EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新年のご挨拶

2017年01月01日 | 伊予松山歴史散策

皆様 明けましておめでとうございます。
平成21年7月15日に開設いたしました私のお粗末なブログ、昨年もご覧頂ありがとうございました。
今年も拙いブログですが是非見て頂きそしてご批判下さい。
本年も皆様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げます。

さて
この度、ブログのタイトルを「鍾馗さんと名城巡り&好古揮毫石碑紀行」から「EEKの紀行 春夏秋冬」と変更いたしました。
今年もよろしくお願いし申し上げます。
画像は、平成24年3月25日、日本100名城第40番・静岡県三島市山中新田にある山中城跡に伺った時に撮影しました。
JR三島駅からタクシーで移動、運転手さん曰く、「今日の富士山の眺望は最高です」。一年のうちこんなに綺麗に見える富士山は珍しいですよ。お客さんいい時に来られましたね。・・と言われました名峰富士山です。


山中城跡公園
緑豊かな史跡公園で、特徴的な 堀である「障子堀」、「畝堀」が美しい山城跡です。
山中城は、永禄年間(1560年代)小田原城を守る城として、後北条氏により創築され、天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉の大群の前に、わずか半日で落城したと言われる悲劇の城です。
石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しく、北条流築城術の粋を集めた「障子掘」や「畝掘」が有名です。
歴史的な面、技術的な面で評価され、「日本百名城」にも選定されています。
富士山・駿河湾を始め、雄大な自然を一望でき、季節には、ツツジ・アジサイ・スイレンが楽しめます。・・と三島市役所では紹介されております。


「障子堀」から観た富士山。


緑豊かな史跡公園と紹介されていますが、私が伺った時は未だ緑は芽吹いてなかったです。


左が駿河湾で雄大な自然が一望出来る城跡でした。
この景色は、近世(安土桃山時代)と変わっていない風景なのでしょう。
只、富士山の中腹にぽっかり開いた火口はこの時代には無かった。


富士山の中腹にぽっかり開いた火口。








富士山の中腹にぽっかり開いた火口。
江戸時代の宝永4年(1707)に起きた宝永大噴火の火口、「宝永火口」。
大噴火の時は、大変であったろう。


三島市役所が発行している、山中城跡資料。
コメント
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