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春が来れば 第9回

2024年03月25日 | ブログ
別れの季節

 春は別れの季節である。そして出会いの季節でもある。卒業があれば入学や就職がある。入学や就職で新たな地に旅立つ者は、通常希望に胸膨らませるが、見送る家族は寂しくなる。当時(私の頃)の工業高校では就職試験は春から夏にかけてあり、旅立ちは春浅き3月と相場は決まっていた。

 3月半ば、家族と数名の同窓の友人に見送られ、連絡船に乗った。入寮してさらに4月一杯、計1か月半、工場での導入教育がある。

 BSテレビの寅さんの古い映画(男はつらいよ)を観ていたら、寅さんの甥っ子が大学4年生の秋を迎え、就職試験にチャレンジしていた。何社受けても内定を貰えない。甥っ子は嫌気がさして家を飛び出し、四国は香川県の小さな島にたどり着く設定であった。私など就職試験は1発で決まり、何の苦労もしていないので、就職試験の大変さを他人事で知った。映画は1993年のものだったか、そうすると時差が三十年近くはあるし、大学卒者と高卒の違いもある。あまり比較にはならないかも知れない。

 1960年代半ば、時は高度経済成長時代、高卒の場合「金の卵」などとは呼ばれなかったが、企業の成長に合わせて人手は居るわけで、幹部候補生でもなく、現場適応力のある工高卒者は手頃な人材として重宝されていたのだ。

 兄二人は先にそれぞれ一流大企業に就職して家を出ており、三番目の旅立ちは、母には辛いものであったようで、見送りの後、泣いていたという話を見送りの人づてに聞いた。近郊の大手企業は、その年求人がなかった。東京オリンピックの好景気からの一服感があった。

 私からすれば、両親はまだ元気であったから、弟と妹二人、3人の兄弟を案じていた。親兄弟との別れは辛いが、成人して仕事を持ち自立してゆくのは自然の成り行きだ。大農家や商家なら跡継ぎの必要性も強いが、勤め人の家庭ではそれはない。自宅ではあったが、けっして十分な広さもない家は、残された者にも居住空間の拡大にはつながっていた。

 狭い庭には、母が育てた、桃の木が数本、ブドウ棚が2か所、いちじく、琵琶、ザクロの木さえ有って、ぶどうや桃は毎年良く出来て、その袋掛けは大変な作業であったろうが、ほとんど母が一人で熟していたように思う。お陰で季節の果物を結構ふんだんに食べて大きくなった。歳を重ねた今も兄弟姉妹6人皆そろって元気な要因ではなかろうかと、この頃になって思う。

 思えば両親は、子育てのためのみの人生であり、母は69歳、父は73歳でこの世を去った。子育てによる見返りはほとんどなかった。それでも兄達もそれなりに優秀で、両親からすれば自慢の子供たちであり、その誇りはあったかも知れない。

 毎年春は繰り返される。涙の別れもあろうが、旅立った者には新たな出会いもまたある。思えば悲しみも辛さも、人生の糧とはなろう。





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