鎌倉あたりで山歩きをしたあと葉山まで足を伸ばし、日影茶屋でランチすることを目的とした会。、最初は、北鎌倉から鎌倉アルプスを越えて鎌倉まで歩く計画だったけど、台風で不通となっていることが判明。 このため、Ksanの提案で、大船から北鎌倉までの山越えに変更。
折角、大船で電車を降りるんならと、早出して大船の観音様がある山の上まで登ってみた。近くまで行くとさすがに大きい。
昭和4年に着工されたものの、昭和恐慌、第2次大戦などで建設は順調に進まず、完成時ないまま放置され、戦後、昭和30年代になってやっと完成した。
完成前の観音様。
(大船観音寺HPから拝借)
自分が小さかった頃、地方から東京へ行き来するたびに見上げていたのは、完成前のこの像だ。
六国見山の展望台から見た相模湾。
山越えの後、北鎌倉では、明月院、円覚寺を覗いて、横須賀線、バスと乗り継いで葉山へ。
日影茶屋
相模湾が見えるCAFEで一服。 江の島。ヨットがたくさん出ていた。ここがオリンピックのセーリング会場になる。
日影茶屋で飲んだ日本酒。 愛媛の内子の酒だった。ちょっと不思議だったんで後でネット調べしたら、名前の方に深い由緒があった。 「亀の前」は、頼朝の愛妾の名だった。
北条政子が妊娠中に、頼朝の寵愛が深まったのを怒った政子が、逗子の亀の前の住まいを襲撃させた。亀の前が逃げた先が葉山の「鐙摺」。日陰茶屋がある所だ。
店のすぐ前のバス停が「鐙摺」(あずり)だった。 そうしたことを知ってたら、味わいも深まったんでなかろうか。
鷺沼からクリアな富士山が見えた。
Ishi-san からコートに柿を持ってきてくれた。静岡の磐田市の柿だそうだ。 昔は、磐田郡があって磐田市あたりはその一部だった。
磐田郡は、遠州灘から天竜川流域を山間部にさかのぼり、佐久間ダムがあるあたり長野県に近い所まで含む広い郡で、小学生の頃、その山間部の龍山村に住んでいたことがある。
龍山村の天竜川。秋葉ダムになっている。 ↓ この橋を渡った山の上に住んだ。小学校も上にあった。
山の上の景色
大学運動部の同期と相武CCでゴルフ。 さざんかがきれいだった。
橋本のファミレスイタリアンで打ち上げ。
会社の同僚だったTkunの奥さんとkcyanが食事していただいてきた。ピーカン菓子。チョコがが上品。
越王(こしわ)おけさ柿。渋抜きした新潟の柿。
種がなくて甘い。Yushico-sanからいただいた。
今年は、時々トンデモナイ台風がやって来るけれど、全般的に気候はいつまでもだらだらと暖かい。
11月に入っても朝顔が咲いた。
すみれも咲いた。
Hiroshi-sanから、黒糖焼酎をもらった。久し振り。
おまけの黒糖。
しばらく前から、霞が関エリアに仕事をしに行っている。虎の門方向にビルがニョキニョキ建ってきている様子がわかる。 初めのうちは、昔働いていた会社のビルが見えていたけど、最近は見えなくなった。
国会議事堂の向こうに皇居の緑が美しい。
霞が関の仕事場から内幸町の診療所に向かう途中、虎の門エリアの変貌を見た後、愛宕山に登って、久し振りに愛宕神社にお参り。
後日、虎の門病院に検査を受けに行ったら、ものすごくきれいな病院に変わっていた。場所も、ホテルオークラの真ん前に移った。 ホテルオークラも、新しい2棟が出来上がっていた。
台風で、山梨方面も中央道、甲州街道が崩れて不通になったり、かなり被害が出た。Aki-kunが登場するはずだった石和温泉の川中島合戦絵巻イベントも中止になってしまって、拍子抜けになったけど、冬仕舞のため、今年最後の忍野行き。
富士山は、例年よりかなり遅く、10月20日過ぎだったらしい。
M-hahaをホームに送ってから、3連休初日の大混雑の東名経由、最後は雨でぐずぐずになった道を上って小屋に辿り着いた。
今年最後の吉田うどんは、「サファイア」。 先週あたり、TVで日本各地のうどんの硬軟比べをやっていて、硬い方は吉田うどんが1位だった。柔らかい方は伊勢うどん。いずれも正しいと思う。
そんなTVを見たせいか東京でもうどんが食べたくなって、10月末に隣町の変わったうどん屋を訪問。
ここしばらくせわしかったので、ブログが途切れた。
最近記事が載らないねとの声もあるので、頑張って、足早に、1カ月ほどの写真を拾ってみる。
とりあえず、飲み食い。
岩国の銘酒。働いていた会社に岩国界隈の出身、勤務者が結構いたせいか昔からなじみがある。山口出身のShoucyan/Marico夫婦が提供した賞品をゲットしたんだと思う。美味しい日本酒が飲みたくなってひっぱり出してきた。
地元の中華屋では、もっぱらこれ。
綺麗な飾りが付いてくる。
先輩達との飯能対抗戦。19番で定例の割烹居酒屋。
飯能の酒「天覧山」の冷たいのと温かいのを飲み合わせるパターン。鰻がメインの店だけど、いつも他の酒の肴で済ましてしまう。
身欠き鰊