子どもは、先生が答えに窮する質問をときどきします。
本日、会心の質問。
先生!みんなちがって みんないいって言いますが どこまで一緒で どこから ちがっていいのですか 佐々木貴子
いつも楽しく読ませていただいている「折々のことば」より。
「どこからでもちがっていいけど、ちがうと思ったら、はっきり言うんだよ。」とでも答えようか…
流されずに、ちがうことは、ちがうと言える子に育ってほしい。
どうか、全体主義には、抗えますように。
子どもは、先生が答えに窮する質問をときどきします。
本日、会心の質問。
先生!みんなちがって みんないいって言いますが どこまで一緒で どこから ちがっていいのですか 佐々木貴子
いつも楽しく読ませていただいている「折々のことば」より。
「どこからでもちがっていいけど、ちがうと思ったら、はっきり言うんだよ。」とでも答えようか…
流されずに、ちがうことは、ちがうと言える子に育ってほしい。
どうか、全体主義には、抗えますように。
新年、あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。
昨年は、東京五輪をきっかけに、近所のかたと近くの公園で朝のラジオ体操を始めました。「早起きは三文の徳」と信じ、この冬も続けています。「整理整頓」と文字の下手さを直すべく「書写」との二つの苦手の克服に目下挑戦中。昨年偶然手にした『苦海浄土』に強く感銘を受け、水俣病についての捉えなおしを真剣にせねばならないとも思っています。
コロナ対応で二年続けて、元日より診療を開始しました。今年こそは、コロナの克服を願っています。コロナが気づかせてくれたことや前進させてくれたことを、コロナの終息後も元に戻すことなく、続けられるようにしたいです。まさに、超過密のまちづくりもこの機に方向転換しましょう。リアルとオンラインの両方を活かした交流や学びも引き続きやって参りましょう。
本年も倍旧のご愛顧のほどお願い申し上げます。
令和四年 元旦
小児科医師
小坂 和輝
誰一人取り残さない、真にそれができる中央区を目指したいものです。
令和3年12月23日、ひきこもり当事者団体が全国初の「ひきこもり人権宣言」を発表されたとのことです。
共有させていただきます。
******************
https://note.com/bouhikimon/n/nbd360e7316d8
宣言文
ひきこもることは、命と尊厳を守る権利の行使である。ひきこもる権利は、すべての人が 行使できる基本的人権であり、これを不当に侵害することは許されない。
思うに、ひきこもることは、悪ではない。ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪である。 ひきこもり状態は、家族、教育、労働環境、対人関係といった複合的要因によって生ずる現象であり、その意味で社会的排除、社会的孤立という側面を持つ。ひきこもる個人のみを治 療や矯正の対象とするべきではなく、まず家庭や社会の改善を考えるべきであり、ひきこもる個人は、その改善を要求する権利を有する。
したがって、差別と抑圧の歴史をひきこもり当事者の力で終わらせるために、ここに、ひきこもりの権利を定め、ひきこもりの人権を宣言する。
この人権を宣言するにあたっては、引き出し屋の被害に触れなければならない。引き出し屋とは、事前に情報提供や信頼関係の構築をすることなく、説得や拘束を使って当事者を寮 や病院に移送し、本人が望んでいなかった生活環境の変更を強いる自立支援業者のことである。引き出し屋は TV 番組に出演することで広く社会に認知されたが、この引き出し屋によって当事者が自立を強要された結果、餓死や自死を招いた事例が報道されている。
そもそも人権は、人々が命を懸けて戦い勝ち取ってきた歴史的所産である。しかしながら、ひきこもり当事者は、自立支援業者や業者と契約する家族によって、自由、生命、幸福追求の権利が一方的に奪われている。
そこで、ひきこもり人権宣言は、自立支援業者によって命を奪われた被害者、PTSD を患って苦しみ続ける当事者の無念を想起し、画一的に就労をひきこもりのゴールとする自立 支援やパターナリスティックな政策ではなく、紆余曲折しながらも自分らしい生き方に向かって歩むリカバリーを求める。
自立とは、依存先を増やすことである。
希望とは、絶望を分かち合うことである。
ひきこもることは、生き抜く権利の行使である。
第 1 条 ひきこもる権利(自由権)
人は、ひきこもる権利を有し、これを行使できる。ひきこもる行為は、命と尊厳を守るために必要な自衛行為であり、十分に尊重されなければならない。
第 2 条 平等権
ひきこもり状態にある人は、人として平等に扱われる。人種、性別、信条、障害、年齢、経験によって、ひきこもる人は、差別されない。ひきこもり状態にある人とひきこもりを経 験した人は、ともに等しくリカバリーに必要な利益を享受する。
第 3 条 幸福追求権
ひきこもり状態にある人は、幸福を追求する権利を有する。ひきこもり当事者は、自分らしく生きるために、自己決定権を行使でき、他者から目標を強制されない。
第 4 条 ひきこもる人の生存権
命と尊厳を守るために、ひきこもり生活の質が保障されなければならない。ひきこもり当 事者・家族は、生活の質を確保するために、必要な手段を求めることができる。
第 5 条 支援・治療を選ぶ権利
ひきこもり当事者は、支援・治療を選ぶことができる。支援者は、適切な支援・治療のために、必要な情報を事前に提供し、当事者自身が選択できるようにしなければならない。ひきこもり当事者は、当然に支援・治療の対象者になるのではない。
第 6 条 暴力を拒否する権利
ひきこもり当事者は、不当な支援・治療・説得を拒むことができる。当事者の本心に反する働きかけは暴力的であり、ひきこもり当事者は、これを拒否できる。引き出し屋の説得による連れ去りは、決して許されない人権侵害である。
第7条 頼る権利
ひきこもり状態にある人は、人や社会に頼る権利を有する。自己責任論によって孤立し、ひきこもり状態を自分の力で抜け出せなくなった人は、人や社会に頼ることを否定されない。
※条文は、基本的人権の中で、特にひきこもりにおいて侵害されがちな権利を明記した。ひきこもる人の権利は、上記に限定されるものではない。
参考
熊谷普一郎『自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと』(TOKYO 人権 第56号(平成24年11月27日発行)
「今の子ども達は、忙しすぎないか。」
昨夜、問いが投げかけられました。
子どもたちは、自然と触れ合い、絵本や物語を読み感じて、「to be」の中で(大人の私たちのなんと「to have」の多いことか)、心がはぐくまれ、体が育っていきます。そして、大切な友達ができます。
親は、どんなことがその子の可能性を伸ばすことになるか、最初子どもが気づけないから、その機会をどんどん与えていきます。
ある一線のようなものがあるなら、その一線を越えないようにするには、どのようにすればよいのか。
詩集『求めない』で気づきが得られます。
今日、友人のラジオDJ橋本和宏氏の朗読が心に響きました。ありがとう。
******アマゾンより**************
https://www.amazon.co.jp/dp/4094062211/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_8JJ6WKHTPAW4M2C835BP
全て「求めない」で始まるベストセラー詩集
「求めない――すると 心が広くなる」「求めない――すると恐怖感が消えてゆく」「求めない――するとひととの調和が起こる」「求めない――すると待つことを知るようになる」……。
「求めない――すると……」という言葉が繰り返される本、『求めない』。けれど、信州伊那谷の自然の中で暮らす著者・加島祥造氏は、何度となく「人間は求める存在だ」とも言います。求めることを否定せず、なぜ私たちは、もう足りているのに求めてしまうのだろうかとやさしく問いかけるのです。そして、求めることをほんのちょっとやめてみたら、生きることが楽になり、日々が楽しくなり、思いがけない可能性が開けるかもしれないよと笑顔で誘います。現代人の心に響き渡る45万部の大ベストセラー詩集。
「求めない――すると 何かがかわる」
息苦しい社会で生きる私たちは、いまこそ「求めない」を読むことで、心の平安を取り戻すことができるはずです。
3.11から10年 絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
『もやい展』の出演者、歌手 白崎映美氏
「人が人の悲しみをつくるのは一番悲しい。自然災害ならばいつか立ち上がっていくしかないと思うけど、人が人の悲しみをつくってはいけない。重く辛い現実で、誰もが一人で背負うことはできないけど、もやもやとしながらでも、考え続けなければと、どんよりしながらも思ったことでした。」
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3.11から10年 絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
その問いを考え、『もやい展』(4/1-4/8江戸川区・タワーホール船堀)に参加される芸術家を、まずは、追って行きたい。
東日本大震災に対し、今できることの一つとして。
参加者のひとり、彫刻家 安藤榮作氏の記事。
「津波や原発事故が物質を破壊しても、人の真心だけは消えない」
************毎日新聞**************************
https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/073000c
翻弄された者の視点で福島語り継ぐ 奈良へ移住した彫刻家の決意
毎日新聞 2021/3/11 11:45(最終更新 3/11 15:26) 1564文字
東日本大震災で福島県いわき市の自宅が流失し、東京電力福島第1原発事故で家族と共に奈良県に移住した彫刻家、安藤栄作さん(59)が4月1~8日、震災と原発事故後の生き方を問う作家らが東京で開く展覧会に参加する。自分は福島から逃げたのではないか。体験を言葉や作品で語りながらも、迷う年月を過ごした。11日で震災から10年。記憶が薄れる人も多い中で、「忘れて無きものにされないよう、語り部として存在していかなければならない」と覚悟を決めた。【久木田照子】
東京の下町出身。東京芸術大を卒業後、「自然が豊かな土地で制作したい」と、1990年に妻で彫刻家の長谷川浩子さん(59)と1歳の長男といわき市の山間部に移り住んだ。長女も生まれ、子供が通学しやすい同市沿岸・久之浜に転居した。
作品が評価されなければならない、と感じていた。収入がなければ作家活動を続けられず、子供の学費も捻出できない。過去の延長線でない作品を生みたい、変わりたい。過去の作品を浜で焼いてしまおう、とも考えた。
そんな時、震災が起きた。東京の大学に通う長男を除く親子3人で市内の商業施設で被災し、車で夜を明かした。カーナビのテレビや知人らが久之浜の状況を伝える。後の情報によると、地区では40人以上が亡くなった。
翌日、自宅から約30キロの原発の事故を受け、浩子さんの実家がある新潟に車で避難した。4月初旬に初めて戻った時、夫妻が子供のために彫った人形と車のおもちゃが、がれきの中で無傷で残っていた。地区の小さな社も近くにたたずんでいた。「津波や原発事故が物質を破壊しても、人の真心だけは消えない」と思えた。
被災直後、50歳になった。人生の節目に最悪な状況に陥ったが、「『真に強いもの』に出合えた。これからはそれを大切に生きよう」と決めた。制作環境と長女の転校が両立する移住先を探すのは苦労したが、5月末に3人の希望が一致した奈良県明日香村へ。2012年からは天理市に住む。
斧(おの)で木を彫っていく制作活動。奈良に移住後は、作品の評価を意識せずに自由に取り組めるようになり、平櫛田中賞などの賞を続けて受けた。
今年4月に東京で開かれるのは、原発事故や震災に向き合う絵画や写真、音楽などの作家が集まる「もやい展」。福島の撮影を続ける写真家、中筋純さん(54)が「被災地に対する無関心が広がり、人々が分断されていく」との危機感から呼びかけ、17年に東京、19年に金沢で開かれた。安藤さんは三重県名張市の個展会場で中筋さんに誘われ、金沢から参加した。
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安藤榮作氏SNS https://www.facebook.com/profile.php?id=100003315392866
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<『もやい展』出展者 関連記事>
1,写真家 中筋純氏: 2021年、3.11から10年
『もやい展』出展者、
画家 金原寿浩氏
「いつもは途中経過をアップしますがこの作品は『もやい』本番まで秘密にしま~す。乞うご期待!」とのこと。
「形」に惑わされる世の中だけど、
「形」とともに、「実質」も見抜いていくことの大切さ。
*****朝日新聞2012.2.23******
「何でも吸い込む星でう〇こをしたら、一体どうなってしまうの?」
京大の先生が、まじめに答えて下さっています。
う〇こは、子ども達がとっても喜ぶ話題です。
嶺重慎先生、ありがとうございます。
*****コロコロ転載******
https://corocoro.jp/149915/
――子どもの好奇心の数割を占めると言っても過言ではない、ミステリアスな存在・ブラックホール!!
我々、コロコロおバカネタ捜索隊は、ブラックホールとうんこに関する謎を解明すべく、日本天文教育普及研究会の一員であり、日本最高峰の大学の一つ・京都大学の嶺重慎さんに話を聞いた!!
<プロフィール> 嶺重慎(みねしげ・しん) 天文学者。京都大学理
お題をいただきました。
行きたいです。
地球という星を、写真ではなく、この目で見てみたいです。
無重力という状態を、映画や映像でみるのではなく、自身で体験してみたいです。
水のような液体が、どのような状態でこぼれるのか、自身で遊んでみたいです。
自分の子どもに、宇宙から通信をして、話してみたいです。
ただし、現状では、宇宙にいくための訓練がたいへんだと思います。
その訓練に耐えることができるのか、究極の自己鍛錬に耐えることができるのか、挑戦してみたいです。
この挑戦に打ち勝てるなら、人生の最後の大きな思い出にできそうです。
リスクも大きいと思います。
そのリスクが現実に起こった時に、どれだけ生き続けるために頑張れるか、それも挑戦だと思います。
行く前には、遺書もきちんと書きます。
遺書を書いているうちに、行きたい気持ちが、失せるかもしれませんが、それでも、行きたいなら、行きます。
のぞみがなくなったとしても、ひかりは必ずある。だから、希望は、捨てないことではないだろうか。
もし、がまんしているのだったら。
ご参考にしてください。
*********朝日新聞*****************
■がまんしている君へ
Q.校歌が紙で配られたのに、歌っちゃだめと言われました。なぜ?(小1)
A.みんなで歌うのは楽しいよね。ただコロナにかかった人がいたら、口からウイルスが出てまわりの子たちがうつっちゃうと考える大人たちもいるんだ。
ぼくは、まわりでコロナにかかった人がいないなら、歌ってもだいじょうぶと考えているよ。心配な時は、まどを開けて外に向かって歌ってみよう。グラウンドでみんなで歌うのもいいね。ハミングって知っている? 口を開けないで歌うんだ。教室の中だって歌えるよ。
Q.休み時間はみんな集まって遊んで「濃厚接触(のうこうせっしょく)」です。「感染対策(かんせんたいさく)」はずっとやらないと意味がないんじゃないですか?(小6)
A.本当はたいていの人は、ずっと気をつけているのが苦手です。「たいさく」というものは、だれもができることでないと長つづきしない。いくら理想のたいさくでも、長続きしないと結局はだめなんです。だから小さなことは許してあげて。ほかの人にきびしくしすぎて、みんながぎすぎすしてしまうこともあります。そんな風にならないで、みんなでやれることを考えていけたらいいね。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は来夏に延期された東京五輪の開会式まであと1年を迎えた23日、会場でもある国立競技場で「一年後へ。一歩進む。~+1(プラスワン)メッセージ~TOKYO2020」と題したセレモニーを実施。
スポーツ報知:https://hochi.news/articles/20200723-OHT1T50336.html
競泳女子池江璃花子選手からのメッセージ:
池江璃花子です。
今日は、一人のアスリートとして、そして一人の人間として少しお話させてください。
本当なら、明日の今頃この国立競技場ではTOKYO2020の開会式が華やかに行われているはずでした。
私も、この大会に出るのが夢でした。
オリンピックやパラリンピックはアスリートにとって、特別なものです。
その大きな目標が目の前から、突然消えてしまったことは、アスリート達にとって、言葉にできないほどの喪失感だったと思います。
私も、白血病という大きな病気をしたから、よく分かります。
思っていた未来が、一夜にして、別世界のように変わる。それは、とてもキツい経験でした。
そんな中でも、救いになったのはお医者さん、看護師さんなど、たくさんの医療従事者の方に、支えていただいたことです。
身近で見ていて、いかに大変なお仕事をされているのか、実感しました。
しかも今は、コロナという新たな敵とも戦っている。
本当に感謝しかありません。ありがとうございます。
2020年という、特別な年を経験したことでスポーツが、決してアスリートだけでできるものではない、ということを学びました。
さまざまな人の支えの上に、スポーツは存在する。本当に、そう思います。
今から、1年後。
オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなに素敵だろうと思います。
今は、一喜一憂することも多い毎日ですが一日でも早く、平和な日常が戻ってきて欲しいと、心から願っています。
スポーツは、人に勇気や、絆をくれるものだと思います。
私も闘病中、仲間のアスリートの頑張りにたくさんの力をもらいました。今だって、そうです。
練習でみんなに追いつけない。悔しい。そういう思いも含めて、前に進む力になっています。
TOKYO2020
今日、ここから始まる1年を単なる1年の延期ではなく、「プラス1」と考える。
それはとても、未来志向で前向きな考え方だと思いました。
もちろん、世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよく分かります。
ただ、一方で思うのは、逆境から這い上がっていく時には、どうしても、希望の力が必要だということです。
希望が、遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても、前を向いて頑張れる。
私の場合、もう一度プールに戻りたい。その一心でつらい治療を乗り越えることができました。
世界中のアスリートと、そのアスリートから勇気をもらっているすべての人のために。
一年後の今日、この場所で希望の炎が、輝いていて欲しいと思います。
競泳選手 池江璃花子
本日はありがとうございました。
医学を目指す子ども達も多いと思います。先輩からのメッセージです。
医学生へ「医学を選んだ君に問う」前金沢大学医学部附属病院長 河崎一夫先生
****朝日新聞2001.4.16*******
http://www.f-take.com/kindai-kawasaki.htm
医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか?物理学に魅せられたかもしれない。しかし医学が大好きだったことはあり得ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。
高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。
君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねばならない。結論を急ぐ。授業が面白くないと言って、授業をサボることは許されない。医学が君にとって面白いか否か全く分からないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任である。
次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?万一「将来、経済的に社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想起できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。それが出来ないなら早々に転学すべきである。
さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか?医師の仕事はテレビドラマのような格好のいいものではない。重症患者のために連夜の泊まりこみ、急患のため休日の予定の突然お取り消しなど日常茶飯事だ。死にいたる病に泣く患者の心に君は添えるか?
君に強く求める。医師の知識不足は許されない。知識不足のまま医師になると、罪のない患者を死なす。知らない病名の診断は不可能だ。知らない治療を出来るはずがない。そして自責の念がないままに「あらゆる手を尽くしましたが、残念でした」と言って恥じない。
こんな医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。
医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、医師という職業の重い責任の認識の欠落による。君自身や君の最愛の人が重病に陥った時に、勉強不足の医師にその命を任せられるか?医師には知らざるは許されない。医師になることは、身震いするほど怖いことだ。
最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その1は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その2は世のため人のために役立つ医学的発見の歓びである。
今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神業の恩恵を受けうる患者は何人に達するか?1人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。1日10時間、1年300日、一生50年間働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。多いと思うかもしれない。だが日本の人口の1%未満、世界の人口の中では無視し得るほど少ない。
インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが見たこともない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い,今後も救い続ける。
その1の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その2の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培って欲しい。心の真の平安をもたらすのは、富でも名声でも地位でもなく、人のため世のために役立つ何事かを成し遂げたと思える時なのだ。
「おかえり、栞(しおり)の場所で待ってるよ」読書週間10/27~11/9
「You are what you eat(read)」「あなたという人間は、あなたが食べて(読んで)きたもの」と言われています。
いまや大学生の約半数は1日の読書時間がゼロ(全国大学生協連合会調査)の時代だからこそ、意識したい。
赤ちゃんからの『ブックスタート事業』、当院も鋭意実施していきます!
参照:https://digital.asahi.com/articles/DA3S14233413.html