世界中で最も愛される書のひとつ『星の王子さま』の著者サン=テグジュペリ(1900年出生、享年44歳)。処女作『南方郵便機』に次ぐ第二作が『夜間飛行』(31年刊)である。
彼は、日々、厳格な規律の中に身を置いて、死の危険と背中合わせになりながら、その体験を糧に、文学を編み出した。「飛行機が僕に筆を執らせたのでは決してない。…飛行機は決して目的ではなくて手段だ。自分を創り上げる手段だ。僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。」と彼は述べる。描かれているのは、堀口大學が「あとがき」に記すように「彼の飛行文学が、最行動的断面の描出に始終しつつも、その靉靆(あいたい)する高邁な精神美」である。
本書は、著者が郵便物輸送会社に支配人としてブエノス・アイレスに赴任した時(29年)に執筆が開始された。本書が捧げるディディロ・ドーラ氏こそが主人公リヴィエールであり、まさに現実に夜間飛行を立案した人物であった。時代は第一次世界大戦終戦(18年)後の間大戦期、国家の支配下で郵便飛行の競争がなされていた。当時、フランスの航空郵便航路の開拓・維持のため、100名以上の死者が出たという。本書執筆中の30年、著者自身もアンデス山脈に不時着したギヨメ(『人間の土地』が捧げられた僚友)の救出にあたっている。夜間の定期飛行事業は必ず失敗するはずだと論難攻撃される中で、「非凡な性格者」、航空輸送会社の支配人リヴィエールは、「せっかく、汽車や汽船に対して昼間勝ち優った速度を、夜間に失うということは、実に航空会社にとっては死活の重大問題だ」と抗弁し、世論は自分が導く、経験が法をつくるという気概を持ちながら事業を押し進めた。
果たして、夜間の急な嵐に遭遇したファビアンの操縦する一機がもどらぬものとなる。事業所に駆けつけたファビアンの妻とリヴィエールは面会する。結婚して一ケ月あまりの若妻は、遠慮がちに、自分の家に待っている花、支度してあるコーヒー、自分の若い肉体のことについて訴える。彼女自身も、自分の実在があまりに強力で、彼女の中にある愛情、あまりに激しく野蛮だとさえ思われる愛情や熱烈さが、遭難機からの連絡を待つ事務室の場においては、邪魔な、利己的な姿に感じ、「お邪魔でしょう…」と発する。「邪魔じゃありません。ただ、あなたもわたしも、待つよりほかには何もできないのが残念です。」とリヴィエールは答えるが、深いあわれみを口には出さなかった。心のうちには、「同情は、外面には現さない…」「部下をそれと知らさずに愛する」との思いを秘めていただろうが。「マダム…」リヴィエールは次を切り出そうとするが、彼女は謙虚に近い微笑を浮かべながら部屋を去った。個人的家庭的なささやかな幸せを望む若妻に、国家的社会的な偉大な事業を遂行する責任者リヴィエールは、おのれの真実を言語化できなかった。だが、彼もそのままたじろいだわけではない。「颶風(ぐふう)は毎晩ありはしない」「一旦道を開いた以上、続けないという法はない。」との揺るぎない信念のもと、不明機をまたずに、次の機を出発させるのであった。
「勝利だの…敗北だのと…これらの言葉には、意味がない。生命は、こうした表象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつ」あるものだと前置きし、リヴィエールが喫した敗北にさえ著者は「どちらかといえば、最も勝利に近い敗北」との評価を与えるのだった。「大切なのは、ただ一つ、進展しつつある事態だけ」であって、それに臨み続ける姿勢があれば何事も達成できるはずである。
『人間の土地』(39年刊)においても、七章『砂漠のまん中で』において、一歩一歩の歩みが不時着した砂漠からの絶体絶命の脱出が叶う物語がある。
リヴィエールが夜間飛行を事業継続させ、砂漠の遭難者に歩みをさせる精神の根底には「責任観念」があると言う。この責任観念が、人間に力を与えて、苛酷な悲運に対して戦いを挑む勇気を奮い起こさせる。責任観念が少しでも人間に力の残る限り、その戦いを続けさえる強靭な意志を与え、困難に打ち勝つ努力を続けさせる。
同書は、「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。」と締めくくる。その人間が生まれて一番最初に接する職業の一つが小児科医師である。最終章『人間』において、生まれでた誰もが「少年モーツァルト」であるが、しかし、運命の「金属打ち抜き機」にかけられると万事休すとの描写がある。乳幼児期の風邪の治療の中で、責任ある第三者としてそのご家庭ごと子ども達の健やかな発達を支え、しっかりと義務教育の現場へとつないで行きたいとの思いで日々診療している。小児科医師として子どもが打ち抜かれぬように守るという責任観念が喚起される。併せて「精神の風」をふかす大地は、「ぼくら人間について、万巻の書より多くを教える」から、そのような大地や自然との多くの出会いも子ども達に与えて行かねばならないと考える。
以上
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