EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

岡山県倉敷の旅

2018年10月10日 | 伊予松山歴史散策

岡山県倉敷市の親戚に新築された洋風の家屋。

平成30年10月6日・7日、新築祝いに倉敷市に行って来ました。その時の様子です。

7月に発生した「平成30年7月西日本豪雨」の時には、家の入口まで水が来たそうです。

 10月6日、倉敷市にある親戚の新築祝いに家内と一緒に行って来ました。この日は、台風25号の影響で瀬戸内海を渡るのに大変でした。

倉敷行の行程は、松山観光港からスーパージエット(高速艇)で広島港に渡り、新幹線で岡山、そしてJR在来線(山陽本線)で倉敷のコースで、帰りは、JR予讃線・特急しおかぜ(新車両・8600系)で松山に帰る1泊2日の旅でした。

10月6日は、台風25号大型台風襲来で瀬戸内海を航行する船舶は前日から欠航で唯一松山・広島間のスーパージエットのみが運行していた。私たちが乗船した午前10時発を最後に以後航行のスーパージエットは全て欠航しました。

広島港に着くと台風25号の影響で桟橋には波が打ちあがり強風でした。スーパージエットはよく航行したものだった。しかし雨は降らず今回も風台風でした。

広島港からは路面電車でJR広島駅に行き、新幹線も台風の影響で最大45分の遅れで運行、広島市、岡山市両市とも政令都市、中四国で1番と2番目に大きな都市、連休とはいえ台風襲来の中でありながら大勢の旅行者で混雑していた。

予定よりも少し遅れて目的地倉敷に到着出来ました。

ホテルまで迎えに来て頂き、新築された各部屋を拝見、まるでモデルハウスの様な近代的な造りで、台風・地震にも強い自然災害に対応しているA社の注文住宅であった。

夕食は、日本食専門のお店でご馳走になり楽しいひと時を過ごさせていただき、翌7日は、倉敷の美観地区散策と、岡山の特別名勝・後楽園を観光して帰路に着いた。

両日共に台風が引き連れて来た熱風で真夏の様な暑さ、大変であったがお陰様で降雨でなく晴天であったのが何よりでした。降雨の旅は楽しみが半減するから!!

画像は、その時の様子です。

松山観光港の風景、周囲に島がありそのため台風による高波は無かった。

10時発のスーパージエットで広島に渡った。11時以降は欠航したそうだ。

外海に出ると白波が立ち、予報では3m~5mと出ていた。

画像は、音戸の瀬戸に掛かる橋をくぐる。

画像は、今回乗船した松山観光港~広島港を約1時間で航行するスーパージェット(高速艇)。

スーパージェット(高速艇)は、189トン、速度32、0ノット(時速59,3km/h)定員156人、2Fにスーパーシート(500円)がある。

日立造船が開発したハイブリット船型の双胴水中翼船、2000馬力の高速デイーゼルエンジン2基搭載、9隻が建造されたとある。

画像は、今年7月2日撮影した。今回はこのスーパージェット・瑞光に乗船した。

松山観光港~広島港を一日12便が航行しており、その内6便が途中呉港経由となる。

10時発のスーパージェットは呉港経由であった。松山観光港~広島港まで66,2Kmを約1時間で航行する。

画像は、呉港。

スーパージェット・瑞光の1階席。

スーパージェット・瑞光の2階席。

 JR広島駅から岡山駅間、新幹線のぞみN700A型で移動、グリーン車の内部。

倉敷の親戚の招待で夕食を御馳走になりながら楽しく語り合いひと時を過ごしました。

画像は、下津井産のタコのから揚げで、凄く美味しかったです。

倉敷美観地区の倉敷川で、6日夜、ISO:12800に感度を上げて撮影した。

頂いた資料によると・・

倉敷市は、岡山県の南部に位置する自治体で、白壁の町並みが残る倉敷美観地区や本州と四国を結ぶ瀬戸大橋などで知られ、中国地方で3番目の人口を擁する中核都市に指定されていて、人口、475、000人の街である。

倉敷市役所の庁舎は欧州風の建物で、まるで高級ホテルの様、建築当初は、観光に来た人達は、今夜はこのホテルに宿泊したいと言われたそうだ。

昨晩撮影した同じ場所から撮影。

藩政時代物流の拠点として使われた倉敷川、今や観光の拠点観光船「天領丸」が運行されていた。

近世、倉敷は江戸幕府の天領として発展し、領地は名目上5万石であったが、実質は10万石以上の領地を支配した。ちなみに、倉敷代官所は、現在の倉敷アイビースクエアのある場所に置かれ、美観地区の蔵屋敷はこれによって富を得た商人の蔵であるそうだ。

この日は、多くの外国人が観光を楽しんでいた。

「平成30年7月西日本豪雨」の時、美観地区は、何ら被害は無かったが暫く観光客が来なかったそうです。

観光客は、倉敷川と両岸に立ち並ぶ家並みを散策するが、川の裏側にも歴史を感ずる街並みがある。しかし観光する人の姿は少なかった。

その一角に、老舗の酒造会社・森田酒造があった。

NHKのブラタモリに出て一躍有名になった。隣接して売店があり色んな酒や土産物があった。酒を数本購入した。

元プロ野球選手・監督を務めた、星野仙一さんの記念館もありました。

倉敷から岡山に移動しました。特別名勝・岡山後楽園入り口です。

岡山市北区後楽園にある日本庭園で、日本三名園のひとつ、倉敷美観地区を散策したあとに行きました。

頂いた資料によると・・

後楽園は、江戸初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。 総面積は133,000平方メートルであり、東京ドームの約3倍で、同園は岡山県が所有管理しているとある。

岡山藩は、外様の大藩で、31万5000石、池田光政が入封し、以後明治まで光政の家系、池田家宗家が岡山藩を治め明治を迎えた。

関ヶ原合戦において、西軍方の主力となった秀家は改易となり、西軍から寝返り勝敗の要となった小早川秀秋が入封した城として有名である。この日は、台風25号の影響で気温が上がり真夏日であった。

暑い中結婚式の記念写真を撮っていた。

後楽園は、芝生の多い公園で、南側に岡山城天守が見える。

旭川から見る岡山城天守。

明治新政府は、明治6年廃城令を発布、明治の初め135の天守があった。地元からの要請を受け政府は19の天守を残す。先の大戦により爆撃により7つの天守は焼失、岡山城もその一つで、昭和20年6月29日、B・29、140機が飛来し爆撃をうけ国宝岡山城天守は焼失した。現天守は、昭和41年鉄筋コンクリート造で外観復元された。

こんな風景に出くわした・・記念写真を終え式場に移動する新郎新婦。その後に親族が続いていたが、皆さん正装姿なので汗だくだった。

後楽園の一番高い場所から正面入り口方面を望む。

真夏日の中、観光者に案内をするボランティアガイドさん。

今回の旅の目的は、新築祝いで倉敷に行くのが主な目的であった。

一ヶ月前からの計画で楽しみにしていた旅であった。倉敷の家族の皆さんとも久し振りに会う事が出来よかった。

台風25号の影響で、交通機関がストップすると折角の計画が水の泡になるところだったが天の救いで何とか予定の行動が出来た。行きは高速艇・新幹線で、帰りはJR予讃線で記念に残る旅だった。

画像は、予讃線特急しおかぜ・新型車両、8600系でJR岡山駅発車前である。

下り特急しおかぜは、途中、宇多津駅で高松発の特急いしづちを連結して松山に向かう。

上り特急しおかぜは、途中、宇多津駅で特急いしづちを切り離して、岡山駅に向かう。

画像は、宇多津駅で、高松発特急いしづちを連結するところ。

特急しおかぜグリーン車両で座席は24席である。

7日の特急しおかぜ17号車は、私たちを含めて6名であった。

特急しおかぜは、JR岡山駅から四国側の宇多津駅までは、揺れも無く快適に走行するが、JR四国の宇多津駅以降は松山までは揺れが大きい。線路の状態が悪いのでしょう。岡山から松山まで約3時間の列車の旅でした。

 

コメント (1)
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