ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

七夕お遊戯会

2010年07月03日 | 撮影編集孫専科
            
みその幼稚園恒例の「七夕お遊戯会」が開催されたので撮影をして来た。撮影場所ベストポジションの舞台センターを確保するために今回は10分程早めに出掛けたが、到着すると既に6~70人の行列が出来ていてこれまでにない光景だった。時間が来て入場すると椅子はほぼ満席で園から撮影場所に指定されている最後列のスペースも既に三脚が両脇まで溢れていた。センターには何時もの無人撮影の園のビデオカメラと写真屋の三脚が初めて置かれていたが、何故か一脚分のスペースが空いていたので、幸運にもこれまでと同じ場所で撮影する事が出来た。
室内は異常な蒸し暑さでじっとしていても汗が噴出してくる。両脇の柱に取付けられた6台の扇風機と後角すみに臨時で置かれた工事現場の扇風機がフル回転、騒音が気になるそんななかで開演された。写真屋は息子と思われる力士の様な人物と二人で撮影していたが、三脚の置いてあった自分の脇には一回来ただけで大助かりだった。ビデオ撮影者は32人まで数えたが、あい変らず園の開始前の通達を無視して、客席には自分の子供の番になると手をいっぱい伸ばして撮影する者4人も現れて、園で即時注意しないのも問題だが、毎度の事ながらこんな輩の非常識さには本当に困ってしまった。
  
            
                     
年少組のはやとは遊戯「おどるポンポコリン」を元気いっぱいに踊った。4人姉兄の末っ子でもまれて育ったのでとても活発で入園して二週間目の頃、担任の保育士は二人体制なのに、気が付くとはやとが居ないので園長まで登場して探し廻り園内で一騒ぎしたそうだ。そんな騒ぎをよそ目に本人は他のクラスにチャッカリ混じり込んで遊んでいたそうで、そんな様子は舞台上の物怖じしない行動からも容易に想像出来た。
  
            
                     
年中組の大翔も遊戯で「ひょっこりひょうたん島」を踊った。大翔の所作は何故か誰よりも終始ワンテンポ早く、それでも懼れる事なく最後まで楽しそうに踊り続けた。それにしても何とも懐かしい音楽に出会った。カラーTV放送が開始された頃の人形劇で、当時まだ半人前の自分はスキルアップの職場研修で一ヶ月程係り、実に50年程前の当時の光景が懐かしく脳裏に浮かんだ。
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