NHK朝ドラは、昔「おしん」を見た記憶がありますが、それ以外はあまりというよりほとんど見ていません。普通のサラリーマンであれば時間的に見ることが難しいこともあります。しかし、リタイアしてからも、朝ドラは見ませんでしたが、「マッサン」は興味をそそられ、毎日の放送を心待ちにしています。理由は、脚本の素晴らしさ、男性が自分の夢に向かってまっしぐらに生きていく骨太のサクセスストーリーであること、この男性を支える外国人妻のひたむきな生き方、そして、スコットランド民謡など慣れ親しんだ歌が随所にでてくること、などです。
まず、脚本についてですが、映画「フラガール」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞(共同脚本)を受賞した羽原 大介氏が脚本を書いています。私が毎週のタイトルが、格言を使い素晴らしいと言うと、妻は「男性が好きそうなタイトル」と言います。2月13日現在は「万事休す」です。 タイトルからストーリーを推測し、実際のドラマの進展を比べる楽しみなど、確かに男性好みの構成になっている思いますし、登場人物も、個性的な人物が相次いで登場、緊張・ハラハラの連続です。しかも、癖のある人物がいずれも熱烈なエリーのファンとなり、ひいては、夫であるマッサンへの支援にもなっていき、気持ちの良いシナリオになっているのです。
<各週のタイトル>
第1週:鬼の目にも涙
第2週:災い転じて福となす
第3週:住めば都
第4週:破れ鍋に綴じ蓋
第5週:内助の功
第6週:情けは人のためならず
第7週:触らぬ神に祟りなし
第8週:絵に描いた餅
第9週:虎穴に入らずんば虎子を得ず
第10週:灯台下暗し
第11週:子に過ぎたる宝なし
第12週:冬来たりなば春遠からじ
第13週:急いては事をし損じる
第14週:渡る世間に鬼はない
第15週:会うは別れの始め
第16週:人間到る処青山あり
第17週:負うた子に教えられ
第18週:遠くて近きは男女の仲
第19週:万事休す (2月9日の週)
つぎに、夢に向かってひたすら努力する男性の骨太の物語であることです。今やTVなどの視聴率は女性に左右されるので、男性が夢を追求するドラマなどすっかり影をひそめました。朝ドラも活発な女性ヒロインを描くものが圧倒的です。妻のエリーの大きな役割があるとはいえ、マッサンのような愚直な男性を中心に描くストーリーは久々で、世の男性の支持が多いのではないかと思っています。
さらに、妻であるスコットランド人のエリーが、大正~昭和中期という時代に、スコットランドからはるばる日本にきて、日本に溶け込もうと努力し、夫であるマッサンの夢をかなえるために献身的に助ける姿に感動している男性が多いと思います。今や、エリーのような内助の功を実践できる日本人女性はどれほどいるのでしょうか。ジェンダーフリーなどと薄っぺらな理屈を振りかざす我が日本の目覚める女性たちは、果たして、エリーのひたむきに生きる姿をどのように見ているのでしょうか。
最後に、ストーリーの随所に、我々が学校で習ったことのあるスコットランド民謡が歌われます。即ち、「Auld Lang Syne (蛍の光)」、「Comin' Thro' the Rye (故郷の空)」、「Annie Laurie (アニーローリー)」です。また、「The Water Is Wide」もエリーが英語でしばしば歌います。この曲をシャンソン歌手のクミコさんが「広い河の岸辺」として日本語(八木倫明氏訳)で歌い、一躍広く知られるようになりました。
最近の小学校・中学校ではスコットランド民謡など、明治以来唱歌として日本人に親しまれてきた外国の歌は音楽の教科書から削除されています。理由は、明治期に唱歌として外国の曲が採用されたのは、当時日本にはこのような曲がなかったからで、今では日本人の作曲した素晴らしい曲がたくさんあり、こちらを採用したためだそうです。このために、子供たちは、スコットランド民謡、アイルランド民謡、イングランド民謡、アメリカ民謡、ドイツ民謡などを知る機会がほとんどなくなりました。
子供たちに国際感覚をつけさせるためという理由で、小学校から英語教育が義務化されているようです。孫の通う幼稚園でも英語で遊ぶ時間を設けているようです。国際化は言葉からということなのでしょうか。
竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の映画の中に、イギリスの大軍に囲まれた日本の小部隊がスコットランド民謡の「埴生の宿( Home, Sweet Home)」を日本語で歌うと、イギリス兵が英語で一緒に歌う場面があります。 歌は国境を超え、理屈ぬきで分かり合えるツールなのです。 私はインドネシアに駐在した経験がありますが、コミュニケーションをスムーズに行う最も有効なツールは歌だと確信しています。 我々日本人がインドネシアの歌を覚え、インドネシア人と一緒に歌うことで、スムーズに打ち解けられました。 日本人会(ジャパンクラブ)には、“インドネシアの歌を歌う会”がありました。田中角栄総理(当時)のインドネシア訪問時の反日暴動事件(マラリ事件)の反省からです。現在では、インドネシアの本部と日本の各地の支部で活躍しており、日本・インドネシアの貴重な草の根文化交流の場になっています。
安倍総理は大胆な改革を進める決意を示していますが、明治以来日本人が歌い継いできた外国の曲(歌)を、義務教育の中で歌うばかりでなく、歌の由来などをしっかりと教えるようにして頂きたいと思います。 国際化は言葉よりも歌からです。
「広い河の岸辺」(「The Water is Wide」)
スコットランド民謡(訳:八木倫明)
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟が あるならば
漕ぎ出そう ふたりで
愛の始まりは 美しく
優しく 花のよう
時の流れに 色褪せて
朝露と 消えていく
ふたりの舟は 沈みかける
愛の重さに 耐えきれず
沈み方も 泳ぎ方も
知らない このわたし
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟が あるならば
漕ぎ出そう ふたりで
(2015年2月13日 花熟里)
まず、脚本についてですが、映画「フラガール」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞(共同脚本)を受賞した羽原 大介氏が脚本を書いています。私が毎週のタイトルが、格言を使い素晴らしいと言うと、妻は「男性が好きそうなタイトル」と言います。2月13日現在は「万事休す」です。 タイトルからストーリーを推測し、実際のドラマの進展を比べる楽しみなど、確かに男性好みの構成になっている思いますし、登場人物も、個性的な人物が相次いで登場、緊張・ハラハラの連続です。しかも、癖のある人物がいずれも熱烈なエリーのファンとなり、ひいては、夫であるマッサンへの支援にもなっていき、気持ちの良いシナリオになっているのです。
<各週のタイトル>
第1週:鬼の目にも涙
第2週:災い転じて福となす
第3週:住めば都
第4週:破れ鍋に綴じ蓋
第5週:内助の功
第6週:情けは人のためならず
第7週:触らぬ神に祟りなし
第8週:絵に描いた餅
第9週:虎穴に入らずんば虎子を得ず
第10週:灯台下暗し
第11週:子に過ぎたる宝なし
第12週:冬来たりなば春遠からじ
第13週:急いては事をし損じる
第14週:渡る世間に鬼はない
第15週:会うは別れの始め
第16週:人間到る処青山あり
第17週:負うた子に教えられ
第18週:遠くて近きは男女の仲
第19週:万事休す (2月9日の週)
つぎに、夢に向かってひたすら努力する男性の骨太の物語であることです。今やTVなどの視聴率は女性に左右されるので、男性が夢を追求するドラマなどすっかり影をひそめました。朝ドラも活発な女性ヒロインを描くものが圧倒的です。妻のエリーの大きな役割があるとはいえ、マッサンのような愚直な男性を中心に描くストーリーは久々で、世の男性の支持が多いのではないかと思っています。
さらに、妻であるスコットランド人のエリーが、大正~昭和中期という時代に、スコットランドからはるばる日本にきて、日本に溶け込もうと努力し、夫であるマッサンの夢をかなえるために献身的に助ける姿に感動している男性が多いと思います。今や、エリーのような内助の功を実践できる日本人女性はどれほどいるのでしょうか。ジェンダーフリーなどと薄っぺらな理屈を振りかざす我が日本の目覚める女性たちは、果たして、エリーのひたむきに生きる姿をどのように見ているのでしょうか。
最後に、ストーリーの随所に、我々が学校で習ったことのあるスコットランド民謡が歌われます。即ち、「Auld Lang Syne (蛍の光)」、「Comin' Thro' the Rye (故郷の空)」、「Annie Laurie (アニーローリー)」です。また、「The Water Is Wide」もエリーが英語でしばしば歌います。この曲をシャンソン歌手のクミコさんが「広い河の岸辺」として日本語(八木倫明氏訳)で歌い、一躍広く知られるようになりました。
最近の小学校・中学校ではスコットランド民謡など、明治以来唱歌として日本人に親しまれてきた外国の歌は音楽の教科書から削除されています。理由は、明治期に唱歌として外国の曲が採用されたのは、当時日本にはこのような曲がなかったからで、今では日本人の作曲した素晴らしい曲がたくさんあり、こちらを採用したためだそうです。このために、子供たちは、スコットランド民謡、アイルランド民謡、イングランド民謡、アメリカ民謡、ドイツ民謡などを知る機会がほとんどなくなりました。
子供たちに国際感覚をつけさせるためという理由で、小学校から英語教育が義務化されているようです。孫の通う幼稚園でも英語で遊ぶ時間を設けているようです。国際化は言葉からということなのでしょうか。
竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の映画の中に、イギリスの大軍に囲まれた日本の小部隊がスコットランド民謡の「埴生の宿( Home, Sweet Home)」を日本語で歌うと、イギリス兵が英語で一緒に歌う場面があります。 歌は国境を超え、理屈ぬきで分かり合えるツールなのです。 私はインドネシアに駐在した経験がありますが、コミュニケーションをスムーズに行う最も有効なツールは歌だと確信しています。 我々日本人がインドネシアの歌を覚え、インドネシア人と一緒に歌うことで、スムーズに打ち解けられました。 日本人会(ジャパンクラブ)には、“インドネシアの歌を歌う会”がありました。田中角栄総理(当時)のインドネシア訪問時の反日暴動事件(マラリ事件)の反省からです。現在では、インドネシアの本部と日本の各地の支部で活躍しており、日本・インドネシアの貴重な草の根文化交流の場になっています。
安倍総理は大胆な改革を進める決意を示していますが、明治以来日本人が歌い継いできた外国の曲(歌)を、義務教育の中で歌うばかりでなく、歌の由来などをしっかりと教えるようにして頂きたいと思います。 国際化は言葉よりも歌からです。
「広い河の岸辺」(「The Water is Wide」)
スコットランド民謡(訳:八木倫明)
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟が あるならば
漕ぎ出そう ふたりで
愛の始まりは 美しく
優しく 花のよう
時の流れに 色褪せて
朝露と 消えていく
ふたりの舟は 沈みかける
愛の重さに 耐えきれず
沈み方も 泳ぎ方も
知らない このわたし
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟が あるならば
漕ぎ出そう ふたりで
(2015年2月13日 花熟里)