ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

原発事故7

2011年04月20日 | 原発事故
            
昨日の新聞に「計画的避難区域の目安とした年間20mSv/hの放射線量を上回る地域を原子力委員会の推計で分った」と掲載された。これによると福島市は累積放射線量16.8mSv/hで四番目に高く、今後原発に何事も無くこのまま推移すれば安全だと言う事だろうが、この数値は平均値で、市内には限りなく20に近い地域が存在している事が推察される。そして今日は前回問題のあった県内幼稚園と学校52校の再調査の結果13校が屋外活動制限に指定され、何と10校が福島市内で300m先の第一中学校はあと0.1で指定校になり、我が家周辺も決して安住の地ではない事が分った。この基準は毎日8時間野外に居たと仮定した場合、毎時3.8μSv/h被曝一年後に20mSv/hに達する(計画的避難区域指定)事から決定したそうだ。一番高い所が5.2だから、学校以外にもこんな危険箇所が多く存在していると推察され、福島市民はみんな大きな不安を抱いていると思う。行政には包み隠さずもっときめ細かな的確で正直な対応をしてもらいたいものだ。
これらの放射線量は水素爆発した時のもので、今の状態なら大丈夫だと言う人もいれば、止まった訳ではないのでダメだと言う人もいる。何れにしても初期に米国が発表した80Km範囲内退避は正しかった(政府は県庁所在地21万人+盆地内15万人退避は大パニック発生から回避した?)のだ。この80Kmは一回目のブログに記載したが、昨日発売された我が道楽の月刊誌CQ Ham Radioに震災地DX'er(海外通信愛好者)安否情報が掲載され、床上浸水と原発避難各1人と4~5人が機器類一部破損程度で済み、知人大多数が無事で安堵した。自分の所は原発から80Kmと記載されていたが、多分筆者の錯覚と思われ、改めて地図で正確に計測すると北西61.5Kmだった。
気にしなければ全く見えないこの透明な悪魔、自分からは日課の散歩と素人百姓小作人も完全に奪ってしまった。買い物の帰りに1ヵ月ぶりに様子を伺うとブロッコリー、カリフラワー、紅葉台、菜の花は既に食べ時終了、かぶれ菜(茎立菜)は最盛期で春キャベツと玉ねぎも3~4週間で収穫期を迎える。仲間達の土地も例年になく手入れは行き届いていない様子に見えたが、じゃが芋も植えつけたり葉物野菜収穫の痕が僅かに見られた。「今が旬で一番美味い!歳だし、良く洗えば大丈夫だ」と我が女房は言うが、スーパーはもとより、JA新ふくしま直販店ですら地場産品の野菜コーナーは空ッポだから、あと10年も生きれば満足だと思っても、精神的にとても危なくて食る気にはなれない。原発は憎い!