昨年夏以来の忍野行き。 毎年最初は、水回り、電気、ガスが無事か、すずめ蜂が巣を作っていないか、変な虫が異常発生していないか、心配しながらの忍野行だ。 むささびが、壁板をかじって穴を開けて屋根裏にたくさん入りこんでいたり、大木が家ぎりぎりに倒れて来ていたこともある。
幸い今年は大きな問題がなくホッとした。
富士山は、1日だけ早朝にちょこっと顔を出した。
トウモロコシは、まだまだ小さい。 7月下旬ころには食べれるようになるかな。
ちょっとギクッとする風景。
昼飯は、うどんを2回。
1回は、Wうどん。
肉玉かけうどん と つけうどん。
翌日行ったSf屋のうどんは撮り忘れた。
軽い山に登ってみようと、山中湖南岸の三国山に登った。 この三国は、甲斐、駿河、相模だ。
途中の明神山から見た山中湖。 残念ながら富士山は裾しか見えない。
山ウツギが満開。
河口湖のラベンダー祭り。 まだちょっと早いけど、観光バスも来ていて、とても賑やか。 中国語が飛び交っていた。
NHKが富士山特集放送中。
富士吉田のSパン屋をチェック。
相変わらず楽しいパンがあった。 ひよこ
ぶた
ほうとうパン。カボチャやニンジンが入って味噌味。 イケル。
ktyanのオサナ友達のEticocyanから寒河江のさくらんぼをいただいた。
kazuyo-senseiからも、さくらんぼをいただいた。 孫の好物なんで、いくらでも有り難い。
無肥料・無農薬、要はほったらかしで、根元には大きな空洞まで空いている梅の木に沢山実がなった。
愚痴をこぼしながら、kcyanが色々と作った。
←これはKamijyo-sanにいただいた梅ジャム
ドライフルーツ。 父の日プレゼント。
Zsanから房総のニンジンが来たからとおすそ分け。
ジャガイモも入っていた。
先日久し振りに食べたメキシカンが美味しかったと言ったためだろう、Mcoがアメリカからメキシコに回った出張の土産にサルサを買ってきてくれた。 それと、テキーラ。
竜舌蘭(マゲイ)の蒸留酒。 熟成度合で色合いが違うらしい。 自宅で飲んだことはないので、飲み方を研究する必要がある。
NHKのゴルフ講座のテキストをKazucoさんにお貸ししたら、お礼に葉山のクッキーをいただいた。
小さなお店で、手作り感のあるクッキーを作っているらしい。
ヘーゼルナッツ アーモンド
いかにもアメリカっぽいけど、アメリカ現地では、なかなかこんな手作りクッキーは買えない。
神田のワインパブで同期入社のおっさん数名らが定例飲み会。
北海道産のオーストリア原産ツバイゲルトのワイン、チリのシャルドネ、豪州のシラー。
今週は、男孫2人が居候。
朝と午後、車で学校まで送り迎え。何とか1週間無事に終わりそう。 日曜日はさっそくマックでランチ。
この二人は、いつもおまけ付きのハッピーセット。
孫と一緒の時しか行かないから久し振りだ。 チキンナゲットはタイ産。
賑わいが戻った感じ。
平日は、学校から戻ったら、勉強、ビデオ、ネットゲームと忙しい。
だいぶ手間が掛からなくなってきた。
能登から送っていただいたさかな類を出したら、美味しいと言って食べた。 なめらと、ぐれ だそうだ。
孫がみな魚を食べるので結構だ。
同期会の前日は天竜二俣で泊まった。
同期会当日は昼過ぎまで時間をつぶさなければならないので、二俣を歩いた。
天竜川が伊那谷を抜け静岡県に入り、佐久間ダムを越えてなおも山の間を南下し、旧龍山村を過ぎやっと平地に流れ出る所。
4年前、天竜川のここで川下り舟の転覆死亡事故があった。
信州高遠から遠州浜松まで秋葉街道が山あいを抜け出た所、ここで、駿河掛川から森の石松の遠州森を通り浜名湖の北側を迂回する東海道のバイパス街道にT字型にぶつかる。
交通の要衝だった。 ホテルはないけど旅館が沢山ある。
古そうな店。色の褪せたオーシャンウイスキーの看板が残っている。 1988年の同期会に来た時にkcyanと寄ったうなぎ屋はなくなっていた。
戦国の攻防の要衝でもあった。 武田信玄が信州経由で下ってきて、ここで徳川方と衝突した激戦の地。
天竜川沿いの小山の上に武田と徳川が奪い合った二俣城跡があった。天主台跡
鉄道も、東海道線のバイパスのような形で天竜浜名湖線が走っている。掛川から二俣経由で浜名湖北側を走りまた東海道線に戻る。
昭和の頃は国鉄の二俣線と言った。
天竜二俣駅の昔ながらの駅舎を見に行ったら、たまたまこの日は構内見学や記念グッズ販売など賑やかなイベントをやっていた。
古いけど、大きな機関区もある。 見るものほとんどが国の有形文化財だ。
“日本の原風景に出会う旅”と書かれた天浜線HPには、「昭和の鉄道遺産」と紹介されていた。http://www.tenhama.co.jp/
転車台 売りに出ていた運賃表。
運転席に乗せてもらった。
記念バッジ
同期会は二俣の上流の船明のダム湖の脇。東北、九州からも集まった。
宴会料理にやはり鰻が入っていた。
翌日はみんなで小学校跡や住んでいた山の上まで行くということだったけど、残念ながら、当日帰京した。
小学校の同期会に行ってきた。
天竜川。
河口から60kmほど遡った山あい。旧龍山村。
秋葉ダムで水面が上昇している。同級生に会うのも懐かしいけど、もう無くなってしまった小学校や住んでいたあたりを見るのも楽しみなので、前日早朝に東京を出て、浜松経由、電車とバスを乗り継いで、昼前に天竜川の山あいにまで入り込んだ。
人だけが渡れる橋の奥の急斜面にインクラインという人貨共用のリフトがあった。 左奥の山の上の斜面を削って小学校が建っていた。
なにせ街まで戻るバスが3時間に1本しかないから、小学校にまで登るのはあきらめて、反対側の山に少し登って元住んでいたあたりを遠望したあと、川に沿って歩いた。 ダムができる前の橋の跡。
隣りの村の小学校の廃校舎が残っていた。 小学校のグランド↓
山から下って、ここで野球の対抗戦をしたことがある。快勝だった。 ↓ 山の上のチームの主要メンバー
山の上まで段々茶畑。
反対側の山からの遠望。 下の方に橋が見え、インクラインの跡が木で覆われた山肌に一本の筋のように残っていた。
梅の実がかなりなった。 今年は、風で落ちる前に早目に採取。
無肥料、無農薬だからと、使いそうな方にも差し上げた。
採れれば採れたで大変と愚痴をこぼしながらkcyanが梅酒と梅みそを作った。 梅みそはおつな味。種もいい味なのでしゃぶっている。
墨田の花火 という名前のアジサイ。 今年はしっかりと咲いた。
旧醸造試験所を訪問するためにJR王子駅前でTni君と待ち合わせ。
ここでしかお目にかかることのない都電の写真を撮ろうと待っていたら、えらくケバク塗られた都電がやってきた。
ヒョウ柄と思ったけど、ネットで、大阪のオバチャンが縞々だからタイガースのトラ柄、ヒョウは斑点と書いていた。
石川県大聖寺の造り酒屋に育ったTni君の父親が、大正時代にここで酒造技術の研修を受けたんだそうだ。
父君が折々に滝野川の醸造試験所での研修のことを話していたそうで、卒業アルバムも大事に残っていた。
醸造の科学的な研究と、若い人たちの教育で日本の醸造業の発展に貢献してきた施設だ。
明治30年頃には酒税が国税収入の30%以上を占め、以後長い間、酒税が国税収入の第1位で、酒造業の近代化と振興が国の重要政策だったと説明を受けた。
明治時代に建てられた赤レンガ造りの建物とその内部の設備をあらためて見学させてもらった。煉瓦を作る技術もなかったのに、煉瓦工場の建設から始めて、東京駅、日銀、各種官営工場など、煉瓦作りの大型の建物をあちこちに作っていった明治という時代の勢いを感じた。
天井もアーチ形に組み上げた煉瓦作り。 複雑な設計に合わせて煉瓦の形、大きさを変えてある。
広島の研究所本部で作ったお酒を試飲させてもらった。 帰りがけに王子駅前で開いていた居酒屋で軽く仕上げ。
Tai誕生会の食事のメインはメキシカンタコス。 久し振りだ。
昔は日本でハードタコ(V字型の焼きトルティーヤ)が手に入りにくいので、アメリカ出張時にスーパーで買い込んできた。
安上がりの土産だけどかさばった。どうして健康的で美味しいメキシカンの店がもっと日本で流行らないのか不思議。
前日の日経土曜版の「専門家推薦 世界旅行気分に浸れる、あの国のワイン」で1位になったワインを早速いただいた。 新聞を見て即注文してくれたらしい。 南アのシュナン・ブラン
これはアメリカのピノノアール。 カリフォルニアのロマネコンティと呼ばれるワイナリーの人気銘柄らしい。
Aki-Misa二人でアメリカに行ってきたお土産をもらった。Caleraも持ち帰ったのかも知れない。
アップルバター。ペンシルバニア州のアーミッシュ系住民の伝統製品だ。 リンゴをとことん煮込んで作る。 ミルク系は一切入らない。
kcyanが頼んだジップロック。
アロマ付きコンセントライトとでもいうのかな。
能登のHcosanから魚を送った、明日届くと電話が来た。
有無も無い。 こちらが家にいる日でよかった。 半端な量でない。名前が分からない魚が多い。
一番下に貝類が入っていた。食べたことのないとんがった巻貝もある。
ボラ。 さばくのは大変だけど、綺麗な海で獲れたものは美味しくて、関西、北陸では珍重されるらしい。
煮つけにして大変美味しかった。
貝は、Taiの誕生会に持ってって焼いた。しっかりと磯の香がした。
戸隠から、信州ツアーの最終泊地の鬼無里へ。
相当奥地にあって過疎地帯とされているけど、名前がユニークで伝説伝承が多いみたいだし、たまたま温泉宿が1軒だけある。 長野には各地に名湯が沢山あるけど、有名で代わり映えのしない温泉よりも面白そうなので、ここにした。
鴨肉のほう葉焼き。
あらためて写真をみるとかぶせた蓋に紅葉があしらわれている。 伝説では、京都から戸隠に流された美女の名が「紅葉」。 都の文化・文物を伝えて村人から貴女として尊ばれたものの、結局は鬼女であるとされて、勅命を受けた平維茂が打ち取った。
村内には、東京や西京といった名残の地名や、紅葉の内裏跡があった。 蕎麦の実と枝豆の磯部揚げ。
蕎麦の実ぞうすい。
鬼無里の一番の観光は、水芭蕉の原生地。
鬼無里には、穂高連峰の西端の「一夜山」もある。 日本書紀にも記されているという信濃への遷都計画にからんで鬼が作ったという山だ。 登ろうとも考えたが、楽な方の水芭蕉にした。
鬼無里から西に峠を上ると白馬岳が見えるというので、朝いちで車を飛ばした。
地名が白馬村に変わってしばらく進んでトンネルを抜けた途端に目の前に後立山連峰が広がった。 思わず、ウヲーッ!!
水芭蕉の群生地は、鬼無里の最奥、裾花川の峡谷を遡って行きついた。 山奥だけど、雪解け水で潤う水辺に一面の水芭蕉。
まだ雪が残っている。
鬼無里からの帰路は、ひと山南に越えて小川村、旧中条村に出て、川中島を抜けて長野ICへ。
小川村からの後立山連峰
たぶん五竜岳、鹿島槍。 登ったことがある山が見えるとうれしい。
鬼無里のおやき。 あざみとうど。 焼き立てで美味しかった。通販もあり、各地の催事にも出店しているようだ。
小川村のおやき。 いろいろ種類があって楽しい。
小川村、旧中条村は、しばらく前のデータで長野県内で村の規模が小さいのに最も限界集落が多い村にあげられた。 後期高齢者の比率が圧倒的に高い。
中村には、そんな状況を逆手に取った「限界集落一番」というブランドもあった。
旧中条村の笹おやき。 中条村でセリを買ってきたけど、今まで食べた中で一番味・香りが強かった。
長野IC直前、Hsanが松代の帰りに立ち寄ったAコープの野菜が忘れられなくて立ち寄り。 段ボール箱をもらってしっかり野菜を買い込んだ。
今回の旅行は、4日間だったけど、Hsanのお陰で長野市を中心に巡り歩き、見る、食べる、飲むを楽しむことができて幸せだった。
野菜、蕎麦をはじめ、いろいろ買い込んだり、頂戴したりして帰ってきた。、
鏡池から見た戸隠連峰。 西岳。戸隠の西側連峰の最高峰。
東の戸隠山側。 左わきが八方睨という所らしい。
蟻の戸渡り、剣の刃渡りなんてとんでもなく細い尾根もある。 不帰の険、無念の険なんてのもある。
かねて厳しい山と聞いていたけど、見るほどに、残念だけど、登るのはあきらめておいた方が良さそう。
奥社への長い参道。 JR東日本のCMで吉永小百合が歩いたり、大木のうろにもぐったりして人気が出たらしい。
奥社の上に、覆いかぶさるような険しい山並が見える。
戸隠山麓で蕎麦打ち修行.
そば粉に湯を注して混ぜているときに、蕎麦の香りが立ち上がってきた。 かねて蕎麦は香りと聞いていたけど、実感したのは初めて。 どうも随所に技が求められる。
昼飯を食いっぱくれるんでないかと心配したけれど、素人技とは思えない立派な蕎麦に仕上がった。
もう少し暇になったら蕎麦打ちに挑戦しよう。
朝5時半から歩いて善光寺詣で。 もうかなりの人出。
前立ご本尊を拝み、お戒壇めぐりから回向柱とゆっくりとお参りした。
松代。 江戸時代の建物がきれいに維持されている。
武具、調度品もたくさん展示されていてびっくりした。
幕末までずっと長く真田の統治が続いたためだろう。
立派な武道場。 老剣士が型をとっていた。
居合道とのこと。 上がって中を見学してくださいと言われたけど、張り詰めた雰囲気を壊すようで遠慮した。
松代の巨大な地下壕。 大本営、皇居、重要政府機関などを持ってこようとしたのだから大掛かり。 ここに隠れて何ができたというんだろう。
松代の長芋料理のお店でランチ。 とろろ飯、山芋のスープ、デザート、いずれも美味しかった。
松代からの帰り道。信濃川越しに戸隠(多分)。
Hsan宅で信州の食材・郷土料理をしっかりとご馳走になった。
イタリア土産を開けていただいた。
最後に日本酒もいただいた。 淡竹とサバ缶の味噌汁。 信州の郷土料理のひとつ。 とにかくサバ缶でなければダメらしい。 スーパーの入口には、サバ缶と淡竹が山積みになっていた。
Hsanから手作りリンゴジャムとお酒を頂戴した。