「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

中学、高校でいかに学ぶか。学びたいという気持ちの芽生えが大切。やらされている感からの脱皮。(参照 徒然草第1段)

2022-06-26 11:46:05 | 令和の徒然草

 先日、高校生がどのように学んだらよいだろうかと疑問を呈された。

 きっと、中高の教える側の先生方も、楽しんで教えられているものは、大変深い学びができるはずである。

 中高は、最低限の生きる力をつけるとともに、大学受験や専門学校等高等教育機関へのための学びのように一般的にはとらえられがちである。
 受験は、決して「目的」ではない。
 好きな大学等へいけ、大学等で好きな学びができるための「手段」としての受験がある。

 「学習指導要領」から飛び出せないから、なかなか、楽しい学びへと広がりづらいであろう。

 時間がなくて、さらにつっこんだ学びへと自分の学びを広げていくことも難しくもある。

 全てはなかなか難しいかもしれないけれど、学びたいという気持ちが芽生えると、飛躍的に自身の学びは広がっていきます。
 やらされているという勉強からの脱皮が鍵となると考えています。

 ちなみに、義務教育や学習指導要領、大学受験がない時代の700年前、吉田兼好さんは、身に着けたい学問(特に帝王学として)を以下のように述べています。

 漢詩、和歌、音楽、古典の教養、礼儀作法。

 「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。」

 

*******徒然草 第一段******************

いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人などたまはる際は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。

法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教に違ふらむとぞ覚ゆる。ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなん。

人は、かたち・有樣の勝れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。

人品・容貌こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、しなくだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。

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「独り視る まだ居るんだぞ 昼の月」ふじやん 昼の月を美しいと感じたことはなかったけれど、詠み人の生きる強い力に美を感じます。折々のことばより。

2022-05-28 09:23:49 | 令和の徒然草

 「独り視る まだ居るんだぞ 昼の月」ふじやん 折々のことば 2022.5.28 

 昼の月を美しいと感じたことはなかったけれど、この句を詠んだ人の生きる力に美しさを感じます。

 兼好さんも、昼の月をどう感じておられたかはさておき、月を愛でる気持ちが湧くのは、曇りのない満月ではない旨、述べられていました。(『徒然草』第137段)




*********徒然草 代137段*******

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。

 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。

 望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。

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約700年前1330年、当時のブログ、『徒然草』。無常を生き抜く人間が紡いだ言葉。全243段中、イイね!を3つにつけるとしたら、どれですか?

2022-05-27 08:44:45 | 令和の徒然草

 約700年前、吉田兼好が書いた『徒然草』。

 いつ死ぬかもしれぬ、無常の世の中。今よりも、もっと過酷だったと思います。
 人の人生40で死ぬのが適当と書いているのだから(第7段)。
 それであっても、道を究めようとし、働き、恋をして、子を愛して、月を愛でて、死と向き合う人の姿が、描かれています。

 友人との読書会で課題本になりました。

 当時のブログだよね。どれにイイねつけるかだよね。そして、まさに今の話に通じるよね。と盛り上がりました。

 全243段あるうち、自分に響くものを3つ挙げるとしたらどれをあげるか。

 私は、7段、142段、236段を挙げました。

 おもしろかったのが、9人の読書会でしたが、皆が挙げたものがまったく重ならなかったということです。

 皆様は、気に入った段は、どれでしょうか。
 今度、お会いした時、教えてください。
 話題にして、盛り上がりたいです。

 吉田兼好さんの人間臭さが好きです。

*********第7段**********

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の日に子孫を愛して、榮行く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。

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超マイペースなひとは、今から約700年前の『徒然草』の中でも登場。徒然草第60段。

2022-05-26 23:34:44 | 令和の徒然草

 超マイペースなひとは、今から700年前の徒然草の中でも登場しています。

 友人たちとの読書会で話題になりました。

 しかし、最後の文章にあります。
 「人に厭はれず、萬許されけり。徳の至れりけるにや。」

 「徳」があったから、みんな許したようです。

 その「徳」の境地とは、なんだったのだろうか。。。

 
*********徒然草 第60段*******
https://tsurezuregusa.hatenablog.jp/?page=1510072920

眞乘院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日、二七日など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にざまに、錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋頭の錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づゝ取りよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、また、他用に用ふる事なくて、その錢皆になりにけり。「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者なり。」とぞ人申しける。

この僧都、ある法師を見て、「しろうるり」といふ名をつけたりけり。「とは、何ものぞ」と、人の問ひければ、「さる者を我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞいひける。

この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・學匠・辯説、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を輕く思ひたる曲者にて、萬自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがて獨り打ち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。齋・非時も、人に等しく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、睡たければ、晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜も寝ねず。心を澄まし嘯きありきなど、世の常ならぬさまなれども、人に厭はれず、萬許されけり。徳の至れりけるにや。

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