ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

自由主義で弱者は減らせない

2007年12月30日 | Weblog

オーストラリアSouth Coastの農場 オーストラリアの友人撮影

1960年以前は病院がなくて人々は病気に苦しみました。
私は病弱で、町医者をすべて回りましたが、病気の原因はわかりませんでした。

当時政府は医療の貧困を問題にし、健康保険制度の普及を進め、1961年に国民が全員健康保険に加入しました。
並行して積極的に地方政府による病院建設も行われました。
政府は国民医療に熱心でした。

私はできたての市立病院に行き、東京の大学病院から来たという若い医師の診断を受け、入院約1か月に及ぶ大手術を受け、無事病気を治すことができました。
健康保険制度と市立病院のおかげでした。

その後、実に50年弱の年月が流れました。
健康保険制度は風化し、昔はゼロだった自己負担が今では30%になりました。
これでは貧乏人は病院に行けないでしょう。

すべての国民に医療を受けさせたいという政府の意欲は失われ、病院は自由主義の波に洗われて来ました。
病院も医者も、医は仁術という考えを忘れ、収益を重んじ、患者を選別するようになりました。
幼児医療、産婦人科、急患医療の貧困はこうして起こりました。

自由主義は現代社会の基本ですが、自由主義で弱者を減らせるかと言えば減らせません。
強者の自由は弱者の不自由になるからです。
だから政府が存在して弱者を助け減らす政治を行わないといけない訳です。

ところがここ20年ぐらい政府は自由主義が経済を活性化すると考え、いろいろな分野で自由化を進めました。
実は政府は手抜きをしたのだと思います。
楽で無責任な方法を採用したのだと思います。
政府が受益者負担とか国民の自己責任という考えを強調したのも実は政府の負担や責任を軽くしたのだと思います。

複雑な政府のサービスの内容について国民はほとんど知りません。
政府は取る方は容赦なく取りますが、払う方は国民の方から申請しなければ払いません。
これでは情報弱者はどうやって本来受けることができるはずの政府からの支払いを受けることができるでしょうか。

現在厚生労働省の不良サービスに批判が集中しています。
自由主義で社会が健全に動くと思っていた政府に本質的誤りがあった証拠です。
自由主義で社会が健全なら政府は無用です。

いつも批判的なブログで読みにくかったと思います。
ご免なさい。
皆様にとって明るい新年でありますよう祈っています。