ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

“菊の里”そば打ち体験教室

2011年08月19日 | 手打ち蕎麦打ち
今年で何回目になるのか分らなくなってしまったが、青葉手打ちそば教室の同窓生鈴木(直)さんが勤める二本松市にある知的障害者の施設“菊の里”でそば打ち体験教室のお手伝いをして来た。
  
                    
吉成先生は模範演技を兼ねてみんなで食べるそばを打ち、常連の菅野さんと自分はそば打ち体験を担当、そして今回から新たにうどん打ち体験も加わり、これは後輩で福島教室の講師を勤めている二人の女性陣が担当した。
入所者は義務教育終了年齢から壮年までと幅広く、訓練を通して社会復帰可能者は卒園も大変少ないそうでお互いに顔馴染になってしまった。危険防止で包丁は使えないので“練り”から“延し”までだが、手足も不自由なので砂や泥んこ遊びの延長戦も、言葉巧みな菅野さんは特技をまんべんなく発揮して彼等を見事に操縦する。また新たに加わった“うどん”はうどん打ちを習得している二人が“練り”と“足踏み”まで担当した。
  
                    
昼食には天婦羅、いなり寿司の盛り合わせと自分達の打ったそば?を冷たい“かけそば”にして食べた。“茹で”を担当したが何故か厨房内はエアコン停止、五人前ずつ茹でる大鍋の前は正に蒸し風呂状態でしばらくぶりに健康的な大汗をかいた。
昼食後の午後のカリキュラムは反省会。体験中に撮影したスライドを再生しながら我々も参加して感想などを述べ合う。昨年から始めた事だが、鈴木(直)さんは栄養士として他のスタッフ二人と共に毎日の昼食作りだけかなと思っていたらこんな事まで。日常も本来業務の空き時間は他の職員と変わりない対応の様子で大奮闘ぶりが伺えた。

JA7AO氏逝く

2011年08月19日 | アマチュア無線
お空のコンデションも何となく秋の気配が感じられて、今朝22:40zには5T0JL(Mauritania)と17mCWでQSO出来た。夏期休業明け初のQSOでもあり、これを聴き付けたJA7GYPさんから早速電話の激励かと受話器を取ると、数年前から自宅療養中のJA7AOさんの訃報だった。
昨年9月19日のADXA秋のミーテング(秋の宮温泉)では体調があまり良くないので宿泊は出来ないと福祉タクシーで駆けつけてくれたのに、こんなに早く逝ってしまうとは驚きだった。
  
                     
25年前JARL総会福島大会に参加された時我家での記念撮影の一コマ、自分がDXCC Honor Roll入りしたばかりの頃。皆ADXAの仲間で左からJA7ZF,PL,AGO,BWT,ZP,AO。この頃は当然ながらみんな若くて血気盛んにDXに夢中だった。
AOさんとは自分の開局当時に40mA3でお逢いしていたが、本格的にお付合いを願う事になったのは、自分が秋田へ転勤して3年後の1968年に本格的にDXを始めた頃からだった。当時からAOさんはTOP BAND(160m)のパイオニアとして活躍されて、1974年2月には160mWACを完成されたと同時に世界初の6 BAND WACも受賞されて、以後「TOP BANDの神様」と世界中から認められていた。生き神様を失い何とも残念だが、今後は真の神様として世界のアマチュア無線史にJA7AOのコールサインは永久に残ると思う。
自分が東京へ再び戻り、また福島に落着いてからも青春時代を過した秋田は自分の故郷と錯覚するほどで、ミーテング等には頻繁に通い、AOさん宅へも何度もお邪魔して図々しくも泊めていただいた事もあった。本当にお世話になり、朝のコーヒーの味も忘れる事は出来ない。自分の貴重なお宝、QSLカードと贈呈していただいたAOさんが実質執筆した379ページ1994年発行の「秋田県アマチュア無線史」である。AOさん安らかにお休み下さい。合掌!