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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

【国旗を掲げる新年の風景】

2012年01月02日 16時04分02秒 | 風物
最近では祝日に国旗を掲げる家をほとんど見かけなくなりましたが、散歩の途中で玄関に国旗を掲げている家を見かけました。 国旗の美しさにハットし、しばし見とれていました。 思い起こせば、私の鹿児島の実家では我々が子供の頃には祝日には、父親に言われて玄関に必ず国旗を掲げていました。 

私を含め4人の子供たちは進学・就職などで実家・故郷を離れて長くなりました。父が他界した後では、母も高齢になり国旗を掲げることもいつしかなくなってしまったものと思います。 私はマンション住まいが長かったということもあり、国旗を掲げたことはありませんし、国旗を持ってすらいません。 我が家の2人の子供たちが小さいときに、祝日に国旗を掲げるということを教育しなかったことを反省しましたが、2人とも既に社会人になっており、時すでに遅しです。 
 

(門に国旗を掲げている民家)









(畑の中の小さな祠)








1月1日の産経新聞では「日本復活の合言葉『負けるな』」であり、もともとは、江戸時代に薩摩藩の武士の子弟教育として実施された「郷中教育」の「「負けるな うそを言うな 弱いものをいじめるな」という戒めであり、現在でも鹿児島市内の小学校で4kmの遠泳で精神が受け継がれ実践されていることを紹介しています。

他に鹿児島で今でも受け継がれていることは、「島津日新公の『いろは歌』」、「妙円寺詣り武者行列」、などがあります。
数十年前、私の弟が通った、南さつま市の伊作小学校では、日新公のいろは歌を暗記・斉唱する時間がありました(父の県内転勤のため。 私は隣接した中学校に通った。) 家でも弟がこのいろは歌を口ずさんでいたので、私も自然に覚えてしまいました。妙円寺詣りも島津義弘公の関が原合戦での敵中突破にちなんで、行われている行事です。

太平洋戦争後、集団教育を否定し、さらに“個の持つ天性、即ち、運動能力、芸術、音楽、学業”など個々の持つ天賦の才能を開花させることをないがしろにした誤った平等教育が行われてきました。運動会における徒競争での順位付けの否定など最たるものです。
日本が世界に伍して行くためには、集団の中で「弱いものに思いやりを持つような教育、天賦の才能を開花させるような教育」をすることが必要と思います。


(日新公のいろは歌)

http://www.shimazu-yoshihiro.com/shimazu/shimazu-irohauta.html


(妙円寺詣り)
http://www.rakuten.ne.jp/gold/yoroi/myouennji.html



『産経新聞:2002年1月1日 論説委員長・中静敬一郎 日本復活の合言葉「負けるな」』

「負けるな うそを言うな 弱いものをいじめるな」。江戸期、薩摩藩の武士の子弟を育てた郷中(ごじゅう)教育の訓戒だ。この郷中教育から西郷隆盛、大久保利通ら強い明治をつくった偉人が輩出した。 

鹿児島市立清水小学校ではこの訓戒が「清水魂」とされ、脈々と今に引き継がれている。毎年盛夏、4年生以上が桜島から対岸の鹿児島市までの錦江湾4・2キロの横断遠泳を試みる。 驚くのは、100人前後の希望者のほぼ全員が猛訓練に耐え、完泳することだ。学校、父母、地域が一体になって励ますからだという。とりわけ年長組が年少組を教え導くことが大きい。死力を尽くして目標を制覇できた児童は大きな自信を得て晴れやかになる。

「負けるな うそを言うな 弱いものをいじめるな」に込められた剛毅(ごうき)さ、克己、礼節は日本人の奥深くに厳然とあるはずだ。 だが、戦後日本はこれらを忘れてしまっていたのではないか。 京都大学名誉教授の田中美知太郎氏は昭和55(1980)年1月の本紙正論欄で日本外交の問題点としてこう喝破している。」


(2012年1月2日 花熟里)



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