昨日書いたように
私の故郷では 月遅れで お盆を迎える。
その頃には 早くも 新米が取れ始める。
昨日の提灯で いろんなことを 思い出した。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
マリーゴールドは 土壌線虫を駆除するとか。
除虫菊の仲間だから 蚊を寄せ付けないとか。
我が家のやぶ蚊には 効かないが
土にはどんな影響があるのか。
薄いオレンジのジニアと組み合わせて植えたら
どうも ジニアの機嫌が悪い。
相性が悪いのか?
それとも 水遣りが足りなかったから?
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
小さい頃は 本当に苦労がなくて、
お盆もウキウキする行事だった。
だって、
可愛い 赤い柄の
長いたもとの 浴衣を着せてもらえる。
お墓参りに行くときに
持たせてもらう 赤い提灯も 大好きだった。
忙しい中、母は 姉と私を お風呂に入れ、
シッカロールをはたき、
ゆかたを着せたり
(暑いと暴れれば)脱がせたりしていたのだろう。
母が忙しくて 家の中がバタバタしているのも
B型気質としては 嫌いではなかったはず。
それから お盆の頃になると
いろんな 美味しいものが 採れだす。
新米は別としても、
枝豆に とうもろこし。
こんな 栄養豊富で 添加物のまったくないものが
あの頃のおやつだったんだなあ。
忙しい中、大汗をかきながら
母が茹でたり 蒸したり してくれた。
大掃除をする。
盆棚を作る。
盆棚に飾り付けをする。
お供えをする。
ご先祖様がいれば
どこの家でも お盆にはしていることばかり。
それでも 実家の場合は
お寺だから 規模が少しずつ大きい。
面倒な事もいっぱい。
父は大忙し。
普通の家では作らないものを
たくさん作る。
お塔婆の依頼もある。
それらは 僧侶である父の仕事で、
妻や子供たちは <一切>!
手伝わなかった。
(可愛そうなおとっつあん。)
8月13日、
月遅れの迎え盆の日、
夕方が近づいてくると
ぽつりぽつりと 人が来る。
薄暗くなってくると
急に人が増えだして
どっと! 押し寄せてくる。
外に出た‘わげぇし’(若者)も帰ってくる。
嫁に出た娘も帰ってくる。
そして その子供たちは
小さな子を連れて帰ってくるようになる。
小さな子は よちよち歩きを始め、
走り回るようになる。
浴衣を着て
子供用の可愛い提灯を持って
夕刻のお寺に集まってくる。
「ひさしぶりだねー。」
茨城弁の挨拶が飛び交う。
ウロチョロしている私が
ウキウキしないわけにはいかない。
人々は 手に手に 重箱に入れたお米を持って来る。
それを受け取ると
竹製の大きなかご
(? 背中に背負う籠より もっと大きいが
背負い紐はついていない)
に入れる。
「ご苦労様でした」の言葉と
経文が書かれた一組(二本)の経木などとともに
重箱をお返しする。
ここらへんが 小さい子供でも手伝える仕事。
経木に お経文を書いておくのは
当然、父の仕事。
時には
お野菜を 供物として持ってきてくれる方もいて、
それは 本尊様の前に 飾る。
新盆の家では
それらを通常の2倍持ってくる。
寺から渡すものも 2倍になる。
それらを持って
村人たちは 墓地へ向かう。
寺から 墓地へ(寺の隣にある人が多い)、
墓地から それぞれの家へ。
提灯の行列ができる。
その行列は 幻想的で 美しくて
ちょっと物悲しくて
御伽噺の世界に引き込まれそうな
魅惑的な怖ろしさをもっていた。
そんな日が 三日続く。
我が家の墓参は 人の足が途絶えてから。
かなり遅くなる。
棚行で 檀家さんの家々をまわってきて
ヘトヘトになって
お経の読みすぎで 声まで変わった父と
夜遅くに お墓へ行き、
可愛そうな父は
そこでまた 般若心経一巻を読む。
会った事のない私の祖父が眠るお墓。
ほとんど会っていない祖母も
後に加わった。
今は 父もそこに眠っている。
今年も月遅れのお盆が過ぎたら
お墓参りに 行けるかな。
私の故郷では 月遅れで お盆を迎える。
その頃には 早くも 新米が取れ始める。
昨日の提灯で いろんなことを 思い出した。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
マリーゴールドは 土壌線虫を駆除するとか。
除虫菊の仲間だから 蚊を寄せ付けないとか。
我が家のやぶ蚊には 効かないが
土にはどんな影響があるのか。
薄いオレンジのジニアと組み合わせて植えたら
どうも ジニアの機嫌が悪い。
相性が悪いのか?
それとも 水遣りが足りなかったから?
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
小さい頃は 本当に苦労がなくて、
お盆もウキウキする行事だった。
だって、
可愛い 赤い柄の
長いたもとの 浴衣を着せてもらえる。
お墓参りに行くときに
持たせてもらう 赤い提灯も 大好きだった。
忙しい中、母は 姉と私を お風呂に入れ、
シッカロールをはたき、
ゆかたを着せたり
(暑いと暴れれば)脱がせたりしていたのだろう。
母が忙しくて 家の中がバタバタしているのも
B型気質としては 嫌いではなかったはず。
それから お盆の頃になると
いろんな 美味しいものが 採れだす。
新米は別としても、
枝豆に とうもろこし。
こんな 栄養豊富で 添加物のまったくないものが
あの頃のおやつだったんだなあ。
忙しい中、大汗をかきながら
母が茹でたり 蒸したり してくれた。
大掃除をする。
盆棚を作る。
盆棚に飾り付けをする。
お供えをする。
ご先祖様がいれば
どこの家でも お盆にはしていることばかり。
それでも 実家の場合は
お寺だから 規模が少しずつ大きい。
面倒な事もいっぱい。
父は大忙し。
普通の家では作らないものを
たくさん作る。
お塔婆の依頼もある。
それらは 僧侶である父の仕事で、
妻や子供たちは <一切>!
手伝わなかった。
(可愛そうなおとっつあん。)
8月13日、
月遅れの迎え盆の日、
夕方が近づいてくると
ぽつりぽつりと 人が来る。
薄暗くなってくると
急に人が増えだして
どっと! 押し寄せてくる。
外に出た‘わげぇし’(若者)も帰ってくる。
嫁に出た娘も帰ってくる。
そして その子供たちは
小さな子を連れて帰ってくるようになる。
小さな子は よちよち歩きを始め、
走り回るようになる。
浴衣を着て
子供用の可愛い提灯を持って
夕刻のお寺に集まってくる。
「ひさしぶりだねー。」
茨城弁の挨拶が飛び交う。
ウロチョロしている私が
ウキウキしないわけにはいかない。
人々は 手に手に 重箱に入れたお米を持って来る。
それを受け取ると
竹製の大きなかご
(? 背中に背負う籠より もっと大きいが
背負い紐はついていない)
に入れる。
「ご苦労様でした」の言葉と
経文が書かれた一組(二本)の経木などとともに
重箱をお返しする。
ここらへんが 小さい子供でも手伝える仕事。
経木に お経文を書いておくのは
当然、父の仕事。
時には
お野菜を 供物として持ってきてくれる方もいて、
それは 本尊様の前に 飾る。
新盆の家では
それらを通常の2倍持ってくる。
寺から渡すものも 2倍になる。
それらを持って
村人たちは 墓地へ向かう。
寺から 墓地へ(寺の隣にある人が多い)、
墓地から それぞれの家へ。
提灯の行列ができる。
その行列は 幻想的で 美しくて
ちょっと物悲しくて
御伽噺の世界に引き込まれそうな
魅惑的な怖ろしさをもっていた。
そんな日が 三日続く。
我が家の墓参は 人の足が途絶えてから。
かなり遅くなる。
棚行で 檀家さんの家々をまわってきて
ヘトヘトになって
お経の読みすぎで 声まで変わった父と
夜遅くに お墓へ行き、
可愛そうな父は
そこでまた 般若心経一巻を読む。
会った事のない私の祖父が眠るお墓。
ほとんど会っていない祖母も
後に加わった。
今は 父もそこに眠っている。
今年も月遅れのお盆が過ぎたら
お墓参りに 行けるかな。
と言われる、とこぼしていました。
絽や紗の透けた着物を着ているからです。
中にはしっかり肌襦袢や白衣をきているので
思いっきり暑いらしいのですが。
スナック菓子をなるべく食べさせないなんて、
お母様は 健康に気を使ってくださっていたのですね。
きっと これからも ムーミンママさんが 食べるものやストレスの発散に気をつけて 楽しい日々を過ごせば 長生きできると思います!
ご一緒に のさばっていきましょう!
おやつは我が家も夏はとうもろこし、トマト、キュウリ…いつもたくさん置いてありました。母が近所の農家から買ってくれていました。スナック菓子なんてあまりたべさせてもらえませんでしたね。母は偉かったなぁと思います。
風さん、
修行をしても 人は人、普段の修行が足りない人は
まあ、恥をかくぐらいはしますよね。。
しおりを挟んでおいても、わからなくなるんですよ。。。
私もわからなくなって ず~~~っと 周りの男子が読むお経を 小さくなって聞いてたことがあります。
期待されてはいなかったので 叱られたりはしませんでしたが。
エミコさん、
そうです、シキタリというものは 必然的なものか、
さもなければ 楽しみつつ 守ってゆくのならいいのですが、
押し付けられると 楽しいものも苦しみになる可能性があります。
我が家も核家族、義父母のところもそうでしたが
家の中のシキタリは 自分たちで作っていくので
楽しいです。
臨機応変、面倒だったら止める。
それができないと 困りますよ。
(地域のシキタリは苦しみつつ守られます。)
エミコさんのところも いろいろ楽しいのを作ってみたらどうでしょう?
夏は毎年 ミニトマトをつくる、とか!
シッカロールは 手で付ける、けど、付けすぎない。
そんなのは 子供たちが生まれてから知りました。
昔は パフで たっぷり付けてましたよ。
いい匂いがして 気持ちがよくて おしろいみたいで
嬉しかった!
懐かしいのは、母の手で背中にもはたいてもらったことで、今でも自分ではたいています~。
お盆行事のあれこれ。遠い遠い昔話を聞いてるように感じました。
普段からお盆も正月も集まることがありません。嫁ぎ先のしきたりが無いのが気楽なような、寂しいような。
いや、あったら他の嫁様のようにグチを言っているのかもしれませんね。
お経カットは 必然で、しかも喜ばれるようですが?
長いお経を カットしないで ぜーんぶ読むと、長い、長い。
お坊さんとて 人の子(?)、 足は痺れますし。
神式のご実家のお話も お母様のご実家のお話も
私にはとってもとっても 新鮮です!
新盆は 特別なときですから 本当にいろんな風習が見られて 興味深いです。
会津の風習も もう少し良く覚えていたらなぁ、と残念です。
それにしても、あの提灯は、一年きりで 処分されちゃうなんて、勿体無さすぎ?
お経の読み過ぎで声が変わってしまわれたお父様とのこと、それだけ一生懸命に弔って下さったのだと思いますが、この間お葬式で聞いたお経は、うんざりでした。これでもお坊さん?と思うような品のなさは、お経にも表れていました。遅刻をしてきてお経は所々カット。経本をあっち開きこっち開きせわしなく、普通お坊さんなら般若心経くらい見なくても言えると思うのは私だけ?又近々そのお坊さんのお経を聞くことになっています(涙)
異常なまでに早い時間に寝ていたと思います。
もう少し大きくなると 霊をみたいなあ、せめてリンがもえてるとこを見たいなあ、なんて。
(どちらも一度も見てませんが。)
高校生くらいになると 郷愁を覚える情景だと思っていました。
喧噪、そして 華やかさがあるのに どこか物悲しい。
死者を身近に感じるからでしょうか。
三角ベースの少年は きっとそのから 女子にはモテモテだったと思います。
赤い浴衣に 薄ぼんやり灯る提灯 集まった人々の喧噪・・・場面が浮かんできます。
その頃 arfaはきっと ひたすら日の暮れるまで 三角ベースをしてたでしょう。
過去も未来もない 今だけの生き方だったみたいです。