権利濫用(民法1条3項)について
1、 はじめに
権利濫用の法理について、日本を含め大陸系の民法では、ローマ法以来権利濫用の法理がどのように用いられているか、欧米系の民法ではどうかを整理した後、日本での同法理の要件・効果・機能について、具体的に判例を参照しつつ論ずる。
最後に、同法理がなければならないのか、その有用性について考察を加える。
2、 ローマ法における権利濫用の法理
(1) D.39,3,1,12(Ulpianus)
「最後にマルケルスが書いているところでは、自己の土地に井戸を掘って隣地の泉を枯れさせてしまった者を相手にして何も訴えることができず、さらに悪意訴権も、隣人を害する意図によってではなく、自己の土地を改良する意図をもってこれを行ったのであれば、当然もつはずもない。」
解説:自己の土地に井戸を掘る行為は、土地所有権の行使であってこれが不法になるなることはない。たとえ、隣地の井戸が涸れてしまっても、隣地所有者は損害賠償請求することはできない。しかし、隣人を害する意図をもって、隣人の井戸を枯れさせることを意図して井戸を掘った場合には、悪意訴権(actio
de dolo)によって、損害賠償が認められる。
(2)D.39,3,2,9(Paulus)
「同じくラーベオーは、次のように述べている。すなわち隣人が干上がった川の流れを変えて、水が自己の土地に流れ込まないようにし、こうして他の隣人が害されるという結果になった場合、この隣人を相手に雨水阻止訴権によって訴えることはできない。なぜなら、水を阻止するとは、流れないように配慮することだからである、と。この意見はより正しくは、汝を害する意図ではなく、自己に害が来ないようにする意図でこれを行った場合に限定される。」
解説:「干上がった川」だから、これに工事を加えたとしても、「川の流れ」を変えたことにはならない。干上がった川に工事を加えた場合、隣人にも、自分なりの防御工事など、対抗措置を取り得るのである。従って、工事が隣人を害する意図で行われた場合、他の訴権がないので、悪意訴権が可能とされる。
(3)D.50,10,3pr.(Macer)
ア、「(公有地に)新しい建造物をつくることは元首(皇帝)の承認なしに私人に許される。ただし、他の都市に対するライバル心(amulatio)に基づく場合、または、対立(seditio)の基となる場合、または、劇場もしくは円形劇場の周りである場合はこの限りでない。」
イ、「他の都市に対するライバル心」という言葉に14世紀の著名な法学者バルトルスが注釈を加えた。
「さらに、ある者が私有地に工作物を建築しようとする場合も同様に解される。これは可能であるが、ただし、他の都市を加害(inuiuria)する目的またはライバル心から建築する場合は、別である。「標準注釈」の説明では、ある者がある場所に城壁を作ったが、それが他の都市にとって危険となりうる場合には、許されてはならない、とある。そして、危険であるとは、他の都市またはその都市に服する者にとって恐れを抱かせるものとして理解せよ。そして、これが法文で他の都市に対するライバル心のためにと言われていることである。」
解説:バルトルスが、「公有地」から「私有地」へと適用の余地を広げた。都市同士の関係から、相隣関係に拡張し、さらに、「ライバル心」や「対立の基」を「加害の目的」と一般化した。
「加害の目的」あるいは「加害の意思」という要件の証明は難しい。行為者の側に自己のための経済的利益が存在しないにも関わらず建築するときは、加害の意思が推定される。例えば、隣地の境界線に接して無駄な建築をする場合、隣人またはその美しい娘の部屋の周りに窓を設置する、あるいは修道院の静謐・隠棲を妨げる建築と言った場合である。
3、各国の権利濫用に関する規定
(1)ドイツ民法
他人を害する目的のみから権利行使をする場合(これを「シカーネSchikane」という)を権利濫用として禁止している(ドイツ民法226条)。
(2)スイス民法
「明白な濫用」に限定している(スイス民法2条2項)。
我が国の規定は、スイス民法をならったものである。
(3)フランス法
狭義の権利濫用と近隣妨害とが区別され、前者については害意を要件とする判例理論となっている。
フランス法が、我が国の権利濫用法理の母国法である。
(4)英米法
不文法主義をとっているから、もとより権利濫用に関する規定は設けられていないが、判例理論としてもあまり発達していない。
4、 日本法における権利濫用の法理(民法1条3項)
(1) 意義
権利の行使の結果として他人に損害を与えることがあっても、原則として責任を負うことはない。
しかし、権利の行使といえども、それが権利の濫用と評価される場合には、権利行使は違法となり制限される。
(2) 権利濫用の要件
ア、 主観的要素
加害意思・加害目的をもって権利行使をするかどうか。
イ、客観的要素
当事者間の利益状況の比較、すなわち、権利行使によって実現される権利者個人の利益とそれが相手方または社会全体に及ぼす害悪との比較衡量がなされる。
ウ、客観的要素と主観的要素の両方から、権利濫用の成否を判断するが、戦後の判例は、客観的な判断基準を重視する傾向を示している。
(3) 権利濫用の効果
ア、 権利の行使が濫用となる場合には、権利行使の効果が生じない。
イ、 権利の行使が濫用となる場合に、その行為によって相手方の利益を害しているときは、権利行使者に不法行為による損害賠償の責任が生じる。相手方からの差止め請求(妨害排除)が認められる場合もある。
(4) 権利濫用の機能
権利濫用法理の機能という観点から整理がなされ、以下に分類されている(百選-1、大村敦志氏解説参照)。
ア、 不法行為的機能
①信玄公旗掛松事件(大判大正8・3・3)、②大阪アルカリ事件(大判大正5・12・22)、③小松園事件(大判昭和13・6・28)、④日照妨害に関するもの(最判昭和47・6・27)
イ、 既判創造的機能
⑤⑥借地の明渡し請求に関するもの(最判昭和38・5・24、最判平成9・7・1)、⑦サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28)、⑧解雇権の行使に関するもの(最判昭和50・4・25)、⑨時効の援用に関するもの(昭和51・5・25)
ウ、強制調停的機能
⑩宇奈月温泉事件(大審院昭和10・10・5)、⑪高知鉄道事件(大判昭和13・10・26)、⑫板付基地事件(最判昭和40・3・9)
(5)権利行使の態様と権利の濫用
我妻は、権利の濫用となる権利行使の態様を、4つに分類している(我妻・有泉コメンタール民法)。
ア、他人の侵害の排除を主張することが権利濫用となる場合
この種の場合、排除の請求そのものが否定される。
⑩宇奈月温泉事件、⑪高知鉄道事件、⑫板付基地事件。
イ、形成権の行使が濫用となる場合
1947年改正前の民法においては、戸主の居所指定権の行使が濫用とされた場合が多く、指定そのものが無効とされた。契約の解除権の行使が濫用とされる場合も多い。その場合に、解除の意思表示はその効力を認められないから、解除権者は解除を前提として自己の債務履行を拒み、または原状回復の請求をすることはできない。
ウ、正当な範囲を逸脱した権利の行使の場合
違法性を帯びることになり、不法行為として、権利行使によって他人に加えた損害を賠償しなければならない。①信玄公旗掛松事件、③小松園事件。
他人を告発する行為や訴権の行使が権利の濫用として不法行為になる場合がありうる。訴権の濫用により訴訟要件を欠くとして訴えを却下した例がみられる。
エ、権利の濫用がはなはだしくなると、その権利をはく奪される場合
親権の濫用の場合。
(6)権利濫用に関する日本の判例における問題点
ア、 ⑦サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28、百選―100)
(ア) 事実の概要
自動車のディラーXが、サブ・ディラーAに自動車を所有権留保付きで売却、サブ・ディラーがユーザーYに売却。サブ・ディラーAが代金をディラーXに支払わなかったので、XがYに対して所有物取戻し訴訟を提起した。最高裁は、ディラーXの訴えを権利濫用として請求棄却。
(イ) 問題点
判例の動向では、権利濫用であると判断するための不可欠な事情について、権利濫用を基礎づける評価根拠事実と共に、特段の事情のあること、つまり、Yの悪意・有過失という評価障害事実を必要としている。
売主Xとしては、Aによって、X所有の自動車が転売されることをAと所有権留保売買を締結する際に予定しており、Aからの代金回収に不安があれば、Aから他の担保を徴収するなど危険を回避する手段を講じることが可能であるのであって、このような場合にまで、Yの悪意・有過失を権利濫用の成立に要するかは、疑問である。
イ、 ⑫板付基地事件(最判昭和40・3・9)
(ア) 事案の概要
米軍基地に敷地を提供していたXが契約終了後にY(国)に対して土地の返還を求めた。最高裁は、Xの請求を権利濫用にあたるとして退けた。
(イ) 問題点―権利濫用の濫用
権利濫用法論は、権利者に不利な帰結を導きやすい。権利濫用法理の強制調停的機能は、「ある特定の利益の伸張論」として働くおそれがある。
板付基地事件(類似事件として、⑪高知鉄道事件(大判昭和13・10・26))でも、公益性をなまの形で問題にして私益と比較衡量している。
権利濫用法理を用いるのであれば、何らかの加害の意思がXに有ることが必要なのではないか(加害目的がないので権利濫用とまでは言えないという判断の可能性もあった)、疑問である。
ウ、⑥明渡を請求することが権利の濫用に当たるとした例(最判平成9・7・1)
(ア)事案の概要
一体として利用されている借地の一方についてのみ借地借家法10条による対抗力が認められる建物が存在する場合に、両地の買主が他方の土地について明渡しを請求することが権利の濫用に当たるとした。
(イ)問題点
本件では、対抗力が両地に及ぶとする理論によっても十分に救済が可能であった(我妻・有泉コメンタール民法)。
権利濫用の法理は、一般条項として、制定法の硬直さを緩和し、信義則と同様に、裁判基準の創造を可能にする機能を有する。かと言って、権利濫用の法理によってしか妥当な解決が得られないケースであるかどうか十分に検討した上で、用いるべきものであると考える。
5、考察
(1) 問題の所在
日本を含め大陸系の民法では、ローマ法以来権利濫用の法理が用いられている一方、欧米系の民法では、不文法主義故に、もとより権利濫用に関する規定は設けられていないが、判例理論としてもあまり発達していない。
大陸系と欧米系の民法の考え方の大きな違いと言えるが、権利濫用の法理が、一方で存在意義があるとしながら、他方でなくてもよいとするのであれば、本当のところ、権利濫用の法理は、欧米系の民法の如く、なくてもやっていけるということなのだろうか。もちろん、大陸系の民法でも、権利濫用の法理は、他に用いるべき法理がない場合に用いられるものであるとして存在しているのであるが、なくてもやっていけるといいきれるのだろうか。
この考察に関連した問題点は、上記4(6)ウでも触れたところであるが、あらためて、4(4)で取り上げた権利濫用法理(以下、単に「同法理」という。)を用いた主たる判例の事案を、権利濫用法理を用いないで解決可能かを、以下(2)で検討する。
(2) 権利濫用法理を用いた各判例(大村敦志氏の機能による分類別)の検討
ア、 不法行為的機能
不法行為的機能のいずれの判例も、不法行為法だけで解決可能と考える。
① 信玄公旗掛松事件(大判大正8・3・3)
蒸気機関車の煤煙を防ぐ対策をすることは可能であったのにその対策をとらなかったことに過失があり、同法理を用いずとも過失による不法行為だけで処理できた事案であると考える。
② 大阪アルカリ事件(大判大正5・12・22)
硫酸製造と銅精錬の経営をすることを法律によって認容された会社が、公害を防止するための設備を整えていた場合は、排出した硫酸によって農作物に被害が出ても、当該会社には権利濫用はないとした。権利濫用の法理がまだ日本に根付く前の判例であるが、不法行為だけで処理できる事案であると考える。
③ 小松園事件(大判昭和13・6・28)
他人の井戸水利用を侵害する加害の目的のため、多数の井戸を掘ったのであり、不法行為だけでも処理できる事案であると考える。
④ 日照妨害に関するもの(最判昭和47・6・27)
日照妨害を生じたのは、建築基準法に違反する増築のためであるのであって、不法行為だけで処理できる事案であると考える。
イ、 既判創造的機能
時効制度や不動産登記制度や自動車登録制度の原則に従っていては、事案によって、妥当な解決を導き得ないケースが稀にあり、同法理がどうしても必要になる場合があると考える。
⑤ 借地の明渡し請求に関するもの(最判昭和38・5・24)
借地借家法制定以前の判例で、いわゆる地震売買のケースである。土地の賃貸人を、身内が設立した会社に代えることで、賃借人に建物収去を迫った。対抗力のない賃借人保護のため、同法理を用いざるをえなかった。
⑥ 借地の明渡し請求に関するもの(最判平成9・7・1、既出4(6)ウ)
隣接する二筆の土地が、社会通念上相互に密接に関連する一体として利用されていることから、片方だけの対抗力があれば、対抗力が両地に及ぶとする理論が、本当に用いることができればよいが、判例のごとく、権利濫用を丁寧に認定することが妥当であったと考える。
従って、同法理が必要なケースと考える。ただし、弁護士である兄弟が、対抗力のないほうの土地を第三者に売買しているという、事案があまりにも特殊であって、実際に同法理を持ち出す事例はごくまれであると思われる。
⑦ サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28、既出4(6)ア)
判例上、登録済みの自動車については引渡を公示方法とする一般の動産とは異なり、民法192条の適用はないと解されており、ディラーX名義で所有者登録をされている限り、もはやYを保護する余地がない。従って、同法理を使わざるを得なかったともいえる。
ただし、ドイツでは、ディラーの所有物返還請求は認めるが、本事案のように、サブ・ディラーの販売に協力し、所有権留保をユーザーYに意識的に隠蔽していた場合には、ユーザーYのディラーXに対する不法行為に基づく損害賠償請求を認めることも可能であって、同法理がなくとも解決できると言える。
⑧ 解雇権の行使に関するもの(最判昭和50・4・25)
ユニオン・ショップ協定に基づく解雇は、当該労働者が、正当な理由がないのに労働組合に加入しないために組合員たる資格を取得せず、又は労働組合から有効に脱退し若しくは除名されて組合員たる資格を喪失した場合に限定される。除名が無効な場合には、労働者は解雇義務を負わない。除名が無効な場合には、解雇権の行使に同法理を用いなくとも論理的に帰結は導けるのではないだろうか。
⑨ 時効の援用に関するもの(昭和51・5・25)
家督相続した息子と母の間の争いであるが、調停で認められた土地贈与に従い、母が息子に所有権移転許可申請協力請求権を行使すべきところ、消滅時効の10年が経過し、息子が消滅時効を援用するという事案である。
妥当な解決を得るためには、時効の援用に対し、同法理を持ち出さざるを得ない事案であったと考える。
ウ、 強制調停的機能
所有権は、目的物に対して強力な支配的効力が認めらているので、その効力の範囲内に属しながら、実は所有権が認められた本来の目的を逸脱する場合が起こりやすい。
⑩⑪⑫の場合は、それら所有権に基づく訴えに対する抗弁として、同法理は、非常に有用であると考える。
⑩宇奈月温泉事件(大審院昭和10・10・5)
加害の意思をもって、所有権に基づく妨害排除請求がなされている。
⑪ 高知鉄道事件(大判昭和13・10・26)
加害の意思まではなくとも、所有権に基づく妨害排除請求に従うことが社会通念上不可能(一方が山、一方が海の狭隘な土地に無断で鉄道線路が敷設されたケースで、線路撤去には莫大な予算と危険な工事を要する。)な場合である。
⑫ 板付基地事件(最判昭和40・3・9、既出4(4)イ)
加害の意思はなくとも、所有権に基づく妨害排除請求は、社会性、公共性の面から過当な請求の場合である。
(3)まとめ
所有権に基づく妨害排除請求、時効の援用、登記制度・登録制度を原則適用した場合、妥当な結論が導けない場合がどうしてもありうると言える。
そこで、一般条理であるものの、権利濫用の法理を用いることが有用な場合があり、同法理をなんらかの形で用いる大陸法系の考え方に私は賛同する。
逆を言えば、欧米系の民法では、宇奈月温泉事件のような事案、特に加害の意思がない場合などにおいて、いかに処理するのか興味がわくところである。
引き続き、権利濫用の法理を最高裁はいかに用いるか判例の動向に注目していきたい。
以上
1、 はじめに
権利濫用の法理について、日本を含め大陸系の民法では、ローマ法以来権利濫用の法理がどのように用いられているか、欧米系の民法ではどうかを整理した後、日本での同法理の要件・効果・機能について、具体的に判例を参照しつつ論ずる。
最後に、同法理がなければならないのか、その有用性について考察を加える。
2、 ローマ法における権利濫用の法理
(1) D.39,3,1,12(Ulpianus)
「最後にマルケルスが書いているところでは、自己の土地に井戸を掘って隣地の泉を枯れさせてしまった者を相手にして何も訴えることができず、さらに悪意訴権も、隣人を害する意図によってではなく、自己の土地を改良する意図をもってこれを行ったのであれば、当然もつはずもない。」
解説:自己の土地に井戸を掘る行為は、土地所有権の行使であってこれが不法になるなることはない。たとえ、隣地の井戸が涸れてしまっても、隣地所有者は損害賠償請求することはできない。しかし、隣人を害する意図をもって、隣人の井戸を枯れさせることを意図して井戸を掘った場合には、悪意訴権(actio
de dolo)によって、損害賠償が認められる。
(2)D.39,3,2,9(Paulus)
「同じくラーベオーは、次のように述べている。すなわち隣人が干上がった川の流れを変えて、水が自己の土地に流れ込まないようにし、こうして他の隣人が害されるという結果になった場合、この隣人を相手に雨水阻止訴権によって訴えることはできない。なぜなら、水を阻止するとは、流れないように配慮することだからである、と。この意見はより正しくは、汝を害する意図ではなく、自己に害が来ないようにする意図でこれを行った場合に限定される。」
解説:「干上がった川」だから、これに工事を加えたとしても、「川の流れ」を変えたことにはならない。干上がった川に工事を加えた場合、隣人にも、自分なりの防御工事など、対抗措置を取り得るのである。従って、工事が隣人を害する意図で行われた場合、他の訴権がないので、悪意訴権が可能とされる。
(3)D.50,10,3pr.(Macer)
ア、「(公有地に)新しい建造物をつくることは元首(皇帝)の承認なしに私人に許される。ただし、他の都市に対するライバル心(amulatio)に基づく場合、または、対立(seditio)の基となる場合、または、劇場もしくは円形劇場の周りである場合はこの限りでない。」
イ、「他の都市に対するライバル心」という言葉に14世紀の著名な法学者バルトルスが注釈を加えた。
「さらに、ある者が私有地に工作物を建築しようとする場合も同様に解される。これは可能であるが、ただし、他の都市を加害(inuiuria)する目的またはライバル心から建築する場合は、別である。「標準注釈」の説明では、ある者がある場所に城壁を作ったが、それが他の都市にとって危険となりうる場合には、許されてはならない、とある。そして、危険であるとは、他の都市またはその都市に服する者にとって恐れを抱かせるものとして理解せよ。そして、これが法文で他の都市に対するライバル心のためにと言われていることである。」
解説:バルトルスが、「公有地」から「私有地」へと適用の余地を広げた。都市同士の関係から、相隣関係に拡張し、さらに、「ライバル心」や「対立の基」を「加害の目的」と一般化した。
「加害の目的」あるいは「加害の意思」という要件の証明は難しい。行為者の側に自己のための経済的利益が存在しないにも関わらず建築するときは、加害の意思が推定される。例えば、隣地の境界線に接して無駄な建築をする場合、隣人またはその美しい娘の部屋の周りに窓を設置する、あるいは修道院の静謐・隠棲を妨げる建築と言った場合である。
3、各国の権利濫用に関する規定
(1)ドイツ民法
他人を害する目的のみから権利行使をする場合(これを「シカーネSchikane」という)を権利濫用として禁止している(ドイツ民法226条)。
(2)スイス民法
「明白な濫用」に限定している(スイス民法2条2項)。
我が国の規定は、スイス民法をならったものである。
(3)フランス法
狭義の権利濫用と近隣妨害とが区別され、前者については害意を要件とする判例理論となっている。
フランス法が、我が国の権利濫用法理の母国法である。
(4)英米法
不文法主義をとっているから、もとより権利濫用に関する規定は設けられていないが、判例理論としてもあまり発達していない。
4、 日本法における権利濫用の法理(民法1条3項)
(1) 意義
権利の行使の結果として他人に損害を与えることがあっても、原則として責任を負うことはない。
しかし、権利の行使といえども、それが権利の濫用と評価される場合には、権利行使は違法となり制限される。
(2) 権利濫用の要件
ア、 主観的要素
加害意思・加害目的をもって権利行使をするかどうか。
イ、客観的要素
当事者間の利益状況の比較、すなわち、権利行使によって実現される権利者個人の利益とそれが相手方または社会全体に及ぼす害悪との比較衡量がなされる。
ウ、客観的要素と主観的要素の両方から、権利濫用の成否を判断するが、戦後の判例は、客観的な判断基準を重視する傾向を示している。
(3) 権利濫用の効果
ア、 権利の行使が濫用となる場合には、権利行使の効果が生じない。
イ、 権利の行使が濫用となる場合に、その行為によって相手方の利益を害しているときは、権利行使者に不法行為による損害賠償の責任が生じる。相手方からの差止め請求(妨害排除)が認められる場合もある。
(4) 権利濫用の機能
権利濫用法理の機能という観点から整理がなされ、以下に分類されている(百選-1、大村敦志氏解説参照)。
ア、 不法行為的機能
①信玄公旗掛松事件(大判大正8・3・3)、②大阪アルカリ事件(大判大正5・12・22)、③小松園事件(大判昭和13・6・28)、④日照妨害に関するもの(最判昭和47・6・27)
イ、 既判創造的機能
⑤⑥借地の明渡し請求に関するもの(最判昭和38・5・24、最判平成9・7・1)、⑦サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28)、⑧解雇権の行使に関するもの(最判昭和50・4・25)、⑨時効の援用に関するもの(昭和51・5・25)
ウ、強制調停的機能
⑩宇奈月温泉事件(大審院昭和10・10・5)、⑪高知鉄道事件(大判昭和13・10・26)、⑫板付基地事件(最判昭和40・3・9)
(5)権利行使の態様と権利の濫用
我妻は、権利の濫用となる権利行使の態様を、4つに分類している(我妻・有泉コメンタール民法)。
ア、他人の侵害の排除を主張することが権利濫用となる場合
この種の場合、排除の請求そのものが否定される。
⑩宇奈月温泉事件、⑪高知鉄道事件、⑫板付基地事件。
イ、形成権の行使が濫用となる場合
1947年改正前の民法においては、戸主の居所指定権の行使が濫用とされた場合が多く、指定そのものが無効とされた。契約の解除権の行使が濫用とされる場合も多い。その場合に、解除の意思表示はその効力を認められないから、解除権者は解除を前提として自己の債務履行を拒み、または原状回復の請求をすることはできない。
ウ、正当な範囲を逸脱した権利の行使の場合
違法性を帯びることになり、不法行為として、権利行使によって他人に加えた損害を賠償しなければならない。①信玄公旗掛松事件、③小松園事件。
他人を告発する行為や訴権の行使が権利の濫用として不法行為になる場合がありうる。訴権の濫用により訴訟要件を欠くとして訴えを却下した例がみられる。
エ、権利の濫用がはなはだしくなると、その権利をはく奪される場合
親権の濫用の場合。
(6)権利濫用に関する日本の判例における問題点
ア、 ⑦サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28、百選―100)
(ア) 事実の概要
自動車のディラーXが、サブ・ディラーAに自動車を所有権留保付きで売却、サブ・ディラーがユーザーYに売却。サブ・ディラーAが代金をディラーXに支払わなかったので、XがYに対して所有物取戻し訴訟を提起した。最高裁は、ディラーXの訴えを権利濫用として請求棄却。
(イ) 問題点
判例の動向では、権利濫用であると判断するための不可欠な事情について、権利濫用を基礎づける評価根拠事実と共に、特段の事情のあること、つまり、Yの悪意・有過失という評価障害事実を必要としている。
売主Xとしては、Aによって、X所有の自動車が転売されることをAと所有権留保売買を締結する際に予定しており、Aからの代金回収に不安があれば、Aから他の担保を徴収するなど危険を回避する手段を講じることが可能であるのであって、このような場合にまで、Yの悪意・有過失を権利濫用の成立に要するかは、疑問である。
イ、 ⑫板付基地事件(最判昭和40・3・9)
(ア) 事案の概要
米軍基地に敷地を提供していたXが契約終了後にY(国)に対して土地の返還を求めた。最高裁は、Xの請求を権利濫用にあたるとして退けた。
(イ) 問題点―権利濫用の濫用
権利濫用法論は、権利者に不利な帰結を導きやすい。権利濫用法理の強制調停的機能は、「ある特定の利益の伸張論」として働くおそれがある。
板付基地事件(類似事件として、⑪高知鉄道事件(大判昭和13・10・26))でも、公益性をなまの形で問題にして私益と比較衡量している。
権利濫用法理を用いるのであれば、何らかの加害の意思がXに有ることが必要なのではないか(加害目的がないので権利濫用とまでは言えないという判断の可能性もあった)、疑問である。
ウ、⑥明渡を請求することが権利の濫用に当たるとした例(最判平成9・7・1)
(ア)事案の概要
一体として利用されている借地の一方についてのみ借地借家法10条による対抗力が認められる建物が存在する場合に、両地の買主が他方の土地について明渡しを請求することが権利の濫用に当たるとした。
(イ)問題点
本件では、対抗力が両地に及ぶとする理論によっても十分に救済が可能であった(我妻・有泉コメンタール民法)。
権利濫用の法理は、一般条項として、制定法の硬直さを緩和し、信義則と同様に、裁判基準の創造を可能にする機能を有する。かと言って、権利濫用の法理によってしか妥当な解決が得られないケースであるかどうか十分に検討した上で、用いるべきものであると考える。
5、考察
(1) 問題の所在
日本を含め大陸系の民法では、ローマ法以来権利濫用の法理が用いられている一方、欧米系の民法では、不文法主義故に、もとより権利濫用に関する規定は設けられていないが、判例理論としてもあまり発達していない。
大陸系と欧米系の民法の考え方の大きな違いと言えるが、権利濫用の法理が、一方で存在意義があるとしながら、他方でなくてもよいとするのであれば、本当のところ、権利濫用の法理は、欧米系の民法の如く、なくてもやっていけるということなのだろうか。もちろん、大陸系の民法でも、権利濫用の法理は、他に用いるべき法理がない場合に用いられるものであるとして存在しているのであるが、なくてもやっていけるといいきれるのだろうか。
この考察に関連した問題点は、上記4(6)ウでも触れたところであるが、あらためて、4(4)で取り上げた権利濫用法理(以下、単に「同法理」という。)を用いた主たる判例の事案を、権利濫用法理を用いないで解決可能かを、以下(2)で検討する。
(2) 権利濫用法理を用いた各判例(大村敦志氏の機能による分類別)の検討
ア、 不法行為的機能
不法行為的機能のいずれの判例も、不法行為法だけで解決可能と考える。
① 信玄公旗掛松事件(大判大正8・3・3)
蒸気機関車の煤煙を防ぐ対策をすることは可能であったのにその対策をとらなかったことに過失があり、同法理を用いずとも過失による不法行為だけで処理できた事案であると考える。
② 大阪アルカリ事件(大判大正5・12・22)
硫酸製造と銅精錬の経営をすることを法律によって認容された会社が、公害を防止するための設備を整えていた場合は、排出した硫酸によって農作物に被害が出ても、当該会社には権利濫用はないとした。権利濫用の法理がまだ日本に根付く前の判例であるが、不法行為だけで処理できる事案であると考える。
③ 小松園事件(大判昭和13・6・28)
他人の井戸水利用を侵害する加害の目的のため、多数の井戸を掘ったのであり、不法行為だけでも処理できる事案であると考える。
④ 日照妨害に関するもの(最判昭和47・6・27)
日照妨害を生じたのは、建築基準法に違反する増築のためであるのであって、不法行為だけで処理できる事案であると考える。
イ、 既判創造的機能
時効制度や不動産登記制度や自動車登録制度の原則に従っていては、事案によって、妥当な解決を導き得ないケースが稀にあり、同法理がどうしても必要になる場合があると考える。
⑤ 借地の明渡し請求に関するもの(最判昭和38・5・24)
借地借家法制定以前の判例で、いわゆる地震売買のケースである。土地の賃貸人を、身内が設立した会社に代えることで、賃借人に建物収去を迫った。対抗力のない賃借人保護のため、同法理を用いざるをえなかった。
⑥ 借地の明渡し請求に関するもの(最判平成9・7・1、既出4(6)ウ)
隣接する二筆の土地が、社会通念上相互に密接に関連する一体として利用されていることから、片方だけの対抗力があれば、対抗力が両地に及ぶとする理論が、本当に用いることができればよいが、判例のごとく、権利濫用を丁寧に認定することが妥当であったと考える。
従って、同法理が必要なケースと考える。ただし、弁護士である兄弟が、対抗力のないほうの土地を第三者に売買しているという、事案があまりにも特殊であって、実際に同法理を持ち出す事例はごくまれであると思われる。
⑦ サブ・ディーラー事件(最判昭和50・2・28、既出4(6)ア)
判例上、登録済みの自動車については引渡を公示方法とする一般の動産とは異なり、民法192条の適用はないと解されており、ディラーX名義で所有者登録をされている限り、もはやYを保護する余地がない。従って、同法理を使わざるを得なかったともいえる。
ただし、ドイツでは、ディラーの所有物返還請求は認めるが、本事案のように、サブ・ディラーの販売に協力し、所有権留保をユーザーYに意識的に隠蔽していた場合には、ユーザーYのディラーXに対する不法行為に基づく損害賠償請求を認めることも可能であって、同法理がなくとも解決できると言える。
⑧ 解雇権の行使に関するもの(最判昭和50・4・25)
ユニオン・ショップ協定に基づく解雇は、当該労働者が、正当な理由がないのに労働組合に加入しないために組合員たる資格を取得せず、又は労働組合から有効に脱退し若しくは除名されて組合員たる資格を喪失した場合に限定される。除名が無効な場合には、労働者は解雇義務を負わない。除名が無効な場合には、解雇権の行使に同法理を用いなくとも論理的に帰結は導けるのではないだろうか。
⑨ 時効の援用に関するもの(昭和51・5・25)
家督相続した息子と母の間の争いであるが、調停で認められた土地贈与に従い、母が息子に所有権移転許可申請協力請求権を行使すべきところ、消滅時効の10年が経過し、息子が消滅時効を援用するという事案である。
妥当な解決を得るためには、時効の援用に対し、同法理を持ち出さざるを得ない事案であったと考える。
ウ、 強制調停的機能
所有権は、目的物に対して強力な支配的効力が認めらているので、その効力の範囲内に属しながら、実は所有権が認められた本来の目的を逸脱する場合が起こりやすい。
⑩⑪⑫の場合は、それら所有権に基づく訴えに対する抗弁として、同法理は、非常に有用であると考える。
⑩宇奈月温泉事件(大審院昭和10・10・5)
加害の意思をもって、所有権に基づく妨害排除請求がなされている。
⑪ 高知鉄道事件(大判昭和13・10・26)
加害の意思まではなくとも、所有権に基づく妨害排除請求に従うことが社会通念上不可能(一方が山、一方が海の狭隘な土地に無断で鉄道線路が敷設されたケースで、線路撤去には莫大な予算と危険な工事を要する。)な場合である。
⑫ 板付基地事件(最判昭和40・3・9、既出4(4)イ)
加害の意思はなくとも、所有権に基づく妨害排除請求は、社会性、公共性の面から過当な請求の場合である。
(3)まとめ
所有権に基づく妨害排除請求、時効の援用、登記制度・登録制度を原則適用した場合、妥当な結論が導けない場合がどうしてもありうると言える。
そこで、一般条理であるものの、権利濫用の法理を用いることが有用な場合があり、同法理をなんらかの形で用いる大陸法系の考え方に私は賛同する。
逆を言えば、欧米系の民法では、宇奈月温泉事件のような事案、特に加害の意思がない場合などにおいて、いかに処理するのか興味がわくところである。
引き続き、権利濫用の法理を最高裁はいかに用いるか判例の動向に注目していきたい。
以上
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