心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ようやく暖房

2015年10月09日 | ほんのすこし
コタツも暖房も使っていなくて。
昨日、ようやく念願のラグが届きました。これで少しあったかい部屋になりそうです。昨年もラグを買ったのですが、安いと思って飛びついたネットでの買い物。安いだけあって想像していたのとは違っていて、我慢しながら使っていました。へたってしまったので(安いから?)今年こそはと思って吟味。ようやく気にいる物を見つけました。
届いてから、コタツも出そうと思っていました。

うふふ、初めてこげ茶を選択。今まではベージュやアイボリーだったのですが、こげ茶と黒しか選択できず、こげ茶に。でもすごく落ち着いた感じで今は気にいっています。
コタツはというと、まだ出さずに赤外線ヒーターを出してきました。小さいのですが、孫が来るときのために買って使ったものなのです。危なくないからいいかなと思って。しまいこんでいたので、すっかり忘れていました。
夕べはラグとヒーターでいつもと違って暖かく、とっても気持ちよく過ごせました。

もう少ししたらコタツを出してみようかと思っています。コタツは気持ち良すぎて眠りこんでしまうことが多いのです。もうちょっと我慢します。
ストーブはまだまだ我慢です。

母に
「お前はいつもストーブとかコタツとかつけないで我慢して、逆に風邪ひいてしまうからだめだよ」
と昨日は注意されてしまいましたが、そうなんです。我慢も適度にってところが肝心です。
だって、一度ストーブやコタツを使ってしまうとそこから動けなくなってしまって、ますます運動不足に拍車がかかってしまうんです。
ということで、ラグの上で昇降運動…う~ん、もったいないかなぁ…フローリングの上でやるとするかあ。

朝から一服

2015年10月08日 | ほんのすこし
朝から一服って、たばこじゃないですよ。
たばこといえば、息子はあんなにヘビーだった喫煙を子どもが生まれると知ったからか禁煙しているとか。よく止めることができたねぇ。実は禁煙できるのか?と心配していたわたしなの。先日、息子のところに行ったときに、聞いてみたらすぐに
「とっくに止めてるよ(笑)」
と返され、悶々と心配したことがあっという間に遥か彼方に飛んでいっちゃった。禁煙に挑んでる最中にとやかく言われると気がそがれるかと思って切り出せなかったんだ。
まぁ、良かった良かった。赤ちゃんのためにも綺麗な空気のままでいてほしいからね。

朝から一服。
いつもは一杯の珈琲から始まるのだけど、ちょっとフェイント。
生協の宅配でこんなものを購入してみた。なんとなく秋だし?まったりとお茶でもなんて思ったから。でも母のところで淹れるようなお茶ではなくティーバッグで。急須もあるのだけど、頻繁に飲むわけでもなくたまに飲むにはティーバッグの方がいいかと思って。第一タイトルが「よく出るおいしいプレミアムティーバッグ 宇治抹茶入り玄米茶」(長い……)って、どれだけ美味いんだ?って感じ。タイトルに引きずられて購入したかも。
玄米茶は懐かしいお茶。
小さい頃、家でわたしが飲めるのは玄米茶かほうじ茶。特に玄米茶の香りが好きだった。急須の注ぎ口から湯気が出て、その湯気さえも香ばしい気がして鼻先を近づけると母に笑われた。
香ばしい匂いってどうして惹かれるのだろうね。

そんな懐かしさもあって、購入。珈琲はこの後に飲む予定。珈琲もこれまた生協宅配で初めて購入したインスタント。



ブルーマウンテンブレンドのインスタントってどんな感じなの?って。容量50グラムで普通のものよりかなり高い。こりゃちびちび飲まないと(笑)
飲んでみたら、ちびちび飲むぐらいがいいかなと。だって普通のものを飲むのと同じ量を入れてみたら苦い(笑)。でも珈琲を飲んでる!って感じはするね。まろやかな飲み心地、うん高くても美味しければ良し!

夕べは午前1時前就寝。『無痛~診える眼~』をリアルタイムで見て(久しぶりだ、リアルタイムで見るのは)西島さんにうっとりし(笑)、来週も見なくては!と決意を新たに。これも原作があるんだねぇ。久坂部羊『無痛』、読んだことないなあ、ちょっと本を読んでみたくなる。その後レンタルしていた『FLASH』二枚目を見終えた。これ案外はまるかも。そんな時間に寝たのに、今朝は5時半起き。
午前中早めにやっておきたい仕事があって、仕上げて送りたいから。早く解放されたい……
なのに、ここで一服しちゃってるわたし。

珍しく魚料理

2015年10月07日 | ほんのすこし
先日、旬采館の魚コーナーでサワラが1本200円なりで売っていました。サワラはあっさりした魚で塩振りでしか食べたことがありませんでした。そのとき、以前に甘鯛を開いたものを買ってきて、冷蔵庫で干したことを思い出し、それを応用してみることにしました。
久しぶりに一本ままの魚を買いましたので、さばくことができるのかしらん?と思ったのですが、まぁまぁ出来ました。開いたサワラの裏表に塩を降り、新聞紙の上にキッチンペーパーを置きその上に身の方を上にして冷蔵庫の中に。二日ほどそのままにしておいて、今度は皮の方を上に。こちらも二日ほどそのままに。

身の方の乾き具合を見て焼くかどうかを決めました。
身はそんなに厚くなかったのですが、ふたりで食べるには十分な大きさでした。美味しかったので、1週間後に行ったときにまた買ってきて、ただいままた干しているところです。


(色があまりよく写せませんでした)

そのときに、生の秋鮭が半身500円で売っていましたので、こちらは5枚切り身にしました。結構大きい切り身になりましたが、それを塩麹に漬けました。こちらも冷蔵庫に入れておき、麹を少し取って焼き魚に。
今日は、残っていた3枚を ホイル蒸しにしました。塩麹を軽く取り、薄切りネギとしめじとピーラーで薄切りにしたニンジンを乗せてみました。軽くお酒をふって、後はフライパンに水を入れて沸騰させ蒸し焼きに。
塩麹が効いていてただ焼くよりもこっちの方が美味しかったです。

サワラと秋鮭を買った日は魚が安売りでしたので、思わずイワシも4本で200円というのを買ってしまいました。
油が乗ってぷりぷりでした。刺身にできるというので、イワシを粗くたたきに。ミョウガとネギと大葉を入れて、味噌と生姜 擦りごまを入れてご飯のお供に。サンマで以前作りましたが、イワシの方が美味しいというのが二人共、同意見でした。

明日のために今日はブリ大根を煮てきました。

こう書くとずいぶん魚が多いなと感じるでしょうが、これ、毎日のことじゃないのです。たまたまいっぺんに魚を三種類買う機会があって、その日に食べたのはイワシだけ。サワラも秋鮭も後日食べたという話。

そして今日はブリのアラがあったので、大根と一緒に煮たということ。
どちらかというと肉料理の方が多いのです、我が家は。珍しく魚料理をしてみて美味しかったので。ホイル蒸しの画像がないのが残念。ぱさつかずしっとりして上手くできたのになあ(笑)
そうそう、もう一品あったのです。母がマグロの切り落としを少し残していて、もう生では食べたくないというので、にんにくと醤油・酒をまぶして小麦粉ではたいてバター焼き。最後にちょこっと醤油をたらしたら、案外これが美味しかったのです。じっくり焼くというより短時間で両面に焦げ目がつくくらい(切り落としだから薄いしね)がぱさつかずちょうど良かったです。

さあ、明日食べる予定のブリ大根、一晩寝かせておいたら味が染みているかしらね~

同じ位置?

2015年10月07日 | 母のこと
昨日、母にノーベル賞受賞の話をすると、
「あぁ、午前中も入ったけど、午後のこの番組(ミヤネ屋)でも何か新しいことが出てこないかと思ってね」
と、テレビを指差しました。画面では別の話題になっていましたが、わたしと同じように母も大村さんのことをとても気に入ったようで、
「あの人、80歳なんだってね。それにしては肌もつやつやで、全然そう見えなかったねぇ」
「そうよねぇ」
「ほら、あの(両手を上にあげて下げる真似をする)、あれやってる、あれってなんだっけ」
「バレー?」
「そうそう、あの石川祐希選手!」
「それがどうしたの?」
「ノーベル賞の人が、どういうわけかあの石川祐希くんと重なってみえてねぇ。笑っている顔が似ているんだよ」
(思いがけない言葉に内心 驚くわたし)
「どっちも肌きれいだからかなぁ」
(目のつけどころは、そこなのか?)
「会見を見ながら、石川くんの顔が浮かんできてねぇ」
と、母はちょっとうっとりした顔になっていました。

今のところ、母の一番はバレーの石川祐希くんのようです。80歳の方と20歳(19歳だったかな)の方とを同じ目線で見ることができる母には、わたしも完敗です(笑)

そして昨日はさらに物理学賞でもノーベル賞受賞者が出ましたね。梶田隆章さん、本当におめでとうございます!
大村さんといい梶田さんといい、最高の笑顔!
笑顔の素敵な人を見てると見た方もまた気分がいいです♪

大村智さん、おめでとうございます。

2015年10月06日 | ほんのすこし
夕べすごくすごく眠くなって、わたしとしては非常に珍しく、10時過ぎにベッドに入ることになりました。
そのとき、スマホの画面がなんだかちらちらしているので、眠たい気分のまま開いてみました。すると、速報?なのかな、ニュースのタイトルが。
「大野智、ノーベル賞医学・生理学賞受賞」
えっ!
一瞬、目が覚めてしまいました。

大野智って、まさかまさか嵐の大野くん?
今度は目を凝らして見てみましたよ。
そんなあり得ないことを一瞬でも考えたわたしが浅はかでした。
一時違いとはいえ、大野くんと似て非なる科学者の大村さんでした。しかも大村さんの人柄が全くもって素晴らしい。
大野くんファンのわたしですが、ちょっとでも似ている名前だということにひとりほくそ笑みながらスマホの画面を見ていました。

今朝から、ノーベル賞の話題でテレビはかしましいです。
でも、嬉しいです。
なんといっても、大村さんの受け答えや生きざまにひきつけられてしまうからです。科学に目覚める、本腰を入れて勉強しようと思うのが、定時制高校の教師で触れた生徒たちの勤勉さだったというところにも驚きます。また、美術館や温泉施設など地域のために役立てる道を選ぶということ、多くの人を救うために研究している姿勢と重なるところがあるなあと感じます。
誠実な人柄がとても気持ちよく、テレビを見ていてこちらも気持ちが良くなりました。
ごめんなさい、大野くんと間違えるなんて……って、ちょっとテレビの大村さんに向かって頭を下げていました。

それにしても、日本人のノーベル賞受賞が近年続きますね。
素晴らしいことだと思います。
大村さんが言っていました。
「成功の陰には失敗が数多くあります。一度や二度の失敗で諦めずに6回7回と続けていけば、うまくいくときが出てきます」と。
簡単に諦めてはいけないのですね。一度だめだったからといって、すぐ諦めてしまう私には胸に痛い言葉です。人間、打たれ強くなければね。
大村さんは農家であったため、勉学よりも農作業へと駆り出されていたとか。そしてスキーに夢中になったり。青春時代が科学の道一辺倒でなかったということもまた今の大村さんの礎になっているのかなとも思います。
何がきっかけで科学に進むかわからないものですが、大村さんの求めていたものが「これだ!」と思った瞬間があったのでしょうね。
ガツガツした印象のない柔和な姿に、奥さまが長年支えて研究に邁進させてくれた結果として今があるという思いがにじみ出ている気がしました。

本当におめでとうございます、大村智さん!(間違えてすみません、大野君にもごめんなさい)

今朝、いつも購読しているメールマガジンに大村智さんのインタビューが紹介されていましたので、転載したいと思います。

※※※
2012年5月号『致知』掲載抜粋
──大村さんの開発された薬によって世界で2億5,000万人もの人が病気から救われているそうですね。

それは「イベルメクチン」といって、もともとはメルク社(米)と共同で家畜やペットの寄生虫病の特効薬として開発して、世界中で使われているものです。それが人間の病気にも使えることが分かりWHOが注目したのです。
例えば疥癬(かいせん)といって老人ホームなどに多い皮膚病がありましてね。患者さんからすぐ看護師さんにも観戦してなかなか治らないんですが、この薬を一回飲むだけでピタッと治るんです。皮膚科領域の革命だといわれています。この薬によって、熱帯地方によくあるオンコセルカ症という目が見えなくなる病気や、リンパ系フィラリア症といって脚が象みたいに太くなる病気がほとんど感染しなくなって、WHOも2020年には撲滅できると発表しました。

──大変なご努力の賜物でしょう。

研究そのものはそんなに難しくはないのですが、何を考えて取り組むかということが大事です。そういう意味で僕は、人があまり考えないことで世の中の役に立つのが自分の使命だと思い、人がやっていないようなことに絶えず挑戦してきました。
このイベルメクチンも、我われが発見した世界で唯一の微生物がつくる化合物から開発した薬です。
これ以外にも創薬に結びつく化合物を含む新たな460種類の化合物を発見するなど、世界で最初に手掛けた研究が多数あります。
とにかく僕が携わっている化学や微生物の分野では、創造性が大事で人真似は絶対にダメ。
もちろん学問ですから先人の業績を勉強することは大事です。
だけどそこから一歩先んじようという気概がなければなりません。
若い研究者にもいつも言うんです。
新しいことをやりなさい、そうすると人を超えられるんだよと。
人真似ではどんなによくてもその真似をした人のレベル止まりです。

失敗を恐れず、新しいこと、人がやらないことに挑戦してこそ人を超えるチャンスを掴めるんです。
(略)
何かを成そうという時には、ネックになることがいろいろあるものです。
だからダメではなく、高い山を乗り越えて初めて物事は成せるんです。

お金がなければいかにお金を集めてくるか、人がいなければいかに育て、活用するか。
与えられた場で自分の役割を果たすことは大事です。
しかしただその場に甘んじているのではなく、そこを乗り越えて、自分でなければできないところを見せなければいけないと思います。
そういう気概で歩んできた結果、化学者としては一流でも二流でもない僕が、一流の化学者以上の実績を積み上げることができました。

先年、102歳で大往生された松原泰道ご老師に僕は大変懇意にしていただいていました。そのご老師からいただいた「生ききる」という色紙が自宅の仏間に飾ってあります。
僕はこれからいよいよこの「生ききる」を実践していきたい。

後進を育て、独自の新薬の開発を通じて社会に貢献していきたいですね。

※※※

2012年のインタビューですが、それから3年後の今、ノーベル賞受賞。大村さんの中には一貫として強い思いがあるのですね。

久しぶりに淹れたて珈琲を

2015年10月05日 | ほんのすこし
ずっとずっと、インスタントコーヒーを飲んでいました。以前は挽いた珈琲豆をドリップコーヒーにして飲んでいたのですが、なんだか1杯を落とすにはなぁという気がして、まとめて二杯・三杯分を落してタオルとかで保温して飲んでいたのです。でも保温にも限りがあって、時間をおかずに飲まないと美味しくなくてね。
結局、インスタントに落ち着いてしまい、午前中は何杯もお代わりして飲んでしまうということになっています。

珈琲豆(粉)も以前はコーヒーメーカーがあって、豆の状態から挽きたてを落して楽しみましたが、狭い部屋に幅をきかせるので、母のところに持ち込んでしまっています。弟がいた頃はそれでも使っていたのですが。今は、もうわたしが飲むだけですからね。インスタントだけになりました。

コーヒーメーカーが無いので、自分で落とすしかありません。以前買っていた珈琲の粉が冷凍に入っているのを思い出し、特別に?淹れてみることにしました。きっと味も落ちて美味しくないだろうなと思いながら。
ところが、思っていた以上に味はそこねておらず、珈琲の香りを楽しめました♪
もちろん一度に三杯分は落しましたがね(笑)
最後の三杯目あたりには胃の中でちゃぽんちゃぽんと音がしないかと思うほどです。初めはストレートで珈琲を味わい、二杯目は少しミルクを入れてマイルドに。最後は最初にミルクをたくさん入れて、珈琲を温めて注ぐ。そんな三杯を味わいました。
湯気がカップから上がっている姿を見るのが、すごく好きです。
なんでしょうね。この安心感は。

本当は時間が差し迫っていて、やらなければならないことがあるのに、珈琲を味わう時間の豊かな気分ときたら……これを至福の時と言わずしてなんとや(笑)これから先の試練?を思えば、まあ、かりそめの安らぎとでもいいましょうか。

さて、本日は月曜日。一週間の始まりです(日曜が始まりということもありますが、わたしの場合は月曜日が始まりと思っています)。今週はそれこそ先延ばしにしてきた仕事を完成したいと思います。自分に活をいれて取り組みたい、そんな気分でさきほど珈琲を飲みほしました。
後は、個人的なイベントが週末に一つ。ゴスペルのワークショップに参加する予定です。そのほかに約束していることも一つあり。
母の診療予約の変更願いもありました。実は、10月の診療予定日を先生が決めるときに、その日を指定されたのですが、そのときはまだ決定していなかったのでまさか決まってもいないのにその日はダメですとも言えず、了承してしまったのです。二つの科の受診があるので、二つの科に変更願いをしなければならなくなりました。あのとき、もしかして……と考えて別の日にしていただいていたら、こんなことにならなかったのに。

10月の後半はプライベートであれこれと忙しくなりそうな予感がします。
今は腰を落ち着けて、仕事をしましょうか。月曜日は決意も新たに頑張る日、わたしにとっては。珈琲も飲んだしね。


魔法の光をひとふり

2015年10月04日 | 朝のことば&つぶやき
夜のとばりの中で
何を思って枕を濡らしたの?
そんなあなたに
魔法の光を

きらきらと
降りかかる光は
あなたのココロを包んで
朝の目覚めに
優しさを混ぜてくれる

苦しみは思い出という甘酸っぱさに
悲しみはこれからやってくる喜びに
いつかはみんな時の流れの中に埋もれて行く

前に進んだ者だけが味わうことのできる
光の道へ
あなたも行けますように
目覚めたら
朝がこんなにも
空気が美味しいことに
気づけますように

※※※

ずいぶん昔になってしまいました。使い回しのマウス画。使うたびに別の言葉を添えて。そのときどきの自分の言葉、どれがいいかなんていうことよりそのときの自分が感じている言葉とイラストなんだな、きっと。

※※※

奇跡体験!アンビリーバボーを見ました

2015年10月03日 | ほんのすこし
録画していた番組の中に「奇跡体験!アンビリーバボー」があった。3時間もの長い番組だったが、午前中何かをしながら見てもいいだろうなんて軽い気分でつけてみた。
三話構成だったが、最後の実話。

死の海を救え!~人生の決断~
海上保安庁に勤める田尻さんという方のお話。
いち公務員として立ち向かうには困難なほどの巨悪に敢然と諦めないで突き進んでいく決意をしたのには、以前味わった死の瀬戸際でのことを思い出したからだという。…奇跡的に助かった時、「今度死ぬ時、あの思いを味わいたくない。これからは自分思ったことを誠実に実行していこう」 そう心に決めたのだ…
あの思いとは、これまでの人生で情熱をかけたことがなかったということだった。
ただ密漁者を逮捕してきたが、なぜ密漁しなければならないのかという彼らの背景にあるものに目を向けてこなかった、そこには田尻が想像もしてこなかった事実が隠れていたのだということを知る。
田尻に現実を見つめさせるきっかけを与えてくれた漁師たち。
会社が追い詰められ自分の生活も苦しくなるのがわかっていて、田尻に会社を密告した者。「絶対後悔するときが来ると思ったから」だと田尻に言う。
田尻たちが、起訴に踏み切るだけの調査資料を集めるのに四苦八苦し、もう無理なのではないか?と思いかけた時にそっと社内の情報を伝えてくれた社員。
色々な人が田尻のために動いてくれた。
何よりも、田尻の部下たち・妻が彼のために支えてくれた姿に思わず引き込まれてしまった。

二時間ドラマを見ているような、いやそれ以上のインパクトがわたしにはあった。フィクションよりノンフィクションが素晴らしいこともある。田尻の打たれても打たれても最後まであきらめずに、四日市市の海に魚が戻ることを願って止まない姿、最後は国会にまで広げていく。自分の立場が危うくなること、身の保身などちっとも構わなかった。
日本で最初の公害企業に対する責任を問う裁判は9年間にも及んだ。裁判に田尻が参加することは認められなかったが、彼が行ったことはしっかりと周りの人々に伝わっていた。彼が四日市市を去り、次の勤務地へ行くとき送別会を開いてくれたのは、かつて田尻が密漁で捕まえた漁師たちだった。

詳しい内容はリンク先を読んでくださるとわかります。

…田尻は日本全国で多くの講演活動を行い、1つのことを訴え続けた。 「人間、必死になって立ち上がったらね、1人でも2人でも何かが変わる。」…

必死さという言葉、そこにあるのは何かを決心した者のしぶとく強い精神だ。彼が死を目の前にして感じたことが、その後の自分の人生を決めたように、人はあることをきっかけに変わることができるし、変えようと思うことができるのだ。
生きた証として、何かをやり遂げる。決してそれは大それたことでなくてもいいのだ。自分が誰かのために何かのために一生懸命になること、それが証となって残るのだと感じた。はたしてわたしは? と思った。
はたしてわたしの行く末は?  情熱を持って向かっていっているのか?
番組を見終えて、やるべきことの見つからない自分ではないかと考え込んでしまった。

爆弾低気圧

2015年10月02日 | ほんのすこし
昨日、いつもより遅い時間に母のところに行った。心配そうな顔で、
「帰りに外に出している鉢を風除室に入れていってくれないか。○○さんが入れてやるかって言ったけど、後で○○子が来るからそのときにやってもらうって言っておいたんだ」
と言った。わたしは即座に了承し、帰りがけには忘れずに入れようと思った。晩御飯の準備をし、いつもは余裕があった時間がすぐにも晩御飯の時間になってしまった。母はお目当ての韓国ドラマを見ていてもうすぐ番組時間が終了という頃に、わたしが帰り支度を始めていたら、そばにやってきた。
ははあん、あれだな。
さっき話していた外の鉢。心配でたまらないのだろう。
そして、鉢の置き場所とか指示しないとわたしが適当に置いてしまうもんだから、それも心配なのだろう(笑)
玄関マットの上に立ち、あれはこっち、それはここという風に指示。そのうち外に出てきて、後は無いだろうなと確認する。
「母さん、ドラマ終っちゃうんじゃないの?」
母がハッとした顔で
「いいんだいいんだ。どうせあれ録画しているんだろ?」
と言った。連続ドラマ予約しているので、見逃したりしても見ることはできる。母もだいぶ録画に慣れてきたものだと思った。
母の指示通りに鉢の移動を終え、ではこれでと。
「お前も気をつけろよ。ほら、なんていったっけ……爆撃台風、じゃないな、爆……?あぁもうどうでもいい。とにかくすごい風らしいから、気をつけて帰るんだよ」
わたしは昨日、母のところに行くまで天気予報には全然気がつかず、ニュースも知らなかったので、母の言うところの○○台風とはなんぞや?といった感じで戻ってきた。

なんだ、爆弾低気圧ってことか!
低気圧が出てこなかったんだねぇ。爆弾が爆撃になったってところが気になるけどね。
とにもかくにもどんな低気圧になるやら。
夜はイベントがあったので、急きょ参加することにしたが、歩いていてもそんなに風の強さを感じなかった。多分夜中にひどくなるのだろう。10時過ぎ雨の中を帰ってきたが、やはり風混じりの雨のせいか、上も下も濡れてしまった。
暗い空を見上げながら、これからひどくなるのか?と不安になった。
夜中、眠りの中で〈朝の母のところのゴミ出し、行けるかなぁ〉と思っている自分がいた。
いつもは5時過ぎに出かけるのだが、さすがに外の風音に怖れをなして、6時半過ぎに出かけた。

カーテン越しに明るい光が入ってきたから、きっともう大丈夫なのだろうと思った。
車まで行くうちに小雨が降っていることに気がついた。明るい空なのに。運転していると、かなり明るい空だ。小雨が降っているのは、この車の周辺だけみたいで周りは青い空と白い雲で爆弾低気圧何するものぞといった気分。
西の空の雲の下から虹も覗いていた。もう終ったのかな。
ゴミ出しも終え、母と二三会話をし、家路に戻る。
ところが、である。
南西の空がどんどん黒い色をまじえて大きく青い色を覆ってくる。道端には風で吹き飛ばされたであろう枝やらゴミが転がっている。さきほど小雨だと思っていたものが、だんだん大粒の雨に変身。四車線の大通り、両側のケヤキはてっぺんの枝がゆさゆさと揺れ、いまにも折れんばかりになった。電線がこれまた大きく揺らいでいる。太い枝があちこちに散在。あっという間に来たときの明るい空が消え、ダークな空へと変わっていた。
なんとなく気持ち悪くて急いだ。戻ろう、早く戻ろう。午前7時ちょっと前。すれ違う車がまだ少ないのが良かった。
すでに低気圧は収まっているのだろうけど、みるみる内に変化していった空の様子にびっくりしたのだ。

今も外で風の音がする。いつもの風より少し強めだと感じる。
自然の力はすごい。その前にいる人間はあまりにも小さくて、右往左往する。
しかし、自然の力も時間と共にいつかは消え、また元の穏やかさが訪れる。穏やかさの訪れが早いか遅いかの違いでわたしたちの生活にも大いなる変化がある。変化に対して無力さを感じながらも前に進もうとする意欲は忘れない。それが復興という名の連帯感につながるのだろう。
あれ?爆弾低気圧ってタイトル、どこへ行った?
もう遥か海上の彼方か?

※※※

この記事をアップしてから、風が強まり、ただいま外はすごい音をたてた風です。風圧で窓に当たる空気の音が全然違います。4階建なので、田舎では周りに高い建物がないせいか、こういうときに風の強さをいつもより感じます。逆にひどい風だと思いながら母の処へ行くと、そう感じていないときも多々あります。一階建てとの違いなのかな。周りに同じような高さの家が並んでいるせいかな。
とにかくひどい風が吹いているようで、これから外出を控えていて、ちょっとびびっているところです(笑)

※※※

あのフィル・ウッズが亡くなったって?

2015年10月01日 | ほんのすこし
今朝の新聞を読んでいたら、思いがけない人の訃報を知った。
29日に肺気腫で亡くなられたという83歳だった。アルトサックス奏者のフィル・ウッズ。わたしの青春時代(学生時代)を代表するジャズ奏者のひとりだ。『IMAGES』をかけて追悼。

独身時代、初めてジャズ喫茶というものを知った。それがここでもたびたび登場する「MINTON HOUSE」だ。あの当時は昼もランチとか営業していて、昼夜営業をしていたので、わたしも入ることができた。大学二年の夏休みに帰って来ていた私は、栗盛図書館の帰りにふと思い立ち、裏道を歩いてみた。そこで見つけたのがかのお店だったというわけだ。こげ茶色の全面に入口は真ん中で、右側の窓が開かれていた。ちょっと見はアンティークっぽい雰囲気の佇まいに乙女の雰囲気を感じて好奇心を隠せずに入ってみたわたしだったが、その先入観はとてつもなく違うものだということに入口のドアを開けて、さらにその奥の扉に手をかけたときに気がついた。

何これ?
今まで聞いたことのない音楽。耳にがんがんと響いてくる。
ドアに手をかけた手前、戻るに戻られず(笑)初めてのジャズに遭遇する。
それがわたしとジャズとの馴れ初めで、ジャズのなんたるかも知らずにただただ乙女チックでおしゃれなお店だと勘違いしたお店の表に惹かれ、そのギャップというか店内のこげ茶色で統一され白い陶器のようなカウンターに惹かれ、音楽もわからないまま通い続けてしまったのだ。

初めの頃は、カウンターなど恐れ多くて座ることはできず、あの外から見た右側の窓(開放されていると思ったが違った)側の席(4人掛け)を陣取って、たまに珈琲のお代わりをしたぐらいにしてノートに好きなことを書き連ねていた。今思えば、カウンターに腰掛けたほうが店にとっては助かるのに、そんなことにも考え及ばなかった浅薄な若者だったわけだ。

ここに通うようになり、コンサートに行くという楽しみも知った。マスターは当時の精鋭、駆けだしでも力量のあるミュージシャンを見つけるのが上手かった。今では大御所と呼ばれジャズ界で大活躍している面々を幾人も呼んでくれたものだ。秋田の小さな地方によく来てくれたものだと思う。この街よりも日本全国でお店の名前は有名だ。
前置きが長くなったが、その店であの頃すごく好きだったのが、フィル・ウッズだった。特に「風のささやき」や「おもいでの夏」がかかると目をつぶってその音に酔いしれたものだ。
どういうわけか、わたしが入口の中のドアを開けるとこのアルバムがかかっていることが多かった。わたしの聞きたいものがわかるのか?と不思議に思ったものだ。

そのフィル・ウッズが青森でライブをするというので、人生初のひとりでライブに行くということを決めた。昼のライブなら秋田から電車で行っても間に合う。どきどきしながら青森に向かった。お目当てのジャズ喫茶を探し当て、始まるのを待った。
開演時間になり、トリオでの演奏が始まった……
だが、なんだか様子がおかしい。
どうものりがいまいち。
しまいにはサックスを置いてピアノを弾き始めた。
結局、わざわざ聞きに行ってサックス演奏は思ったほどの曲数ではなく、そこが残念だったが、それでもすぐ目の前で彼の演奏が聞けたことに満足して戻った。夜の演奏は良かったようだと人づてに聞いた。まぁ、長旅でお腹でも壊していたのかもしれない(笑)
地元に彼が来たときも行った。こっちの方は凄かった。もうバリバリノリノリで、ウッズ節がそこかしこに溢れんばかり。会場は割れんばかりの拍手・拍手だった。
そういえばあの頃はライブやコンサート三昧だった気がする。秋田でキース・ジャレットのソロコンサートを聞いたのも学生の頃だ。今はほとんどそういうコンサートに行くことがなくなってしまった。

フィル・ウッズは亡くなってしまったが、こうして若い頃の思い出と共にあの頃の演奏をする彼を思い出すことができる。これから先も彼はいないが、彼の演奏を聞いて彼のことをもっと知りたいと思う若者が出てくるだろう。音楽が延々と続いていくのは、リアルタイムでその人の演奏を聞く感動もあるが、亡くなってからもその演奏を聞くことができるという現代の利器の賜物だ。科学の発展に感謝したくなるのはこういう時でもある。
今日はしばらく彼の演奏に浸って若い頃を振り返りたくなった。

フィル・ウッズさん、素晴らしい演奏をありがとう。ご逝去に際し、追悼の意を表します。