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平成最後の憲法記念日(H30.5.3)に、各紙の社説を見ておきます。

2018-05-03 10:08:18 | 日本国憲法

 平成最後の憲法記念日に、各紙の社説を見ておきます。

 日経新聞は、自民党の改憲案の内在する矛盾を述べています。
 日経:安倍首相の新提案は全くの別ものだ。2項は残しつつ、自衛隊の存在を書き足す。歴代内閣が継承してきた「自衛隊は戦力でなく、専守防衛のための必要最小限の実力組織なので合憲」との憲法解釈も維持するという。さらに言えば、自衛隊明記案が国民投票で仮に否決されても、自衛隊が合憲であるとの立場に変わりはないそうだ。可決でも否決でも合憲ならば、わざわざ国民投票を実施する必要があるのだろうか。

 産経新聞は、(そのような矛盾があっても、)改正する意義を述べています。
 産経:9条の下でとられている「専守防衛」は本土決戦にも等しいおかしな方針だ。今の憲法は自衛隊による拉致被害者の救出を阻んでいる。そうした問題に気づく人が増えれば政策転換にもつながる。もう一つの大きな意義は、国民投票の力である。中国や北朝鮮などの動向をみれば、自衛隊が国民を守る戦いに従事する可能性を否定できない時代になった。国民投票で憲法に自衛隊を明記することは、命をかけて日本を守っている自衛隊員を国民が支える意思表示となる。隊員の士気と日本の抑止力を高めるものだ。


 読売新聞は、自民党改憲案を載せています。特定政党に与するのではなく、もう少し自社の主張を述べていただきたいといつも思います。これでは、広報紙の域を出ないと私は感じます。

 朝日新聞、毎日新聞は、改憲の議論の土台ができていないとしています。
 朝日:それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない。
 毎日:本当に国民の利益になる憲法の議論は、健全な国会があってこそ成り立つものだろう。敵と味方を峻別(しゅんべつ)するあまり、客観的な事実の認定さえ受け付けない現状は不健全である。まずは国会が首相権力への統制力を強めるよう求める。

 東京新聞は、九条に自衛隊を明記することを、日本国憲法というウグイスの巣に、ホトトギスの卵が産みつけられることに、わかりやすくたとえられています。

******朝日新聞20180503*******
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13478086.html 


(社説)安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか

2018年5月3日05時00分


 憲法施行から70年の節目にあったこの1年で、はっきりしたことがある。それは、安倍政権が憲法改正を進める土台は崩れた、ということだ。

 そもそも憲法とは、国民の側から国家権力を縛る最高法規である。行政府の長の首相が改憲の旗を振ること自体、立憲主義にそぐわない。

 それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない


 ■統治原理ないがしろ

 この3月、森友学園との国有地取引をめぐる公文書の改ざんを財務省が認めた。

 文書は与野党が国会に提出を求めた。改ざんは、憲法の基本原理である三権分立、その下での立法府の行政府に対するチェック機能を損なうものだ。民主主義の根幹にかかわる重大事なのに、政権はいまだに改ざんの詳しい経緯を説明していない。

 いま政権を揺るがす森友学園と加計学園の問題に共通するのは、首相につながる人物に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑である。

 長期政権の下、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法の定めが、大きく揺らいでみえる

 昨年の通常国会の閉会後、野党は一連の問題を追及するため、憲法の規定に基づいて臨時国会の召集を要求した。首相はこれを放置し、野党の選挙準備が整っていないことを見透かして、衆院解散に打ってでた。憲法を無視したうえでの、「疑惑隠し」選挙だった。


 ■普遍的価値も軽視

 この1年、社会の多様性や個人の尊厳を軽んじる政権幹部の言動も多く目にした。

 象徴的だったのが、昨年7月の都議選の応援演説で、首相が自らを批判する聴衆に向けた「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉だ。

 都議選の惨敗後、いったんは「批判にも耳を傾けながら、建設的な議論を行いたい」と釈明したのに、今年4月に再び、国会でこう語った。

 「あの時の映像がいまYouTubeで見られる。明らかに選挙活動の妨害行為だ」

 財務事務次官によるセクハラ疑惑に対し、被害女性をおとしめるような麻生財務相、下村元文部科学相の発言もあった。

 憲法が定める普遍的な価値に敬意を払わないのは、安倍政権発足以来の体質といえる。

 この5年余、首相は経済を前面に立てて選挙を戦い、勝利すると、後出しじゃんけんのように「安倍カラー」の政策を押し通す手法を繰り返してきた。

 国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使に道を開く安全保障関連法、捜査当局による乱用が懸念される共謀罪の導入……。合意形成のための丁寧な議論ではなく、与党の「数の力」で異論を押しのけてきた。

 1強ゆえに、内部からの批判が声を潜め、独善的な政権運営にブレーキがかからなかったことが、現在の問題噴出につながっているのではないか。

 ちょうど1年前のきょう、首相は9条に自衛隊を明記する構想を打ち上げ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と宣言した。与野党の対立で国会内の機運はすっかりしぼんだが、首相はなお任期中の改憲に意欲をみせる。

 自民党は首相の意向を受けて、自衛隊明記に加え、教育、緊急事態対応、合区解消の計4項目の改憲案をまとめた。憲法を変えずとも、法律で対応できることが大半で、急いで取り組む必要性はない


 ■優先順位を見誤るな

 「21世紀の日本の理想の姿を、私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切りひらいていく」。首相は1日、新憲法制定を目指す議員連盟主催の会合にそんなメッセージを寄せた。

 透けて見えるのは、現憲法は占領期に米国に押し付けられたとの歴史観だ。人権、自由、平等といった人類の普遍的価値や民主主義を深化させるのではなく、「とにかく変えたい」という個人的な願望に他ならない。

 本紙が憲法記念日を前に実施した世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」は58%で、「賛成」の30%のほぼ倍となった。政策の優先度で改憲を挙げたのは11%で、九つの選択肢のうち最低だった。「この1年間で改憲の議論は活発化した」という首相の言葉とは裏腹に、民意は冷めたままだ。

 いま首相が全力を尽くすべきは、一連の不祥事の全容を解明し、憲法に基づくこの国の統治の仕組みを立て直すことだ。それなくして、今後の政権運営は立ち行かない。

 首相の都合で進める改憲は、もう終わりにする時だ。

*******毎日新聞******
https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/005/070/063000c 

社説
引き継ぐべき憲法秩序 首相権力の統制が先決だ

 平成最後の憲法記念日である。


 施行から71年。日本国憲法は十分に機能しているか。現実と乖離(かいり)してはいないか。安定した憲法秩序が時代をまたいで次へと引き継がれるよう、点検を怠るわけにはいかない。

 1年前、安倍晋三首相は憲法9条への自衛隊明記論を打ち上げた。自民党をせき立て、野党を挑発し、衆院総選挙まではさんで、改憲4項目の条文案作成にこぎつけた。

 しかし、衆参両院の憲法審査会は今、落ち着いて議論できる状況にはない。最大の旗振り役だった首相への信用が低下しているためだ。

 モリ・カケ、日報、セクハラ。問われている事柄を真正面から受け止めず、過剰に反論したり、メディア批判に転嫁したりするから、いつまでもうみは噴き出し続ける。

90年代政治改革の産物

 この間くっきりと見えたのは立法府と行政府のバランスの悪さだ。

 改ざんした公文書の提出は、国会への冒〓(ぼうとく)としか言いようがない。なのに、国会はいまだに原因の究明も、事態の収拾もできずにいる。

 国会が首相を指名するという憲法67条は議院内閣制の規定だ。同時に66条3項は内閣の行政権行使にあたり「国会に対し連帯して責任を負う」よう求めている。憲法が国会に内閣の統制を期待している表れだ。

 連合国軍総司令部(GHQ)による憲法草案の作成過程で、当時27歳のエスマン中尉は「行政権は合議体としての内閣にではなく、内閣の長としての内閣総理大臣に属する旨を明確にすべきだ」と主張した。

 これに対し、総責任者のケーディス大佐は「強い立法府とそれに依存した行政府がいい」と考えて退けたという(鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」)。

 しかし、強い立法府は生まれなかった。とりわけ安倍政権では、首相の過剰な権力行使が目立つ。

 昨年8月、首相は内閣改造に踏み切りながら、野党による国会召集の要求を無視し続けた。総選挙後にようやく特別国会を開くと、野党の質問時間を強引に削減した。

 本来中立性が求められる公的なポストに、意を通じた人物を送り込むのもいとわない。内閣法制局長官の人事や各種有識者会議がそれだ

 小選挙区制の導入、政党助成制度の創設、首相官邸機能の強化といった1990年代から進められてきた政治改革が、首相権力の増大に寄与しているのは明らかだ。

 中選挙区時代の自民党はライバルの派閥が首相の独走を抑えてきた。しかし、今や首相は選挙の公認権と政党交付金の配分権を実質的に独占する。政府にあっては内閣官房スタッフの量的拡大と内閣人事局のにらみを前に各省は自律性を弱めた。

 すなわち国会と内閣の同時掌握が「安倍1強」の根底にある。ここに権限のフル活用をためらわない首相の個性が加わって、日本の憲法秩序は安倍政権を通じて大きく変容してきたと言わざるを得ない。

議論は健全な国会から

 国会には立法機能と政府の創出機能がある。同時に国会は行政を監視し、広範な合意に導く役割を併せ持つ。国会が権力闘争の場であることは否定しないが、現状は政権党が政府の下請けに偏り過ぎている

 今国会で増えた質問時間を持て余した自民党議員が、意味なく首相をほめそやしたのはその典型だ。

 大島理森衆院議長はよく「民主主義は議論による統治だ」と語る。議院内閣制の下でこの原則を生かすには、立法府と行政府との相互抑制や強力な野党の存在、首相の自制的な態度などが要件になる

 公職選挙法や国会法など統治システムの運用にかかわる法律は「憲法付属法」と呼ばれる。一連の政治改革が当初の予測を超えて憲法秩序をゆがめているとしたら、付属法の是正がなされるべきだろう。

 少なくとも国政調査権の発動を、与党の数の論理で封じる慣行は見直していく必要がある。公文書管理法や情報公開法の厳格な運用も、憲法秩序の安定に貢献するはずだ。

 冷戦前、国連の集団安全保障が機能する前提で生まれた憲法9条と、現在の国際環境を整合させるために議論をするのはおかしくない。

 しかし、本当に国民の利益になる憲法の議論は、健全な国会があってこそ成り立つものだろう。敵と味方を峻別(しゅんべつ)するあまり、客観的な事実の認定さえ受け付けない現状は不健全である。まずは国会が首相権力への統制力を強めるよう求める。


********東京新聞******
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018050302000156.html 

【社説】


憲法記念日 平和主義の「卵」を守れ


2018年5月3日


 自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。


 ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。


 一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。

◆「何ら変更はない」とは


 <ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>


 執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。


 <一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>


 この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。


 九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。


 だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。

◆消えた「必要最小限度」


 もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。


 動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。


 安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。


 憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない


 このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。


 歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。


 それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。


 それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。


 また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。


 しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。


 歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。

◆戦争する軍隊になるか


 他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる-。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。


**********日経新聞*******
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO30113250S8A500C1EA1000/ 

改憲の実現にはまず環境整備を

社説 2018/5/3付

 きょうは憲法記念日である。改憲、護憲両勢力はそれぞれ集会を開き、気勢をあげる予定だ。そのことに意味がないとは言わない。だが、非難の応酬合戦がよりよい日本につながるとも思えない。同じ目線で話し合う土俵をつくれないものだろうか。

 憲法論議はこの1年、かつてなく盛り上がった。安倍晋三首相が昨年の憲法記念日に「2020年を新憲法で迎える」と提唱したのがきっかけだ。「一石を投じるため」と本人が言った通り、波紋は大きく広がった。


世論の支持率は低下



 それで議論は深まったのか。むしろ逆だ。論点は拡散し、迷路に入り込んだ感すらある

 自民党は野党時代の2012年に改憲草案をまとめ、党議決定した。戦力不保持を定めた9条2項を削除し、国防軍を持つと明記した。諸外国と同じく軍隊を持つ国になるということだ。是非はさておき、わかりやすかった

 安倍首相の新提案は全くの別ものだ。2項は残しつつ、自衛隊の存在を書き足す。歴代内閣が継承してきた「自衛隊は戦力でなく、専守防衛のための必要最小限の実力組織なので合憲」との憲法解釈も維持するという。

 さらに言えば、自衛隊明記案が国民投票で仮に否決されても、自衛隊が合憲であるとの立場に変わりはないそうだ。

 可決でも否決でも合憲ならば、わざわざ国民投票を実施する必要があるのだろうか

 自民党憲法改正推進本部の細田博之本部長は「現状では2項を残すのが、国民の理解を得られるぎりぎりの線だ」と説明する。党内には2項削除を将来の課題とする2段階論もある。

 本音は2項削除がしたいのならば、粘り強くそう訴えればよい。憲法改正を急ぐいまの安倍政権を見ていると、憲法に不具合があるというよりは、安倍首相の政治的遺産づくりに軸足があるのかと勘繰りたくなる。

 しかも、2項削除を譲歩したにもかかわらず、新提案は国民に歓迎されたとは言いがたい。日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査によれば、憲法改正について「現状のままでよい」は1年前の46%から48%へ増え、「改正すべきだ」は45%から41%へ減った。

 改憲反対には森友・加計学園問題などへの批判も含まれているとはいえ、現状で国民投票を実施すれば賛否拮抗は必至だ。欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票のときのような、国論二分の混乱に陥るだろう

 改憲勢力は思うに任せぬ展開にいらだちを募らせているようだ。おととい憲政記念館であった改憲派の国会議員の集まり「新しい憲法を制定する推進大会」はこんな決議を採択した。

 「新憲法制定の機運は安倍内閣の登場によって大きく進められたが、いまや正念場である」

 改憲に必ずしも積極的でない公明党の斉藤鉄夫幹事長代行が登壇し、「幅広い合意なしに国民投票を行うと、取り返しのつかない失敗をしかねない」と発言すると、「(検討が)遅いんだよ」との罵声が飛んだ。

 与党内の足並みさえそろわないようでは、国民投票どころか、国会での改憲の発議でさえ高いハードルである。


課題が多い国民投票法



 他方、立憲民主党など護憲野党の姿勢も感心しない。「安倍政権のもとでの改憲論議に応じない」との声をよく聞くが、9月の自民党総裁選で新首相が誕生したらどうするのか。改憲に本当に反対ならば、手続き論ではなく、政策論で勝負すべきだ。

 国会における憲法論議は、2000年に設けられた憲法調査会、07年にできた憲法審査会を通じて少しずつ進んできた。与野党双方の憲法族と呼ばれる議員同士の相互信頼があったからだ。

 安倍政権はこうしたパイプを壊してしまった。本当に改憲を望むならば、新提案にこだわらず、与野党の声に幅広く耳を傾ける姿勢を示すべきだ。いま求められるのは地道な環境整備である。

 憲法審査会を再起動するよい方法がひとつある。国民投票の仕組みの再検討である。期日前投票がしにくい、未成年の運動制限がない、などさまざまな課題が指摘されている。手直しなしに国民投票が実施されれば、投票率が伸びないなど投票の正当性に疑問符が付くことだろう。

 実務的な修正作業を通じて、与野党間の信頼を徐々に醸成していく。改憲項目の本格的な検討はそれからでも遅くない。

*************読売新聞************
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180502-OYT1T50083.html 
憲法記念日 自衛隊違憲論の払拭を図れ


2018年05月03日 06時00分

 ◆合意形成へ審査会の活性化を◆



 憲法はきょう、施行から71周年を迎える。新しい時代にふさわしい憲法のあるべき姿について、国民一人ひとりが考える機会としたい。

 日本を取り巻く国際情勢は劇的に変化している。日本社会は急速な少子高齢化や技術革新に伴う諸課題にも直面する。

 終戦直後に制定されたままの憲法では、対応しきれない事態や新たな課題も生じている。

 憲法は国の統治の基本を定めたルールであり、不断に見直していくことは当然だ。

 ◆自民党案をたたき台に

 安倍首相(自民党総裁)は、昨年の憲法記念日に、自衛隊の根拠規定を設けるための9条改正を政治課題に掲げた。

 自民党は党内論議を加速させ、今年3月、9条改正や緊急事態条項の創設などの4項目について、改憲の考え方をまとめた。改正項目を絞り、具体的な条文案として提起したのは評価できる。

 だが、安倍内閣の失速で、改憲の機運は盛り上がりを欠く。

 野党は安倍内閣との対決姿勢を強め、衆参両院の憲法審査会の開催に応じていない。政局に絡め、議論を拒むのは疑問だ。

 少数意見に耳を傾けながら、改正原案を真摯しんしに論議し、結論を出すのが審査会の役割である。

 野党は審査会で、自民党の改憲案について見解を明らかにするのが筋だ。一致点を探り、問題点があれば改善する。そうした建設的な議論が求められる。

 国家として当然持つべき自衛権を憲法にどう位置付けるかは、長年の懸案である。

 平和を守り、日本周辺の秩序を安定させる自衛隊の役割は近年、重要度を増している。

 読売新聞の世論調査では、自衛隊が「合憲」だと考える人は76%に上り、「違憲」ととらえる人は19%にとどまった。

 多くの憲法学者は自衛隊は「違憲」との立場を取る。中学校の教科書の大半が、違憲論に触れている現状は改める必要がある。

 自衛隊に正統性を付与し、違憲論を払拭ふっしょくする意義は大きい。

 自民党は「9条の2」を新設し、必要な自衛の措置をとる「実力組織」として、自衛隊の保持を明記する案を打ち出した。

 自衛隊は9条2項で禁じられた「戦力」に当たるのか否か、という不毛な議論が続く懸念がある。他党との合意形成を優先した現実的な判断なのだろう。

 自民党の石破茂・元幹事長は、2項を削除し、自衛隊を軍隊として位置付ける案を唱えている。自民党はさらに議論を深め、意見を集約することが大切だ。

 ◆議員任期延長は妥当だ

 緊急事態への対応では、大規模災害時に、国会議員の任期を延長する特例を設ける案を示した。

 国民の生命や財産を保護するため、政府が緊急政令を制定できるとの規定も盛り込んでいる。民主主義を適切に機能させるために、必要な措置である。

 議員の任期延長について、公明党や立憲民主党からも検討する余地があるとの意見が出ている。自民党案を土台に、審査会で具体的な条文案を詰めたらどうか。

 改憲のテーマは、自民党案の4項目に限らない。衆院と参院の役割の見直しも重要だ。

 衆参ねじれ国会では、野党が多数を占める参院が重要法案や同意人事案の生殺与奪権を握った。国会の混乱と、国政の停滞を招いたことを忘れてはなるまい。

 法案の衆院再可決の要件を3分の2以上から過半数に引き下げるなど、「強すぎる参院」の是正に取り組まなければならない。

 自民党は、参院選の「合区」を解消するため、3年ごとの参院選で各都道府県から最低1人を選ぶ改憲案を示している。

 参院議員を地域の代表と位置付けるなら、参院の権限の縮小は、避けられない。

 ◆国民的議論を深めたい

 憲法改正には、衆参各院の3分の2以上の賛成による発議後、国民投票で過半数の賛成を得るという高いハードルが待ち受ける。

 野党も含めた幅広い合意形成を図ることが、世論の支持を広げるうえで重い意味を持つ。

 政党や国会議員は憲法についての主張を明確にするとともに、支持者らに分かりやすく説明する努力を尽くすべきだ。

 諸外国は憲法の規定を、国内外の実情に合わせて常に見直し、機能させるよう努めている。

 国民が憲法改正を実現する意義を理解し、現実にそぐわない部分を手直しするのが望ましい。着実に議論を重ねたい。


***********産経新聞**********
https://www.sankei.com/column/news/180503/clm1805030001-n1.html 

【主張】
憲法施行71年 「9条」では国民守れない 平和構築へ自衛隊明記せよ

 南北首脳会談の成果が演出されようと、北朝鮮危機がどう展開するかは予断を許さない。その中でもはっきりしていることがある。北朝鮮の核・弾道ミサイル戦力の脅威を取り除く上で、憲法9条は無力だという点だ。

 9条が国民を守っているのではない。北朝鮮危機がその証左であることに気づき、自らを守れる内容へと憲法を改めていかなければならない。第一歩となるのが、自衛隊の明記である。

 日米両国をはじめとする国際社会は、厳しい経済制裁と軍事的圧力をかけて、北朝鮮に核・ミサイル戦力の放棄を迫っている。

 ≪世界の現実直視したい≫

 その圧力に耐え切れず、金正恩朝鮮労働党委員長は微笑(ほほえ)み戦術に転じた。平和を乱す自国の行動を反省したからではない。トランプ米大統領との首脳会談が、真の平和をもたらすかは不透明だ。

 日米が「最大限の圧力」に努めてきた基礎には、集団的自衛権によって互いに守り合う強固な同盟関係がある。

 日本には「9条信奉者」とも呼ぶべき政党やその支持者たちが存在する。だが、彼らが北朝鮮危機を乗り越えるために建設的な提言や問題提起をした話は寡聞にして知らない。9条を掲げ、北朝鮮を説得する動きもみられない。だんまりを決め込んでいるのか。

 平和を守ろうと動いてきたのはむしろ、9条のもたらす制約や弊害に悩みながら、安全保障上の工夫をこらしてきた安倍晋三政権や自民党である。

 安保関連法の眼目は、憲法解釈の変更で可能になった集団的自衛権の限定行使容認である。これに基づき、北朝鮮の危機を目の当たりにしても、日米同盟が機能しているのは幸いである。

 自衛隊と米軍の共同訓練が増えている。「いざ鎌倉」の際に互いに守り合う関係になったことは、米軍による北朝鮮への圧力を増すことに寄与している。

 もし「集団的自衛権の限定行使は違憲だ」という「9条信奉者」の言い分に従えばどうなるか。日米同盟の対処力と抑止力は大幅に弱まり、北朝鮮は強面(こわもて)に戻るだろう。日本と世界の平和にとって、ゆゆしき事態である。

 9条が、日本の安全保障政策と論議の水準を高めることを妨げてきた弊害の大きさも考えたい。9条には、はき違えた平和主義の源になった面が小さくない。

 それは、軍事を正面から論ずることを忌避する風潮を助長してきた。日本の義務教育では、抑止力や同盟といった、安全保障の初歩的知識さえ教えていない。

 自衛隊に関し、最近の国会では日報問題ばかりが取り上げられた。北朝鮮危機のさなか、何を真っ先に論じるべきかは自明だ。安全保障を実際に担う政府側との認識の「格差」を解消しなければ、日本の未来は危うい。

 ≪安保論議の底上げ図れ≫

 「戦力の不保持」を定めた9条2項を削除し、軍の保持を認めることが9条改正のゴールである。だが、政治情勢を考えれば、一足飛びにはいかない。そこで、安倍首相が提案した自衛隊明記の方法を、自民党は改憲項目とした。

 これが実現すれば、憲法学者の間の自衛隊違憲論に終止符を打つことができるが、そのほかにも大きな意義がある。

 まず、日本全体の安全保障論議と意識の底上げが期待できる。国の大切な役割として防衛があることが明確になるからだ。

 平和のために国が防衛力を活用する場面はあり得る。必要なら仲間の国同士で守り合う。そういった世界の常識を、国民が共有することに資するだろう。もとより平和主義とは十分両立する。

 9条の下でとられている「専守防衛」は本土決戦にも等しいおかしな方針だ。今の憲法は自衛隊による拉致被害者の救出を阻んでいる。そうした問題に気づく人が増えれば政策転換にもつながる。

 もう一つの大きな意義は、国民投票の力である。中国や北朝鮮などの動向をみれば、自衛隊が国民を守る戦いに従事する可能性を否定できない時代になった。

 国民投票で憲法に自衛隊を明記することは、命をかけて日本を守っている自衛隊員を国民が支える意思表示となる。隊員の士気と日本の抑止力を高めるものだ。

 だからこそ、安倍首相と自民党は、憲法改正の実現に向けて歩みを止めてはならないのである。

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