ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

JA7KZX逝く

2011年04月06日 | アマチュア無線
            
1日急逝されたJA7KZX安斎さんの葬儀告別式に参列してお別れをして来た。
最近は少し痩せられて外見上は糖尿病の兆候かなとも思っていたが、年齢相応のダイエットをする人もあるので、失礼なので聞かなかった。31日夕方にはNFDXGの仲間JR7CJS局と店(東電)の事務所でコーヒーを飲みながら何時もと変らないDX談義に耽っていたと云う。わずかその数時間後に、自分よりも一回りも若い58歳でとても信じられなかった。
安斎さんと初めてお逢いしたのは自分が福島へ戻った冬、確か二本松サファリーパークの駐車場ではなかったかと思うが、雪道走行の安全運転とタイヤチエーン装着のTV中継録画で、安斎さんは解説を務められていた。
この時はまだ出演者との関係だけだったが、数年後杉妻町に福島に3店目のハムショップ“東電”が開店したと聞き、訊ねてみると机が二つと少量の商品が僅かに陳列された店と云うよりは事務所だった。何度目かに安斎さんにお目にかかり「アッ!あの時の」と、安斎さんは同じハム仲間でもあり、各無線機器メーカー代理店として東北一円の小売店への卸商と業務用無線設備工事業の経営者であった事を知った。以後お付合いさせていただくことになり、自分の無線機類はマル秘扱の格安で、タワー工事業者手配やアンテナ設置やメンテナンスは自ら、そして数年後には勤務先の経費節減実施以降は軽微な建設・更新工事は自局工事となり、少ない予算の中で苦労したが、そんな折には何度もJA7BEIや自分が担当した工事では安斎さん経由で業者を紹介していただいた。また東北6県持回りで毎年開催される「DXを肴にして語る会」には10数年間も同乗させていただき、一時はカーラリー競技者としての運転技術に、時にはベンツとの抜きつ抜かれつの180Km走行も懐かしい思い出になってしまった。口頭約束ではあったが、自分が逝った後のタワー撤去や機器類処分処理も保護にしたまま・・・・「安斎さんズルイヨ、先に逝くなんて」まだ信じられない。安斎さんには公私共に誰よりも大変お世話になった。合掌!