花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「11月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」18

2018年11月24日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
11月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。今月は15曲を歌いました。「朝はどこから(森まさる作詞、橋本国彦作曲)」を歌うのはこの会としては2回目ぐらいとのことでした。明るく、元気の出る楽しい曲で大好きな曲の一つです。 「野菊(石森延男作詞、下総皖一作曲)」は晩秋の風景が目に浮かぶ名曲です。日課にしている近所の散歩の時にノギク(野菊)を目にしますが、よく似ているものが多く、なかなか名前を特定できません。
ノギクの仲間には、キク科シオン属のノコンギク(野紺菊)、イナカギク(山白菊)、シロヨメナ(白嫁菜)など。キク科ヨメナ属のヨメナ(嫁菜)やユウガギク(柚香菊)など。キク科キク属のリュウノウギク(竜脳菊)やノジギク(野路菊)などがあり、さらに素人目にはノギクとも映るユウゼンギク(友禅菊)は、帰化植物で野生化したものです。野菊の世界はなかなか奥が深いです。

さて、「真白き富士の根」という題名でも知られている「七里が浜の哀歌」を歌いました。大好きな曲で、小学生の時に映画を見て感動した記憶が鮮明に残っています。 明治43年(1910年)1月23日、みぞれまじりの氷雨が降りしきる悪天候の中、逗子開成中学校の生徒11名と小学生1名が乗ったボートが江の島に向かう途中で転覆し全員が遭難した事件は、昭和10年(1935年)と昭和29年(1954年)に映画化されていますが、私が見たのは、昭和29年版だったのでしょうか。

「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」は、作詞:三角錫子、作曲:ジェレマイア・インガルスとなっています。原曲は、アメリカの牧師で作曲家のジェレマイア・インガルスが讃美歌用に作曲 した"Love Divine" とされています。この曲が我が国にもたらされ、明治23年(1890年)に、大和田建樹が「夢の外(ほか)」という歌詞をつけたものが、『明治唱歌』に採用されています。 三角錫子は、厨子開成中学生徒への鎮魂歌としてこの曲に『七里ヶ浜の哀歌』を作詞したものです。

1、朝はどこから(森まさる作詞、橋本国彦作曲)
2、小さい秋見つけた (サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)  
3、野菊 (石森延男作詞、下総皖一作曲)
4、通りゃんせ (わらべうた)
5、里の秋 (齋藤信夫作詞、海沼実作曲)
6、ふじの山 (厳谷小波作詞、作曲者不祥)
7、紅葉 (高野辰之作詞、岡野貞一作曲)
8、旅愁 (犬童球作詞、オードウエイ作曲)
9、七里ヶ浜の哀歌 (三角錫子作詞、ジェレマイア・インガルス作曲)
10、冬の星座 (堀内敬三作詞、ヘイス作曲)
11、ローレライ (近藤朔風訳詩、ジルヘル作曲)
12、山小屋の灯 (米山正夫作詞・作曲)
13、遥かな友に (磯部俶作詞・作曲)
14、今日の日はさようなら (金子詔一作詞・作曲)
15、花のまわりで (江間章子作詞、大津三郎作曲(H30/11~年間の課題曲)



「七里ヶ浜の哀歌」
作詞:三角錫子、作曲:ジェレマイア・インガルス、
(一)
真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

(二)
ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

(三)
み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
月も星も、影を潜め
みたまよ何処に迷いておわすか
歸れ早く、母の胸に

(四)
みそらにかがやく、朝日のみ光
暗(やみ)に沈む、親の心
黄金(こがね)も宝も、何にし集めん
神よ早く、我も召せよ。

(五)
雲間に昇りし、昨日の月影
今は見えぬ、人の姿
悲しさあまりて、寝られぬ枕に
響く波の、音も高し

(六)
帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に
我も恋し、失(う)せし人よ
尽きせぬ恨みに、泣くねは共々
今日も明日も、かくてとわに



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