加賀市のわずか西側に北前船の里、橋立という集落がある。船主たちの屋敷が集中する一画があり、明治初期には驚くべき富が蓄えられていた地区だそうだ。
玄関脇の主庭(お寺さんの庭とは方向感覚が違って、玄関のすぐ奥が主庭になっている)の直ぐの処に鞍馬の自然石を使った灯篭が立つ。ちょっと不思議に思っていたら、団体客相手の解説で、この庭の多くの石は江戸時代に藩の借金に対しての授かりもの、との位置付けだったという。
この石は、おそらくは城の格式高い処に置かれていた特別のものなののだろう。
この時間帯はたまたま訪問者が少なく、座敷でゆっくりと庭を見渡すことができた。
杉苔の手入れも見事。
海まで数百メートルにありながら、幽谷の趣、換え難し。
この庭は、非常に石灯篭の数が多い。
多くは、用立てしたものの代償としてもたらされた、との解説であったが、それにしては造りが新しいものが多いようにも感じた。
奥座敷からの眺めは、また全く別な世界を演出する。
表座敷の裏側にある裏庭は、八重葎茂れる姿をさらしている。
それが昔のすりガラスとの取り合わせがよい、籐椅子も、ぴったりの姿。
兼六園という名は、この石(立札のちょうど下の石です)を見た大聖寺藩主の前田公の命名によるという。亀は危機の際には両手両足、さらに頭と尻尾を甲羅に隠すところによるようである。
玄関脇の主庭(お寺さんの庭とは方向感覚が違って、玄関のすぐ奥が主庭になっている)の直ぐの処に鞍馬の自然石を使った灯篭が立つ。ちょっと不思議に思っていたら、団体客相手の解説で、この庭の多くの石は江戸時代に藩の借金に対しての授かりもの、との位置付けだったという。
この石は、おそらくは城の格式高い処に置かれていた特別のものなののだろう。
この時間帯はたまたま訪問者が少なく、座敷でゆっくりと庭を見渡すことができた。
杉苔の手入れも見事。
海まで数百メートルにありながら、幽谷の趣、換え難し。
この庭は、非常に石灯篭の数が多い。
多くは、用立てしたものの代償としてもたらされた、との解説であったが、それにしては造りが新しいものが多いようにも感じた。
奥座敷からの眺めは、また全く別な世界を演出する。
表座敷の裏側にある裏庭は、八重葎茂れる姿をさらしている。
それが昔のすりガラスとの取り合わせがよい、籐椅子も、ぴったりの姿。
兼六園という名は、この石(立札のちょうど下の石です)を見た大聖寺藩主の前田公の命名によるという。亀は危機の際には両手両足、さらに頭と尻尾を甲羅に隠すところによるようである。
この家は大名貸しをしていました。
何万両もの金子を様だてても、債務不履行で返済はされず、石灯籠の一つでチャラにされました。
頂戴した灯籠を粗末にする訳にもいかず、ご覧のような庭園の姿となったようです。
この辺りにお庭があるのは知っていました。
財が貯まると、
美術品、建物、そして庭園と、
富が惜しみなく投じられます。
このお庭もその典型ですね。
燈籠がひしめき合っています。