「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

「本を読んだ方がいいと思いますか?」と小学生に質問されたら、何と答えますか。

2023-09-19 10:51:25 | 書評

「本を読んだ方がいいと思いますか?」と小学生に質問されたら、何と答えますか。


小学生のみなさんへ

本は、どんどん読んでください。それも、楽しんで読んでください。

もしも、いじめにあっている子がいたら、本が、きっとあなたを守ってくれるよ。本は、決して裏切らないから安心して。

大人になると、うまく生きていかなくちゃならないから、職業柄、バランスよくインプットすることも必要になります。それは、正解に辿り着く力である「情報処理力」と、創造的な問題解決力である「情報編集力」で、この二つは車の両輪となります。そのバランスよくインプットするものは、実は、学校で教わっています。

国語・英語で、ひととのコミュニケーション力を身につけている。その場合のポイントは、「人の話をよく聴く」という技術だけど、読書をすることで高められるよ。

算数で、論理的な思考を。常識や前提を疑いながら柔らかく複眼思考するんだ。

理科で、推論する力を。頭の中でモデルを描き試行錯誤しながら類推するんだ。

社会で、ロールプレイする力を。他者の立場になり、考えや思いを想像するんだ。ママゴト遊びの延長だね。

そして、実技教科である音楽、美術、体育、技術で、相手とアイデアを共有するための表現、プレゼンテーションするんだ。

300冊を超えて読むと、自然と自分の言葉で語り出したくなると藤原和博氏は言います。私は、その域には達してはいないけど、心に残る一冊はあります。中学生のころ夢中で読んだ『三国志』、その登場人物が、今でもアドバイスくれるんだ。リアル社会で親友に出会えるように、あなたの一冊に、どうか出会いますように。

本を読んで学びインプット、それを仕事や活動でアウトプット、そしてまた、仕事や活動でぶつかった悩みや疑問を解くために読書や学びをし、そしてアウトプット、その循環ができることが理想です。学びがワクワクを生んだり、癒しになったりします。一生この循環が続けられるとよいですね。


*参照
『本を読む人だけが手にするもの』藤原和博著 日本実業出版社  

*『教育DXで未来の教室をつくろう』浅野大介著 学陽書房

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絵本の読み聞かせで、最も大切なことの一つ。

2023-09-07 08:38:55 | 書評

 絵本の読み聞かせで、最も大切なことの一つ。


******朝日新聞2023.9.7******

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『星の王子さま』 サン・テグジュペリ 作、内藤 濯(ないとうあろう)訳  岩波書店。いつ読んでも、たいせつなことを教えてくれる書、それも理屈っぽくない形で。

2023-08-22 15:40:48 | 書評

1,『星の王子さま』を久々に読んだ。読んだ直後の感想は、

 「いつ読んでも新鮮だなあ。何回読んでも、たいせつなことを教えてくれる、理屈っぽくない形で。」

2,本書に、『星の王子さま』の帯のポップコピーを与えるなら、

 「あなたの心の中を、星の王子さまといっしょに探検に行きませんか。素敵な景色にきっと出会えます。」

3,読み聞かせをしたいと思う3箇所を選んでみるとすると、

  • 王子さまは、なにがたいせつかということになると、おとなとは、たいへんちがった考えを持っていました。ですから、あらためてこういいました。

 「ぼくはね、はなを持ってて。毎日水をかけてやる。火山も三つ持ってるんだから、七日に一度すすはらいをする。火を吹いてない火山のすすはらいもする。いつ爆発するか、わからないからね。ぼくが、火山や花を持ってると、それがすこしは、火山や花のためになるんだ。だけど、きみは、星のためには、なってやしない…」(69-70頁)

  • あの男は、王さまからも、うぬぼれ男からも、呑み助からも、実業家からも、けいべつされそうだ。でも、ぼくにこっけいに見えないひとといったら、あのひときりだ。それも、あのひとが、じぶんのことでなく、ほかのことを考えているからだろう。(74頁)

  • 「きみの住んでいるとこの人たちったら、おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作ってるけど、…じぶんたちがなにがほしいのか、わからずにいるんだ」と王子さまがいいました。

「うん、わからずにいる…」と、ぼくは答えました。

「だけど、さがしてるものは、たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ…」

「そうだとも」と、ぼくは答えました。

すると、王子さまが、またつづけていいました。

「だけど、目では、なにも見えないよ。心でさがさないとね」(114頁)


4,生活している星に、王子さまがやってきたら、、で短編のお話しを作ってみるとすると、

そこは、地球の中の日本。夜中に街角で泣いている子に王子さまは気づいて、走り寄りました。

「家族は、どこに?」王子さまは問いかけると、「家族はいない…」とその子は、つぶやきました。小さいころ親から繰り返し虐待にあって、とうとう施設に保護され、両親の親権は消されてしまいました。

「今は、どこで生活をしているの?」

「新しい家にお世話になって暮らしてきたのだけど、その家からも毎日虐待を受けて、行き場がもうなくなって、どうしていいのかわからなくて…きっと僕が、ぜんぶ、悪いんだ。おとうさん、おかあさんがいなくなったのも。あたらしいおとうさん、おかあさんにいじめられるのも…」

星の王子さまは、自分もいまはひとりであること、ひとりでいろんな星を旅してきたこと、旅でいろんな変わったおとなとであってきたことを夜通し話しました。もちろん、世の中には怖い動物がいること、その子は、象をものみこむウワバミの絵に、たいへん驚きを隠せませんでした。

明け方、その子は、決心しました。「これからは、一人で生きていくよ。」

王子さまは、約束しました。「僕の帰りを待つはながあるから、星に帰るけど、寂しくなったら、いつでも、戻ってくるからね。」

地図が好きだったその子は、それから、王子さまからの紹介の手紙を持って、地理学者のところへ行き、無事に助手にしてもらったそうです。

以上

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ぜひぜひ、日本の童話文学 小川未明(2022年生誕140年)を、お忘れなく。「弱き者の為に立ち 代弁なき者のために起つ我これを芸術の信条となす」

2023-05-20 12:58:44 | 書評

 ある読書会での課題本『小川未明童話集』(新潮文庫昭和26年発行、平成14年75刷)、読んだ直後は、なんかトーンが重くて、楽しい・愉快というよりは、悲しい話が多いけど、それが美しく描かれているなあ。という感じを受けました。

 しかし、この本に出会えて、本当に良かったと心から思っています。
 「日本のアンデルセン。ぜひ、子どもと一緒に童話文学をご堪能下さい。」とお勧めをしたいと思います。

 私が、印象に残る箇所。

●「赤いろうそくと人魚」18ページおばあさんは、燈のところで、よくその金をしらべてみると、それはお金ではなくて、貝がらでありました。

●「飴チョコの天使」91ページ三人の天使は、青い空に上ってゆきました。

●「百姓の夢」104ページあの牛は、どうして水音もたてずに、この池を泳いでいったろう?百姓は、とにかく子供たちが無事なので、安心しました。

そして、
●「野ばら」25ページ敵の兵でありながら、その兵を思う老人に、青年が現れる夢のシーン。

 2022年は「日本のアンデルセン」と呼ばれた未明の生誕140年にあたる年だったといいます。
 未明は生涯、薄幸な存在に思いを寄せ続け、「弱き者の為に立ち 代弁なき者のために起つ我これを芸術の信条となす」という言葉を残しました。

 ぜひぜひ、ご一読を!!!

 余談ですが、「童話は文学か?」と解説で書かれており、そのたとえで、小児科医が比較に上げられています。


******小川未明童話集232ページ*******

小川未明氏に関し、坪田譲治氏の解説抜粋





 

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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』著者川内有緒、集英社2021年第1刷、2022年を素敵な気持ちで締めくくれる一冊です!

2022-12-22 13:16:48 | 書評

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』 著者川内有緒、集英社、2021年第1刷、2022年8月第7刷。

 お読みになられましたでしょうか。

 お勧めします。
 2022年を素敵な気持ちで締めくくれる一冊です!

 私が勧めるまでもなく、2022年『本屋大賞ノンフィクション本』大賞受賞作でもあります。

 私が、イイナ!と思った文章を3か所、引用します。

●アイマスクをすると、いったんは視覚障碍者みたいになるじゃない?それを見るとね、あなたはどこかのテレビゲームみたいなことをお遊びでやってんですか、って思いました。…このとき画面上のホシノさんに対し、画面のこちらにいるわたしが反論をしたくなった。でもさあ、ホシノさん、見えるひとがアイマスクをつけて過ごしてみることは、想像力を働かせるきっかけくらいにはなるんじゃないですか?…しかし画面の中のホシノさんは続けてそれを力強く否定していく。僕らはほかの誰にもなれない。…彼が伝えたいということは、想像力よりももっと手前にある部分だった。寄り添うことしかできない?いや、それもそうなんだけど、そのあと。―この世界で、笑いたいんですよー(318-320頁)

●―けんちゃんは目が見えないんだから、人の何倍も努力しないといけないんだよー

ただでさえ障害があるひとの風当たりが強い社会で、「頑張らない障害者」への風当たりはどんなものになるのか、と想像をすると心底恐ろしくなる。

しかし、本当は別に障害者が過剰な頑張りなど強いられない、人々の心の余裕がある社会を作るほうを目指すべきなのだ。(211-213頁)

●自分の場合、死に対する恐怖は、ただ一点に集約されることに気がついた。それは、まだ幼い娘の将来を見ずに死にたくないということに尽きた。…それを聞いた白鳥さんは、吐息で紙吹雪でも散らすように「俺はどっちでもいいな。明日死んでもいい」と言った。…「いやあ、どの時点で死んでも、結局は後悔するような気がするの。…結局のところ、ちゃんと自分がわかっているのは『いま』だけなんだ。だから、俺は『いま』だけでいいかな。過去とか未来とかじゃなくて『いま』だけ。だから、俺は明日死んでもいいと思う」(74-75頁)




https://www.hontai.or.jp/

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2022年、本との出会いに期待する年。2021年の一冊は、『苦海浄土』でした。

2022-01-02 09:08:18 | 書評

 2022年、新たな出会いと共に、ポスト・コロナの時代に、精一杯生きたいです。

 新たな出会い、ひととの出会いが楽しい。

 その次に楽しい出会いは、本。

 2021年の本との出会いも楽しかったです。
 多読ではないけれど、心に残った本です。

  1月 『13歳からのアート思考』 
  2月 『学問からの手紙』『善の研究』 
  3月 『LGBTを読みとく クィア・スタディース入門』『善とは何か』
  4月 『火の鳥・鳳凰編』 
  5月 『スマホ脳』 
  6月 『手の倫理』 
  7月 『大人問題』 
  8月 『コンビニ人間』  
  9月 『悲しみの秘義』 
 10月 『ケーキの切れない非行少年たち』 
 11月 『テロリストのパラソル』 
 12月 『苦海浄土』『水俣病は終わっていない』

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夏休みの課題が見つけきれなかったら、気になる一冊を見つけて、課題にしてみては?科学雑誌『Newton』特集:必読の科学書100冊を読み解く科学名著図鑑

2021-08-05 12:54:25 | 書評

 何を読むとよいか、他人の推薦も、結構役に立ちます。

 最近発売中の『ニュートン』が、企画をしてくれているようです。

 まだ、夏休みの課題が見つけきれなかったら、気になる一冊を見つけて、課題にしてみては?

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『国家はなぜ衰退するのか』ダロン・アセモグル  ジェイムズ・A・ロビンソン 著  鬼澤 忍訳

2021-05-27 11:23:15 | 書評

『国家はなぜ衰退するのか』

ダロン・アセモグル  ジェイムズ・A・ロビンソン 著  鬼澤 忍訳  
http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec49/ard49-bookinfo.html




毎日新聞社 新聞研究本部 位川一郎 氏の論評より。

●繁栄と貧困を分けるのは政治と経済における「制度」

●国家の制度は、権力が社会に広く配分され大多数の人々が経済活動に参加できる「包括的制度」と、限られたエリートに権力と富が集中する「収奪的制度」に分けることができる(「包括的」という言葉はやや分かりにくいが、一般的な感覚では「民主主義的」に近いだろう)。

包括的制度のもとでは、法の支配が確立し、所有権が保護され、イノベーションが起こりやすい。

収奪的な政治制度と経済制度のもとでは、その反対のことが起きる。

そして、「経済的な成長や繁栄は包括的な経済制度および政治制度と結びついていて、収奪的制度は概して停滞と貧困につながる」と著者は主張する。

●1346年のペスト襲来という「決定的な岐路」

●産業革命がイングランドで始まり大きく前進したのは、1688年の名誉革命が包括的政治制度をもたらしたためだった。

●現代においても、ジンバブエ、コロンビア、北朝鮮、ウズベキスタンなど多くの国で収奪的制度の悪循環が繰り返されている。(第11章~第13章)

●収奪的な政治制度から包括的政治制度への移行がなければ、中国の成長はいずれ活力を失うだろう。(第15章)

●収奪的制度から包括的制度に移行するにはどうすればよいか。著者は「移行をたやすく達成する処方はない」と言い切る。

●第15章の最終節で、包括的制度の強化に成功した国に共通するのは「社会のきわめて広範かつ多様な集団への権限移譲に成功したことだ」と指摘している。困難ではあっても、各国の内側で政治的な多元主義が育つのを期待するしかないということだろう。納得できる見解といえる。

●本書は主に一国内の収奪的制度に着目しているが、国際的な収奪構造も無視するわけにいかない。だとしたら、先進国の側も貧困の克服のために、従来とは異なる関与の仕方を探るべきではないだろうか。

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今週のおすすめ本:鎌田浩毅先生『生き抜くための地震学』 2013年第1刷、筑摩書房

2021-04-25 11:56:53 | 書評

西日本大震災(南海トラフ地震を鎌田先生は、このように命名)に備える必要性を、ひしひしと感じました。

それでないと、生き抜けない。

備える時間は、あと10年。

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脳神経外科の一冊

2021-01-24 18:16:57 | 書評

脳神経外科の一冊

「太田本」

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学ぶこととは、何か。重要な問いを投げかけて下さった張本人のご著書。近日発刊。宮野公樹氏『問いの立て方』真の学問だけが持っている言葉にならない迫力を示すこと。今こそ大学の本分である学問に帰るべき

2021-01-15 10:02:45 | 書評

 学ぶこととは、何か。

 私にその重要な問いを投げかけて下さった、張本人のご著書。

 近日発刊。

 かかりつけの子ども達にも、学ぶことの真のありかたを、小児科医としてできる範囲で、僭越ながら、お伝えできればと思っています。

 ちなみに、ちょっとだけ直観として考えていることは、もしかして、これは、誤っているかもしれませんが、そして、西田幾多郎先生のご著書を理解していく中で、誤っていたら後日訂正したいと思いますが、

 哲学者、西田幾多郎先生が、言いたかったことのひとつは、宮野先生が以下で、述べられている、「ではその学問とは何で、大学とは何か。学問とは食うこと、つまり生きることとは何かを考えることであり、大学とは食うことを心配しないでその問いを持つことができ、果ての果てまで考え、対話するところです。どんな専門であろうがそれは入り口でしかなく、最終的に行き着くところ、自分自身の存在について考えることです。」ということではないかなと思うところです。

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********東京新聞*************
https://www.tokyo-np.co.jp/article/79176

 大学とは、何よりも「学問」をする場所です。
 日本の大学設立の目的は国力強化でした。それなら実践的な内容を扱う「専門学校」をたくさんつくればよかったのに、つくったのは学問を掲げる「大学」というものでした。私はそれに救いを感じます。源氏物語に、国を治めるなら学問をした人間であるべきだ、という一節があるように、古くから学問の重要性が認識されていたからでしょう。
 ではその学問とは何で、大学とは何か。学問とは食うこと、つまり生きることとは何かを考えることであり、大学とは食うことを心配しないでその問いを持つことができ、果ての果てまで考え、対話するところです。どんな専門であろうがそれは入り口でしかなく、最終的に行き着くところ、自分自身の存在について考えることです。
 しかし、今や大学自体も食うことばかりを考えている時代。国立大では独立行政法人化が転換点でがらっと変わりました。かつては産学連携に反対するデモが起きたそうですが、今はどれだけ民間などからお金を引っ張るかが最優先事項です。そのためには時代を読んで、課題解決に資する研究が必要だと。
 もちろん不都合を解消することは大事です。しかしそれは子どもでも言えること。なぜその課題が存在するのかを考えないと、本当の課題解決にはつながりません。時代という同じ流れに乗っていたら流れは見えない。見るためには時代を離れないと。それこそが普遍、学問がやるべき仕事なのです。
 具体的にどう学問するか。私が在籍する学際融合教育研究推進センターがやっている「京大100人論文」はその一例。研究者百人が生涯追い続けたい研究テーマをポスター発表のように掲示。これに参加者が付箋に匿名でコメントする。匿名だからこそ参加者同士がピュアに意見を交換することができる。そうして自分たちの興味・関心を互いに磨き合うのです。
 日本学術会議の問題では多くの学会が抗議声明を出しました。闘うのは当然とする一方、大学人は本当に社会に響く仕事をしていたかを自らに問う必要があります。それは決して役立つもののことではありません。真の学問だけが持っている言葉にならない迫力を示すこと。今こそ大学の本分である学問に帰るべきだと思います。(聞き手・大森雅弥)

<みやの・なおき> 1973年、石川県生まれ。専門は学問論、大学論。近著『学問からの手紙』が2019年、京都大生協で一般書売り上げ1位。2月に『問いの立て方』(ちくま新書)が発売予定。

*********************
●『問いの立て方』の紙芝居
https://note.com/cestunbon/n/nb06d0d771b96

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書評:『レオナルド・ダ・ヴィンチ』 Walter Isaacson (原著)土方 奈美 (翻訳) 没後五百年、「芸術とテクノロジーの両方に美を見いだし、二つを結びつける能力によって天才となった」

2020-03-22 09:10:49 | 書評

 没後五百年を迎えるレオナルドは、『最後の晩餐』『モナリザ』等により「近代的絵画の創始者」と評されるだけでなく、科学者・技術者として「ルネッサンス的教養人の代表格」である。

 レオナルドの交友は広い。マキャベリが友人で『君主論』の主人公である暴君チェーザレ・ボルジアに彼を介して雇われたこともある。

 50代で、ライバルが『ダビデ像』の彫刻家ミケランジェロであった。20代であった彼は、心底レオナルドを軽蔑し、レオナルドのほうも、自身が『ウィトルウィウス的人体図』を描き裸体に否定的ではないにも関わらず、『ダビデ像』に「品位ある装飾を付けて」設置すべきと発言したこともある。シニョリーナ宮殿の大会議場に戦争画『ギリアーニの戦い』の壁画の依頼を受け、もう一方の壁にミケランジェロも戦争画『カッシーナの戦い』を同時期に描くことになったときがある。まさに競作である。レオナルドは、「絵画は自然界の知覚できるものすべてを受け入れ包含する。たとえば事物の色やその濃淡であり、それは彫刻という乏しい世界では不可能だ。…」とミケランジェロの彫刻や『カッシーナの戦い』等の彫刻的な絵画を批判している。両者とも完成せず、描かれるはずの場には、ヴァザーリによる6枚の戦争画がある。最近の研究で、絵の下にレオナルドの下絵があることがわかってきている。
 ダビンチは、解剖、化石、鳥類、心臓、飛行機、光学、植物学、地質学、流体学、軍事兵器とありとあらゆる分野を研究した。レオナルドは、絵画では、境界線をぼかす「スフマート」という技法を開発した。また、立体性を絵画に取り入れた。史上最も独創的な天才であろう。スティーブ・ジョブズが師と仰ぎ、「芸術とテクノロジーの両方に美を見いだし、二つを結びつける能力によって天才となった」と述べる。

 レオナルドの非凡な才能は、神からの贈りものでは決してない。非嫡出児であり、学校教育をほとんど受けておらず、ラテン語や複雑な計算はできなかった。左利きで、注意散漫で、ときに異端であった。30代の頃、「いまだかつて完成した作品などあるのなら、教えてくれ…教えてくれ…教えてくれ」と心の叫びを書き留めている。才能が認められなかった苦しみの時期をレオナルドも経験しているのだ。

 1508年~1513年レオナルドが解剖学の研究に没頭したことは、医師としても興味深い。バヴィア大学解剖学マルカントニオ教授と共同研究をした。240点以上のデッサンと、1万3000ワード以上の記録を残した。詳細に筋肉や神経・血管、脊椎骨の構造を記録し、脳室の形を解剖で取り出した脳の中に蝋を流して発見し、唇の細かな筋肉の解剖をした。首の筋肉は、後に絵画に筆を付け加え、脳室を空想力の所在地と判断し、唇の解剖は、『モナリザ』の微笑に繋がった。

 動脈硬化の発見だけでなく、驚きなのは、大動脈弁がなぜ閉まるかを流体力学の考察から解き明かした。大動脈の三角形の弁の尖頭が開き、穴を通過した血流は、大動脈のより太い部分に流れ込み、らせん状の渦をまき回転する。その血流が三つの弁の側面に当たり、弁が閉じることを発見した。1700年代初頭の解剖学者にちなみ「バルサルバ洞動脈」と言われる箇所だが、「レオナルド洞動脈」と言われてもよい発見であった。
 しかし、レオナルドが陥った失敗が、弁が一方通行の仕組みであることを理解しておきながら、当時の常識であった「血液は心臓に出たり入ったりするだけ」というガレノスの唱えた説の誤りに気付けなかったことである。私も不思議に思うが、著者は、血液の流れの研究は、本や専門家からの知識をあまりに多く身につけてしまったため先入観に囚われ、斬新な発想ができなくなった珍しいケースと分析する。現代に生きる私たちも、膨大な情報にさらされ、三次元画像が複雑な動きや形などを簡単に示してしまうため、想像する力を鍛える場が減っている。大いに注意をすべきである。

 著者は、本書を上梓した後、レオナルドのように世界を見ようと努力した。日々目の前の世界に驚きを見い出そうとすることで、人生が豊かになると述べている。私も、レオナルドの観察眼をぜひ持ちたい。芸術と科学を幅広く学問分野の枠を超えた学びをこれからもして行きたいと思う。都市計画を考えざるを得ない公職を得ており、なおさらである。7200ページの手記も参考に、レオナルドが得意としたアナロジーも使ってみたい。レオナルドが見ていた地球と人とのアナロジーを自分なりに解き明かしたい。

 子ども達は、もともと自然と周囲の世界に好奇心を抱いている。「キツツキの舌がなぜ長いか?」とまでは疑問を抱かなくとも、「空はなぜ青い?」と多くの子どもが思うはずである。その好奇心を育て、「なぜ」という気持をはぐくめるようにしていきたい。例えば、「ダメな画家は画家に学ぶ。優れた画家は自然に学ぶ」(アッシュバーナム手稿、1巻2 r.)ということが初等教育の図工・理科の中で、生かされることを願う。
                                      以上





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書評:『夜間飛行』&『人間の土地』サン=テグジュペリ、堀口大學訳 新潮文庫 

2020-01-09 23:00:00 | 書評

 世界中で最も愛される書のひとつ『星の王子さま』の著者サン=テグジュペリ(1900年出生、享年44歳)。処女作『南方郵便機』に次ぐ第二作が『夜間飛行』(31年刊)である。

 彼は、日々、厳格な規律の中に身を置いて、死の危険と背中合わせになりながら、その体験を糧に、文学を編み出した。「飛行機が僕に筆を執らせたのでは決してない。…飛行機は決して目的ではなくて手段だ。自分を創り上げる手段だ。僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。」と彼は述べる。描かれているのは、堀口大學が「あとがき」に記すように「彼の飛行文学が、最行動的断面の描出に始終しつつも、その靉靆(あいたい)する高邁な精神美」である。

 本書は、著者が郵便物輸送会社に支配人としてブエノス・アイレスに赴任した時(29年)に執筆が開始された。本書が捧げるディディロ・ドーラ氏こそが主人公リヴィエールであり、まさに現実に夜間飛行を立案した人物であった。時代は第一次世界大戦終戦(18年)後の間大戦期、国家の支配下で郵便飛行の競争がなされていた。当時、フランスの航空郵便航路の開拓・維持のため、100名以上の死者が出たという。本書執筆中の30年、著者自身もアンデス山脈に不時着したギヨメ(『人間の土地』が捧げられた僚友)の救出にあたっている。夜間の定期飛行事業は必ず失敗するはずだと論難攻撃される中で、「非凡な性格者」、航空輸送会社の支配人リヴィエールは、「せっかく、汽車や汽船に対して昼間勝ち優った速度を、夜間に失うということは、実に航空会社にとっては死活の重大問題だ」と抗弁し、世論は自分が導く、経験が法をつくるという気概を持ちながら事業を押し進めた。

 果たして、夜間の急な嵐に遭遇したファビアンの操縦する一機がもどらぬものとなる。事業所に駆けつけたファビアンの妻とリヴィエールは面会する。結婚して一ケ月あまりの若妻は、遠慮がちに、自分の家に待っている花、支度してあるコーヒー、自分の若い肉体のことについて訴える。彼女自身も、自分の実在があまりに強力で、彼女の中にある愛情、あまりに激しく野蛮だとさえ思われる愛情や熱烈さが、遭難機からの連絡を待つ事務室の場においては、邪魔な、利己的な姿に感じ、「お邪魔でしょう…」と発する。「邪魔じゃありません。ただ、あなたもわたしも、待つよりほかには何もできないのが残念です。」とリヴィエールは答えるが、深いあわれみを口には出さなかった。心のうちには、「同情は、外面には現さない…」「部下をそれと知らさずに愛する」との思いを秘めていただろうが。「マダム…」リヴィエールは次を切り出そうとするが、彼女は謙虚に近い微笑を浮かべながら部屋を去った。個人的家庭的なささやかな幸せを望む若妻に、国家的社会的な偉大な事業を遂行する責任者リヴィエールは、おのれの真実を言語化できなかった。だが、彼もそのままたじろいだわけではない。「颶風(ぐふう)は毎晩ありはしない」「一旦道を開いた以上、続けないという法はない。」との揺るぎない信念のもと、不明機をまたずに、次の機を出発させるのであった。

 「勝利だの…敗北だのと…これらの言葉には、意味がない。生命は、こうした表象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつ」あるものだと前置きし、リヴィエールが喫した敗北にさえ著者は「どちらかといえば、最も勝利に近い敗北」との評価を与えるのだった。「大切なのは、ただ一つ、進展しつつある事態だけ」であって、それに臨み続ける姿勢があれば何事も達成できるはずである。

 『人間の土地』(39年刊)においても、七章『砂漠のまん中で』において、一歩一歩の歩みが不時着した砂漠からの絶体絶命の脱出が叶う物語がある。

 リヴィエールが夜間飛行を事業継続させ、砂漠の遭難者に歩みをさせる精神の根底には「責任観念」があると言う。この責任観念が、人間に力を与えて、苛酷な悲運に対して戦いを挑む勇気を奮い起こさせる。責任観念が少しでも人間に力の残る限り、その戦いを続けさえる強靭な意志を与え、困難に打ち勝つ努力を続けさせる。

 同書は、「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。」と締めくくる。その人間が生まれて一番最初に接する職業の一つが小児科医師である。最終章『人間』において、生まれでた誰もが「少年モーツァルト」であるが、しかし、運命の「金属打ち抜き機」にかけられると万事休すとの描写がある。乳幼児期の風邪の治療の中で、責任ある第三者としてそのご家庭ごと子ども達の健やかな発達を支え、しっかりと義務教育の現場へとつないで行きたいとの思いで日々診療している。小児科医師として子どもが打ち抜かれぬように守るという責任観念が喚起される。併せて「精神の風」をふかす大地は、「ぼくら人間について、万巻の書より多くを教える」から、そのような大地や自然との多くの出会いも子ども達に与えて行かねばならないと考える。

以上

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『119』長岡弘樹著、文藝春秋 2019年第一刷

2019-11-17 08:54:48 | 書評

 消防官とは、接点が多い。

 小児科医療の現場で、救急隊要請の際、病状や搬送の際の注意点など述べるときに直接のやりとりを救急隊とする。やりとり自体も短時間で要領よく、酸素マスクの装着や呼吸が楽な体位を取ることなど適切な処置もして下さる。

 2011年2月早朝、築地市場内でチラシを配布していて心肺停止の方に遭遇し、心臓マッサージを行った。間も無く救急隊が到着し、心臓マッサージが救急隊員に交代となった。私も救急車に同乗したが、キレのある心臓マッサージを継続下さり、そのかたは、一命を取り止めることができた。

 本年2月に障害者団体主催の餅つき大会で、障害のある方が餅をのどに詰まらせるエピソードがあった。窒息や意識消失まではいかないまでも苦悶の表情であり、脈をとりつつ介助した。その際、親御さんの中に副署長の消防官がおられ、てきぱきと救急要請と現場の采配を取り仕切って下さった。

 また、臨港消防署第二分団として消防団に私は属している。年に一度、「ポンプ操法大会」というポンプ車を組み立て遠くの火点目掛け放水をし、その速さとともに動作の正確性を競う訓練がある。本書にもあるが、服の乱れのないことや指示に対する「よし」という返事や姿勢など「規律」が重要な採点項目である。その練習に指導や補助で消防官がついて下さるが、帰り際、さわやかな挨拶を返して下さり、その日一日の疲れが吹き飛び、すがすがしさをいつも感じる。

 さらに区議として選手村周辺の交通対策の説明を受けているところ、その選手村のセキュリティ内に、我々の臨港消防署が存在する。選手運搬のバスや関係者車両で混雑する中で、臨港消防署からの緊急出動の動線がきちんと確保されるかが、最も気がかりな点である。ところが、都や組織委員会から説明もなければ、彼らの作成する図面(2019.10.23配布の図面を言う。2019.10.31配布分では一部改善。https://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/7851e9035928caffe75b4fbf2b80e989)に臨港消防署の記載さえなされていないのである。新庁舎として本年7月1日に開設された事情があるにしても、大会本番において、テロ対応はもちろん、選手村内での火事や五輪選手の救急搬送など担う重要な施設であり、その記載を落としてしまうこと自体理解できない。五輪まで250日と差し迫った段階にも関わらず、周辺住民に配布された資料でさえ手渡っていないような感じを受ける。本書には、消防署の任務の大きさに比較してつけられる予算が見合わない旨の記載があるが、選手村内の臨港消防署への五輪に向けた情報共有ができていないことから推察して、わかるような気がする。緊急動線とともに、先日導入を聞いてさらに不安を抱いた消防車も通過する選手村内の道路を走行するトヨタ製10人乗り〝無人〟巡回バス10台導入に関しては、報道によると、緊急時には、消防車に道を譲りかつ停車場所も消火活動を妨げない位置に行う旨は約束されているとのことであり、ひとつ安心材料ではある。

 これら消防官が私にとってはたいへん身近な存在であるにも関わらず、本書は、消防官の知らない世界を紹介してくれている。火消しと救急搬送だけの二分類で機能を想像していたが、さらにレスキュー隊の三つがあるのだという。要救助者は、「二五二(にーごーに)」と略す。消防車の車体の記載の救急の文字は反転している。そして、気づかせてくれた最も重要なことは、消防司令クラスの中間管理職である今垣睦生(いまがきちかお)が、「消防官を、人を助けるヒーローだと思っている人がいまだに多いと思うけれど、ちょっと違うな」と恋人に漏らした本音である。消防官は誰もみな、いつ顔を出すか分からない闇を抱えたまま、それをぎりぎり押さえつけている危うい存在であることが述べられている。火災・事故・災害の現場で死と直面し、また、助けられなかった命に対し、どうしてもその現場でのことが、トラウマとして心に刻まれるのであろう。惨事ストレスから心を病み、自死を考える者は多い。拝命時に抱いた理想の高さに実力がついていかず、深刻な自己嫌悪に陥って命を断つ場合もある。パワハラも多いと2015年時の記載にはある。

 そのメンタルヘルスを支えるある研修会では、精神科医が消防官の中間管理職に、講義の最後に10枚の紙を配り、一つずつ自分の大切なものを書かせた。それから最も優先順位の低いものから順に捨てさせた。各自が悩みながら切りようのないカードを切って行く。人が死んで行くと言うのは、一つずつ大切なものを失って行く過程であるということを認識させる現場が描かれている。

 本書を通じ、激務をこなされておられる消防官へさらなる敬意を抱くに至る。ちなみに、患児の父親の消防官に本書をお示しすると、本年6月の出版であるが彼は知っていた。都では消防・救急・救助の三つの分担・資格を厳格化して運用し、救助のレベルは相当高いことを教えて下さった。お聞きしていて都の消防官としてのプライドを強く感じた。


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『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』佐々木実著、2019年3月第1刷 講談社

2019-07-13 13:34:47 | 書評
 2014年に86歳で亡くなられるその命の灯が燃え尽きるまで、宇沢弘文氏は、経済学はひとのためにあるということを実践した。経済学に人間の心を持ちこもうと努力し続けた。

 宇沢は、現代経済学の課題について、二つの類型に分類し批判する。

 第一は、経済学が、その分析対象をあまりに狭く市場的現象に限定しすぎて、より広範な、政治的、社会的、文化的側面を無視ないし軽視し過ぎたという批判である。環境破壊、公害、人間疎外、ゆたかさの中の貧困などが生じている。第二は、経済学の分析的方法に関するもので、内在的な批判である。すなわち、いわゆる近代経済学の理論的枠組みをかたちづくっている新古典派の経済理論があまりにも静学的な均衡分析に終始しすぎていて、インフレーション、失業、寡占、所得分配の不平等化などという動学的な不均衡状態に関する問題に対し有効な分析を行うことができていないことである。

 第一の問題への対応として、宇沢は、社会的共通資本論を構築した。

 社会的共通資本とは、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本がその重要な要素である。ジョン・スチュアート・ミルの定常状態の経済を理想的な姿としてみている。

 この社会的共通資本の概念に理論的および実証的な観点からの分析を深めるのが制度主義で、ソースティン・ヴェブレンに始まる制度学派の流れの中に位置づけられている。

 数理計画法から始まり、消費者の顕示選好、一般均衡理論の存在と安定、中立的技術進歩の理論、2部門経済成長モデル、最適成長理論、内生的経済成長理論など数理経済学の分野で世界的な業績を発表し、36歳にシカゴ大学の教授になった。ジョセフ・スティグリッツ、ジョージ・アカロフ、青木昌彦など多くの重要な経済学者を育てた宇沢は、1968年に突然、東京大学に戻った。不惑の歳と呼ばれる40歳を迎えた時、ベトナム戦争が始まり、徴兵されることを憂慮し家族を守るための行動であった。

 帰国した日本は、発展途上国から先進国に、近代から現代に脱皮する過程において高度資本主義社会への適応過程の中であり、学園紛争、水俣病を初めとする公害や環境破壊の問題、三里塚闘争などに宇沢は直面することとなる。

 1970年代は、世界は東西冷戦構造であり資本主義国と社会主義国に二分されていた。資本主義国のオルタナティブとして社会主義国が実在していたわけであるが、宇沢は、社会主義体制は資本主義国の選択肢となる可能性を明確に否定したうえで、現在の市場経済制度への批判を通じて、新しい経済制度が模索されるというというビジョンを有する。

 社会的共通資本の経済学の始まりを告げる作品として、『自動車の社会的費用』を1974年出版しベストセラーとなった。経済学を、与えられた知識の体系として受け止めるのではなく、自分自身の身近な問題、社会の問題を分析する道具として鋳なおそうという意気込みで書かれている。安心して道を歩くことが社会的に合意した基本的な権利であるという認識から出発し、展開する考え方が社会的共通資本の経済学に基づくものであるとした。「価値判断の問題は経済学の範疇ではない」とみなす既存の経済学への反旗として、宇沢は、価値判断を下す経済学者、行動する経済学者へと変貌していったのであった。

 第二の問題に対しては経済学の主舞台であるアメリカの経済学会と向き合う。

 貨幣数量説(マネタリズム)、自由放任主義、市場原理主義などを進める新自由主義の正当性を説くフリードマンが1967年12月アメリカ経済学会の会長に就任し「金融政策の役割」と題する講演を行った。ケインズ革命を葬るための「反革命」がこの時始まったとされる。宇沢は貨幣数量説を厳しく批判し、50歳を目前の1976年計量経済学会会長としてヘルシンキ講演を行ったが、不発に終わった。一方、新自由主義は、1979年誕生のサッチャー首相、1981年誕生のレーガン大統領に取り入れられ多大な影響力をもつこととなる。マネタリズムが現実の政治の中で取り入れられ、自由放任主義が世界の中心に据えられていくこととなる。宇沢は敗れた。

 2008年リーマンショック・ショックによる市場原理主義の破たんを目にしながら、日本は、社会的共通資本が守られようとはしないでいる一方で、新自由主義の経済路線は根強く続いている。新自由主義に翻弄されている現実にどのように対峙するための根拠とする考え方をなかなか見いだせないままでいた。国連のSDGsの考え方が使えるのではないかと思っていた矢先に、宇沢氏の社会的共通資本論に出会った。

 経済学は、政治に入り込んでおり、一部の経済学者と金融界の癒着があるとも言われている。「キル・レーシオ」などはじく恐ろしい学問ともなりうる。今後は、経済学の視点からも政治を分析すると共に「社会的共通資本」を守って宇沢の意志を継げるように最大限の努力をしたい。

 なお、数学が得意だったらよかったと経済学を学ぼうとして反省する次第…

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