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石油化学工業第4回

2013年02月10日 | Weblog
EOGプラント

 私が入社半月前からの1.5カ月の集合教育を経て配属されたのは、製造部第三課製造係。エチレンオキサイドの3プラントとエチレングリコールの3プラントを課長以下50数名で管理運転していた。ここでも1ヵ月の座学講習があり、3交代勤務実習に入ったのは6月になってからだった。教育期間は、プラント各部署を担当するオペレ-タ(現在はシフトクルーと呼ぶ)の先輩からの講義を受けると共に、フローシートを片手にプラント内を歩き、配管や装置機器などを確認した。配管に色分けは無くすべて銀色塗装されているから、兎に角分かり難い。

 昭和41年入社高卒同期のうち19名(高卒同期入社は全社で252名)がこのプラントに配属されたが、内9名は千葉工場採用で、約半年の現場実習終了後、千葉の新工場(昭和42年稼働、現在の三井化学市原工場)に赴任することになっていた。残り10名は当該プラント要員だが、千葉工場に転勤となる先輩諸氏の穴埋めのための大量採用であった。従って、われわれの歓迎会は少し遅れて、真夏になって千葉工場へ転勤する4EOGプラント(24,000トン)第一陣となる先輩の送別会と兼ねられたりした。

 職場の年配者は三井鉱山等からの転入者が多く、20代、30代の先輩も地元からの中間採用者が多かった。九州弁と山口、広島弁が飛び交っていた。先輩諸氏は、いろんな経歴を持つ一癖もふた癖もある方が多かったが、それが今に言う人材の多様性で、仕事は出来る人が多く、職場は立派に成り立っていた。定年までいろんな職場を渡り歩いたが、やはり最初の職場は印象深く、上司同僚諸先輩方との交流も含め一番懐かしい職場でもある。

 エチレンオキサイド(以下、オキサイドと略す)は、エチレンを酸化することによって得られるが、エチレンに酸素原子が1個ぶら下がった格好の非常に危険な構造を持つ。分解し易く、しかも自身に酸素を持つわけで、単独でも燃焼・爆発危険がある。そもそも有機化合物の気相反応は危険で、高圧高温の反応機内のエチレンと酸素濃度は燃焼範囲に入れないように厳しく管理調整された。

 エチレンと空気を高温で反応させれば通常炭酸ガスと水になるだけの話で、オキサイド生成のためには触媒が必要である。熱交換器を縦型にした格好の反応器には、粘土を丸めて乾かしたような担体に付着させた銀触媒が装填されていた。エチレンと空気の反応を促進すれば、すなわち転嫁率(Conversion)を上げれば、炭酸ガスや水の生成が増え、オキサイドへの選択率(Selectivity)が下がるため、インヒビター(反応禁止材)を投与して高収率を確保する。

反応器を出たオキサイドはスクラバーで水を浴びてオキサイドリッチ水とする。未反応ガスを上部に逃がして、スクラバー下部からリッチ水を次のタワーに送り、今度は上部に気化させたオキサイドをコンプレッサーで集めて次の精製塔に送る。最終的には高純度のオキサイドとアルデヒドなど副生不純物を多く含んだオキサイドに分留する。高純度のオキサイドは界面活性剤等の用途に出荷され、純度の悪いオキサイドがエチレングリコールの原料となる。

 エチレンプラントで生産される高純度のエチレンはポリエチレン用などに使用され、オキサイド原料のエチレンはサイドカットの低純度品で賄う。そこから生まれた純度の悪いオキサイドで規格の厳しい東レ向け超高純度のエチレングリコールを生み出していた。

 当時は空気酸化法で、No.1,2プラントは動力課(用役供給担当課)から空気の供給を受けていたが、No.3のプラントは自プラントにエアーコンプレッサーを持っていた。これが片方は自プラントの排ガスを利用したタービン、他方はファーネスで加熱した25気圧のスチームを動力としていたためバランスが悪くなることが多く、振動が問題になった。回転数の維持などの監視に加え、状況によっては壊れる前に緊急停止が必要だから、特に調子が悪い時は、ローカルの専用パネル室でコンプレッサーの騒音の中、緊張を強いられたものだ。兎に角、万一の際に開閉する手動バルブを繰り返し確認したものだが、爆発する夢は何度もみた。エチレングリコールプラントを経て入社5年目を迎えていた。




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