ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

今まで生きてきた道 最終回

2006年10月02日 | 
  ☆ そして今は
 現在は東京農業大学の成人学級と、世田谷区立の老人大学に週
二回通いその間にスタジオのヨーガの指導、カウンセリングルーム
での指導、またときどき入る講演活動や執筆などをこなしています。
 最近はなぜか急にFM世田谷に続けて二回出演したり、今日もある
新聞社から取材がありますが、「よく働き、よく学び、そして良く遊ぶ」が
能里子流生き方かもしれません。

 先週は授業をサボって箱根の仙石原に行ったり、農大の遠足で富士山のふもと
に行きましたし、真鶴半島にドライブに行ったり、映画を見たり、実によく
遊びました。でもそれらが次の仕事へのエネルギーになっていることは確かです。 そんな意味でわたしは、まさしく「第二の青春」をしているのでしょう。

 でも仕事もみんな大好きですので、あまり疲れませんし、これからもできるだけ続けるつもりです。毎朝五時に起きてベッドの中で行う、感覚トレーニングや呼吸法や、セルフヒーリング、メディテーション。
 また話すことが仕事のわたしにとって重要な声のトレーニングや、
スタジオでのダンス、ピラティス、ヨーガなどの特別メニューの自分のレッスンも欠かせません。
 もう長年ほとんど休むことなく、それらを続けてきたことがわたしの若さと
健康の元だと信じています。

 ☆ いつまでも希望を
 次から次に自分自身に呆れながらも、いつもこんなに意欲的なのは考え方や
価値観などが、固定観念に縛られずに、いつもポジティブだからでしょう。
 そのため高年齢のわたしでも、絶えず大脳からヤル気ホルモンが分泌され
るので、いつも明るく元気で積極的で幸せなのだと感じています。
 また最近結晶性知能(年齢とともに高まってくる、知性と感性)という素敵
な言葉に出会えましたし、これから何年生きられるか分かりませんが
仕事を通して少しでも人様のお役に立ちたいと考えています。
 そして多分わたしは死ぬまできっと、ワクワクして幸せだと思っています。
          
 前回ご紹介しましたが、昨年の夏は我がファミリーでハワイに行きましたが
そのとき子供たちが思いがけなく、金婚式のセレモニーをプレゼントしてくれました。
 わたし達夫婦はタキシードと、ウエディングドレス姿で、ダイヤモンドヘッドが見えるホテルで、家族だけで金婚式を祝いました。
 みんなにとても似合うと褒められましたが、自分で言うのもナンですが、
(さすが元ダンス教師)と内心思いましたが、本当に幸せで胸がいっぱいに
なりました。 
 後日談ですがわたし達夫婦は銀婚式と間違えられたようです。

 今わたしは現在老大の学園祭と、世田谷イキイキ文化祭の区民ホールに出演するため、クラスメート全員と踊るので、そのためのラインダンスを一所懸命指導していますが、それもまたとても楽しい
ことです。六十二歳から八十三歳までのクラスメ-ト全員が、楽しい思い出になるように、できるだけやさしく、見た目もきれいにと工夫し振付けています。高齢者のラインダンスなんて楽しそうでしょ!
 わたしはこれからもいつまでもジーンズを、見苦しくなく履きこなせるような
体形でいたいと、毎日努力をしています。
 アバウトなわたしですので、まだまだ忘れていることもたくさんありお話し
たいことは山ほどありますが、一応これでピリオドにいたします。 長い間
ご愛読有り難うございました。
 これからもブログは書き続けますので続けて読んでくださいね。
                            能里子








今まで生きてきた道 26回

2006年09月27日 | 


 ☆いつまでも女性らしく
 いつもアクティブに行動しているわたしなので、多分これを読んでいて
くださる方は、わたしが毎日「髪を振り乱してひたすらがんばっている」
だけで、家事などまったくしないのではと、きっと想像なさるのではと
思いますが、料理好きですし、見た目より意外と家庭的なタイプです。
 またわたしはかなり情感が豊かな方(そのためときどき困るのですが)
ですし、エキセントリックなくらい気持ちが若いので、ゼネレーションの
違う人たちともほとんど違和感なくお付き合いができるのです。

 わたしのもっとも若い男友達はまだ三十歳になったばかりですが、二人
で飲みながら何時間でも楽しくおしゃべりができるので、「どうして?」
と他の友人に呆れられていますが。わたしが若いのか、相手が老成してい
るのか実は分かりませんが、でもなぜか気が合うのです。
 またいつでも身なりにも、おしゃれにも気を使っているのは、何歳に
なっても女性らしくありたいと思っているからです。
 広い世の中にはある程度の年齢になると、「今更この歳をしてと」と
まったく身の回りをかまわなくなる人もいますが、でも残念ながら年齢と
共にだんだん衰えてきますので、若さがなくなる分だけ、より一層身だ
しなみに気を使うことが欠かせません。

 ☆ 人生の先輩のお手本
  わたしのスタジオに八十三歳の有名な女優さんがいます。彼女は
スタジオ開設以来三十年以上も熱心に、ヨーガレッスンに通って
います。とても美しく、若々しく素敵で、声もきれいですので、他の生徒
さん達の憧れです。美貌ではとてもかないませんが、「わたしもあのように
年齢を重ねたい」といつもお手本にしています。
 今までわたしは長年心の中からほとばしるような情熱に、まるで翻弄
されるように生きてきましたが、これはわたしの運命かもしれないと思
うことにし、それに逆らわないで、心の命ずるままに素直に受け止める
ことにしています。これはわたしの個性と考えると、生きていくのが
ずっと楽になれるし、他の人とあまり比較しないことにしています。
      
  ☆ 10年目のパーティ
  パテーィ好きのわたしは、十年前に開催した一流ホテルでまた
 パーティを開くことにしました。
  10年前の出版記念と自分のご褒美パーティから、その間に著書が
 三十冊増えていましたし、わたし達夫婦の金婚式とわたしの誕生日と
こんなトリプルでおめでたいことはないと、一人で喜んで人生の区切
りとしたかったのです。
 パーティには結婚して現在はチェコに住む音楽家が、チェコ人の
ご主人とわたしのために特別に編曲してくれた曲を演奏してくれたり、
友人がピアノを演奏したり、またマジックを披露したりしてくれました。
 また大学の舞踊科に在籍する孫の友人達がジャズダンスを踊り、会場
は華やかで、とても盛り上がりました。
 一足先にハワイで祝ってくれた、わたし達が正装している金婚式の
ビデオも、友人達から褒められたり、羨やましがられたりしました。

 パーティが終わってからこれがもしかして、わたし人生の第三の
スタートではないかと、ふと思えたのです。
 過去に三回、三年間、五年間、十年間と自分に賭けた期間がそれぞれに
ステップアップできたし---------とそんな思いでしたが、でもなぜか
もう一度だけ自分に賭けたいなと感じたのです。
 それから一週間後に、夫とイタリアに行きましたが、そのとき閃いた
のが、国際心理学会でのプレゼンテーションでした。
 きっとまたわたし以外の力が、大きく働いていることは確かなのでしょう。
そしてまたわたしは、次のジャンプを設定してしまったのです。
                            能里子

今まで生きてきた道 26回

2006年09月21日 | 

  ☆いつまでも女性らしく
 いつもアクティブに行動しているわたしなので、多分これを読んでいて
くださる方は、わたしが毎日「髪を振り乱してひたすらがんばっている」
だけで、家事などまったくしないのではと、きっと想像なさるのではと
思いますが、見た目より意外と家庭的なタイプです。
 またわたしはかなり情感が豊かな方ですし、エキセントリックなくらい
気持ちが若いので、ゼネレーションの違う人たちともあまり違和感なく
お付き合いができるのです。

 わたしのもっとも若い男友達はまだ三十歳になったばかりですが、二人
で飲みながら何時間でも楽しくおしゃべりができるので、「どうして?」
と他の友人に呆れられていますが。わたしが若いのか、相手が老成してい
るのか実は分かりませんが、でもなぜか気が合うのです。
 またいつでも身なりにも、おしゃれにも気を使っているのは、何歳に
なっても女性らしくありたいと思っているからです。
 広い世の中にはある程度の年齢になると、「今更この歳をしてと」と
まったくお洒落などしない人もいますが、でも残念ながら年齢ととも
にだんだん衰えてきますので、若さがなくなる分だけ、より一層身だ
しなみに気を使うことが欠かせません。

 ☆ 人生の先輩のお手本
 わたしのスタジオに八十三歳の有名な女優さんがいます。彼女は現役
ですが、スタジオ開設以来三十年以上も熱心に、ヨーガレッスンに通って
います。とても美しく、若々しく素敵で、声もきれいですので、他の生徒
さん達の憧れです。美貌ではとてもかないませんが、「わたしもあのように
年齢を重ねたい」といつもお手本にしています。
 今までわたしは長年心の中からほとばしるような情熱に、まるで翻弄
されるように生きてきましたが、これはわたしの運命かもしれないと思
うことにし、それに逆らわないで、心の命ずるままに素直に受け止める
ことにしています。これはわたしの個性と考えると、生きていくのが
ずっと楽になれるし、他の人とあまり比較しないことにしています。
 今も英語の勉強や、学園祭で踊るラインダンスに一所懸命ですが、でも
何かに燃えているそんな自分が好きなのです。
 今日もR大で練習がありますが、そのために昨夜も新しく選んだ曲に
あわせて何度も踊ったり、録音したり、スタジオで遅くまでがんばりました。
                           能里子        

今まで生きてきた道 25回

2006年09月18日 | 
昨日も午後から雨になりましたが、今朝は空が明るいのできっと秋晴れ
になるでしょう。秋は日ごとに深まっていきます。秋冷という言葉も
ありますが、窓を開けたらサーと冷たい空気が室内に入って、寒いように感
じました。それにしても今年もだんだん少なくなってきました。
 大切な毎日を糸を紡ぐように大切にしましょうね。

☆ 目標を実現して
  わたしは四十代から始めて三年、次は5年、そして最後はもっとも長い
10年間を向上させるために、なぜか3回に分けて自分自身に賭けてきました。
お陰さまでいろいろな方々に支えられて、幸運なことに目標のほとんどは実現
できたのです。今まで長年生きてはっきりとしているのは、わたしの目標は社会
的地位でも名誉でも財産でもなく精神性です。
それは仕事を通じて人様のお役に立てることです。ちょっと不遜かもしれ
ませんが、それはマズローの心理学的に言うと「自己実現の欲求」かもし
れません。
 個人的には情感豊かに、できるだけ楽しく生きていたいし、抑圧や我慢を
するのはあまり得意ではありません。他人に迷惑をかけなければ何をしても
良いという価値観ですので、そんな意味ではかなり奔放かもしれませんが、
自分では随分得な性格だと思っています。

 そのため脱常識的な面もあるかもしれませんが、誰に気兼ねすることなく
いつもニュートラルな状態で、そして社会と関わりたいと思っています。
自己主張が強く我が侭なわたしですが、やさしさや思いやりだけは、人後に
落ちないと自負していますし、幸せなことに、攻撃心や嫉妬心や競争心は皆無
に近いほどですので、そのためのストレスはほとんどありません。
 自分でもこんな長年仕事をするとは、夢にも思ってもいなかったのですが
でも気がついたら今の年齢になっていました。

  ☆ まるで変わった私の人生
  平凡な商家の主婦だったわたしが、いつの間にか心身両面の指導者に
なったのは、多分見えない力の導きによるものだと思っています。
  お陰さまで血管年齢、骨年齢はともに四十八歳と判定され、腰、脚、
背中首などは仕事柄、年齢よりもしかして老化しているかもしれませんが
でも内臓的には今のところすべて健康です。

 今の最大の悩みは最近ことに記憶力が落ちてきたことですが、それでも
毎日一所懸命に英語を勉強しています。どこでも教えてくれない英文法を
丁寧に工夫し指導してくれるやさしい友人に支えられながら。
 一応文法は一通り終わりましたが、これからが大変です。
 わたしの最大の夢である、国際心理学会でのプレゼンテーションのため
に頑張っていますが、それがとても楽しい毎日なのです。
                             能里子


今まで生きてきた道 24回

2006年09月17日 | 
今日は梅丘のお祭りです。そのため夫はその手伝いに駆り出され
 お昼も夜も外食ですので、わたしはとても心配です。
外食は美味しいけれど、塩分も脂肪分も糖分も多いし添加物も
含まれているからです。わたしは「旦那がいないと楽でいいわ」
と喜んでいる奥様方の気持ちがわかりません。
 夫がいないためスタジオに来ていた娘を誘って飲んでいたら
我が家の4階に住む息子が下りてきて、また三人でおしゃべり
しながら楽しく飲みました。我が家はいつもこんな状態ですが、
だから今朝は少し寝坊です。


 ☆ 催眠法でさまざまな症状が改善される
 催眠状態は脳波がシーター波(もっとも暗示やイメージに反応
しやすい)になり、潜在意識が高まっていますので、いつも自分を
抑圧している理性的な部分が(新皮質)眠って、本能的な心の部分
(旧皮質)が活発に働きます。そして批判的な気持ちがなくなり
誘導者の暗示の言葉に大変素直になり、そしてイメージも描きやす
くなります。また大変心地よく、その受身的なそのリラックス状態は
わたしの経験ではおそらく他のどんなものより、恍惚とした感覚では
ないかと思います。
 またイメージ体験も、実体験も判断できない潜在意識は、描いた
プラスイメージを素直に受け入れるため、現実にそのイメージどお
りになることが多いのです。ですから、緊張症、乗り物酔い、対人
恐怖症、などあらゆる症状に効果的ですが、目標や願望などの達成
や、性格改善などにも即効的に役立つのです。
 
 またアメリカの高名な精神科医ブライアン・Lワイス博士が書かれた
「前世療法」は、深い催眠状態に誘導すると、自分が生まれる前の前世に
たどりつくことがあると述べておられます。
 実は大分以前ですが親しかった精神科医が「催眠をかけていたら
前世がでてきたが、元はドイツ人だと言うから驚いたよ」と言ったこと
を聞いたこともありますので、事実かもしれません。
「前世療法」はPHP研究所から文庫で出ているはずですので、興味
のある方はぜひ読んでくださいね。
 催眠法はいろいろな分野でも活用されている、実は科学的な心理療法
なのです。

 ☆ 催眠法を指導して
  わたしが心理療法を始めたきっかけはは「催眠療法」でしたが
しばらくしてからその弊害に気がつきました。それはクライア
ントに依存心が生じてし、なかなか自立できないということに
気がついたことでした。
 それは何かあるとわたしを頼って、すぐにまた来会することを
くり返すのです。つまり催眠法は「指導者の暗示の言葉だけに
頼る受身的なイージーなもの」ですので、一度良くなっても持続
性がないことに、ハッキリ気がついたのです。
 そのため自己催眠法であり、医学が元でできた自律訓練法を、
催眠的な誘導法で取り入れ、現在でもそのように指導して
います。受身的な催眠法はある意味では大変効果的で、乗り
物酔いが一度の誘導で直ったり、また緊張症や好き嫌いがすぐに
治ったりする事例があります。最近の指導例では憑依現象の
女性が、見事に立ち直ったことなどもあり、その驚異的な
効果に感心しながらも、最近わたしはあまり積極的には取り
入れてはいません。
 
 なぜなら今までわたしもその技法を勉強して、前世療法も何度か行い
ました。クライアントが「フランスの兵士だった」「大昔で動物の皮のような
ものを着ていた」「森の中のお城にいた」などと話すことの不可解さに
実はとまどっているからです。前世療法は催眠を深くして、そのイメージの
状態をこちらが聞きだす方法ですが、私はやはり「本当なのだろうか?」と
抵抗感があり、イマイチ真剣になれないからです。














カウンセラーからのアドバイス 20回

2006年09月09日 | 
 ☆自意識過剰について        06;9:9
 自意識とは、自分自身についての意識の他に「他人からどう受け入れられて
いるか、どのように評価されているか」について気にかけるこることですが、
多かれ少なかれどんな人でも、持ち合わせているのがふつうです。
 しかしその自意識が過剰になると「自分は他人に変に思われているのでは
ないか」と、必要以上に気にかけるため、自分の言動などを、心ならずも規制
したり、また抑圧したりしまいがちになるのです。
 本心は00したいと考えていても「他人はどう反応するだろうか」などばかり
気にするあまり、結局行動できない人もいるようです。
 
 また自意識過剰な人は、できるだけ目立たないように振る舞うので、他人から
はおとなしいとか、控えめな人と見られますが、実は内面はそうとは限らず、性格
分析や、心理分析を行うと、意外に自己顕示タイプであったり、
また攻撃心などが多いことなどもあり、ご当人も「なるほど自分にはそんな面があるため、よけいにストレスがたまるのだ」と、納得する人も多いのです。
 また「人並みに見られたい」と思う反面「実はもっと注目されたい」という気持ちも働きます。すべての人がそうではありませんが、「見られたくない、でも目立ちたい」とアンバランスな感情が、心の中で微妙に交錯するのでしょう。
  
  ☆ 誰もあなたを見ていない
 自意識過剰のある女性は、デパートなどの人がたくさん乗っているエレベ-ター
には決して乗ることができませんでした。
 なぜならエレベーターが開くと「乗っている全員が自分を見ている」と感じて
しまうからです。ふつうは全員前を向いていますので、ドアが開くと皆が前を向い
ているのがごく自然で、これから乗る人を見ているわけではありません。
 それでも全員が自分を見ていると感じ、乗ることができないのは困ったものです。 大スターやタレントではあるまいし、余程目立つ服装なら別ですが、
他人はふつうの人をあまり気にはしてはいないのです。
 自意識は自分を大切にしたり、尊重すしたりるためには不可欠の要素ですが
前にも申し上げましたが、それが過ぎると自分のすべての言動が規制された
限定されたりするのです。そんなバカらしいことはありませんね。
 もしもあなたがそんなタイプの方なら、それぞれの人は自分のことに忙しく
あなたが思うほど、他人にあまり関心のないのが一般的であることを認識し
ましょう。
 
 そしてちょっと勇気が要りますが、試しに人が大勢待ち合わせたり
行き交ったりする場所でしばらく立ち止まってみて下さい。
 そしてあなたからさりげなく周りを観察して見ると、あなたが余程
目立つ服装をしていない限り、きっと行き交う人達は多分あなたを
しげしげと見たりはしないと思いますよ。もう一度申し上げましょう。
 あなたがそうであるように、誰でももっとも関心があるのは自分
自身なのです。そして他人の視線より、自分の気持ちに正直になって
のびのびと自然体で生きたいものですね。
 だってその方がズッー幸せですから-----
                           能里子  

今まで生きてきた道 22回

2006年09月08日 | 
  インドでの体験            06:9:8

  ☆ヨーガニケタン・アシュラムに滞在して
そのアシュラムは山の上にあり、林の中にコテージが点在して、とても
環境の良いところでした。以前訪れたシバナンダ・アシュラムとは違って
和やかな雰囲気でした。わたし達三人はそのコテージに宿泊しましたが、
そこは粗末なベットと、簡単な洗面台そして水洗トイレがあるだけ、でも
とても清潔でした。わたし達はそれぞれが持ってきたシュラフの中にもぐり、
その粗末なベットで眠りました。
 朝は5時に起床の合図の鐘がなりますが、まだ周りは真っ暗です。
  するとあちらこちらのコテージから、毛布をまとった人々がメディテーション
 ホールにと集まってきます。季節は冬ですので体が震えるほどとても寒く
 わたしはシュラフを敷いて座りました。
  その前に「くしゃみをしても、せきをしてもいけない。それができない
ならすぐに退場するように」と、厳重に注意をされました。

 その時メディテーションホールには、およそ四十人位の人が集まって
いましたが、少しでも音を立てると「ビー・クワイエット!」と注意されます。
 ヨーロッパの人が多かったようですが、日本人はわたし達三人だけでした。
灯りは中央に座っているグル-(先生)のそばに少しだけで、周りはおぼ
ろげに見えるような暗さでしたが、ピ-ンと張り詰めたような威厳さはなく
なく、穏やかで清浄でしたので、わたしには大変心地よく感じました。
「オーム」という先生の声から、瞑想が始まりますが、すだく虫の音と
ガンジスの対岸から聞こえてくるコーランの声がとても幻想的でした。
 約五十分の瞑想後には呼吸法と、ヨーガのポーズがありましたが、その後に
リラクゼーションもあり、約二時間の朝の行でした。
 ほとんど英語でしたが、ときどきサンスクリット語も交じり、でもわたしは
かなり理解できたのでまったく困りませんでした。

  ☆ 感動の瞑想体験
 そして三日目の朝「これが瞑想状態」と思えるような、精神状態を体感
できたのです。それは「頭が冴えていてまったく肉体感覚がない、そして
平和で満ち足りた心だけが存在している」そんな感じでした。
 長年求め続けていた瞑想を、わたしはようやく体感できたのです。
そのときはうれしくて、うれしくて涙が止まりませんでした。
 あのときの感動は一生忘れないほど強烈でしたが、今でもその状態を
思い出すと体に電気が走るほどです。

 その時に瞑想を指導していた先生が、わたしの一生のグルーになり、
それから度々インドに通って、1985年にヨーガ指導者ネームviswa.puriya
(大いなる愛)を授与されました。インドは感覚的には好きになれないのですが、
なぜかわたしの魂がインドに呼ばれるのでしょうか?
 それからも度々訪れていますが、振り返ってみれば、あのインドでの瞑想
体験が、わたしを精神的に向上させてくれたのかも知れません。
  何と表現してよいのかわかりませんが、「わたしの魂の衣が一枚脱げた
ような」そんな感じかもしれません  
 初めていったヨーガ・ニケタンアシュラムでは、マハラジが特別に
わたしだけのマントラを下さったり、長年わたしが渇望していた瞑想
状態を体験できたりできたことは、何と幸せなことでしょう。
 後日談ですがインドから帰ったわたしは、スッカリ体調を崩し入院
しました。思い起こせば、あまりにも勢い込んで瞑想を求めた旅は、
わたしにとって極度のストレスとなり、結果が帰国してからすぐの
入院となったのでしょう。でもわたしの人生にとって、決して忘れる
ことができないことで、それからインドは私の心の故郷になったのです。
 一度にまとめようと思ったインドでの経験ですが、あまりにもいろいろな
ことがあり過ぎて、本当はもっと書きたいのですが、これでインドは
終わりいたします。
                            能里子

今まで生きてきた道 21回

2006年09月05日 | 

 ☆ リシケシについて
 リシケシはヨーガとヒンズーの聖地と呼ばれていますが、ガンジス河の
上流にありとても風光明媚なところでした。ベナレスのガンジス河と繋が
っているとは思えないほど、美しい清流でした。
 わたし達はそこで毎日座っていましたが、川の流れとときどき小鳥のさえ
ずりが聞こえるだけの静けさで、まさしく聖地を実感できる場でした。
 そのガンジス河の両岸には、修行のためのさまざまなアシュラムが立ち
並んでいます。

 わたしが行ったのは12月でしたが、インドも冬ですので朝夕はかなり
冷え込んでいました。でも昼間はとても暖かく菜の花が咲いてのどかな
田舎という感じでした。
 わたし達は対岸を散歩したり、お店をのぞいたり、茶店に入ってヨーグルト
を食べたり、チャイ(しょうが入り紅茶)を飲んだりしました。
  ときには馬車に乗り町に出かけましたが、聖地のためか肉もアルコールも
ないと聞きましたが、町はとても賑やかでした。
  リシケシの道場に通ったり、宿泊したりしたためか神経質なわたしも、町で
何か食べたり、ジュースを飲んだりできるようになり自分でも驚きました。

  ☆ マハラジにマントラを授与された
  ヨーガニケタン・アシュラムでは瞑想を経験しただけではなく、わたし達三人
 はなぜか特別扱いをされ、アシュラムの先生や他のスタッフに歓迎されました。
わずか一週間しか滞在しないのに、その間先生方(わたしの師となった、
アルナとラルタ姉妹)また男性の若い先生などにも、食事に招待されたり、
町に連れて行ってくれたり、美術館を見学したりしました。
  とても嬉しかったのはその頃もう大分高齢のため、人前に全く現れない
マハラジ(最高の指導者)に、アルナ姉妹がわたし達に特別会わせて下った
ことでした。
 
 そしてマハラジは、わたし達三人にマントラ(呪文)を授けて下さったの
です。マハラジはニコニコしながら「インドの神様の名前を入れるけれど、どの
神様が好きか?」と聞いてくださったのです。わたしはシバ神(ダンスと破壊の
神様)をお願いしましたら、わたしの希望どおりにシバ神の名前を入れて、
わたしのために、世界で唯一つしかないマントラをつくって授与して
下さったのです。
 本当に嬉しく感激しましたが、その日の写真は今でも大切にしています。
後で聞きましたら、こんなことは滅多に無いことだそうで、わたし達は何と
ラッキーだったのでしょう。
  わたし達が帰国してから、マハラジは間もなくお亡くなりになった
そうですが、わたしはこのマントラは今でも毎日唱えています
 インドとの縁はそれからますます深くなったのです。
                            能里子



今まで生きてきた道 20回

2006年09月03日 | 

 昨日の夕方公園に散歩に行き、林の中でこんな風景を見ましたので
お話しましょう。わたしの目の前に突然カラスが急降下して
びっくりしましたが、何かを加えてさっと飛び上がったのです。
 上を見たら、木の上にやや小さいカラスが止まっていたのです。
その子供に口移しで餌を食べさせているではありませんか?
 それは何度も続きましたが、何と愛らしいのでしょう。
わたしはしばらく立ち止まって、その様子に見とれました。
 みんなに嫌われているカラスですが、お母さんカラスは自分の子供に
こんなに一所懸命に餌を与えている。わたしは初めて見ましたが、その
健気な様子に「親って凄いな」と感銘しました。
 子供の親殺しや親の虐待など、人間のモラルが低下している現代に
カラスに子育ての一所懸命さを教えられたように感じ、ほのぼのした
気分になった昨日の散歩でした。


   ☆ 瞑想を求めて
  今回わたしはもっとも感動したインドでの瞑想体験を、その前後の情況と
  ともにお話いたしましょう。
   わたしは長年ヨーガの指導をし、生徒さんには瞑想のやり方などについて
  説明していても、実は本当の瞑想状態はどんなものなのかよく分かりません
  でした。 今だから告白できますが、わたしは瞑想を求めて、ヨーガ以外の
 さまざまな心理療法のワークショップに参加したり、座禅をしたり、毎日早朝
 呼吸法をし、その後に約一時間座って瞑想をくり返しました。
 でもいくら努力しても「これが瞑想状態だ」という実感を得ることは
 できませんでした。こんなことは他人には話せず「わたしはもう長年ヨーガ
 を指導していて、インドへ何度も行ったのに、何故なのだろうやはり修行が
 足りないのではないかと」と、焦燥感や自己嫌悪に陥ったりしました。

  その頃はヨーガブームでしたが、ヨーガを修行している人にとって、インド
のリシケシは憧れのヨーガの聖地でした。そこに行くツアーはありましたが、
ほとんど観光が主ですので、リシケシにはわずか二日間位滞在するだけでした。
そんなときにヨーガ指導者のために、リシケシ(首都デリーから車で八時
 間位)に一週間滞在するツアーがあったのです。
  わたしは即申し込み、「今度こそ本当の瞑想状態を経験したい」と、勢い込
んでそのツアーに早速参加しましたが、それは四回目のインドへの旅でした。
 
  ☆シバナンダ・アシュラムに通って
  リシケシではシバナンダ・アシュラム(ビートルズが修行した有名な道場)に
  一週間滞在してヨーガを修行する予定でした。ところがそこに着いたときには
  寒い雨の中で四時間も待たされた挙句に、結局そこに宿泊することができずに
  近くの粗末なホテルから、毎日早朝通うことになりました。
   シバナンダ・アシュラムはとても荘厳な雰囲気のアシュラムでしたが、でも
  そのアシュラムのすべての修行に参加しても、そこに宿泊できないためか、求
 めていた瞑想状態を体験できずに、そのまま一週間が過ぎました。
  わたしはとてもあせりました。そして「折角リシケシまで来たのに、何も得
ずにこのまま帰るのは忍びない」と感じ、仲良くなった仲間の若い女性二人に
自分の気持ちを打ち明けたのです。
 すると彼女達もわたしと同じ思いだったようで三人で相談し、ツアーリーダーの
了解を得て後一週間残っている観光をすべてキャンセルし、リシケシに留まる事に
決め、帰りにはデリーの空港で合流することにしました。
 リシケシに着いて初めて三人でお茶をしたときに、知り合った日本人
女性の紹介で、ヨーガニケタン・アシュラムに滞在を決めました。
                              能里子






今まで生きてきた道 19回

2006年09月02日 | 
 
   8月のわたしに成績         06:9:2
  9月に入ったら急に涼しくなり驚いていますが、でもまだ当分暑さが
 続くでしょう。大学は夏休みでしたが、旅行や学会があり忙しかった
 8月のわたしの記録は、自分で満足できた心身両面のトレーニングと
 勉強(150分―180分)の☆印は12回、いつもより 幸せを感じたとき
 のハートは14回でした。
  できるだけ日記に☆印を張りたくて努力できる、子供のような自分が
 とても好きです。今月もまたがんばるぞ!

  ☆ インドへ行くの?
  人生とは何と不思議なものでしょう。運命か宿命かわかりませんが
 わたしがこんなにインドと深く関わるなど、昔のわたしから考えても
 まったく想像ができませんでしたが、わたしの人生を大きく変えたインド
 との不思議な出会いについて、しばらくお話をしたいと思います。
  わたしがヨーガ教室を開いた頃は、ヨーガブームのはしりでしたが、
 ヨーガの指導者としてやはり一度はインドへ行かなければならないと
 思い、奨められたこともあり一大決心をしました。

  そしてわたしの催眠法の先生であり、またヨーガの指導者でもあった
 先生の教室の「インド・ヨーガツアー」に初めて参加しました。
 知っている人たちばかりで安心でしたが、それはわたしの初めての
 海外旅行でした。インドはどう考えてもわたしの感性に合わず、実は
 あまり行きたくなくて困りました。
  でも家族にはそのことを言えず内心「ヨーガを教えるためには、やはり
 インドで勉強したと言う実績になるのだから」と、自分に言い聞かせながら
 いやいやの心境の旅立ちでした。
   今まで限りなく海外には行きましたが、そんなときはいつもうきうきして
 いるわたしですが、あんなに嫌な気持ちで旅立ったのは、生まれて初めて
 でした。
  
  ☆ インドとの出会い
  初めてカルカッタの空港に着いたときは深夜でしたが、何となくうす暗い上
 独特の匂いがして、英語が分からないわたしでもその放送のイントネーション
 の違いにとても違和感がありました。そして一歩空港を出たとたんに「ボール
 ペン、ボールペン」「バクシーシー、バクシーシー」と、大勢の人がわたし達の
 周りを囲み怖くなりましたが、ガイドが急いで車に誘導してくれたのです。
  後で聞くとその頃インドにはボールペンがなく、そのためにわたし達にねだ
 ったそうですが、どこにいっても、物乞いの多いのも本当にまいりました。 
  それからホテルまで約一時間走りましたが、真っ暗で淋しく、とんでもない
 ところへ来たと,泣きたくなり、今すぐにでも日本に帰りたいと思いました。
  でもホテルはみなきれいでした。    
 それからヨーガの道場を何箇所か見学したり、実際にレッスンに参加した
 りしたので、それは大変勉強になりました。

  その後お釈迦様が初めて説法なさった地や、ガンジス河なども観光
 しましたが、どこに行って物貰いの子供や、針金のように細赤ちゃん
 を抱いた人がついてきたり、気持ち悪く楽しくなく、「早く帰りたい」
 とホームシックになりました。
  そんな精神状態のためか、体調をくずしほとんどなにも食べられず
   だんだん痩せてきました。一緒に行った人も何人もそうなりましたが
  れは初めて来た人は、みなその洗礼をうけるそうです。
   そして感じたのは「もうインドこりごり、絶対二度と来たくない」
  という気持ちでしたが、そのインドの人のエネルギッシュさは
 とても驚嘆しました。人一倍淋しがりで、臆病で神経質なわたしが
 あのインドでのさまざまな強烈な体験は、今でも忘れることはできま
 せん。でも初めはあんなに嫌だったインドなのに、まるで呼ばれる
 ように何度も行ってしまったのは、やはりそれからインドの持つ
 不思議な魅力に魅了されたのかもしれません。
                           能里子

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