吉田五十八の建築は、一見して日本の伝統を受け継ごうという意図が感じられ、しかも当時の顧客の贅沢な好みにも率直に答えるものを感じられ、実に有能な人の作品だと昔から思っていた。しかし、そういう二律背反しがちな要求に答えるには、伝統的であろうとともかく近代の計測して設計するという地平に置き直さないと難しいだろう。そのような近代化された伝統を感じさせるところが、私が個人的に不思議な違和感をずっと抱き続けたいわれかもしれない。
吉田五十八の建築は残念ながら現存するものは多くない。東京の世田谷によい状態の住宅が残されていることを文献的に知り、夕暮れに近い時間であったが飛び出した。
門をくぐれば玄関に至る前に、緑豊かな前庭を味わう事ができる。木造平屋建ての建物自体が、市中の山居というべき存在である事を雄弁に物語る。
家の中心となる居間は絨毯敷き。
昭和42年の竣工当時からそうであったかは分からないが、木製サッシで外界と仕切られるようである。
これは近代の空間というべきで、伝統を伝える居心地の悪い本物の伝統的和室とは別のものだと思う。
居間の北側にあるコンパクトな食堂は坪庭に隣接して、なかなかよい雰囲気が感じられる。
食堂の奥は厨房で、引き戸の付いたカウンターで仕切られているのは、昔の邸宅ではよく見られる手法。
しかし、フローリングに難がある。昭和40年代というと、木製レンガなど高価すぎて使えない時代。その代用として使われたと思うが、いささか浮ついた色具合を見せる床の建材、その当時の大メーカーが供給したもので他に選択肢がなかった感じがする。本来、こんなに派手な色合いは食堂の床にはそぐわないと思う。
奥まった所にある和室は、豪華な調度品が置かれているが普通の造り。
和室のさらに西奥、離れのような書斎。ただし、これは吉田五十八のオリジナルではなく昭和五十七年の増築だそうだ。
母屋は書斎まで一続きなのだが、小屋根がいくつかかけられ、しかもそれぞれ勾配が異なる。その複雑な処理が書斎の中から見られる。
建物西側に後に書斎が増築されたが、東側には茶室は竣工当時から存在した。
吉田五十八の建築は残念ながら現存するものは多くない。東京の世田谷によい状態の住宅が残されていることを文献的に知り、夕暮れに近い時間であったが飛び出した。
門をくぐれば玄関に至る前に、緑豊かな前庭を味わう事ができる。木造平屋建ての建物自体が、市中の山居というべき存在である事を雄弁に物語る。
家の中心となる居間は絨毯敷き。
昭和42年の竣工当時からそうであったかは分からないが、木製サッシで外界と仕切られるようである。
これは近代の空間というべきで、伝統を伝える居心地の悪い本物の伝統的和室とは別のものだと思う。
居間の北側にあるコンパクトな食堂は坪庭に隣接して、なかなかよい雰囲気が感じられる。
食堂の奥は厨房で、引き戸の付いたカウンターで仕切られているのは、昔の邸宅ではよく見られる手法。
しかし、フローリングに難がある。昭和40年代というと、木製レンガなど高価すぎて使えない時代。その代用として使われたと思うが、いささか浮ついた色具合を見せる床の建材、その当時の大メーカーが供給したもので他に選択肢がなかった感じがする。本来、こんなに派手な色合いは食堂の床にはそぐわないと思う。
奥まった所にある和室は、豪華な調度品が置かれているが普通の造り。
和室のさらに西奥、離れのような書斎。ただし、これは吉田五十八のオリジナルではなく昭和五十七年の増築だそうだ。
母屋は書斎まで一続きなのだが、小屋根がいくつかかけられ、しかもそれぞれ勾配が異なる。その複雑な処理が書斎の中から見られる。
建物西側に後に書斎が増築されたが、東側には茶室は竣工当時から存在した。
小田急線の成城の駅の西側には、分譲当時の規模を守るのか、一区画が驚くほど大きな住宅地が広がっています。猪股亭はその一区画として、特別には見えないような環境のよさです。
それを贅沢に使っている印象のある住宅です。それなりの時間を使っても訪れる価値はあると思います。
見事な家です。豪華です。居心地はよいでしょう。日本建築の伝統的な味わいを感じられます。関東らしい苔のない庭ですが、立木の姿を極めた庭師が手掛けた感じがします。
では、それが極みにつながるか。それは、ないと思います。坪庭を持ち、季節ごとに意匠を変える京都の町屋にははるかに及ばないのではないでしょうか。
知りませんでした。
建築と庭園は一体のもの、
改めてそう感じました。
機会があったら、
ぜひ訪れてみたいです。
雪つりがなんとも独特で
もはやアートといった感じです
近代と
日本家屋建築様式と
庭園造作
そのどれもが
ほどよく互いを引き立てている感じです