「形」に惑わされる世の中だけど、
「形」とともに、「実質」も見抜いていくことの大切さ。
*****朝日新聞2012.2.23******
「形」に惑わされる世の中だけど、
「形」とともに、「実質」も見抜いていくことの大切さ。
*****朝日新聞2012.2.23******
「何でも吸い込む星でう〇こをしたら、一体どうなってしまうの?」
京大の先生が、まじめに答えて下さっています。
う〇こは、子ども達がとっても喜ぶ話題です。
嶺重慎先生、ありがとうございます。
*****コロコロ転載******
https://corocoro.jp/149915/
――子どもの好奇心の数割を占めると言っても過言ではない、ミステリアスな存在・ブラックホール!!
我々、コロコロおバカネタ捜索隊は、ブラックホールとうんこに関する謎を解明すべく、日本天文教育普及研究会の一員であり、日本最高峰の大学の一つ・京都大学の嶺重慎さんに話を聞いた!!
<プロフィール> 嶺重慎(みねしげ・しん) 天文学者。京都大学理
お題をいただきました。
行きたいです。
地球という星を、写真ではなく、この目で見てみたいです。
無重力という状態を、映画や映像でみるのではなく、自身で体験してみたいです。
水のような液体が、どのような状態でこぼれるのか、自身で遊んでみたいです。
自分の子どもに、宇宙から通信をして、話してみたいです。
ただし、現状では、宇宙にいくための訓練がたいへんだと思います。
その訓練に耐えることができるのか、究極の自己鍛錬に耐えることができるのか、挑戦してみたいです。
この挑戦に打ち勝てるなら、人生の最後の大きな思い出にできそうです。
リスクも大きいと思います。
そのリスクが現実に起こった時に、どれだけ生き続けるために頑張れるか、それも挑戦だと思います。
行く前には、遺書もきちんと書きます。
遺書を書いているうちに、行きたい気持ちが、失せるかもしれませんが、それでも、行きたいなら、行きます。
のぞみがなくなったとしても、ひかりは必ずある。だから、希望は、捨てないことではないだろうか。
もし、がまんしているのだったら。
ご参考にしてください。
*********朝日新聞*****************
■がまんしている君へ
Q.校歌が紙で配られたのに、歌っちゃだめと言われました。なぜ?(小1)
A.みんなで歌うのは楽しいよね。ただコロナにかかった人がいたら、口からウイルスが出てまわりの子たちがうつっちゃうと考える大人たちもいるんだ。
ぼくは、まわりでコロナにかかった人がいないなら、歌ってもだいじょうぶと考えているよ。心配な時は、まどを開けて外に向かって歌ってみよう。グラウンドでみんなで歌うのもいいね。ハミングって知っている? 口を開けないで歌うんだ。教室の中だって歌えるよ。
Q.休み時間はみんな集まって遊んで「濃厚接触(のうこうせっしょく)」です。「感染対策(かんせんたいさく)」はずっとやらないと意味がないんじゃないですか?(小6)
A.本当はたいていの人は、ずっと気をつけているのが苦手です。「たいさく」というものは、だれもができることでないと長つづきしない。いくら理想のたいさくでも、長続きしないと結局はだめなんです。だから小さなことは許してあげて。ほかの人にきびしくしすぎて、みんながぎすぎすしてしまうこともあります。そんな風にならないで、みんなでやれることを考えていけたらいいね。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は来夏に延期された東京五輪の開会式まであと1年を迎えた23日、会場でもある国立競技場で「一年後へ。一歩進む。~+1(プラスワン)メッセージ~TOKYO2020」と題したセレモニーを実施。
スポーツ報知:https://hochi.news/articles/20200723-OHT1T50336.html
競泳女子池江璃花子選手からのメッセージ:
池江璃花子です。
今日は、一人のアスリートとして、そして一人の人間として少しお話させてください。
本当なら、明日の今頃この国立競技場ではTOKYO2020の開会式が華やかに行われているはずでした。
私も、この大会に出るのが夢でした。
オリンピックやパラリンピックはアスリートにとって、特別なものです。
その大きな目標が目の前から、突然消えてしまったことは、アスリート達にとって、言葉にできないほどの喪失感だったと思います。
私も、白血病という大きな病気をしたから、よく分かります。
思っていた未来が、一夜にして、別世界のように変わる。それは、とてもキツい経験でした。
そんな中でも、救いになったのはお医者さん、看護師さんなど、たくさんの医療従事者の方に、支えていただいたことです。
身近で見ていて、いかに大変なお仕事をされているのか、実感しました。
しかも今は、コロナという新たな敵とも戦っている。
本当に感謝しかありません。ありがとうございます。
2020年という、特別な年を経験したことでスポーツが、決してアスリートだけでできるものではない、ということを学びました。
さまざまな人の支えの上に、スポーツは存在する。本当に、そう思います。
今から、1年後。
オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなに素敵だろうと思います。
今は、一喜一憂することも多い毎日ですが一日でも早く、平和な日常が戻ってきて欲しいと、心から願っています。
スポーツは、人に勇気や、絆をくれるものだと思います。
私も闘病中、仲間のアスリートの頑張りにたくさんの力をもらいました。今だって、そうです。
練習でみんなに追いつけない。悔しい。そういう思いも含めて、前に進む力になっています。
TOKYO2020
今日、ここから始まる1年を単なる1年の延期ではなく、「プラス1」と考える。
それはとても、未来志向で前向きな考え方だと思いました。
もちろん、世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよく分かります。
ただ、一方で思うのは、逆境から這い上がっていく時には、どうしても、希望の力が必要だということです。
希望が、遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても、前を向いて頑張れる。
私の場合、もう一度プールに戻りたい。その一心でつらい治療を乗り越えることができました。
世界中のアスリートと、そのアスリートから勇気をもらっているすべての人のために。
一年後の今日、この場所で希望の炎が、輝いていて欲しいと思います。
競泳選手 池江璃花子
本日はありがとうございました。
医学を目指す子ども達も多いと思います。先輩からのメッセージです。
医学生へ「医学を選んだ君に問う」前金沢大学医学部附属病院長 河崎一夫先生
****朝日新聞2001.4.16*******
http://www.f-take.com/kindai-kawasaki.htm
医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか?物理学に魅せられたかもしれない。しかし医学が大好きだったことはあり得ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。
高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。
君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねばならない。結論を急ぐ。授業が面白くないと言って、授業をサボることは許されない。医学が君にとって面白いか否か全く分からないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任である。
次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?万一「将来、経済的に社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想起できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。それが出来ないなら早々に転学すべきである。
さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか?医師の仕事はテレビドラマのような格好のいいものではない。重症患者のために連夜の泊まりこみ、急患のため休日の予定の突然お取り消しなど日常茶飯事だ。死にいたる病に泣く患者の心に君は添えるか?
君に強く求める。医師の知識不足は許されない。知識不足のまま医師になると、罪のない患者を死なす。知らない病名の診断は不可能だ。知らない治療を出来るはずがない。そして自責の念がないままに「あらゆる手を尽くしましたが、残念でした」と言って恥じない。
こんな医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。
医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、医師という職業の重い責任の認識の欠落による。君自身や君の最愛の人が重病に陥った時に、勉強不足の医師にその命を任せられるか?医師には知らざるは許されない。医師になることは、身震いするほど怖いことだ。
最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その1は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その2は世のため人のために役立つ医学的発見の歓びである。
今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神業の恩恵を受けうる患者は何人に達するか?1人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。1日10時間、1年300日、一生50年間働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。多いと思うかもしれない。だが日本の人口の1%未満、世界の人口の中では無視し得るほど少ない。
インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが見たこともない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い,今後も救い続ける。
その1の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その2の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培って欲しい。心の真の平安をもたらすのは、富でも名声でも地位でもなく、人のため世のために役立つ何事かを成し遂げたと思える時なのだ。
「おかえり、栞(しおり)の場所で待ってるよ」読書週間10/27~11/9
「You are what you eat(read)」「あなたという人間は、あなたが食べて(読んで)きたもの」と言われています。
いまや大学生の約半数は1日の読書時間がゼロ(全国大学生協連合会調査)の時代だからこそ、意識したい。
赤ちゃんからの『ブックスタート事業』、当院も鋭意実施していきます!
参照:https://digital.asahi.com/articles/DA3S14233413.html
「あいちトリエンナーレ2019」企画展の中止問題の本質は、このことばに述べられているのではないかと感じています。
とはいえ、ヘイト・スピーチには、表現の自由は認められないことは当然のことであります。
権力者や多数者が、その権力や多数の力をもって、表現をしようとする者の行動を制してはならないと考えます。
******朝日新聞2019.9.24******
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14190593.html
米国連邦最高裁のオリバー・ウェンデル・ホームズ判事は1929年の判決で、「我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由ではなく、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事だ」
人は学ぶことで、真の自由を得られる。そして人は自由でなければ学べない。
俳優・脚本家 ピーター・フォンダ(享年79歳)
最も大事なことだと認識しています。
日本国も日本国憲法で同様の趣旨を規定して、国と行政に義務付けています。
「日本国憲法第23条 学問の自由は、これを保障する。」
私の最も好きな条文です。
********毎日新聞2019.08.20 余録*******
https://mainichi.jp/articles/20190820/ddm/001/070/128000c
「アメリカはいい国だった。どうなっちまったんだ」。今の話ではない。50年前の1969年、米国で公開されたデニス・ホッパー監督のアメリカン・ニューシネマの代表作「イージー・ライダー」でのセリフである▲アウトロー2人が自由気ままに大型バイクを駆って、米国を横断するロードムービーだ。主演や脚本をつとめ、一躍人気者となったピーター・フォンダさんが先週、79歳で亡くなった▲ヒッピーのコミューンや排他的な地方の町など、映画は当時の米国社会の断面を切り取っていく。そこで見たのは、自由だと思っていた国の病巣や闇。「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ」というセリフが耳に残る▲公開の前年にはキング牧師が暗殺され、ベトナム戦争の泥沼化、公民権運動の高まりなど米国の不条理が一気に噴き出した時代でもあった。既存の価値観へのカウンターカルチャーとして若者をとりこにしたのもうなずける▲半世紀後の今はどうか。トランプ政権下で分断や格差は拡大し、移民は排斥され、人権や自由が脅かされる。怒れる若者は社会主義に引きつけられているという。フォンダさんが託した思いと、どこか響き合う▲映画のラストも衝撃的だ。トラックに乗った南部の白人に2人はあっけなく撃たれる。フォンダさん自身は家族にみとられてこの世を去ったという。ウェブサイトにこんな言葉を残している。「人は学ぶことで、真の自由を得られる。そして人は自由でなければ学べない」
鷲田清一氏は、本日2019年8月22日のことばのコラムで、詩人・山村暮鳥の詩を選んでいます。
のろのろが、目に留まりました。
のろのろ、寄り道、道草、回り道…子育てで、最も大切なことのひとつだと考えます。
のろのろと蝸牛のように、世界を十二分に感じながら成長をしていくこと。それを見守ること。
「自分はいまこそ言おう」 作:山村暮鳥
なんであんなにいそぐのだろう
どこまでゆこうとするのだろう
どこでこの道がつきるのだろう
この生の一本みちがどこかでつきたら
人間はそこでどうなるだろう
おおこの道は
どこまでも人間とともにつきないのではないか
谷間をながれる泉のように
自分はいまこそ言おう
人生はのろさにあれ
のろのろと蝸牛(ででむし)のようであれ
そしてやすまず
一生に二どと通らぬみちなのだから
つつしんで自分は行こうと思うと
*******朝日新聞2019.08.22********
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14148033.html
折々のことば:1558 鷲田清一
2019年8月22日05時00分
人生はのろさにあれ
のろのろと蝸牛(ででむし)のやうであれ
(山村暮鳥〈ぼちょう〉)
◇
人生がどこまでも尽きない道ならば、先を急ぐより、一度かぎりのこの道を一歩一歩丹念に歩むほうがいいと、明治・大正期の詩人・児童文学者は言う。前方ではなく空を仰ぎ見、また大地を蹴るのではなく足裏で感じることができる。ふだん目にもとめないものが目に入ってくる。だから寄り道もしたい。宝物は存外そういうところにある。詩「自分はいまこそ言はう」から。
セカンドオピニオンは、普通のこと。どんどんご利用を!
医療では、当たり前、普通のことになって来ています。
他の医師の見立ても同じであれば、さらにその診断、治療が確かなものとわかります。
セカンドオピニオンを聞きたいと言われて、嫌がる医師は、一般的には、おりません。
区政においても、ひとりの議員への相談をしていている状況下においても、他の議員の意見も同時に聴いてよいと思います。
複数のアプローチにより、問題の解決が柔軟に行われるようになると考えます。
どんどん、議員をご利用ください。
中央区議会議員、小児科医師
小坂和輝