EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私が見た富士山・「行った・見た・撮った」その1機上から

2021年11月15日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

松山から東京に行くには、JRで行くか、航空機で行くかである。

空路は、松山空港を離陸、瀬戸内海「伊予灘」上空で高度を確保して西日本最高峰、石鎚山(1982m)左側を飛行、鳴門海峡・紀伊半島を過ぎると、遠州灘上空にさしかかる。

大気の水蒸気が少なく、見通しがよければ「槍ヶ岳」を望むことが出来る。

そして、駿河湾上空に来ると「富士山」が見えてくる。

房総半島上空で左回旋し横断、羽田空港に着陸する。

わかりきった事ですが、天候が悪いと富士山は見えません。

私は必ず左側の窓際の座席を確保します。富士山を撮るために。時には主翼の真上窓際になる時があります。

画像は、客室乗務員の許可を得て撮影しました。

ボーイング787型機の主翼で、随分細く驚きました。

機体の素材が、炭素繊維ですので軽いからこの主翼で大丈夫なのでしょうか!!と感じた。

ボーイング787型機の主翼。

この時は、天候が悪く富士山は見えなかったです。

羽田空港着陸態勢に入ったボーイング787型機の主翼です。

羽田空港に無事着陸、天候は雨でした。

羽田空港から飛行し松山空港に着陸したボーイング787型機です。

松山空港には悲しい出来事がありました。

昭和41年11月13日、午後8時28分、戦後日本初の国産旅客機、「全日空・YS11機」大阪伊丹空港発、松山空港行きが着陸に失敗して、松山空港沖に墜落した。
乗客、乗員全員が死亡、県内最悪の事故がありました。

乗客45人、乗員5人の50人全員が犠牲となりました。

11月13日がその日で50年になります。

松山空港は、風の方向により陸側から着陸する時と、海側から着陸場合があります。

昭和41年11月13日、午後8時28分の機体は、陸側から着陸したが着陸に失敗、機体は海面激突時の衝撃で粉砕されていたそうです。

この事故の犠牲者を悼む慰霊碑が松山市の正宗寺に建立されている。

また

事故を契機に松山空港の滑走路の拡張・拡幅工事が進められることになり、松山空港は現在では海面を埋め立てるなどして滑走路が2,500mまで延長されている。この松山事故を受けた事故対策として、地方空港のジエット機による旅客便発着を可能とする効果をもたらすこととなったと言われている。

知人から送ってもらった「富士山の山頂所有権、事案に関する新聞記事」。

新聞社の社名も、発行月日もメモが無くなり不明です。

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