ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

郡山青葉教室37回目

2010年11月14日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今日は何時も同行していた先輩講師の菅野さんが所用のため休みになり、Sさんと言われる先生と同年代の人が同行した。多分社会保険センター時代の一期生ではないだろうか。いろんな所で3~4回はお目にかかっていたし、歳下でも何よりも先輩らしいので失礼の無いように務めた。
何時もと同じ“水回し”と“練り”を担当したが、最後に世話した一番経験の浅い“三七”習得中の生徒には“延し”までマンツーマンで付き合ってしまった。
            
T夫婦の奥様はとにかく山が好きな様子で、春にはワラビをたくさん頂き、今日は大量のクレソンを頂いた。クレソンは春物と思っていたが、春新芽が出て、夏枯れて秋に再び新芽が伸びて今採れると解説も付いた。郡山郊外(多分山裾だろう)にも清流に群生地があり誰も採らないそうだ。
子供の頃は家の近く天戸川の林の中に水と共に砂を激しく噴上げている清流があり、クレソンもたくさん自生していた。食料難の時代でもあったので、おふくろに連れられて隣接の田んぼで野セリを摘んだ後は、そのクレソンの隙間から良質のセリ採りをした。近所の人達もセリは採っていたが、クレソンは邪魔者扱いで誰一人食料になる事は知らなかった様だ。そんな自然も社会人になって間もなく河川改修の名の下に両岸に堤防が出来たり砕石場や宅地開発で消失、今は全く面影も無くなってしまった。市内二軒の手打ちそば屋では今も「天戸川伏流水使用」と売りにしているが、一体何処に存在するのか自分の疑念は晴れない。
おすそ分けのほぼ40本は、先ず1/3をTさんお勧めの“おひたし”にしてポン酢で食べた。ほんのりと香りも残り美味ではあったが、生食より量も必要だし、食べ慣れている生食の方が美味いと感じた。店頭では3~4本パック詰¥198が年間通しての平均的価格で買っていたので、自分の分だけでも数千円?大変高価な頂き物だった。