東京にはそこそこ、江戸じだいからの大名庭園など歴史ある庭が残されているが、関東平野とくに北関東方面は土地は広々としているのに歴史ある日本庭園が殆ど残されていない。それが、長い間私には不思議でならなかった。街並みなどは、それなりのものが残されているのに、なぜ庭園に限って残されていないのだろうか。
おそらく、残されているとしても地元の人がそれ程価値のあるものとは考えていなくて、知られていないのかもしれないと、思ってもいる。
そして、先日そのような庭園の典型を訪れることができた。
星渓園は、明治の初めに埼玉県で活躍して県議会議長まで務めた竹井澹如が別荘として整備したものである。
荒川のほとりにあり、清らかな水が湧きだしていた池を中心に作庭されている。ただし、管理の手が届かないようで、現状では樹が茂り過ぎて、あまり日本庭園らしく見えない感じもある。
澹如翁は茶道を好んだようで、園内にはいくつもの茶席がある。
ただ、建物は老朽化が激しく、平成2年から4年間をかけて新たに整備されたという。
確かに、歴史的な重みはあまり感じられなかったが、地方にもそれぞれの文化が存在し、よく探せば見つけ出せることが分かったのは、私には大きな収穫だった。
おそらく、残されているとしても地元の人がそれ程価値のあるものとは考えていなくて、知られていないのかもしれないと、思ってもいる。
そして、先日そのような庭園の典型を訪れることができた。
星渓園は、明治の初めに埼玉県で活躍して県議会議長まで務めた竹井澹如が別荘として整備したものである。
荒川のほとりにあり、清らかな水が湧きだしていた池を中心に作庭されている。ただし、管理の手が届かないようで、現状では樹が茂り過ぎて、あまり日本庭園らしく見えない感じもある。
澹如翁は茶道を好んだようで、園内にはいくつもの茶席がある。
ただ、建物は老朽化が激しく、平成2年から4年間をかけて新たに整備されたという。
確かに、歴史的な重みはあまり感じられなかったが、地方にもそれぞれの文化が存在し、よく探せば見つけ出せることが分かったのは、私には大きな収穫だった。
明治期の庭園ですね。
大きな石が豪快に組まれています。
日本庭園を造れたのは、
江戸時代なら大名、上級武士、豪農、豪商、
明治以降なら、
財閥、議員でしょうか。
明治時代は羽振りが良くても、
その後は…、というケースも多いんでしょうね。
世に出ることなくなくなった日本庭園は、
無数にあると思います。
お茶席を持つ建物や、茶席前の庭は、平成に入ってからもそれなりに整備された様子が伺われます。とてもミニマルな規模ですが、形になっている感じです。
残念なのは、池を中心とするこの星渓園全体を見ての整備が行われていないことです。
そもそもは回遊式庭園として作庭され、その中に置かれた庵のさらにすみにある茶室の前の茶庭は、規模はとても小さいものだと思うのですが。