ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

意思と遺志

2010-09-20 | 考えたこと
今朝の朝刊の若者投書欄(U-25)に

新しい健康保険証の裏面に
自分で記入する「臓器提供意思表示欄」があった、とある。

投書したのは 立川市の中学生。

私のも見てみたが
お財布に入った カード型の保険証の裏は
そうはなっていなかった。

やっぱり。

自治体によって違うんだろうな。







亭主の実家から持ってきた廃品ジョーロ(笑)。






自分の身体は 遺族が不快でない限り、
隅から隅まで 使ってもらいたい。

けれど 臓器カードというものは
何故か まだ 手に入れるどころか、見たことがない。

コンビニのレジで見たことさえない。 





本人の遺志の確認がなくても
遺族の承諾があれば、という法改正を経て
臓器移植医療は ずいぶん変わってきたイメージがある。

最初の一例めは 大々的に報道されたが
その後 急速にニュース性が薄れて?
今 流行り?の言葉を使うなら、
「粛々と」進められているようだ。



「「臓器提供」2カ月で10例

  移植法改正で ペースアップ」

という見出しが夕刊のトップに踊っていたのは
一昨日の土曜日だ。







ポーチュラカは、暑苦しくない色を探した(笑)。






今回の法改正は
これまで 臓器の提供を待って苦労した 多くの人の事を思えば
遅すぎるとも言える。

けれど ゆっくり進んできたことを
私は喜びたい。

急進的に改革されると、「揺り戻し」がくるからだ。

変えたい事は ゆっくりと、しかし確実に変えていって、
そして 元には戻らないでもらいたいと思うからだ。






もちろん、
一番 心配な事は
臓器の提供を拒否する人を 批判すること。

これまでのところ、そういう事はなさそうなので
焦らずに 「粛々と」 世の中のしくみを変えていってもらいたい。

肉親の遺体を切り刻む、という行為に対する拒否反応
というのも理解できるので。







パンジーの鉢の真ん中から芽を出した
アルテルナンテラポリゴノイデスをそのまんまに。






投書の主(女の子だと思う)は、
臓器提供の意思表示について
「みんな承知すればいいのに。」
と 軽い気持ちでいたのだったが、
いざとなると ためらいがあって
すぐには記入できなかった、という。

記入できなくても、また 記入しなくてもいいと思う。

臓器の提供について
考える時間を持てた、ということ。

それ自体が 若い筆者にとっては
貴重な体験だったのではないかと思う。













私は 
身体の隅々まで 他の人の役に立つのならば、と思うのだが

残された家族の感情に配慮したい、とも 強く思う。



投書は
「よく考えたうえで、記入しました。」
と結ばれている。