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新しい年に想う第9回

2013年01月25日 | Weblog
いいとこ取り

 今日もテレビのキャスターやコメンテーターが事件や事故の論評をしている。我が国でテレビ放送が始まって*3)今年で60年というが、いつの頃からか報道番組にアナウンサーではないキャスターが登場し、個人の印象を真実のごとく公共電波に乗せて民衆に下知するようになった。確かに政治や経済の問題は、やさしく解説して貰わないと庶民には理解が進まない。しかしその多くは、国民を正しい方向に導いていたとは思えない。その結末は2009年の総選挙結果であり、鳩山政権や菅政権の発足時の支持率の高さに現れていた。

 この頃は、さすがに多少は懲りたのか、抑えた報道ぶりが伺われるが、依然コメンテーターの人選には疑問がある。多様性が尊ばれる世の中、考え方の違いは必要であり、「全員賛成の議案は無効」にも一理ある。しかし、考え方の違いと知識の欠損、洞察力の欠如、事実認識の間違い、個人の性格の歪みからくる偏向などを同列に論じるケースが間々あることも事実である。

 兎に角マスコミは「いいとこ取り」が好きだ。憲法は改正の必要はなく、自衛隊増強はそんなお金があるなら恵まれない人を救うことに使うべきだなどという論評に与し、戦争の危機を招くからとも反対し続けて、今回のアルジェリアの人質事件などを受けると、どうやって海外で働く邦人を守るのかとくる。

 先の高校生の部活顧問の暴力による自殺事件で本稿でも述べたが、個人や特定組織の問題と普遍的な課題も混同しがちだ。教育において体罰は絶対にいけない。徹底した話し合いによって、問題児も更生する。とするスタンスは立派ではあるが、天才的な忍耐力と説得力を持つ教師ばかりではない。皆、生身の人間である。理想論は分からないではないが、日常は現実である。かといって勿論安易な体罰を肯定しているのではない。また暴力と体罰は異なるものである。

 逆に考えて、家庭や学校も含めて、どのような状況でも親や先生から体罰を受けたこともなく、目にしたこともない子供は、一体どのような社会に巣立っていけばいいのか。我が国は比較的暴力的犯罪が少ないからまだいいけれど、これだけグローバル化の進んだ世の中で、今回のアルジェリアでの事件のようなことは我々の知らないところでも頻々と起こっているという。人間というものが、どのようなことをしたり言ったりすれば、暴力を振ってまでも攻撃してくるかの判断力を養うのも、家庭や学校での教育の課題でなくてはならないし、理不尽な暴力からも身を守るための危険予知、備えも自然のうちに身に付くように指導しておかねばならない。

 とかくマスコミは、理想論という錦の御旗を掲げて何でも国や政治の責任にしたがるが、まあ一番悪いのは無責任なマスコミ自身と思って間違い無いのではないか。消費税賛成の大新聞は、消費税増税時の軽減税率対象候補に「新聞」を入れる。などと言えば、報道に命を掛け、危険な紛争や事故現場、未開の大地に赴いて活躍するジャーナリストや関係者に失礼ではある。問題は一部キャスターや一部を除くコメンテーター氏の多くである。政党支持率や政権支持率だけでなく、コメンテーター諸氏の視聴者からの支持率調査も行ったらどうか。あの時どうのように発言していたかのリプレイも必要に応じて流して貰いたいものだ。

 もっとも私個人はテレビの報道番組は見る方だと思う。マスコミには問題アリと思うけれど、こちらも「いいとこ取り」で、必要な情報は雑誌やネットも含めそこから仕入れるしかないのではある。






*3)NHKの本放送開始が昭和28年(195
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