頚城区の辺りは、真冬の地吹雪が要注意という比較的平坦な地形が多い。平坦な中で、塀の内側だけで三千坪の土地を持つ豪農の館である。
この館は以前は春・秋二度公開されていたらしいが、近年は秋だけとなっている。
年間に公開は1日だけとなると、非常に貴重な機会である。この日の午前中は雨であったというが、足元が少し危なくても足を運ばずにはいられない庭である。苔の状態は実に良い。
母屋はすでにして失われ、離れの建物だけが残されている。
生活の場としない、という前提がこの場の雰囲気を見事に作り上げている。
いかに贅沢な銘木を使おうとも、屋内と屋外の温度差はゼロ。風は、座敷の奥までを吹き抜ける。
そして、庭から座敷への繋がりは、実にスムーズである。
かつての母屋の跡は、土台だけが残されている。
それを手掛かりに、庭木が大きくなりすぎたこと、などを考えに入れるとこちらにも独立した高度な庭が存在したように見えてくる。
池への流れが右手から左手へと見える土盛りが、よく表しているように思う。
この館は以前は春・秋二度公開されていたらしいが、近年は秋だけとなっている。
年間に公開は1日だけとなると、非常に貴重な機会である。この日の午前中は雨であったというが、足元が少し危なくても足を運ばずにはいられない庭である。苔の状態は実に良い。
母屋はすでにして失われ、離れの建物だけが残されている。
生活の場としない、という前提がこの場の雰囲気を見事に作り上げている。
いかに贅沢な銘木を使おうとも、屋内と屋外の温度差はゼロ。風は、座敷の奥までを吹き抜ける。
そして、庭から座敷への繋がりは、実にスムーズである。
かつての母屋の跡は、土台だけが残されている。
それを手掛かりに、庭木が大きくなりすぎたこと、などを考えに入れるとこちらにも独立した高度な庭が存在したように見えてくる。
池への流れが右手から左手へと見える土盛りが、よく表しているように思う。
空間で勝負、でしょうか。
いいお庭です。
敷地が広くないと、
こういう雰囲気のお庭は造れません。
いろいろな造り方があります。
私の記事の最後の3コマは、大昔に失われた母屋に視点を当てたものです。なにしろ、土台の中にあれ程生成とした樹が育っているのですから、ずいぶん昔に母屋は失われたのでしょう。
それでも、その昔に洗練された庭が存在したように見て取れる庭を見るのに適した一点があるように感じました。なんとか、昔の姿を知りたいところです。