ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

 来年はもっと神様とお近づきになりたい

2016年12月31日 | えっせー
 今年もいよいよ最後になりました。一年はアッと言う間に過ぎましたが
40代から毎年切れ目なく本が出ていたのに、「1冊も本が出せなかった」
初めての年でした。目標50冊と設定したのに、現在41冊、生きている
うちにまたチャンスが巡って、きて残り9冊書けると信じたいのです。
 何故なら依頼さえあれば、毎日ブログで文章の練習をしているので
すぐに書けると思うからです。

 私は神様の存在を肌身で感じたのは、確か25年ほど前でした。
それは早稲田大学の心理学系の企画した、北京で開催される「国際心理学会」
に初めて参加した時のことでした。そのツアーは有名な学者や大学教授ばかり
で、私のような心理カウンセラーは二人だけで、初めは戦々恐々でした。
 その頃の北京はどんより曇っているような、スモッグでしたが、私達は
そこのホテルに?日間こもりきりで学会に参加しました。
 その間に観光があり、北京の有名な場所をいろいろ周りました。
その日はある有名な寺院?神社?へ行った時で、入った途端に、驚くほど
空気が澄んでいて、外とは全く違った清々しい感じがして「これぞまさしく神域だ」
と実感しました。また、昔京都の寒川神社の宿坊で宿泊して「前世療法セミナー」
を受講した時も、同じように感じました。ことにご神木はそばに近寄るだけで
肌で感じるような霊気を感じたのです。

 私は最近ある本を読んで、より神様の存在を身近に感じましたが、長年
精神世界を学んでいたので、その感がより一層強かったのでしょう。
 明治神宮は大好きで、我が家から30分もかからないので、早朝時々行き
ますが、テレビで見たら「神様もいろいろあり、それぞれ得意なジャンル?」
があるそうです。 ネットで詳しく調べて、私の願望を叶えて下さるような
神社へ定期的にお参りしたいと思っています。
 もっと神様にお近づきになり、これからも見えない世界のご加護を頂き、現在
休眠状態の自分を、来年はもう少し向上させたいと思っています。
 夫のプライドを満足させる妻でいるためにも・・・

 お正月は4日間お休みさせて頂きます。執筆業の私のブログは、お陰様で
好評です。いろいろなものを書いてきましたので、その間は過去ものをお読み
下さると大変嬉しく思います。今年一年毎日お読み頂いて有難うございました。
 皆様どうぞ希望に満ちた良い年をお迎え下さいませ。
                           ビビッド能里子

ビビッド能里子風 メチャ料理

2016年12月30日 | 料理
 ☆残りもの利用のあんかけ焼きそば
 ちくわ、長芋、前夜海老チリにした海老、常備采の大豆、ホウレン草お浸し
など少しずつ残っていたので、それを整理するため、あんかけ焼きそばにした。

☆ 材料、蒸しそば2個、豚肉、しいたけ、白菜、ネギ、ニンジン。残り物。
☆作り方 
 蒸しそばの袋は斜めに大きく切れ目を入れ、それを裏側にし電子レンジで2分
 チンした。
 白菜、ニンジン、シイタケ、豚肉を炒めて、コショーを振り入れ、残り物を
すべて入れた。水、お酒を入れ、鳥ガラスープ、オイスターソースで味付けす
るが、水分は野菜が浮く程度の多めにする。
 フライパンを熱し油を入れ、チンした蒸しそばを軽く炒め、二枚の
お皿に入れた。炒めた野菜にかたくり粉でとろみをつけ、それをかける。
 残り物の整理にしては上出来で、大変美味しかった。

 残りものは物に寄っては捨てるが、おひたしは次の日の味噌汁に入れたり
大根や里芋の煮物、、またすきやきの残りの汁は、煮込みうどんに利用する。
 イタリー風トマトソースの煮込みは、次の日にカレーにすると、本当に美味しい。
カレーライスの残りは、食パンに載せて、チーズを振って焼くと美味しい。
 また、肉とカレー粉を少し加え、だし、醤油、砂糖を入れて、お蕎麦屋さん風の
カレー丼にするのも大好きだ。

 残り物は出来るだけ捨てないで、次の日に利用するのが私流だ。
また日本酒は全く飲まないが、味噌汁、煮もの、焼きそばその他いろいろ
な料理にかなり使う。それは発酵食品だからで、2リットルの紙パック
のお酒がすぐなくなる。いろいろ考えて毎日料理をしているので、老夫婦
は風邪をひいたことがないのかも知れない。
 私達は植物、動物など、毎日すべての命を頂いている。
できるだけ捨てないで、無駄のないよう工夫して応用しましょうね。

ビビッド能里子日記  いつも自然体で真摯に生きて(後)

2016年12月29日 | ビビッドエイジング研究家・日記
 若くてキレイな人ならいざ知らず、私は高齢の上、ルックスには全然
自信がない。唯比較的女っぽいし、いつも身キレイにしているし、我がまま
だが、素直(自分ではそう思っている)で他人を批判することは滅多にない。
 さらに、幼児性や少女性が強く、天真爛漫で無邪気「もっと大人になりなさい」
と、ご指導頂いている先生に言われ続けているのも、実は真剣な私の悩み
でもある。協調的で明るく、おっちょこちょい、エキセントリックなほど臆病。
いつもキャーキャー言ったり、ドキドキしたりしていて、さら言語障害
(代名詞が多く、思ったことがすぐ言葉に出せない、夫はこれが面白いようだ)
さらに女だてらにノンベーだ。でも、誰にでもやさしく、感じよく接するようにと
絶えず気は使っているつもりだ。それに、もしかしたら、料理好きなことも大きな
要因なのかも知れない。
 ※ロシア「中央アジア国際心理っ学会」ヨーロッパとアジアの境界線
             
さらに、認知症の夫を介護して六年近いが、夫は地味で大人しい女性は好き
ではなく、ルックスも含めて、私は夫のもっと好みのタイプだと思っている。
 友人達は言っている。「認知症になったら、あなたに介護されたい」と。
15年目の結婚記念日に夫は言った。「絶対悪妻になると思った、でも浮気され
てもでも良いから、どうしても能里子と結婚したかった。まさかこんな良い女房
になると思わなかったよ」と。つまり私はそんな女なのだ。
 ※家族でハワイ行き、サプライズでプレゼントされた金婚式 69歳の私
             
 大分以前だが著書のために男性300人から、私が直接アンケートを集めた
結果の一位を紹介すると、もっとも好きなタイプ「明るく元気」好ましい面
「素直」だった。つまり好感度の高い性格美人は、素直で明るく、一緒に
いても楽しい人で、それはルックスの良さより、ダントツだった。
 また、本当の素直さとは、「他人に言われたことをそのまま受け入れる」と
誤解されているが、実はそうでは。それは「自分のハッキリした意志(主体性)
を持ちながら、相手の意見を聞く耳を持ち、本心から他人と協調したり、共感
できること」だ。また、愚痴、文句、苦情、批判などはあまり言わないことだ。
※ 銀座マギーのドレス 娘が遠くから見て「ママ花のよう」と言った40代
             
 たとえ高齢になっても、美しくなくても、異性に好感度が高いのは、一言で
表現すると、「こぎれいで、明るく素直、一緒にいても楽しく、会話がはずむ
タイプ」、また、女性でしか感じられないような細やかな気遣い(これは絶対必要)
は欠かせないと思う。若くて美しくても、また、たとえ年齢を重ねても、あまり
異性に縁のない方、こんな話は参考になりませんか?
 これは自慢しているのではなく、心理カウンセラーとして、その実例をご紹介
したつもりですが。自分のことなので、もしもご不快だったらゴメンナサイね。

ビビッド能里子日記 私もしかしたら悪女?魔女? 前

2016年12月28日 | えっせー
 朝起きてすぐに夫に聞いてみた。「あなたは私を愛している?惚れている?
可愛いと思う?どれが一番ぴったり?」すると彼はすぐ答えた。
 「一番可愛い、2番話しが合う(実は認知症の夫にいつも、努力して合わせて
いるのですが)三番面白いから全然飽きないし・・・」と。
 これは結婚歴60年以上の老夫婦の会話だと知って、皆さん驚くでしょ!
我が家は結婚以来「愛している」は常用語だから、何の照れもなく日常的に
こんな会話ができる。実は先日ちょっと気持ちが落ち込んだので、「よし久し
振りに私の現在を掘り起こそう」と思ったからだ。
 今現在も「魔女、悪女、マドンナ、お姫様、マイエンジェル、天女」など
言われている私。その時先生から電話があって、私は先生にこう聞いた。
「もう大分前に先生は、僕の人生に天女が舞い降りたとおっしゃいましたよね。
覚えていますか?」と。すると「無論覚えているし、今でもそう思っているよ」
とおっしゃったが、今でも、大先生の心もしっかりキャッチしている。
※ 40代読売新聞取材写真 ヨーガレッスン
              
 もう一人「私にずっと恋している」と、10余年以上言ってくれる年下の友人にも
聞いてみたら、「無論今でも気持ちは変わらないし、できたら結婚したい」と言った。
 さらに、さらに、ちょっとギネスブックにも載りそうなのは、二年前仕事関係の
忘年会で、3年間ほど仕事がらみの付き合いのある、カッコいいインテリ男性が
酔っぱらったのか、突然皆なの前でこう言った。「小池さんと結婚したい」と。
 全員のけぞるほどビックリしたが、もっとも驚いたのは私だ。
でも大分前二人で飲んだ時、彼はこう言った。「まるで少女のよう、母とは全然違う
母より年上の女性と飲んで、何でこんなに楽しいのだろう?」と。
※ 79歳 生まれて初めてのメークモデル体験 女性誌「ゆうゆう」
             
     
 何と彼は私より36歳年下だ。かの有名なドイツの「ノニ、リーフレイン
シュタイン」は、26歳年下の男性と結婚したが、それより何と12歳も
年下の男性だ。その後あるホテルで、独身の彼に似合いそうな、知的な美女
を紹介したのに、再び彼はこう言った。「もしも生まれ変わったら、小池さんと
結婚したい」と。70歳過ぎてから、告白メール、ラブレターも何度か貰った
ナーンテお話しすると「そんな、ウソでしょ!」と言われても当然だが、これは
5人の証人がいる紛れもない事実だ。実は夫にも異性の友人のことは、ほとんど
報告しているが、夫はそんな私が好きなのだから仕方がない。
 
 




スマップ・ラストステージ

2016年12月27日 | えっせー
 滅多にテレビを見ないのに、思わず熱心に見てしまった。
一人一人がスターで、28年間も国民的な人気グループが、今日限り
解散で紅白にも出演しないと思うと、私も淋しかった。
 まして、長年のファンならどんなにか、淋しく悲しいことだろう。
番組では過去の番組を流していたが、今まで出演した海外の大スター
歌手、また国内のさまざまなジャンルの人達が出演した場面を映し出
していた。あまり見ていないので、本当に驚いたしまったが、私は
「マイケル・ジャクソン」が、突然スマップの目の前に表れた場面が
最も印象的だった。それに大好きな「リチャード・ギア」が出演した
ことも知って、もっと毎回見れば良かったと、今更ながら反省した。

 ファンからのファックスも読み上げられたが、それぞれの感謝、感動
希望、夢、幸せな気持ちが綴られていて、これほど愛されたグル-プが
解散することの大きな意味を改めて感じた。
 これが最後でもう絶対見られない、「世界にひとつだけの花」は
胸が痛くなるような思いで聞いたが、一つの時代が終わったように感じ
私も同じようにお伝えしたくなった。「長い間楽しませて頂いて
有難うございました」と。

クリスマス・不思議体験

2016年12月26日 | えっせー
 書店へ行ったのは、今売れているベストセラーと、先日新聞で紹介されて
いた本を買うつもりだった。本を沢山書いている時代も、アイディア不足に
なると、必ず書店を歩いて情報収集したり、ヒントを得たりしていたし、私は
書店を歩くのが大好きだ。書店はふだんの日よりかなり人が沢山いて、レジには
長い行列ができていた。私がお目当ての本を探していると、先生から電話が
入った。何故か今まで聞いたことがないような、慈愛に満ちたやさしい声だった。
 実は前夜に感受性の強い私は、先生の態度に腹が立ち、ひどく意地悪なメール
をしていて、「先生はもしかしたらカンカンになっているかも、もうこれで絶交
でも良いや」と思っていた。幼児性や少女性が強い私は今まで何度も、そんなことで
先生を振り回したことがあった。

「怒ってないの?」「もう慣れているし、その気持ちが分かったから、一度信じたら
僕は絶対に変わらないから」と笑っていてた。「今書店にいる」と話したら、「時代が変化
しているから感覚選ぶ方がよいよ、本から必ず発信しているから、しばらく歩いてごらん」
と言われ、電話はそのままで興味のあるジャンルをしばらく歩いたが、私には全然発信して
いる本など感じられない。「分かりません、全然感じないの」「では右上を見てごらん」
 「まったく分かりません、私が鈍感なの?」「僕が見込んだ人だから大丈夫、もう一度
いろいろ見て、今用事が入ったから一旦切るね」、その後しばらく色々な本を見て歩いた。
 お目当ての有名作家の文庫本を見つけ、しばらく立ち読みしていたら、先生からまた電話が
あった。「今00先生の本を立ち読みしています」 「あの人は相当変わっているからね。人間
の格で言うと能里子の方がずっと上だからね、もうしばらく探してごらん、今エネルギーを
送るから、電話はそのままで」と言われた。

 それからて私が立ったのは、精神世界のコーナーだったが、そのタイトルを見て「これ面白
そう、買います」と、そのタイトルと作者名を言った。「名前は聞いたことないけれど、なかなか
ユニークなタイトルだね、きっといいと思うよ、じゃ気をつけて帰ってね」と先生は電話を切った。
 バスの中でパラパラ読んだら、なかなか面白い。家に帰って一気呵成に読んだら、それは今私が
「もっとっも知りたかった世界」についての本だった。
 結局お目当ての本は買わなかったが、この本は幼稚な私を多分精神的に高めてくれることだろう。
それにしても・・・・先生の超能力を再確認したクリスマス、「もしかしたら私も超能力がつく
かも知れない?」もうこれからは絶交するなんて言わないで、ずっとご指導頂こうと思った
やっぱり我がままな私。 


「世界心理治療学会」で発表した小池能里子のアドバイス

2016年12月25日 | 世界心理治療学会アドバイス
☆ 小さな幸せを毎日記録する 
 これは私がカウンセリング・ルームのクライアントご指導する「独自の方法」
です。それは宿題のようなものですが、来会時に「小さな幸せ」を、一日5つ
以上記録し、それを私が毎回見せていただく方法です。
 それを告げるときには、もしどうして見つからなったとしたら・・・
          「その日が無事に過ごせた」
          「何も失敗をしなかった」
          「どこも痛くなかった」
          「何を食べても美味しかった」
          「家族がみんな元気だった」など、そんなことだけでも
5つはあるでしょうから、何も見つからなければ、それだけでも良いからと
説明します。
             
 例えば、先日も新潟県の糸魚川で大火があり、クリスマスやお正月を迎える
直前に、大勢の方々が焼け出されました。焼け跡に呆然と立ち尽くす被災者の姿を
見て、本当にお気の毒で、私は涙がこぼれました。
 天災、事故、事件、急病など、私達もいつそんなことに巻き込まれるかも知れません。
そう考えると、何事も起きなかった当たり前の日常が、どんなに有難いことでしょう。
 それだけではなく「自分は案外幸せな方なのだ」と、自覚することで気持ちが安定する
のです。不平や不満や怒りの気持ちが多い人ほど、そんな「気づき」が私にはどうしても
必要だと思えるからなのです。 すると、そんな当たり前のことで良いのならと理解し
毎回記録をして持ってきてくれるのです。
             
 はじめは「こんなことはバカらしい」と思ってやっていても、毎日同じことを
記録するのも嫌だと考え、今までまったく気にしなかった、身の回りにある喜び
嬉しいこと、得したこと、感激したなど、意識的に見つけるようになってきます。
 それがやがて習慣になって、今までまったく見落としていた「小さな幸福感」
を発見し、やがて、嬉しさや、喜びや、感動や、感謝などに、大変敏感になって
きます。そして、いつの間にか「幸せ敏感性質」になってくるようです。
 そんな方に後で聞いてみると、「ホンネでは初めはバカらしいと思いました。
でも先生が真心をこめてご指導して下さるので、努力してやってみると、いつの間
にか、価値観や考え方がスッカリ変わったのです。今まで文句ばかり言っていたけど
自分の身の周りには、案外幸せは沢山あるのですね」と、嬉しい気づきを得るのです。
            
 何故なら、意識は一つしかありません。今まではいつもネガティブで、マイナス
方向に向けられていた意識が、小さな喜びや、幸せ、感動、嬉しさなどを見つける
こと(プラス方向)に向けることで、いつの間にか、感性が豊かになり、他人の
気持ちを思いやれる「幸せ敏感性質」になってきます。
 初めは抵抗感があっても、くり返し実行していると、いつの間にか、考え方が
変わって、「感謝できるようになった」「当たり前のことが、実は幸せなのだ」と
自然に気が付いてくるのです。すると、精神状態がだんだん安定してきて、表情
まですっかり穏やかに変化するのが、私にはとても喜びでした。

これは生来我儘で若かった私が、大家族の中に飛び込んで結婚し、日常茶飯事
の葛藤に耐えきれず、毎日不平や、不満や、苛立ちの不安定な精神状態でした。
(その頃心身症、ストレスと言う言葉もなかったのですが、私は精神科、小児科
以外すべての病院へ通いました)ある日「これではいけない、私はかなり幸せな
方だから、こんな自分の気持ちを何とか変えなくてはダメになる」と、突然感じ
ました。まだ心理学など何も知らなかった私が、それには一体どうすれば良いか
と考え、模索し、工夫してつくったのが「幸せ探し」でした。
 そんな当たり前のことを毎日紙に書き出し、くり返し読んでいました。
すると「自分はとても恵まれている方だ」と気がつき、実感し、だんだん穏やかな
気分を保てるようになったのです。これは自分をコントロールするために考えた方法
ですが、現在でもカウンセリング・ルームではどんなにか役立っていることでしょう。
           
そう捉えると「どんな経験も決して無駄ではない」と思え、「若い時の苦労
は買うてもせよ」という諺の意味を、今更ながら実感している私です。
 世界で発表した「能里メソッド」は、大変ユニークなもので、決して学問的
ではありません。でも、過去にはかなり知的で頭でっかちの方にも、大変効果を
上げています。不平不満、自己否定、自己嫌悪、他者否定など、ネガティブな
感情が多いと、決して幸せにはなれませんもの。
 心あたりのある方は試してみませんか。すると、もしかしたらあなたの人生
が大きく変わるかも知れませんよ!、

低体温と格闘して3年

2016年12月24日 | えっせー
 私は若い頃から低体温だったが、寒がりでもないし、手足の冷えなど
まったくないし、寒い日でも皆が驚くほど今でも薄着だ。
 冷たいものが大好きで、いつも必ず冷えた水を飲んでいたし、冷房も
強い方が好きだった。この8月東京に暴風が吹き荒れた日だったが、夫を
デイホームへ送り出してから、何故か突然体がだるくなり動けなくなった。
 どこも痛い訳ではないがとにかく動けない、ソファーに横になり台風情報
を見るとなく見ていたが、「もしかしたら血圧でも高いのかしら?」と気づいた。
 ところが、そばの引き出しに入っている血圧計を出すのもままならない。
しばらくしてようやく起き上がり、何とか血圧を測ったが、異常はないし
食欲はまったくなかった。「これは一体どうしたのだろう?」と思いあぐねて
いる時、先生から電話があり、それを話したら、治療家でもある先生は
「多分それは冷えから来ている症状だから、今日から体を温めるように」と
アドバイスされた。

 それから毎日お腹を温め、あまり冷たい水は飲まないようにした。
実は低体温のためにきっと代謝率が悪いと思っていたから、その一年
以上前から、38度のお風呂で毎日15分以上体を温めていた。
 その前にも乾燥生姜を手作りし、二年間飲んだが効果がないので
止めた経験もあった。先生は「体温が低いとガンにもかかりやすいし
体が冷えていると、すべてに良くないからとにかく温めた方が良い」と
電動式の温灸のようなものを下さった。
 そのため、家にいると昼食後には必ず、それで20分間以上毎日お腹を
温めている。その相乗効果があったのか、34度7・8分しかなかった体温が
ときどき35台になってきて、今では時折36度台になり、少しづつ体温が
上がってきた。でも代謝率は依然変化なく、いつも体重は高値安定だけれど。
 
 何しろ若い頃から34度台、極度な低体温を何とか上げたいと努力しているが
今月の7日から、体を中から温めるミネラルとビタミンが入った「ほかほか粒」
というサプリメントを飲んでいる。いつも元気な私だけれど、お腹を温める
お風呂に長く入る、サプリメントを摂る、この三本建てをしばらく続けてみよう。
 まして、年齢とともに体温が低くなるそうなので、やり出したからには成果を
上げたいし、低体温との格闘も3年目に入ったが、でも少しずつその効き目が
表れているので、ガンバりたいと思っている。

まるで春のような一日

2016年12月23日 | えっせー
 早朝に信友のY子さんとと梅ヶ丘駅で待ち合わせ、明治神宮へ参拝した。
とても暖かく、明治神宮の境内は清々しく、神域であることを改めて感じる。
 神殿で夫は元気で入院しない一年を過ごしたので、そのお礼参りもした。
いつものようにお願いを書いて、納め箱に入れたが、来年はどんな年になる
かしら?、とふと思った。
 
 参宮橋駅へ戻る途中で妙なものを見つけたが、その近くで育ち明治神宮が
遊び場だったY子さんは、それはモグラがやったと教えて
 生まれて初めて見たので、写真に収めたが、笹がとてもキレイだった。
いつものお店でモーニングセットを食べながら、ひとしきり楽しくお喋り
したが、一致したのは「夫は大物」という意見で、「私達は同じ介護して
いても幸せね」と握手しながら笑った。

 午前中夫と一緒に「歯のチェックとクリーング」先日推薦された「8020」
の認定証を頂いたが、先生は「小池さんは患者さんの中で、一番歯が良いですよ」
とおっしゃった。「現在30本あり、入れ歯差し歯なし」の人は、私の年齢では
おそらくいないと思う。

 イタリアのフェレンツで買った、キレイだったピンクのお気に入りの
セーターさすがに古びて諦めて捨てた。すると突然真っ赤なセーターか
チュニックが欲しくなった。そうなると感覚人間の私は絶対に我慢できない。
 午後から新宿のデパートへ行き、ほぼイメージ通りのチュニックを見つけた。
今日もまた、元気に飛びまわれる自分の若さと健康に感謝。

懐かしかったポンペイの風景

2016年12月22日 | えっせー
 先日の夜テレビでイタリアの古代都市、レスビオ火山の噴火で突然埋
まったポンペイが放映されていた。私がポンペイに行ったのは、憧れの
べネチュアの帰り、亡くなった親友と二人で行った。
 べネチュアはホテルもよくなく、雨でとてもガッカリし「必ずもう
一度来たい」と思ったが、その二年後に夫ともう一度へ行った。
 二回とも、べネチュアからローマまでオリエント急行で、約4時間
の旅だったが、オリエント急行の個室はとてもゴージャスで素敵だったが
日本のツアーが借り切ったためか、想像したムードではなくガッカリした。
 ローマは5つ星の豪華なホテルだったが、次の早朝オプショナルで
子どもの頃から憧れのポンペイに行った。
 ※世界中で集め、ショケースに飾っある私の宝物

 お天気もとても良く、想像通りのところで、本当に素晴らしかった。
一日で大きな街が火山によって消失したと、ガイドさんの説明を受けな
がら、自然の恐ろしさを体験し実際に見た。その情景をテレビで再び見て
あの日の出来事を懐かしく思い出したが、あれからもう16年も過ぎたのだ。
 今まで行ったいろいろな国、それらは時々テレビで放映されるので
思い出を再体験できるのはとても嬉しい。
 その時一緒に行った親友は亡くなったが、彼女とは何カ国一緒に
行ったことだろう。いろいろな楽しかったことが、ありありと、まざ
まざと思い出され、胸がイッパイになった。
 ※ニューヨーク、インド、ニュージーランド

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