ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

節分に思い出だす事

2005-02-03 | 昔語り
こんなものを買ってきた。
200円ぐらいだった。
節分の軒飾りだ。
大豆の木(?)と、ヒイラギと、
楊枝にさした目刺が一匹。



大豆のまめがらの音と
ヒイラギのとげと
イワシの臭みで
鬼を寄せ付けないようにするという。

「イワシの頭も信心から」のフレーズが大好きな
教授がいたっけ。

猫は寄ってきてもいいわけだ、
米や壁を食い荒らすネズミを
やっつけてくれるから。



節分が近づくと。

父は古い茅葺き屋根の家の土間で
稲わらを使って 縄をなった。
手作業で長く“なって”いった。

その「縄ない」の作業を見ているのは、
面白かった。
足の指に縄を挟み、
両手をこすり合わせて 
次々に 新しいわらを足しては
縄を撚っていく。

そうして出来た縄に 半紙で作ったピラピラ
(ヘイソクというのかな)
を何本もぶら下げ、
目刺ではなくもっと大きなイワシの頭を付けた。
栴檀の実の殻もぶら下げた。

今は栴檀の木も虫にやられてなくなったから、
義兄は何か別のものをつけているのかな。



節分の夜。

父は小さなお堂に明々と明かりを灯し、
太鼓をたたいて祈祷をする。
そのあとで 

「鬼はァ外、鬼はァ外、
 福はァ内、福はァ内、
 鬼わあ~~ソトォォ」
「福はァ内、福はァ内、
 鬼はァ外、鬼はァ外、
 福わあ~~ウチィィ」
と唱える。

最後は特に大きな声で唱えて
その時に豆をまくのだ。

大きな枡に大きな手を突っ込んで、
いっぱい撒くので
気持ちいいような、
もったいないような。

父がお堂から家に戻ると、
母と姉と三人で父に合流して
豆をわけてもらい、
そこから全員で 玄関から各部屋、
風呂もトイレも土間も勝手口も
全部に豆まきをする。

東西南北の掃きだしからも
まいたような気がする。
東西南北、すべてに掃きだしがあったのだ!
(寒いわけだ)

姉と私は 時々 枡の中の豆を
こっそり食べながら まいて歩く。

「風邪鬼は外」、「泣き虫鬼は外」
と言われつつ 
私の鬼を追い払ってもらう事も多かった。

姉と私はキャーキャーいいながら
まいたり ぶつけたり 逃げたりして
楽しんでいた。



そんな節分の様子を
クレヨンで絵に描いた記憶がある。
小学校の低学年、
逃げ惑う私自身の口を 
まだ赤いクレヨンで描いていたころだ。

私が父に豆をまかれて、
頭を押さえて逃げているところ。

よく描けていると
母が喜んでくれた絵だった。

難しい父の法衣の色を
クレヨンでよく表現できた、
ということらしかった。

父の法衣は 階級が一番下の色だった。

日本中が豊かになって
実家もそれなりに豊かになって
食べるものに困らなくなったのに
柩に収まった父は
やはり 一番下の階級の法衣を着けていた。



実家の近所の人にも 
寺に豆まきに来て、
それから自分の家に帰って豆をまく、
という人たちがいた。

それは年々減っていったかもしれない。

当地では実家の辺りよりも
古い風習が残っている。

節分には当主がお寺に豆をまきに行き、
当主の帰りを待って 家族で豆まきをする、
にぎやかな声が 近所から聞こえてくる。

家によって 豆まきの時間が すごく違う。



我が家も我が家なりの豆まきをする。

父の豆まきの方法を
亭主に教えたのに、
亭主は 自分流にアレンジしてしまった。
それはそれでいいか、と
家族みんなで 一緒にまいて回る。

まく時間も、その年によって いろいろ。

まいたあとは お楽しみ、
大豆を食べる。

モモンガさんの「標」で
落花生をまいたり食べたりする節分もある
と知った。
落花生を食べるのもいい。
まくときは 鞘のままのヤツを
まくんだろうか???

とにかく、そろそろえさのなくなった
野鳥たちには、大後馳走だ!
(もしかしたら、鹿や熊や狸や狐にも)


節分は 寒くて、あたりまえ。

子どもの頃から
私はよく 風邪を引いて 節分を迎えていた。
今年も 丸一日と半、寝込んでいた。
まだ腰が痛い。

娘の帰宅を待って、
豆を ぶつけてもらおうかしら。
特に、腰の辺りに。

9 コメント

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節分 ()
2005-02-03 20:48:14
子供の頃、豆まきはしていたけど、何事も略式が好きな父は、余り熱心に伝統行事を行わなかった。最近こちらでも、豆と一緒にヒイラギの枝を置いてあります。でもジョルジュさん所みたいにしたのは、売ってないような気がします。



縄ない久し振りで思い出しました。ジョルジュさんはなうことができますか。上手く藁を継ぎ足して長く長くなっていました。農家では縄は必需品でしたが、今は軽くて丈夫な紐が有るので、縄をなう事もなくなり、父がお正月に門柱に張る縄をなうだけになりました。



豆まきしたけど、年の数だけ豆を食べるのはちょっと大変になってきた。
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やっぱり撒きました。 (モモンガ)
2005-02-03 21:25:24
ジョルジュさん体調悪そうで心配です。



此方は何でも略式が好きなようで、結婚式、お葬式、節分までも。

落花生を殻のまま「鬼は外、福は内」と言いながら父親が撒いていました。年の数だけ食べるのは同じですね。

そういえば今日デパートでイワシがたくさん売られていました。そうか吊るすんだ。節分=イワシが繋がりました。

それと海苔巻き(恵方巻)も食べました。なんでも取り入れてしまう柔軟性(節操のなさか) のある道産子です。
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まだ、娘が帰ってきません (ジョルジュ)
2005-02-03 22:23:53
風さん、

私は自分でやる事となるとからっきしで、

縄はなえません。

好きだったのは、見てることだけ。

そう言えば、「縄ない機」があったことも思いだしました。

ハタ織機みたいので、

パタンパタンと 細長い木のペダルを踏みながら

穴の中に 次々藁を差し込んでいくと、

別の口から にょろにょろと 縄になって出てくるものです。

これも 見てるの、楽しかったのですが、

近所の農家にはありましたが、ウチにはなかったです。

数日に分けて、年の数以上の豆をいただきます。



モモンガさん、

トラックバック、ありがとうございました。

豆まき、なさったんですね。

恵方巻きも召し上がったとか、

きっと今年はよい年になりますね!

なんと、

ほんとに 殻付きのまま まくんですか!

う~む。

日本は、広い。

あ、腰が痛いだけです、元気になりました。



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しつも~ん (ジョルジュ)
2005-02-03 22:36:28
枡のなかに手を突っ込んで、

自分の年(数え年)とぴったり同じだけ

取り出せたら、縁起がいい

なんて、ゆってる地方は 他にもありますか?

イバラキのあの辺だけ?
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豆まき (wakaba)
2005-02-04 01:00:30
家も今しがたやりましたよ~。

でも、何にも知らず、なぜ太巻きを食べるのかもわからず(笑)「なぜだろうね~」と言い合いながらです。

村の人が方々で豆まきしてるなんていいですね!

子供の幼稚園では、やっぱり落花生でした(笑)

ずうっと昔からの伝統行事・・という感じでいいですね~。

枡の中の豆をつかむ話も、わからないです・・食べる数が多いのでだんだんと、食べなくなりました(笑)
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まめまきしませんでした。 (虫主婦)
2005-02-04 06:51:54
マンションのバルコニーは広いので、毎年息子と豆まきするのですが、今年は大規模修繕で、マンション中が足場を組まれてがんじがらめで、バルコニーも危ないのでやめました。

豆は全部お腹の中です。



ワタシ、ジョルジュさんのこういう文章大好き。

物語を朗読で聞いているみたい。
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撒いても撒かなくても春は来る (ジョルジュ)
2005-02-04 13:10:39
wakaba さん、

なんで太巻きを食べるんでしょうね。

まあ、変わってるし、おいしけりゃいいかと、

楽しみにしていましたが、

腰が痛いので(イイワケ)今年もナシに。

(だって、巻き寿司もいなり寿司も作った事あまりないし)

スーパーでは予約承りのテープがかまびすしかった。

どこが発祥の習慣でしょうね。

年の数だけ豆を取り出すのも 食べるのも

しんどい年になってしまいました。



虫主婦さん、

確かに危険を顧みずに行う程の価値のある伝統行事では

ないかもしれません、特に子供達には。

私だったら、窓から撒いたかな。

でもその後の豆を 鳩も烏も食べにきてくれなかったら、

困ってしまいますね。

<物語を朗読で聞いているみたい>ですか。

嬉しいです、とっても。でも・・・

・・・遠野物語を聞いてる気分ではないですよね?

昭和30年代は、ついこの間ですよ!(でもないか)

ただ、そのあとの日本が あまりに早く変わってきてしまっただけなんです。

田舎に越してきて、

しかもノスタルジーに浸る年になってしまって、

しかも結構ヒマがある。

このごろいろんな昔の細々としたことを

思い出すようになりました。
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縄ない機 ()
2005-02-05 23:02:55
の事書こうかと思ったけど、私の下手な説明で分かるかなと思ってて止めたのですが、ジョルジュさんが見たこと有ったなんて、何だか嬉しくなりました。両方の穴に藁を入れてなうんだけど、今から考えれば昔の機械って何だか中途半端ですよね。



縄ない子供の小学校の行事で、親子縄ない。お母さん上手ですねって、若い先生に褒められた。。。普通縄なんてなうことはないよね。



枡の中の豆、年の数だけ掴んだら、縁起が良いと言うのは知らないです。
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きょうも風が強いです (ジョルジュ)
2005-02-06 12:01:08
昔の機械は何だか中途半端・・・確かに。

電力を使わない、というところが 大きいのでは。

せんばこき、あれも電気を使わないけど、

キカイ、という気がしませんね。

私が小さい頃、モーターがブンブン回って動かす、

大きな黒いガスボンベみたいな発動機があって・・・

あれ、もしかしたら 発動機は小さいほうだったかも知れない。。。

で、発動機で動かす脱穀機がありました。

その作業を見ているのも 面白かったです。

大きな音がして 迫力があって、

あっという間に はざ掛けで干した稲の束から

籾がきれいになくなって。

体中チクチクして後で泣くけど。

昭和30年代は ワクワクして面白い事が

一杯だった気がします。

明日への希望も みんな一杯もってたし。

必ず豊かになったし。

のすたるじいでしょうか。



縄を「なう」という言葉さえ、今は聞きませんね。

「なえる」お母さん、尊敬です。
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