みなべ町の千里海岸は、熊野街道のひとつである。つまり熊野詣での人々はこの浜を歩いたのである。宗忠卿をはじめ、後鳥羽院や定家卿もこの浜を歩いて熊野に向かった。
清少納言は「枕草子」に『千里の浜、ひろうおもひやらる』書いているらしい。彼女の時代はまだ熊野詣では盛んではなかったし、ここへも来たことはなかったはずだが、この浜のことは都まで伝わっていたようだ。ここはウミガメの上陸地としても有名である。
清少納言は「枕草子」に『千里の浜、ひろうおもひやらる』書いているらしい。彼女の時代はまだ熊野詣では盛んではなかったし、ここへも来たことはなかったはずだが、この浜のことは都まで伝わっていたようだ。ここはウミガメの上陸地としても有名である。