野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

降雪雲

2008年12月07日 | 色と光
初湯川遡上紀行は、また後ほどにして今朝の話題ひとつ。
今朝は、大陸からの寒気と晴天で西日本も冷え込んだようである。熊本では高さ100mの滝が凍ったらしい。当地も降雪雲(層積雲の一種に思えるが)が日本海側から越えてきた。高々数百mの高さなのだが、ゆらゆらとしてなかなか落ちてこない。結局私の行動範囲では雪がちらつかなかった。
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がれ場だったはず

2008年12月07日 | Weblog
上初湯川小学校から先ほどの滝山にもどる。門勘兵衛物語の立て看の背後の山で、その物語の舞台であろう。ここを初めて訪れたのは、もう30年近く前になるが、その時見た谷は大小の石で埋まるがれ場だったと記憶するが、今は木が茂りその下からわずかにそれらしきようすが見える。それにしても時の移ろいを感じずにはいられなかった。
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廃校

2008年12月07日 | Weblog
初湯川の中流域に垣内原(かいとはら)というやや開けたところがあり、ここにかつて上初湯川小学校があった。昭和50年代に廃校になって、今は「ふれあい家」として活用されているようだ。中は教室がそのまま残されている。教壇や黒板はそのままだし、窓は木枠である。賞状や児童の写真も掲示されている。タイムスリップをした気分である。
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深さは三十三尋

2008年12月07日 | 歴史
先週、紅葉を見ようと日高川の支流の一つ初湯川を遡ってみた。17,8年ぶりだろうか。ここには、伝承、伝説が多いらしく、所々に美山村教育委員会の名で立て看が立っている。滝山というところに「門勘兵衛物語」が書かれた立て看があるのだが、その下は大小あわせて四段ほどの滝になっている。その一つの滝壺が非常に深そうなのである。その立て看の冒頭に、この滝壺の事が書かれている。『昔の言い伝えによると、三十三尋の縄の先におもりをつけて沈めたところ、三寸程しか残らなかったという』尋は長さの単位で、一尋は5尺ないし6尺、つまり1.5mから1.8mだから、三十三尋は50mから60mということになる。ここの標高はカシミール3Dで測ると270mだから、滝壺の底の標高は210m~220mとなる。椿山ダムの横を通る道がそのくらいの標高だ。
実際のところ、どのくらいの深さがあるのだろうか。興味あるところである。
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