ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

私たちは、傷ついている

2015-03-20 | 考えたこと
私たちは、心優しい。

他人の痛みを つい 感じてしまう。

いや、感じようとしてしまう。

それが、原因なのだと思う。

私たちの心は、深く傷ついている。

(私の胸に 傷はあるけど、乳がんの話では、ない。)






ニュースを見ていて 傷つく。

チュニジアで起きたテロ。

神奈川の河川敷で 遺体で見つかった、中学生。

台風、ハリケーン、大雨、土砂災害。

地震。 津波。 

サリン。

原子爆弾。 大空襲。

まるで 私たちの周りを、悲劇が覆っているようだ。






神戸の時も傷ついた。

クライストチャーチの地震でも、傷ついた。

9・11の時だって、傷ついた。

だから 世界中の人々が 3・11で傷ついているって、
信じられる。






私たちは、みんな、傷ついているのだ。

だから、被災した人の表情なんて、もう 見たくないし、
声も聞きたくないのだ。


だけど、復興は あまりに遅いし。。。






昔の事について 知っている人は どんどん減っていく。

「語り部」は高齢化しているのだ。

けれど 風化を恐れる人は多い。

だから、新たに 語り始める人が出て来る。

戦艦武蔵が出て来る。

そのうち 何も新しいものが出てこなくなる日が来るだろう。

その時は これまで 必死の思いで蒐集されてきた物たちが
何かを語り始めるのではないだろうか?






私たちは 傷ついている。

自覚の有り無しに係わらず、傷ついている。

そうして 勝手に自分の中で トラウマにしてしまっている。



中には トラウマを抱えて 生きにくさを感じてしまう人もいる。

拉致された人たちに感情移入する。

拉致という犯罪を憎む。

これまで何もして来なかった日本という国に対して怒りを覚え、
被害者に申し訳なく思う。






戦争を引き起こした日本国民を憎み、
国内各地で一般市民を巻き込んだ空襲という大量殺戮を憎み、
戦犯たちを憎み、
東京裁判で戦犯たちを裁いた戦勝国を憎み、

それらによっても 深く傷ついている。






戦争に行った親を憎み、
戦争に行けなった親を憎み、
戦争の後に生まれた自分を憎み、
戦争で亡くなったすべての人を憎み、
戦争から生きて還ったすべての人を憎み、

大陸から還って来た人々を憎み、
大陸から還って来れなかった人々を憎み、

それらの人々すべてに同情し、慟哭する。






今の私たちに 何ができるだろうか?

この小さな手に 何ができるだろうか?

私の声で 何を叫ぶことができるだろうか?

私の耳に 許しの言葉は 聞こえてくるだろうか?






今 

私たちは 

過去のすべての過ちの許しを請い、

これからの私たちに 安らぎを願い、

今 安らぎの中に居られない人たちの安寧を祈り、

これからの世界の 平和を祈る意外に 道がないのだろう。






生きにくさを感じている人々へ。

あなたは、あなたにできる事だけをすればいい。

過去に罪はあった。

けれど それは あなただけのものではない。

あなたが負うべき責任は すでに果たしたはずだ。

あなたは 幸せになっていい。

あたなには 幸せになる権利がある。

そうして まだ幸せになれないでいる人々のために
過去に幸せになれなかった人々の魂のために

私たちは 一緒に祈ろう。

一緒に できるだけの事をしよう。

できるだけの事をしつつ、幸せになろう。

あなたは、幸せにならなくちゃいけない。

みんなと一緒に、幸せになろう。

そのために、祈ろう。