上野の東京国立博物館で開催中の「台北 国立故宮博物院展」(6月24日~9月15日)に行って来ました。この故宮展は九州国立博物館(福岡県太宰府市)でも開催されます(10月7日~11月30日)。 TVや新聞等でたびたび取り上げられた「翠玉白菜」の展示は7月7日に終了していますので、目玉の宝物を目にすることはできませんが、半身まひ体の状態を考え、この特別展示期間を避けたことで、混雑も少なくゆっくりと見ることができました。
故宮の宝物については、NHKスペシャル「シリーズ故宮」(第1回:6月28日、第2回:6月29日)を見ましたので、苦難の流転を予備知識として持つことができました。それによると、故宮博物院が正式に設立されたのは1925年(辛亥革命から13年後)。清朝末期には文化財が外国に流出していたので、国民党政府は文化財の海外流出に危機感を持っていました。 日本軍の華北侵入に伴い、1934年に蒋介石は故宮の文化財を上海、さらに、南京に移し、さらに1937年には、貴州省安順の洞窟内に疎開させました。 故宮の文化財の疎開の実務を担当したのは、日本で考古学を学んだ経験のあった「荘尚巌」で、安順の洞窟内では、湿気対策として正倉院の構造を真似て高床式の倉庫に保管、最終的には、四川省の巴県、楽山安谷郷、峨眉、南渓に分散保管されまし。1948年になって、毛沢東の共産党との内戦(国共内戦)で国民党軍が劣勢になると、蒋介石は文化財の中の特に貴重なものを選りすぐり台湾へ移すことを決定、結果、約3割が台湾に運ばれ、残りは中国本土に残されました。蒋介石の命を受けた荘尚巌らの担当者の懸命の努力で、中国の歴代皇帝が正当性を誇示するために収集し、保持し続けてきた故宮の文化財(宝物)が台北と北京に残っているのです。(荘尚巌は1965年に台北に国立故宮博物院の建物が完成すると副院長に就任)。
(出品目録より)
01、中国皇帝コレクションの淵源―礼の始まり
02.徽宗コレクションー東洋のルネサンス
03、北宋士大夫の諸-形を超えた魅力
04、南宋宮廷文化のかがやきー永遠の古典
05、元代文人の書画―理想の文人
06、中国工芸の精華―天と人との競合
07、帝王と祭祀―古代の玉器と青銅器
08、清朝皇帝の素顔―知られざる日常
09、乾隆帝コレクション
10、清朝宮廷工房の名品―多文化の交流
翠玉白菜―天然の美と至高の技の結晶
「目録の09 乾隆帝コレクション」の中の「四庫全書」は、故宮最大の宝ともいわれており、清の乾隆帝が中国の漢籍36,000冊を集め、15年かけて4000人で筆写した中国史上最大の漢籍叢書で、日本人の山井鼎が補った漢籍や安南やポルトガルの書籍も含まれています。 日本で山井鼎の名前を知っている人は専門家以外ほとんどいないと思います。私も全く知りませんでした。中国で評価されたことをうれしく思う反面、日本での知名度のあまりに低さに複雑な思いがしました。
故宮展を見た後、同じ東京国立博物館内の「東洋館」を見ました。ここには、故宮展に通じる貴重な文化財も展示されています。 故宮展では、海外で初めて公開される、「翠玉白菜」(東京地区)、「肉形石」(九州地区)、及び「人と熊」が目玉の一つですが、東洋館には、これらと遜色のない逸品である「瑪瑙柘榴(めのうざくろ)」が展示されています。 さらに、「日本人が愛した官窯青磁」は、米内山庸夫が南宋官窯窯址で採集した陶片資料などが展示されています。幻の青磁と言われ故宮博物院にもない青磁も展示されています。実に貴重な東洋の文化財が我が国に保存されていますが、東京国立博物館の中ではやや地味な存在です。もっと、国民に周知する努力が必要ではないでしょうか。
<東京国立博物館HPより転載>
翠玉白菜(すいぎょくはくさい)
清時代・18~19世紀
[展示期間:2014年6月24日(火)~7月7日(月) 本館特別5室にて展示、東京のみ]
素材の美と至高の技が織りなす究極の「神品」。緑と白のみずみずしい光沢や、しなやかに曲がった葉。白菜のどこをみても、石の塊を彫って作ったとは思えないほど新鮮な生気に満ちています。翠玉(ひすい)のなかでも選りすぐりの玉材と、洗練された技巧が
融合してできた「神品」です。
。
<東洋館のHPより転載>
瑪瑙石榴(めのうざくろ) 中国 清時代・19世紀
本物そっくりな石榴(種子の部分にはルビーがはめ込まれています。
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「日本人が愛した官窯青磁」
本年、特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」にて、清の宮廷に伝わった貴重な北宋汝窯(ほくそうじょよう)、南宋官窯(なんそうかんよう)の青磁が公開される運びとなりました。そこで特集「日本人が愛した官窯青磁」では、当館のほか常盤山文庫(ときわやまぶんこ)、アルカンシエール美術財団など国内所蔵作品を通して、日本における官窯研究の歴史をたどります。幻の名窯、汝窯、北宋官窯、南宋官窯の青磁とはいったいどのような姿であったのか。20世紀初頭から、日本は中国の青磁を大量に受容し守り伝えてきた文化的土壌を基盤に、独自の研究を展開します。米内山庸夫(よないやまつねお、1888~1969)が南宋官窯窯址で採集した陶片資料も、日本の官窯研究を大きく進歩させました。
窯址発掘調査や化学分析による研究が席巻する現在において、かつて日本人がその鑑識眼をもって官窯としてきたものには、未発見の窯の存在をうかがわせる貴重な青磁も含まれております。
本展示により、今後の官窯青磁研究に一石を投じることができましたら幸いです。
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(東京国立博物館HP)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647#top
(2014年7月21日 花熟里)
故宮の宝物については、NHKスペシャル「シリーズ故宮」(第1回:6月28日、第2回:6月29日)を見ましたので、苦難の流転を予備知識として持つことができました。それによると、故宮博物院が正式に設立されたのは1925年(辛亥革命から13年後)。清朝末期には文化財が外国に流出していたので、国民党政府は文化財の海外流出に危機感を持っていました。 日本軍の華北侵入に伴い、1934年に蒋介石は故宮の文化財を上海、さらに、南京に移し、さらに1937年には、貴州省安順の洞窟内に疎開させました。 故宮の文化財の疎開の実務を担当したのは、日本で考古学を学んだ経験のあった「荘尚巌」で、安順の洞窟内では、湿気対策として正倉院の構造を真似て高床式の倉庫に保管、最終的には、四川省の巴県、楽山安谷郷、峨眉、南渓に分散保管されまし。1948年になって、毛沢東の共産党との内戦(国共内戦)で国民党軍が劣勢になると、蒋介石は文化財の中の特に貴重なものを選りすぐり台湾へ移すことを決定、結果、約3割が台湾に運ばれ、残りは中国本土に残されました。蒋介石の命を受けた荘尚巌らの担当者の懸命の努力で、中国の歴代皇帝が正当性を誇示するために収集し、保持し続けてきた故宮の文化財(宝物)が台北と北京に残っているのです。(荘尚巌は1965年に台北に国立故宮博物院の建物が完成すると副院長に就任)。
(出品目録より)
01、中国皇帝コレクションの淵源―礼の始まり
02.徽宗コレクションー東洋のルネサンス
03、北宋士大夫の諸-形を超えた魅力
04、南宋宮廷文化のかがやきー永遠の古典
05、元代文人の書画―理想の文人
06、中国工芸の精華―天と人との競合
07、帝王と祭祀―古代の玉器と青銅器
08、清朝皇帝の素顔―知られざる日常
09、乾隆帝コレクション
10、清朝宮廷工房の名品―多文化の交流
翠玉白菜―天然の美と至高の技の結晶
「目録の09 乾隆帝コレクション」の中の「四庫全書」は、故宮最大の宝ともいわれており、清の乾隆帝が中国の漢籍36,000冊を集め、15年かけて4000人で筆写した中国史上最大の漢籍叢書で、日本人の山井鼎が補った漢籍や安南やポルトガルの書籍も含まれています。 日本で山井鼎の名前を知っている人は専門家以外ほとんどいないと思います。私も全く知りませんでした。中国で評価されたことをうれしく思う反面、日本での知名度のあまりに低さに複雑な思いがしました。
故宮展を見た後、同じ東京国立博物館内の「東洋館」を見ました。ここには、故宮展に通じる貴重な文化財も展示されています。 故宮展では、海外で初めて公開される、「翠玉白菜」(東京地区)、「肉形石」(九州地区)、及び「人と熊」が目玉の一つですが、東洋館には、これらと遜色のない逸品である「瑪瑙柘榴(めのうざくろ)」が展示されています。 さらに、「日本人が愛した官窯青磁」は、米内山庸夫が南宋官窯窯址で採集した陶片資料などが展示されています。幻の青磁と言われ故宮博物院にもない青磁も展示されています。実に貴重な東洋の文化財が我が国に保存されていますが、東京国立博物館の中ではやや地味な存在です。もっと、国民に周知する努力が必要ではないでしょうか。
<東京国立博物館HPより転載>
翠玉白菜(すいぎょくはくさい)
清時代・18~19世紀
[展示期間:2014年6月24日(火)~7月7日(月) 本館特別5室にて展示、東京のみ]
素材の美と至高の技が織りなす究極の「神品」。緑と白のみずみずしい光沢や、しなやかに曲がった葉。白菜のどこをみても、石の塊を彫って作ったとは思えないほど新鮮な生気に満ちています。翠玉(ひすい)のなかでも選りすぐりの玉材と、洗練された技巧が
融合してできた「神品」です。
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<東洋館のHPより転載>
瑪瑙石榴(めのうざくろ) 中国 清時代・19世紀
本物そっくりな石榴(種子の部分にはルビーがはめ込まれています。
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「日本人が愛した官窯青磁」
本年、特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」にて、清の宮廷に伝わった貴重な北宋汝窯(ほくそうじょよう)、南宋官窯(なんそうかんよう)の青磁が公開される運びとなりました。そこで特集「日本人が愛した官窯青磁」では、当館のほか常盤山文庫(ときわやまぶんこ)、アルカンシエール美術財団など国内所蔵作品を通して、日本における官窯研究の歴史をたどります。幻の名窯、汝窯、北宋官窯、南宋官窯の青磁とはいったいどのような姿であったのか。20世紀初頭から、日本は中国の青磁を大量に受容し守り伝えてきた文化的土壌を基盤に、独自の研究を展開します。米内山庸夫(よないやまつねお、1888~1969)が南宋官窯窯址で採集した陶片資料も、日本の官窯研究を大きく進歩させました。
窯址発掘調査や化学分析による研究が席巻する現在において、かつて日本人がその鑑識眼をもって官窯としてきたものには、未発見の窯の存在をうかがわせる貴重な青磁も含まれております。
本展示により、今後の官窯青磁研究に一石を投じることができましたら幸いです。
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(東京国立博物館HP)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647#top
(2014年7月21日 花熟里)