ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

電車の中の風景

2008年08月31日 | Weblog
   ☆ 人間ウオッチング大好き!
 先日は混んだ電車で立っているのに、マスカラをしている高校生がいたが
傍で見ていて(もしも電車が揺れたら)と、心配になった。
 わたしは大昔マスカラの軸を眼の中に入れて、痛くて大変な思いしたこと
があったからだ。でも電車の衆人環視の中で、顔を伸ばしたり、曲げたり、眼
を細めたり、開いたりしながら、百面相をしてお化粧するのは、男性は面白い
かもしれないが、同性としては、大変恥ずかしい気がする。
 彼女達は普通の神経の同性に、メンタルな意味では、かなり迷惑をかけて
いるのではなかろうか、と感じるわたしは古いのだろうか?
 また今日は、背中がすっかり丸出しで、胸が半分見え、スカートはフリルが
たっぷりの、どう見てもパーティ会場にピッタリのドレスを着た若い女性が
立っていた。足もとを見ると、毛がついた暖かそうなハーフブーツで、しかも
物凄く大きな紙袋を抱えている。そのアンバランスに驚いてしまったが、周りの
人は見ないようにしているが、注目していることは確かで、さりげなく観察して
いるようだ。見た人は何となく、ニヤニヤしているのが感じられる。
 ご当人はすましているが、あまりにも場違いな服装は、常識では考えられ
ないが、でも、ご当人は案外大勢の視線を、心地よく思っているのかも知れない。

 老若男女さまざまな人が乗り降りする電車の中は、本当に興味深く面白く
ファッションの勉強にもなるが、また人々の表情を見るのも楽しい。
 何となく嬉しそうな人、疲れたような人、不機嫌そうな人、無表情な人など
実にさまざまだ。そんなときのわたしは、他人から見ると悪戯っ子のような
目をしているらしい。大分以前だが娘と電車に乗っているとき、前の女性が
あまりにも面白いファッションだったので、思わず見つめたら、「ママ、そんな
目で人を見ないの」と、叱られたことがあるが、子供っぽい母を持つと、娘は
大変かもしれない。 それ以来さりげなく観察するよう、細心の注意をして
いるが、ときどき乗る電車は、本を読むのが好きなだけでなく、わたしに
とって、動く人間の形態研究の格好の場なので、だから、そのためよく
出かけるのだ。ホント、電車の中は楽しい!


知的美女とのディナー

2008年08月30日 | Weblog
   ☆ 面白かった、文系と理系との差
 一昨夜は40代の編集者と会った。彼女はわたしの書いた本を文庫化して
くれ、それがヒットしたため、結果として次々に本が出て、わたしを物書きと
して,世に出たきっかけをつくってくれた恩人でもある。
 一年ぶりに会い話が弾んで、気がついたら4時間が過ぎていたが、お互い
家庭の事情も良く知っているので、隠し事がほとんどない。
 娘のようでもあり、友人でもあり、遠慮なくいろいろな話題がポンポン出た
が、ゼネレーションが違う人と、ホンネで話し合えるのはとても刺激的だ。
 また、文系と理系の人との違いなどについても話題になり、二人とも文系
のわたし達は、共感することが多く、それでもお互いすっかり盛り上がった。
 結論は誰でも自分が中心で、相手の100%を気に入っているわけではないし
無論その相手も同じだと言うことに収まった。また、彼女が抱えているメンタル
な問題や、わたしが今怒っている精神状態など、いろいろ話し合って、笑ったり
同感したり、お互いに考えたりした。

 そしてこう言った。今日のブログを読んで、失礼ながら可笑しくなった
と。「だってふつう先生ぐらいの年なら、そんな高いハイヒールを履くなんて
考えられないでしょ!でも7㎝ならまだ履けるっていうところが凄い」と。
 そう言えば確かに……同世代でハイヒールは見たことがないと、今更気が
着いたのは鈍感だが、いかにも自分中心のわたしらしいと可笑しくなった。
 帰りに彼女がひまわりのアレンジをプレゼントしてくれたが、ひまわりを
見ると、いつでもわたしを思い出すそうだ。きれいではないが、明るい
ひまわりはスタジオのシンボルマークだ。
 「先生に会うと、何だか元気が貰えるのです」と言ってくれる彼女に
わたしも年齢など考えず、いつもお日様を(希望)追って、前向きに
生きなければならないと改めて考えさせられた、楽しい夜だった。

不穏なお天気

2008年08月29日 | Weblog
    ☆ 何と変わりやすい空模様
 昨日起きた時にかなり雨が降っていたが、しばらくしたら雨が止んで薄日が
差してきた。そしてわたしが出かけた11時近くには、すっかり晴れてとても
暑かった。それから二時間ほどして、急に物凄い大雨になり、ほんのわずか
歩いただけで、傘をさしていたのに下半身がビショビシヨになった。
 何と変わりやすいお天気だろうと思ったが、今朝のニュースを見ると、大雨の
ため各地に大変な被害が出ているようだ。自然環境はどんどん悪化すると同時に
異常気象が多い昨今だが、これは日本だけではなく世界中に広がっているのだ。
 これから一体どうなるのだろうと、さすが能天気のわたしでも不安になり
朝から考えてしまった。交通機関も大きな被害があり、大勢の人がそれにまき込
まれたようだ。道路も寸断し、車も沢山水没していたが、それにしても床下浸水
されたお宅は、その後始末はどんなに大変だろう。
 私は経験はないが、本当にお気の毒でならない。


さようなら9㎝ヒール

2008年08月28日 | Weblog
  ☆ お別れ惜しいけど
 わたしは昔からハイヒールが好きだった。夫の好みもあったけど、ほとんどが
華奢の感じの9㎝のヒールだった。外出には無論、買い物でもすべてハイヒール
で、旅行の時も必ず持っていった。また、ダンス教師時代も、すべてオーダーで
ヒールは9㎝だった。教師仲間から「良く疲れないね」と言われたが、何時間
踊っても全く疲れなかった。
 ジーンズを穿くようになってから、やはり低い靴の方が似合うとローヒールを
履くようになり、それが大変楽なことに気づいた。
 そしてわたしの靴箱には、少しづつ低い靴が増えてきたが、足に負担がかかり
過ぎたのか、だんだん外反母趾になってきたことがきっかけで、高い靴はあまり
履かないように気をつけるようになった。
 そしてヨーガを教えるようになり、それは裸足なので、足のためには大変良い
ようだが、大好きだった9㎝ヒールは、パーティ、講演、ドレスアップしたとき
以外は履かなくなった。でも靴が大好きなわたしは、その度に良くハイヒール
を買ったので、真新しいハイヒールがたくさんあった。 
 でも低い靴に足がだんだん慣れてきたためか、ハイヒールは疲れるように
なり、あまり長歩きできなくなったので、惜しいがときどき捨てていた。
 最期の三足を昨日思い切って処分しようと割きった。
きれいなピンクと、黒と茶色だったが、スタジオで1足ずづ履いて歩いて
見たが背筋が伸びて気持良い。鏡の前で全身を映しながら(まだこんな
にきれいに歩けるのに……)と、とても淋しい気がした。
 でも長歩きできないのでは役に立たないし、腰に負担がかかるそうだし、まだ
7㎝位のヒールは十分履きこなせるから仕方あるまい。
 人一倍潔いわたしが、見ているだけで好きで、長年執着した9㎝ヒールにさよ
うならできたのは、自分の年齢を考えると当然なのかもしれないけど……
 ビニール袋に真新しいハイヒールを入れて、「ありがとう、ゴメンネ」と
ごみ箱へそっと捨てたが、やっぱりたまらなく寂しく、オーバーだけどわたしの
一つの時代と決別した気がした。

今日は久しぶりのお天気

2008年08月27日 | Weblog
   ☆朝5時50分 
 雲は少し出ているが、今日は久しぶりに晴れていて、朝から気分が良い。
このところ毎日薄暗く、もうこんなに夜明けが遅くなったのかと思っていた
けど、そうではなかったのだと、ちょっと嬉しくなり、ベランダで眺める。
 やはりお天気は良いものだ。今日は思い切り沢山洗濯をしたり、布団
も干したりしよう。雀が鳴いていて、これが本当の朝だと実感するが、今日
は何か良いことがありそうな予感がするけど……
 でも何もなくても良い。お天気が良いだけで、朝からこんなに気分が良く
はりきって、幸せを感じるわたしは、何と単純な女だろう。

秋が好きになったのは?

2008年08月26日 | Weblog
 
   ☆ こころの語源はコロコロ変わるから
 このところ日が短かくなったが、ことに朝早く起きるわたしは、夜明けが
遅くなったことを感じる。日が短くなるのは嫌だが、秋が大好きなのでそれは
嬉しい。少女時代には春が一番は好きで、そして次が夏だった。
 夏休みも終わりに近くなり、虫が鳴き始めると、「もう夏が終わってしまう」
と淋しくてたまらなかった。でも今の年齢になると、春の次には夏ではなく
秋になったが、それはもしかして、夫の影響かもしれない。
 結婚した当初彼は夏まけがひどく、夏になると毎日頭痛に悩まされていた。
そのためわたしは、本を読んだり、人に聞いたりして、夏まけに良いと言う
あらゆる方法を、彼のために試した。その頃はまだサプリメントなどなかった
大昔のことだ。漢方薬を煎じたり、キャベツを細かく刻んで、すり鉢ですり
それを布巾で絞り飲ましたりした。(ジューサーもなかった)それは何年続いた
ことだろう。まだ若かったわたしは、夫のために数えきれないほど、いわゆる
民間療法を試みた。すると、あれほどひどかった彼の夏まけが、だんだん良く
なったのは、体質が変わったのかも知れないが、すっかり健康になった。
 そしてまだ冷房もなかったその頃は、(早く涼しくならないかしら)と、夫の
ために思った。そして気がついたら、秋が大好きになっていた。
 わたしは秋生まれだったが、秋は淋しいからだ嫌いだったのに……
すると秋の良いところばかり目につくようになったが、人生の秋のわたしには
もしかして秋が最もふさわしいのかもしれない。



カウンセラーからのアドバイス 100回

2008年08月25日 | アドバイス
    ☆ 自意識過剰のため退職をくり返した
 Oさんは24歳色白の愛らしい感じの人ですが、今まで何度か就職しましたが
そのたび長続きせず、悩んで訪れました。理由は対人緊張のために、特定の人
に威圧感や緊張感を感じると、それがいつまで後を引いて、すべての人の視線
が気になり、結果として耐えられなくなり、退社することをくり返していました。
「これではいけない、何とか自分を変えなくては、同じことのくり返しの人生
になってしまう」と感じ、いろいろな本を読み、拙書を読んでその指導実例が
自分とまったく同じ状態の人が改善できたことを知り訪ねてきました。
性格分析や、心理テストの結果は、明らかに緊張も強く、完璧主義、自意識
過剰のうえ、うつ度もかなり高く、あまり良い精神状態ではありませんでした。
わたしはOさんに、「もしもいろいろ指導しても、あまり変化がなかった場合
や、途中で医学的治療が必要と判断できたら、必ず精神神経科で治療を受ける
こと」を約束し指導を進めました。
 ☆ 指導の経過
 自律訓練法やセルフ・ヒーリング法を指導し、それを毎日朝晩行っているた
めか、緊張度もだんだんとれてきました。でも、今最も困っているのが、自分の
仕事を教えてくれる同じ職場のUさんでしたが、何故かその人が苦手で、決して
悪い人ではないと分かっているけど、その人と接するときには、すっかり委縮し
声がうわずり、ときには体が震えることすらあるのだそうです。
さらに自分がそうなると、周りにいる人のすべてが自分を見ているように感じ
ますます緊張度が高まるのだそうです。
 わたしはしばらくしてから、Oさんを自律訓練法から催眠状態に誘導し、Uさん
と落ち着いて話している状態の「メンタル・リハーサル」(リラックスした状態で、その場の情景を思い描く)を行いました。はじめは「職場でその人と一緒
にいること事態が怖くてイメージできない」と言ったOさんでしたが、その人
もあなたに早く仕事を覚えて欲しいと思うあまり、つい言葉がきつくなって
しまうのではないかしら。だから本当は優しい人なのだと思って、その人の
笑顔をイメージしたら」とアドバイスをし、それを毎日自律訓練法の後で行う
よう勧めました。
 それから一週間後に来たときには、毎日イメージ・トレーニングをくり返して
いたら、だんだん話していても緊張しなくなり、以前のような症状がほとんど
なくなったそうです。自分でその人が怖いと感じたときに、Uさんが時折見せる
優しい笑顔をイメージすると、まるで嘘のように気分が落ち着いたのだとか。
なぜなら、イメージは言葉による暗示より、よりダイレクトに潜在意識にイン
プットされるので、いつの間にか考え方や、行動が変化してくるのです。
   ☆ 自意識過剰から解放された
 自意識とは「自分が他人にどう受け止められているか」と言う気持ちで、誰でも
持っているものです。でも、それが必要以上に多いと、場合によっては自分の
本当の気持ちより、相手に気にいられるように行動したり、視線が刺さるよう
に感じ、極度の緊張状態になるのです。Oさんはそんなタイプでしたが、くり返し
イメージ・トレーニングを行うことにより、だんだん緊張状態がなくなり、自然
に振る舞えるようになりました。そしてUさんは自分が感じていたより、言葉は
きついが、実はずっと親切で優しい人だとわかったことで、随分リラックスでき
冗談まで言えるようになったそうです。最終回には「お陰様でUさんに対する
こだわりがすっかりなくなりました。今の会社は雇用条件も良いので、このまま
働き、いつか正社員になれるように頑張ります。」と話してくれました。
 今まで自分の性格のため、心ならずも会社を辞めることをくり返していた
Oさんですが、これからは他人の目を意識せず、自分の仕事に打ち込めること
でしょう。
   ☆ 心あたりのある方へ
 意識は一つしかないので、他に心を奪われると、たとえば(人はどのように
自分を評価しているのだろう、何故あんなにとろいのだろう)など、思われて
いないかと考え、肝心の今やらなければいけないことに、集中できず自分の持
てる力の半分も発揮できなくなるのです。
 これは自明の事実ですが、あなたが思うほど他人はあなただけを、決して見て
いるわけではありません。
 全エネルギーを「今やるべき物事」に集中することで、仕事も効率よく捗ること
でしょう。Oさんはそれをハッキリ理解できたので、大きく向上できたのです。
 もしもあなたが「自分は自意識が過剰ではないか」と感じられたら、思い
切って勇気を出し、ご自分の方から周囲の人を、さりげなく観察して見てみま
しょう。すると、ご自分の思い過ごしであることに、案外気がつくかもしれません。何故ならたいていの人は、自分が最も関心があり、余程目立つような言動を
しなければ、あまり周りの人に注意を向けてはいないのですから。

夏ばてなんて分からない

2008年08月24日 | Weblog
  ☆ダイレクトメールから
 ここ二・三日急に涼しくなり、一気に秋が来たようだが、これからが夏バテ
のシーズンだ。今日ある製薬メーカーから、こんな葉書がきたが、それには
このように書いてあった。「夏バテしていませんか?」
  1 寝つきが悪く眠りが浅い。
  2 朝起きるのがつらく眠りが浅い。
  3 食欲がない。
  4 思考力が低下している。
  5 一日のほとんどはクーラーの中で過ごしている。
  6 冷たいものばかり飲んだり食べたりしている。
  7 お腹の調子が悪く下痢や便秘が続いている。
  8 気持ちがスッキリせず気力がない。
  9 外出したり運動するのが面倒だ。
 これをわたし達夫婦でやってみたが、結果はゼロ、いかに二人とも暑くても
健康なのだと実感したが、あなたはいかがですか?
 わたしも子育てしている頃は、夏になると食欲がなく、ソーメンのように口あたりの良いものだけしか食べられなかった。でも今はそんなことはなく、いつも元気で食欲もある。(だから肥るのかしら?)もしかして不健康な方には、ゴーマンと聞こえるかもしれないが、ちょっとは「食欲がなくて」とか「暑くて何にも食べられないの」ナーンテ言ってみたい!

 今日友人が来て食事を御馳走したけど、久しぶりにオニオン・グラタン・スープ
をつくった。玉ねぎ三個、ベーコン三枚、バター、フランスパン、チーズ、白
ワイン、などの材料は、かなりボリュームがある。
 玉ねぎを切りだしたら、目が痛くなり、急いで玉ねぎを冷凍庫に投げ込んだ。
そして10分後に切りはじめたが、まったく涙は出ない。
 ちょっとした工夫だけで、料理はとても手順が楽になると実感する。
バターで玉ねぎとベーコンを炒めること35分。スープの素を入れ味を整え
グラタン皿へ、そこにフランスパンと、チーズを入れ、オーブンで焼くこと
15分。焦げ目がついて美味しそうに焼きあがった。
 友人が「まるでレストランみたい」と、喜んでくれたが、わたしは急に
こんな料理を好きな人にも食べさせたいと思った。


わたしの町梅ヶ丘

2008年08月23日 | Weblog
   ☆ベランダでしばし眺める
夕食後涼しいベランダで、三階の我が家から、しばし下の風景を眺める。
 車は少ないが、若そうな女性が多い、会社帰りだろうか、歩く姿はなかなか
美しい。わたしは梅が丘に住んで、早や半世紀以上経つが、梅ヶ丘もすっかり
変わった。駅前通りにある商店街にある我が家は、駅から4軒目で、たとえ
雨が降っても、走れば傘が要らないほど駅から近い。
 わたしが結婚した頃には、それぞれ各屋には庭があり、木があったが、今
現在では、すべて小さなビルになった。我が家にあった大きな4本の木もなく
なり、駅前通りには木がまったく一本もなく、無機的な街にはなった。
 でも、梅ヶ丘駅が高架線になってから、町のイメージはすっかり変わった。
新宿にも渋谷にも15分、銀座にも35分、我が家は駅前通りで、多少煩いが
道一本入ると住宅街で、とても静かだ。便利な梅ヶ丘は、最近とてもイメージが
良いらしく、「OLが住みたい憧れの街」にランクされているそうだ。
 わたしが長年仕事をこなしながら、いろいろ勉強できたのは、やはりこの
「地の利」のお陰だと思う。時間のロスがない、さまざまな情報が溢れている
東京。その中でも世田谷はメジャーらしく「世田谷に住んでいる」と言うと
「良い所に住んでいますね」と褒められる。これからもずっとわたしは梅ヶ丘
に住み続けるだろう。羽根木公園も傍にあるし、友人達もたくさんできたし
などと考えていながら、ずっとベランダにいたら、寒くなってしまった。
 昼間は暑いけれど季節は確実にめぐって、秋も深くなってくるようだ。

幼い頃の思い出

2008年08月22日 | Weblog
  ☆ たまらなく怖かった夕立ち
 今日は予報どうり、夕立ちになり雷が鳴って、わたしは本当に恐ろしかった。
我が家はビルなので、カーテンごしに時々稲光りがみえたが、音はあまり感じ
ないので助かる。でもベランダに出てみて、そのすさまじさに驚き、急いで
厚いカーテンを閉めたが、夫はそんなわたしを見て笑いながら言った。
「雷は中に入ってこないよ」。最近はあまりないが、わたしが育つ頃には
よくそんなお天気があった。わたしが子どもの頃は「ゴロゴロ様におへそを
とられる」と聞かされ、幼い頃から憶病なわたしは、雷が怖くてよく泣いた。
 その時父は「もっと鳴れ!もっと降れ!」と、なぜが嬉しそうだったのが
忘れられない。その恐ろしさに震え、泣いているわたしを見て、父は笑ったが
夕立ちが通り過ぎた後には、庭に涼しい風が吹いて、きれいな虹が出た。
 雷がなるので恐ろしかったが、その後の涼しさは子供心に忘れられないほど
心地良く、縁側に立って涼しい風に吹かれながら、きれいな虹を見た。
 今でもその爽やかさはあるが、美しい虹などほとんど見ることはできないが
夕立ちになると必ず、幼いころを思い出すのは何故だろう。

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