YSさんから「茅ヶ崎のてっちゃん」という本が回ってきた。昭和30年代の中頃に、茅ヶ崎で暮らしていた小学校4、5年の作者とその家族、同居人らの物語。
茅ヶ崎という土地が大事な要素になっている。茅ヶ崎の風や空気まで描いているlocalismの極致のような本。当時の様子、雰囲気もよく現されていて、同じ頃、少年時代を茅ヶ崎で過ごした者として、海辺に流れ着いたガラス瓶の中に半世紀前の手紙を見つけたような気持になった。
特に浜辺の様子は、江ノ島、えぼし岩、富士山の景色の描写を含めて、一々うなずきながら読んだ。
しばらく前から藤沢の鵠沼に住んでいるYSさんには、西浜地区の網元料理など茅ヶ崎の良さを散々宣伝したので、こんな本を見つけて届けて下さったことと思う。嬉しい限り。 08.04.27
JAふじのみやのHPによれば、たけのこは特産品だそうだ。 多摩在住のShingoさんの息子のTakasi君が富士宮から持って帰ってきたとのこと。
大きいが柔らか。
若筍煮、筍ご飯、天ぷらなどでいただいた。Shingoさんは、宮沢賢治の流れを汲む人のようで(賢治を恩師とする新庄の松田甚次郎に学んだらしい)、半世紀ほど前に多摩の山あいの土地に入り、乳牛を飼い野菜を作ってきた。聖蹟桜ヶ丘から野猿街道を入った辺りで、当時は、深い林の山並みが続いていた所だが、今や、家の裏までC大学のキャンパスが迫ってきている。京大剣道部がC大を訪問した際、正門に向かう道に「マムシに注意」の立札があり、慌てて全員真ん中一列で進んだと、同部OBのMizuno君が話していた。大学にはマムシの血清が置いてあると聞いたことがある。
山の開発が進んで、最近では、逆に家の近くに、タヌキ、アライグマ、さらにはハクビシンも出てきているそうだ。農作物を荒らして困るとのこと。多摩動物公園から脱走してきているんでないかな。 そういえば、慶応日吉にも「マムシ谷」があったな。
畑のほうれん草もいただいた。 08.04.22
08.04.24 追記
昨日C大卒のWakabayasiさんに聞いたら、「もう立札はありません」と言われた。
08.05.08 追記
5月6日に多摩動物公園に行ったら、ハクビシンは不在で、替わりに、網の中には絵が立ててあった。鼻に白い線があることから、白鼻芯と書くことを知った。
いよいよ筍シーズン。
今年の初物は、思いがけず、三重の亀山から届いた筍煮。御すそ分けで頂戴した。併せて、たらの芽も。
亀山は、ひと昔前は、ちょっと町を外れると山、川があり、夏休みの昆虫採集がしっかりできた。コマゴマした川魚を持って帰ったら、オサトおばあさんが砂糖醤油で煮てくれたけど、苦かったな。静かな城下町の角の多い町並みをゆったりとした風が流れていた。
名阪自動車道ができ、シャープが大工場を建てたりで、どんなにか変わってしまったんだろうと思っていたが、まだ筍が採れるんだ。
Google航空写真を見たら、小川は見えなくなっているが、森や林は案外残っているようだ。 関西本線にあって、紀勢本線の起点で、東海道も通っていた城下町となれば、昔からもう少し賑わっていてよかったんでないかと思う。Wikipediaによれば「関西本線奈良亀山間複線電化促進同盟」なるものもあるようで、もう蒸気機関車ではなかろうが、少なくとも亀山から西は、相変わらず余り開けてなさそうだ。大体、「関西本線」なんて、単線で本数も少なかったのに大げさ過ぎる名前を付けたもんだ。昔、京都から草津線で行ったときには、駅前が真っ暗で何にもない柘植で50分くらい待たされた。
いずれにしろ、亀山の風情が残っていてほしい。 08.04.19
甲州勝沼の岩崎醸造のワイン。数十年前NHKで、数人のソムリエを呼んできて、いいワイン当てコンテストをやったとき、フランス産数万円ワインをおさえてトップになる快挙をあげたワイン。いち時期、岩崎醸造の一升瓶ワインが当家のハウスワインだったこともある。最近は色々取り混ぜて届けてもらっている。
今日は、同い年で亡くなった友人の内輪の四十九日に白を持ってった。森と林を愛した故人には、山梨の土のかおりがするような甲斐ノアールがいいと思ったが、赤はまずかろうと白だけ持ってった。でも赤を持ってきた人もあって、結局紅白を供える。最初の二本はちゃんとお供えしてから呑んだけど、三本目からはお供えするのも忘れて呑んでしまった。
S御免。でも早々と逝っちゃうのが悪いんだ。 08.04.06
上田駅前 飯島商店のジャム。飯島商店と言えば信州土産の代表「みすゞ飴」が有名だが、ルバーブや、かりんといったものまで素材の味を生かしたジャムも秀逸。「みすず」は、信濃にかかる枕詞「みすず刈る」信濃から来ているとは、信州出身のT君から散々聞かされた。水辺の草か笹らしいが、響きもいいし、美鈴と当てれば見た目も綺麗。金子みすず、みすず書房など高潔なイメージも加わる。
四阿山や根子岳に登った後は、上田で蕎麦を食べ、飯島商店に立ち寄るのがお楽しみコース。一昨年は「もみじ屋」経由、昨年は日経土曜版で取り寄せ蕎麦ランキングトップになった北国街道柳町「おお西」で究極の蕎麦なる発芽蕎麦を食べてから岡崎酒造で「亀齢」を買い込んで、のんびりと城下町の風情を感じながら千曲川に向かって下った。明治大正の面影を残す建物のドアを開け薄暗い店内に入ると、ロビーで黒尽くめのバトラーのようなおじさんが原料の天然果汁をサービスしてくれる。真心込めて作ってます、絶対美味しいはずです、是非食べて下さいという気持ちが伝わってくる。ジャムは四季折々のものが出るようで、これは、Hさんに送っていただいた梅ジャム。その前は、桑の実ジャムをいただいた。
08.04.01
雪割納豆は、樽平では、大根おろし、ねぎ、海苔などと一緒に出てくる。慣れない人には食べやすくなるが、わざわざ特徴を消している。塩辛い、匂いが強い、極度の「うま味」、甘みあり、2ヶ月は持つ、食べ切るのも結構かかる・・・。この優れた保存食品の説明をしようとするときりがなくなる。「塩辛に近い珍味中の珍味」(山形県観光物産会館HP)とあるのが端的でうまい説明。
ネットでは、ワインに合わせるシェフがいたり、色々な食べ方が出ているようだが、そのままご飯にのっけて食べるのが一番。もっとも、初めて食した義父が、鶉の卵と合わせてみたら「うるか」のような乙な味だったと言っていたが、それは旨そう。東農大発酵学の“味覚人飛行物体”小泉武夫先生さえこの納豆は知らなかったと書いていたが、東京で、何故かスーパーのピーコックだけには雪ん子パッケージが昔から置かれていた(エライ!)。
雪ん子のパッケージとともに「雪割納豆」というネーミングが楽しい。雪割草や雪割桜からの連想でなんとなくしゃれた言葉くらいに思っていたが、雪国の人にとって「雪割」という言葉には、地域挙げての雪割作業が始まった日の賑わい、春を迎える喜び、また雪の下から冬を越して出てくる草花の強さ、新鮮さ、あるいは雪の下に貯めておいた野菜の美味しさといった意味、イメージが伴うようだ。雪の下に入れた納豆の藁苞が熱を持って、雪にポッカリ穴が開く様を雪割と称したのかとも思ったが、これは風情が足りない。 08.03.31