ついに鳳凰が硯箱に舞い降りたようです。
個人的な硯箱に鳳凰を受け入れるとは、余程豪壮な詩想の持ち主なのだろう。
桃山時代の蒔絵は、迫力がすごい。
鳳凰の止まる樹の皮や根元の力、その下の池の深み、池の淵の3次元的にも盛り上がる石の存在感。
樹の葉の繊細な薄造りと、よい対照を成す。
個人的な硯箱に鳳凰を受け入れるとは、余程豪壮な詩想の持ち主なのだろう。
桃山時代の蒔絵は、迫力がすごい。
鳳凰の止まる樹の皮や根元の力、その下の池の深み、池の淵の3次元的にも盛り上がる石の存在感。
樹の葉の繊細な薄造りと、よい対照を成す。
写真もOK。
実際に、見てみたいですね。
絵の具を盛り上げる手法は、西洋近代のようですが、触覚というか皮膚感覚に訴える技法は桃山時代の我が国で確立されていたようです。
その姿があまりに洗練されていて、ちょっとコメントするのも難しい感じでした。