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閑話つれづれパートⅡその6

2009年09月16日 | Weblog
柔道と私(1)

私が高校に進学して柔道部に入り柔道を始めたことは、昨年の「閑話つれづれ」に書いた。柔道を始めた者は誰もまず黒帯を目指す。黒帯に憧れて柔道を始める人も多いのではないか。兎に角「柔道三段になりたい」。それが当時の夢だった。宇宙飛行士だとか、お医者さん、大実業家、科学者などからはチョット遠い。今の少し増しな少年なら柔道に憧れるにしても「オリンピックで金メダル」くらいは言うかもしれないけれど、良くも悪くも欲はなかった。

当時漫画本の「ダルマ君」という題だったと思うのだけれど、柔道漫画があってそれで柔道に憧れた。相撲は仲間内ではそこそこ強かったけれど、柔道は誰かに習わないと受身ひとつ分からない。当時中学にさえ柔道部はなく、町道場もなかったから高校にあがるまでお預け状態だった。

 柔道の黒帯になるためには、まず1級の昇級試験を受けて合格することから始めなくてはならない。級位者は茶帯を締めることを許される。先輩の2年生には茶帯の人が居た。しかし、当時から茶帯はあまり締めない。黒帯までの期間は短いのが普通だから、わざわざ茶帯を買うのは不経済だった。

 柔道を始めて半年余り、1級の昇級試験に臨むことになった。11月の勤労感謝の日だった。日頃より早く起きてテレビを点けると、突然にジョンFケネディー暗殺のニュースが飛び込んで来た。事件直後のニュースだったように記憶する。全米は勿論全世界に衝撃が走った大事件が、私の柔道のその日のページに焼きついた。

 昇級試験は、兎に角受験者同士3人と試合して、1勝でもすれば合格だった。その後早い時期にこれは改正されて、1勝だけなら3級、2勝で2級、全勝で1級となった。ただ、3級の者は次回受験して兎に角2勝以上すれば1級になれる。2級者は1勝でいい。

 この日は試合に臨み恐れはなかった。払い腰を掛けて相手が踏ん張って堪えるところを大内刈(相撲の内掛けに近い技)や大外刈で倒して寝技で仕留めた。寝技といえば、ある先輩に随分と鍛えていただいた。居残り練習である。ただ、私が2年生になる頃には負けなくなって、勝つまで止めない先輩に、已む無く手を抜いたりしたものだ。その先輩は卒業後一般企業に入ったけれど、柔道がやりたくて警察官になったと聞いた。昨日のことのように思うけれど半世紀近くが経ってしまった。先輩とは卒業後一度もお会いしていないけれどお元気であろうか。

昇級試験は、とんとんと勝って2勝1分けで難なく1級になった。ただ、隣の会場で行われていた初段への昇段試験を垣間みることになり、そこに昇級試験にない殺気を感じ、段違いの強さのイメージが刷り込まれた。2年生になって5月、7月と2度の昇段試験を1勝1敗1分けの成績で落とすことになる。7月にはどうしても合格したかった。同期の仲間の目ぼしい者はすでに黒帯を締めている。夏休みの合宿に白帯のままで行きたくなかった。
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