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閑話つれづれパートⅡその11

2009年10月01日 | Weblog
マニフェストの怪(上)

 民主党政権が誕生して半月。概ね好評で支持率も小泉内閣発足時に次ぐ記録だそうな。しかし、その根幹の部分がまだ見えない。不安要因は数々あるけれど、それらの不安が的中してしまった時は、先の大戦で結果責任をいくらA級戦犯に求めても栓なきように、すべては選択した国民の責任に帰することを覚悟せねばならない。先の大戦は民族の誇りをかけて戦ったからこそ民族は滅びず、見事な経済的復興を果せた。今回はそうはいかない。

 よくわからないのが、現政権が考える東アジア共同体構想。元々自民党政権はASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国に中国、韓国に加えオーストラリア、インドを含むと考えて居た筈である。中国が主導しやすいオーストラリア、インドを外した構想に与することは絶対に止めなければならない。戦前わが国が唱えた大東亜共栄圏構想は、アジアで突出した軍事力を持っていた当時のわが国なればこそ国益に沿うもので、またそのことが、周辺諸国への制圧構想との批判もあったと考えられる。

 さりとて、サル山のボス猿にしてもガキ大将にしても腕力に優れておればこそ勤まる役割で、ひ弱な金持ちのボンボンが仲間におやつや小遣いを配ってリーダーになろうとしても、いいところで腕力を持った恐持てから脅されて持ち出しが増えるだけで、実権は持ち去られるのが落ちだ。下手をすれば属領扱いにされる懸念がある。

 内政問題。死刑廃止、外国人参政権などその手の論者が勢いを増す恐れが強い。憲法改正も現連立政権では議論も出来ないであろう。郵政民営化も大幅に後退する。そしてマニフェストの、額まで明示した子供手当て。財源をどうするのかとか、受給者の所得制限を設けるべきだとか、子供のために使うような支給方法を考えるなどなど、枝葉の話しか出てこないけれど、一番の問題と私が考える、現金を受け取る国民の精神の堕落の恐れに言及した議論は皆無だ。選挙があったお陰で、食うや食わずの時代でもなかろうに、この飽食とさえ言われる時代に、子供が居ることで、所得が急に増えるのである。こんなものは麻薬と同じで、一度貰いだすと止まらない。また別件でも何かの折には手当てを期待するような精神構造になる。糖尿病的体質に国民が蝕まれてゆく危険を感じないわけにはいかない。貧困層はいつの世にも生じる。貧困にはそれぞれに原因がある。現金を配って救済するやり方は、最後の手段と心得るべきだろう。

 少子化対策というなら、働くお母さん達のケアこそ重要で、本来現金支給など多くのお母さんは考えていなかったのではないか。元々、国は小中学校の運営だけでも十分に子供達のために国家予算を割いている。一人の子供に年間50万円程度かかっているように聞いたことがある。税金の扶養者控除による減税処置もある。

 また、高速道路無料化には国民の7割程度が支持していない。八ツ場ダムに至っては地元住民が今更中止はないだろうと怒っている。50年前からの計画をここに来て反故にする。マニフェストで約束したから。それだけの理由である。国民は民主党のすべての約束を支持して投票したわけではなかろうに。まさに逆手に取った横暴としかいえない。

 そもそも具体的なマニフェストなるものを掲げた時点で、国会という議論の場を無視した専横であるのに、いかにも公約は守るべきだという意識が先行し、原理原則主義に固まるところは、社会主義者や共産主義者に見られる特徴ではないか。そのうち、われわれの自由にモノが言える自由も束縛されるような懸念さえ感じる。国会議員の多数を占めたら、自分達が計画した政策はいかな反対があろうが通すというならば、それはまさに野党時代に自分達が批判していた与党の数の横暴であるのに。