EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

久米地区に現存する常夜灯:その6 高井町の常夜灯「2基」

2015年08月30日 | 伊予松山歴史散策
高井町には2基の常夜灯が現存する。その一つで町の南組にあり、四国88ヶ所第48番霊場西林寺の北側にある。


所在位置:松山市高井町998番地、木原義夫宅裏にある。


常夜灯正面で、胴の正面に「金毘羅常夜灯」その上に「讃 ?」と刻まれている。


北面の胴に「寛政十二年庚申三月吉日」と書かれている。
今から215年前に建立された常夜灯である。


常夜灯の火袋で真ん中に蝋燭が立てられる様に鉄芯が施されている。

高井町には2基の常夜灯が現存する。二つ目町の北組にあり、覚王禅寺(黄檗宗)の南に位置する。

所在位置:松山市高井町879番地、熊馨宅裏にある。


正面は北向きで、胴には奉献と書かれている様に見えるが刻印が浅く風化しており判読が難しい。


南東後ろからの常夜灯。


二つ目の常夜灯の造りは他の常夜灯よりも新しいが、刻印が浅く殆ど文字の判読が不可能である。
北西から見た表側で正面右側に文字が刻まれているが判読不能。
多分建立年月日だと思う。墨を入れると判読可能かも?。
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久米地区に現存する常夜灯:その5 南土居町の常夜灯 「2基」

2015年08月30日 | 伊予松山歴史散策

所在位置は、:松山市南土居町452番地、五十鈴神社境内に2基移設保存されている。
一つの1基は、開と言う場所(遍路道)に面して、大日堂近くにあった。安政6年と刻まれている。
今から156年前に建立された。現在は五十鈴神社拝殿東に移設されている。


常夜灯正面で、胴の正面に「氏子中」と記載されているがその他は風化して文字の確認は不能。


東面で文字判読困難。


もう一つの常夜灯で、以前は五十鈴神社参道にあったが、耕地整理のため大正10年、同神社境内に移設され保存されている。
文字は判読出来ないが、久米郷土誌によると慶応2年と刻まれている記述がある。
今から149年前に建立されたことになる。


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久米地区に現存する常夜灯:その4 来住町の常夜灯

2015年08月30日 | 伊予松山歴史散策

所在位置は、松山市来住町462番地、戒能氏宅北側十字路にある。


常夜灯正面で、胴の正面に「金・石」「常夜燈」と刻まれている。


左の胴に「嘉永六年四月吉日」と書かれている。
今から162年前の建立である。


右側に「村中安全」とある。
久米郷土誌に下記のような記述がある。
「金・石とあるように、この常夜灯は金毘羅宮と石鎚神社の遥拝所であり、もとは毎月10日、常夜灯祭りが行われた。この祭りは昭和30年代まで続いて古くは、毎月10日を常夜灯祭りといって組中の者が集まり・・前は神、後ろは石鎚大権現様・・という祈祷文から始まり、続いて般若心経を唱え、村中穏家内安全を祈り、その後直会をして解散する事にしていたとある。
大正年間まで常夜灯の「お先当番」があり、1戸が5日間の交代で、夕方になると親の言い付けで子供たちが小さな蝋燭とマッチを手にして灯明を明しに行く。常夜灯の火袋には行灯が作られ紙が貼られ少々の風にも消える事はなかった。」・・と記述がある。


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