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四季のある国 第4回

2024年07月10日 | ブログ
七夕(たなばた)

 『琴座のベガと呼ばれる織女(しゅくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。 この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。<織姫と彦星の伝説>

 「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈り人々のけがれをはらうというものでした。 選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機です。 やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。<棚機(たなばた)とは?>

 「乞巧奠(きこうでん)」は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。 庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げます。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。<乞巧奠(きこうでん)とは?>』岩井製菓HP byグーグル

 七夕祭りは、仙台が有名。東北4大祭りのひとつであり、全国的に行われている民間の祭りだが、仙台では伊達政宗公が女性に「日頃の労働の苦労を労い、楽しみを与える」という意味から盛大に行うようになったと言われている。

 私の故郷愛媛県の中予地方でも、ずっと旧暦の7月7日にあたる8月7日が七夕であった。笹に願い事などを書いた栞を飾るだけの質素な行事だが、家族で毎年やっていたので、懐かしい夏の行事の一つである。

 遠い仙台で始まったイベントが、四国の田舎にまで普及しているのは、江戸期にも大名は参勤交代で、庶民はお伊勢参りでと遠路間の交流があった。四国では四国八十八か所巡りなども未だに盛んだ。四国愛媛の里で七夕が盛んだったのは、愛媛県南予の宇和島藩が、江戸期仙台伊達藩の分家であったことにもよるのではないか。幕末の宇和島藩伊達宗城公は、小藩にあって気宇壮大な方であったようだ。「ペリーの蒸気船に日本中が尻もちをついたのは、わずか三年前だ。三年後のいま宇和島湾で蒸気船が動いている」とは、司馬先生の「花神」にある。長州藩の村田蔵六の大村益次郎を主役に、シーボルトが長崎丸山の遊女にうませた娘「イネ」が色を添える。『蔵六はシーボルトとはなんのゆかりもないが、かれの運命が、彼女の個人教師をさせた時期がある。』新調文庫「花神」より

 司馬先生の文春文庫の発行部数は一位「竜馬が行く」、二位「坂の上の雲」、三位「翔ぶが如く」であるらしい。文藝春秋8月特大号の塩野七生氏の「『翔ぶが如く』を読む」にある。私もその三作の素晴らしさに異論はないが、私の司馬作品一推しは、「菜の花の沖」そして「花神」。千葉への転勤は昭和58年(1983年)で、「花神」はその前年に新潮文庫を買って読んだ。当時はまだ長州(山口県)に住んでいたのだ。





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