族は本当に平和で幸せそうに見えた。(これがもしかして人間本来の自然な姿かも
しれない)とわたしは大変感動した。ニコニコしている子供達に、かなりの金額を
思わずプレゼントしたが、それは心の中から自然に溢れた感情の表現で、決して
憐れみではなく、わたしに「大きな気づき」を与えてくれたお礼の気持ちだった。
 それからお願いして、家族全員と一緒に写真を撮った。
家族全員で手を振ってバスを見送ってくれたが、何だかわたしの胸の中を清々しく
爽やかな風が通り過ぎたような幸せな気分で、しばらくその余韻にひたった。
 この出合いは、旅の忘れられない良い思い出になることだろう。
  ☆ウルバンバ・ペルー・ホテルに滞在して
 そのホテルの周りは、まるでスイスのような雰囲気だった。
4000メートル級の山に囲まれ、庭にはペルーに来て初めて見た、いろいろ
な美しい花が沢山咲いていた。この旅程で初めて五時頃に早く着いたので、Nさん
と一緒に散歩したが、ひんやりした澄んだ空気がとても美味しく感じられ、わたしは
何度も深呼吸をした。まだ空は明るく、白い雲がポッカリ浮いて、山肌がとてもきれい
だった。今まで、そして明日からの超タイトなスケジュールの中で、その日が最も時間
にゆとりがあり、のどかなホテルの周りを、Nさんとゆっくり散歩したのは、とても
気分転換になり、心身がリラックスできた。
 夕食は一人参加した男女4人で、ワインとビールで乾杯し、楽しく話がはずんだ。
でも何故か一人の男性がわたしの年齢をしきりに聞きたがる。
(何故二人いるのに、わたしの年齢ばかり知りたがるの、大きなお世話でしょ!)
と内心思ったが、「女性に年齢を聞くなんて失礼でしょ!あなたのご想像にまかせる
わ」と言ったためか、わたしをしげしげ見ながら彼はこう言った。
 
「僕は今還暦で定年なんだけど、あなたはもしかしたら00年で(えと)多分
1歳違いだと思う。あたっているでしょ!」と、自信ありげに言った。
(あーら、有難う。でもゴメンアソバセ、わたしあなたよりずっと年上よ、ウフフ)
と思ったけど、でも結局黙っていたがちょっと気分がよかった。
 部屋に戻ったのが9時半頃、ほろ酔いのわたしは、もう一度ドアを開け部屋の外に出て
ふかーく深呼吸をしたが、空気はほのかな花の香りを含んでいるようだ。
 シャワーしかないと聞かされていたけど、バスタブがあったので、お湯をためながら、
わたしは今日のの行程の日誌をつけた。
 その間携帯で、メールや、友人やペットの写真を見ながら、歯を磨いたが、「今頃何を
しているのかしら?」と、日本に思いをはせた。
 (明日はいよいよマチュピチュ遺跡だ)と思ったら、だんだん気分が高揚してベッドに
入ってもなかなか寝付かれず、初めてデパスを飲んで眠った。



ペルー旅行記 4

2010年09月08日 | Weblog
   ☆リマ市内観光
 市内観光は、大聖堂、美術館、広場など。またさまざまな色の建物があり、
ことに黄色が多かったのは、明るい光をイメージしてそうなったそうだ。
 それらは地元の日系のガイドさんに説明を受けたが、大昔スペインに侵略さ
れた歴史的な背景を話すとき、その言葉にはかなり恨みがこもっていた。
 多分自分では知らないことでも、侵略され統治された国は、代々ネガティブ
な感情は伝承されるのかもしれないと感じた。
 大統領官邸の前で、大勢の警察官の正装したパレードがあり、なかなか華麗
で見応えがあり、わたしは何枚もカメラに収めた。

 今まで海外へツアーで何度も参加したが、このくらいの日数が経つと、それぞれ
うちとけてかなり親しくなれるが、ご夫婦が多いせいか、二言三言言葉は交わし
ても、誰とも親しくなれない旅はかって経験したことはなかった。
 そう言えば「どちらからいらしたのですか?」と、誰からも聞かれていない
ことに気がついた。プライバシー過剰の時代の趨勢だけではなく、やはりこの
ような旅に参加する人は、個性的な人が多いのかもしれない。
 誰とでも気軽に話せるわたしだけれど、自分からは話しかけないからかも
知れないけれど……一行をさりげなく観察すると、全般的に自分の相手以外は
親しそうにしていないと感じた。でもわたしはNさんと仲良くなれて良かった。
  ☆その後空路でクスコへ
 リマ市内観光後は約1時間半飛行機に乗り、クスコに着いた。
そこは標高がもっとも高く、高山病の症状が出る人もいるようだ。
 またクスコはおへそと言う意味で、ここが世界の中心だと思われ,そう名前
がつけられたとか。クスコは山に囲まれた美しい街だ。
 すると晴れていたのに、だんだん曇ってきて雨になったが、山のお天気は
変わりやすい。傘をさして市内観光をしたが、しばらくすると止んで、インカ
帝国の石の塀で「かみそりの刃も通らない」と言われる、有名な12格の石や
アルマス広場、ケンコーの遺跡など見学した。
 わたしは生あくびが頻繁に出て、頭が少しフラフラして、もしかしてこれは
高山病かも?と感じたが、我慢できる状態なので、黙って歩いていた。
 きっと日本だったら、「頭がフラフラするの」と、誰かに訴えただろう。

 すると小さな女の子が人形を持って売っていたので、思わず見つめたら、それ
からしばらく離れずついてきた。7.8歳の子で何だか可哀そうになり買って
しまったが、その時嬉しそうにニコッとした笑顔は、今も忘れられない。
 そんなやりとりのうち、気がついたら頭のふらつき感は消えていた。
また何人かの子供達が、アルパカの赤ちゃんを抱いていたが、それを抱いて
写真を撮るとチップを払うようだ。わたしは記念になるので、そのアルパカの
赤ちゃんを抱いて写真を撮った。まだ幼い子供が働かなくてはいけない現実は
ちょっと心が痛んだ。
 その日のランチは、南米の音楽「フォルクローレショー」を聞きながらだった。
演奏は竹などの楽器を使い、かなりレベルは高いと感じた。
 音楽大好きなわたしだけれど、どちらかと言うと暗めなフォルクローレは
ちょっと苦手で楽しめなかった。でも、前や、隣のご夫婦も楽しそうにリズム
をとっていた。また新婚旅行のカップルのために、一曲プレゼント演奏をして
くれ、全員で大拍手した。演奏後そのバンドのCDを何組かの人が買っていた
が、参加した人はこの音楽が好きなのだろうと感じた。
 それから、わたし達が宿泊する「ピサック村」へ向かった。 

ペルー旅行記 3

2010年09月07日 | Weblog
  ☆ ナスカの街を歩いて
 その後もう一度ホテルに戻り食事をしたが、昨夜は見えなかったが、レストランの
外にはプールがあり、美しいブーゲンビリヤが咲いていた。
 その後短いフリータイムがあり、Nさんとナスカの街を歩いたが、街並みはまるで
わたしが子供だった頃のようだった。スーパーをのぞいたり、食品市場も見たが、いろ
いろな野菜や果物が豊富で、見たこともないものが山ほどあった。
 また、鳥や豚やその他の肉が形のままあり、わたし達は気分が悪くなり急いで退散した。
人は沢山歩いていたが、お土産物屋もなく、食べ物を売っている屋台が多く、何だか
大昔の空間にいるような不思議な気分になった。
   ☆ リマに戻る
 地上絵を見てから、今日は移動だけだ。それからまたバスに乗り、7時間440キロ
リマに向けて出発した。昨日と同じアメリカン・ハイウエイを走ったが、砂漠ばかり
だったが、途中美しい緑の田園地帯もあり、ガイドさんの説明では、砂漠でも水は豊富で、

農作物やワイン用の葡萄なども沢山収穫でき、またアスパラの生産量は、何と世界一だ
そうで、日本にも随分輸入されているようだ。
 途中でトイレ休憩も兼ねて、日系人が経営するお土産屋さんに寄ったが、そこには質
の良いいろいろな商品が沢山あった。わたしはそこでトランクに入るかさや、重さを考
えながらお土産のほとんどを調達した。
 買い物大好きなので、とても楽しく、最高の気分転換になった。
延々と走りながら、この国の広さを痛感するが、変化のない景色はあまり面白くなかった。 
リマに着いたのは多分9時頃。その街並みはさすが首都だ、と思える近代的だった。
その街のレストランで、名物のチキン料理を食べたが、ライス代わりかフライドポテト
が山のようについていた。サラダは温野菜で、ラデッシュ?インゲン、ニンジンなど
で彩りが美しく、久しぶりに野菜をたっぷり食べた気がして満足できた。
 その頃にはNさんとスッカリ仲良くなって、いつも一緒に食事をした。

 ホテル着10時過ぎ、五つ星のシェラトンホテルは、さすがにゴージャス
とても気分がよかった。バスタブにお湯を入れながら、NHKテレビを見たが
「クローズアップ現代」は、死刑についての番組だったため、大変興味深く見た。
三泊目になるが、まったく淋しくも怖くもないのは、わたしが自立できたのだろう。
 でもあまりにも時間が忙しいから、そんな余裕もないのかもしれないが、人一倍順応
性があるわたし、なかなか良い傾向だと自我自賛する。
   ☆ 足がつった 
 喉の渇きで目覚めたのは現地時間三時、しばらくテレビを見たら、左足のふくら
はぎがかるくつったので、わたしはスッカリ慌てた。
 そんな経験は滅多にないが、(困ったどうしよう、もしかして足に負担をかけたの
かしら?)と考えたが、それほど歩いてはいないし、負担をかけてはいない。
 わたしは両手で左足のふくらはぎに手を当ててそっとさすった。痛いと言うほど
でもないが、確かにつったような状態だ。(これからマチュピチュへ行くのにどうし
よう?お願いわたしの足がんばってね)と、話しかけながら足と対話した。
 その間二・三分かもしれないが、足の違和感はなくなっていた。
長年いつも自分自身の体と対話しているので、体の内部にはかなり敏感な方だ。
 体は心そのものだと思うし、そのため、自分の実年齢よりずっと健康で若い体を
保っていると信じている。これは多分足からのメッセージかもしれない。
 わたしにとってはかなり厳しいこの旅はその行程も、今中ほどだがこれからより
用心しなければと心を引き締めた。その後いつも行う自分自身に「心身のセルフ
ヒーリング」、また地球の反対側の家族や、友人達に遠隔ヒーリングを送った。
 それからブログで旅行記を書くために、昨日の記録をつける。
モーニングコール5時半、その頃にはすべて準備万端整っていたが、朝早く起きる習慣
のわたしにはまったく苦痛はなく、むしろ自然だったし、寝不足は移動するバスで
挽回すれば良いと割り切っていた。



まだ体内時計は狂っている!!

2010年09月06日 | 健康
   ☆帰国してから三日も経つのに
 金曜日の夕方家に帰ったら、扶桑社の増刷分と、PHP研究所の雑誌の執筆
の振り込み通知があり、とても嬉しかった。
わたしは上手ではないが、書くことが大好きで、長い機内で今度久しぶりで出る
本の原稿を書いた。おそらく一章分の原稿はPCでリライトし、出版社にメール
した。仕事を入れなかった二日間は家から一歩も出なかったが、無論家事は
しっかりこなした。一昨日は真夜中に目覚めブログや原稿を書いたので、音楽を
聞きながら昼寝をしたが、目が覚めた時は朝だと勘違いした。
昨夜も原稿とブログを書いたが、「ペルー旅行記」は日付が変わるまで待ってと
投稿のため起きていたのに、今朝はまた早朝に目覚めた。
 友人が「大変な旅をしてきたのだから、体調に十分気をつけて」とメールを
くれたけど、確かにそうかもしれない。
 旅行中に指は完全に治ったので、ピアノだけは弾いたけど、スタジオで行う自分
のレッスンはまるでヤル気がないなんて……
 別にだるい訳ではないのに、何故か意欲が湧かない。でも原稿だけはしっかり
書いていた。明日から何時も通りのいろいろなことが入っているが、今日だけは
ボーっとしていようかしら。あんな遠い地球の反対側まで行ったんだもの。

ペルー旅行記 2

2010年09月06日 | 健康
☆ コロンビアからペルーへ
モーニングコール四時、四時半朝食、(前回は間違っていました)五時にキャピタル
ホテル出発、昨夜は睡眠不足だが、その割にまったく疲れていない自分に驚く。
空港着五時二〇分、再び厳しいセキリティーと、ボデーチェックがあった。
その間いろいろな人達と会話できたが、一人参加のわたしは旅慣れて、強い女だと
思われているようだ、旅慣れてはいるが決して強くないけど、ま、いっか!
 ボコタからリマまで、添乗員のOさんと隣合わせになり、ツアー参加者情報を
聞いた。ご夫婦六組、親子二組、一人参加男女各二人ずづ、男女同人数二〇人だそうで
必ずいるはずの女性同士がまったくないのに、ちょっとガッカリする。
 昨日乗った飛行機とはうって変わってきれいな機内で、美しくにこやかなスチュ
アーデス、そして出た機内食、コーヒーもとても美味しかった。
☆ 首都リマに着いて
 思いがけないハプニングだったが、スケジュールの変更はないそうだ。
リマはペルーの首都だが、その街並みのあまりにも貧しさに驚いたが、ほとんどが
まるで掘立小屋のようだ。高い建物はなく、その国の実情をつぶさに感じながら
郊外にある「パチャマック遺跡」へ行った。そこは砂漠の中にある広大なもので
太陽の神殿を見た。それからバスはナスカまで移動した.
しばらくしてガソリンスタンドでトイレ休憩をし、バスは暗くなったアメリカン・ハイ
ウエイをひた走った。バスはきれいで一人で座席二つ取れた上、日本人ガイドの佐藤さんは、
実にタイミング良くガイドをしてくれたのがとても良かったし、前日の睡眠不足を
解消するために、全員が良く眠れたようでバスは静寂だった。
 バスの走行距離は、リマからナスカまでおよそ440キロ、わたしは以前に
ニュージーランドでの600キロを経験したことがある。
 それよりは少ないが、かなり長い距離だ。およそ7時間後ナスカのホテルに着いた。
夕食はホテルのレストラン、シーザーサラダ、チキンシチュー、デザートはチーズケーキ、

一組のご夫婦と、一人参加の女性Nさんと乾杯し、おしゃべりしながら楽しく食べた。
 明日はいよいよナスカの地上絵見学だ、わたしは大いに期待した。
NHKのテレビが放映されていて、スッカリ嬉しくなりしばらく見てから眠る。
   ☆ ナスカの地上絵を見て
 モーニングコール5時半、朝食6時半、ホテル出発7時15分。ナスカの地上絵を
見るための空港はホテルから10分位。お天気は素晴らしかった。
 その途中にはリマで見たより、もっとみすぼらしい家並みが続いていたが、降雨量
が少ないためか、どの家も屋根がとても汚かった。
 お天気は良くても、霧が出ると地上絵は全然見えず、そのため何時間も待つこともあるそうだが、
わたし達は好運なことに晴れ渡った空に歓迎されたようで、すぐにセスナに
乗ることができた。でもその前に体重を量られ、パスポートを提示させられ、また、
またセキリテーチェックを受けた。地元のセスナに乗るだけで、と仲間でブーブー言ったが
それも仕方あるまい。わたし達は10人に分かれ、その空港のセスナの一番機に乗った。
(いよいよ地上絵が見られるのだ)と、わたしは興奮してドキドキした。
 パイロットとガイドが二人乗り込んで、セスナは出発したが、東京23区よりもっと
広いと言う砂漠には、低い山が沢山あり、その砂漠を貫いてアメリカン・ハイウエイがあり、
沢山に車が並んで走っているのよく見えた。
 地上絵があるとガイドが説明し、それを左右の乗客に見せるため、セスナは急旋回するが

その地点にはおよそ10個の地上絵があるそうだ。
 それを説明されても、わたしは宇宙人、さる、ハチドリしか見えなかったが、でも肉眼
で見えたのは感動した。 雲一つなく青い空、山が近づいたり、遠のいたりする、およそ
30分の飛行だが、だんだん気分が悪くなり、「あ、見えた、見えた」と言う仲間の声を聞きながら、
わたしは目を閉じていた。もう限界と思ったとき、遊覧は終わったので、何とか持ちこたえられたが
、しばらく気分は悪かった。
 なぜ地上絵があるのか? 誰が、いつ、何故描いたのか、まったく謎だそうだが、
もっとも近いと推定できるのは、降雨量が大変少ないため、その雨乞いの儀式のために
、地上絵を描いて祈ったのではないかと言う説だそうだ。
 それは永遠のミステリーとも言われているようだが、そのため世界中の人を魅了し
ているのかも知れないと思った。また世界遺産に登録された地上絵は、およそ326
あり、全部合わせると700から800はあると言われているようだ。
 それから空港から少し離れたミラドール(展望台)へ行ったが、そこに登って
地上絵を直接見るためだ。それは約15メートルある華奢なやぐらで、階段は
すべて下が見えるので、わたしはそれを見ただけで、足がすくんで恐ろしくて
とても登れなかった。人数制限があるため、二手に分かれわたしを除いて全員が
登って「良く見えた」と感激していたが、あんな高くて恐ろしいところに平気で
登れるなんて、信じられなかった。でも、やはりこんな旅に参加する人は、臆病な
わたしよりずっと心臓が強いのだと、妙に感心してしまった。
  


ペルー旅行記  1

2010年09月05日 | Weblog
   ☆ 大韓航空でロサンゼルスへ
 「ペルーハイライト周遊8日間」のツアーは、参加者20人だった。
 一人参加で誰も知り合いもなく、生まれて初めての地球の反対側への旅なので、バッグ
も軽い物を買い、荷物も自分で持てる程度に軽くした。
 スカートも、ハイヒールも、アクセサリーゼロの旅は、未だかって経験したこと
はなかった。いよいよ緊張と不安と、期待感とが織りなす、エキサイティングな旅
が始まった。わたしは事前に座席は通路側を希望したが、同じツアーで隣に座った
若いカップルと話したが、まだ今月結婚したばかりで、その結婚式の写真を見せて
もらったが、この旅は奥さんが望んでの新婚旅行だそうだ。
 ご主人はのんびりしたリゾートが希望だったが、奥さんのたっての希望で、この
ツアーに参加したようだ。若くてもこんな旅が好きな人がいるのだと、わたしは
ちょっとびっくりした。10時間以上かけてアメリカのロスアンゼルスに着いた。
 入国には10本の指全ての指紋と、写真を撮られ、厳しいセキリティーチェック
を受けた。アメリカは団体行動がいけないそうで、荷物を受けとるときにも、乗り
継ぐときにも、集合することができず、添乗員のOさんの指示で、止まらず、離れ
ずに歩きながら行動した。またコロンビアのアビアンカ航空に乗り継ぐときにも
同じように手荷物検査や、ボデーチェックを受け、ようやく乗り込んだが、大韓航空
と違って飛行機は古く、乗務員は風貌もきつく、また大変無愛想だった。
 それからペルーのボコタまで7時間以上かかったが、機内食も美味しくなく、通路は
ごみだらけ、トイレも着陸前行ったときには、考えられないほどひどい状態だった。
  ☆コロンビアの首都ボコダで飛行機が飛ばない
 次の飛行機は、現地時間午後9時55分ペルー行きだったが、
予定の時刻より一時間以上待たされた末、機材故障のため、欠航となった。
 航空会社ではホテルを準備してくれるそうで、民族大移動が始まったが、広い空港を
沢山の人が急ぎ足で歩いて外に出た。
 思いがけなくコロンビアに宿泊するなんて…外に出たら思ったより暖かかった。
「これほど大勢が一体どんなところに泊れるのだろう?」と、一行は心配し話し
あったが、一台目の空港バスは、わたし達が行ったときは、超満員状態で出ていった。
 それからバスを待つこと30分あまり、ようやく来たバスは同じく空港バスなの
で座る席はほとんどないが、10分あまりで着くと知らされ安心する。
 舗装もなく、灯りがない街をしばらく走り、着いたのは五つ星の立派なホテルだった
ので、全員ほっとした。そこのロビーには先発隊の人達が溢れかえってチェックインを
しているようだ。一体わたし達はどのくらい待たされるのだろうと思ったが、でも広い
ロビーのゆったりとした空間なので、とてもリラックスできた。
   ☆ ボコタのホテルで一泊
 さすが五つ星ホテル、フロントには美しいバラが豪華に飾られていた。
無論造花だと思っていたら、誰かが「これ本物よ」と叫んだので、わたしも傍に
行ってさわったら、まさに本物だったが、色はあまり見ないオレンジと白とが混
じっていたが、おそらく5・6〇〇本以上あるだろが、とても美しかった。
 でも香りはまったくない。ご夫婦の何組かは、そこで並んで写真を撮っていた。
それから予想より早く部屋に入ることができた。
 すでに12時近かったが、部屋はそれほど豪華でなないが、かなり広く快適だ。
航空会社からはデイナーが出るので、希望者は電話で注文するのだが、これから
大勢が注文するので時間がかかるだろうと思いパスした。
 後から聞いたら立派なステーキだったそうだ。バスタブにお湯を入れ、ゆっくり
入浴し、冷蔵庫からビールを出し、「この旅が無事有意義に過ごせるように」と一人で
乾杯し、部屋の電気はすべてつけてベッドに入った。
 それから、友人達からの励ましメールを再び読んだが、ベッドには友人達に
プレゼントされ、機内でもズット一緒だった、可愛い犬達のぬいぐるみを置いた。
 恐怖感はなかったのは、四年ほど前ロシアの国際心理学会に参加したとき
友人が「もういい加減一人立ちしなさいよ」と言われ、初めて海外で一人部屋
体験をしたのが良かったのかもしれない。
 モーニングコール5時半、朝食6時、出発7時、初めからタイトなスケジュール
だった。

お陰様で無事帰国しました

2010年09月04日 | Weblog
☆ でも一人旅は大嫌い!
昨日三時近く成田に無事に帰りました。8日間の旅でしたが、わたしの幼い頃
からの夢だった「マチュピチュ」「ナスカの地上絵」を自分自身の目で、シッカリ
見てきました。これで世界中の行きたいところすべては走破できたのです。
帰りはリマからボコタまで約三時間、それから待ち時間五時間、ボコタからロス
まで、ボコタから真夜中発ロサンゼルスまで約8時間、さらに成田まで乗り継ぎの
待ち時間は約三時間でした。その間すさまじいセキリティーチェックがあり、さすが
に疲れました。ロスアンゼルスから11時間25分は、日本に帰れる嬉しさがイッパイ
で、飛行機大好きですが、その間たった一人で、誰とも言葉を交わさなかったのは
わたしにとってはとてもストレスで、大変長い長い時間でした。
 成田に着いた時は「やうやく日本に帰れた」と、ほっとしましたが、二三日間は
風邪をひいたのか、咳やくしゃみや鼻が出て、良く眠れなかったせいか、今朝も
まだ喉が変ですが一応元気です。まだ頭の中が整理できず、いつものわたしではあり
ません。明日から何度かに渡りペルー旅行記を書くつもりですが、今日は元気で帰国
したご挨拶です。いつもお読み下さる読者の皆様、また明日から毎日続けて書きます
のでご期待下さいね。                小池能里子
 

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