ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

忘れてないよ

2012-01-30 | 考えたこと
私には 温度が低い(?)ように見える亭主だが、
去年の夏に 一度 フクシマに行っている。

ボランティアではない。

昔の職場の後輩の所へ 行っただけだ。






  再度登場。






一人は 原発から40キロ という、
非常にビミョーな場所に住んでいた独身。

栃木に住んでいる後輩(この人も被災している)と
見舞いに行く予定を、
亭主は 仕事の都合で 一度 延期していた。



で、このMr.栃木が ひとりで出かけたところ、
40キロの町は
「ひとっこ一人いない死の町」状態で、

会ったMr.40キロは 態度がおかしかったという。

きっと人間不信になっているんだ、可愛そうだ、可愛そうだ、
と騒ぎ立てて、
かつての仲間達から 義援金をふんだくって
再度出かけた時には 亭主が同行できた。

義援金は 58万円という、半端な金額だった。



Mr.栃木は かつての勤務先の社長に30万出させ
(この人はお金持ちだから、いいの;笑)、
同じく上司に10万円、
5万円が3人に、1万円が3人。

半端だけど、わかってる人にとっては、
とってもわかりやすい金額なのだ!(笑)






亭主と訪れた時には 普通のMr.40キロに戻っていたらしい。

が、状況は変わっておらず、
裏の山が余震で崩れたらどうする、という感じ。

義援金をもらって すごく喜んでいたという。

それが、やっぱり、というか、
話を聞いてみると、
義援金が嬉しかったのとは 少し違うようだ。



彼にだって 貯金はある。

壊れた部分を直す事も 自分でできただろう。

ただ、原発から40キロというビミョーな場所に位置する彼の家から

母親を別の場所に住まわせて、

人がいなくなったような町に 毎日 ひとりで住んでいて、

孤独感でいっぱいだったように思える。



かつての仲間が 彼を覚えていてくれて
そして 2度も来てくれた、
それが とても 嬉しい。

話を聞いて そんなふうに 私には感じられた。



これは そんな状態になった人じゃないと
心理は理解できないのかもしれないが、

ホッとしたというか?

覚えていてもらえた、

見捨てられていなかった、

また望めばいつでも来てもらえるんだ、という
安堵感というか?



忙しいさなかだったけど、

そして 高速道路の状態は イマイチではあったらしいけれど、

それから、ガソリンの供給状態はまだひどいままだったけれど、

亭主に行ってもらって、よかったなー、と思った。

(もちろん、私はひとりで留守番!)






帰途、亭主は 途中で Mr.栃木と別れて
ひとりで 原発からはもっと離れた、別の後輩の家を訪ねた。

(この人は Mr.栃木とは面識がないので。) 

この家は大家族で、
お嫁さんやら お婆ちゃんやら、家族のみんなから
大歓迎を受けたのだと 亭主は言う。

「あれ以来、初めて、いい事があった!」と。



それを聞いて、何を大げさな、と 私は思ったのだけれど、
みんなで 口をそろえて、
「初めての、本当に、初めての、本当にいい事!」
なのだと強調されたらしい。

その頃、あれ(3.11)から、もう、だいぶ経ってたんだけどね。



去年の夏は 彼からの須賀川の桃が届かなかった。

あれは、世界一、美味しい桃なんだけど。













見捨てていないよ。

忘れていないよ。

覚えているよ。

ここに、いるよ。



そんな事が 嬉しいのかな?と。





だったら、少なくとも 私んちだけは、
忘れずに覚えていようと思う。

そうして、マメにコンタクトをとるように、
亭主に言おうと思う。

忘れてないよ、って 伝えないとわからないからね。

大事なのは、お金じゃないみたいだからね(笑)。







須賀川の桃、美味しいんだよ(笑)。



亭主は ゆべしをお土産に 帰ってきたのだった。