おとうさんとぼく

「おとうさんとぼく」(e.o.プラウエン/作 岩波書店 2018)

「おとうさんとぼく」が再版された。
これは、戦前に描かれたドイツの漫画。
旧版の出版は、1985年。
今回と同じく岩波少年文庫から。
少年文庫の装丁が、まだレモン色だったころだ。

この作品に、セリフはほとんどない。
古い漫画らしく、シチュエーションとうごきでみせる。
特に、うごきをとらえた絵が素晴らしい。
――岩波少年文庫に漫画が収録されているとは
と、最初にこの作品のことを知ったとき、大いに驚いたものだ。

旧版は全2巻だったけれど、新版は1巻にまとめられている。
新版は旧版とちがい、つかわれている紙が薄い。
おかげで読みやすくなった。
もちろんページ数も多い。

新版の収録作は、134話。
旧版は、数えてみたら140話。
6話削られたことになる。
それらの、削られたと思われるタイトルを記しておこう。

「王手!」
「ひとりずもう」
「とばした手紙」
「えっ、どうして?」
「入場できないときは」
「人形しばい」
「サンタクロース」

こうしてみると7話ある。
新版には増えた作品もあるよう。
みてみると、「朝のたいそう」がそれに当たるようだ。

なぜ、この7話が削られたのか。
「ひとりずもう」は、〈ぼく〉がパイプを吹かしているから、まあ駄目だとして、ほかの6話についてはよくわからない。
〈ぼく〉が理不尽な理由でおとうさんに怒られているせいだろうか。
たんにページ数の都合からだろうか。

これらのことは、ちゃんと調べたわけではない。
新版と旧版を、漫然と読みくらべてみつけただけのことだから、あるいは数えまちがいなどをしているかもしれない。

旧版の1巻目には、「e.o.プラウエンについて」という、上田真而子さんによる解説がついている。
これは新版にも収録され、さらに児童文学者として高名なケストナーによる「プラウエンからきたエーリヒ・オーザー」という文章が追加されている。

作者の、e.o.プラウエンというのはペンネーム。
本名は、エーリヒ・オーザーといった。
1930年、ドイツ東部のザクセン州の生まれ。
ライプチヒ美術大学在学中に、エーリヒ・ケストナーと、編集者のエーリヒ・クナウフと出会い、生涯の友になった。
3人のエーリヒは、ライプチヒのジャーナリズムで活躍。
が、ある少々不品行な記事が問題となり、ケストナーは失職し、オーザーは執筆停止に。

そこで、2人はベルリンにでる。
のちにはクナウフも合流して、ベルリンのジャーナリズムで再び活躍。
が、ドイツはナチスの時代に。
ケストナーは執筆停止。
社会民主主義系出版社の編集者だったクナウフは、短期間ながら強制収容所に入れられる。
オーザーも執筆停止に。
そもそも、ナチスを風刺する絵を描いていたオーザーには、だれも依頼をしてこない。

ところが、ベルリンの大出版社ウルシュタインが、週刊紙「ベルリングラフ」に連載漫画をのせる企画を立て、オーザーに依頼を。
ウルシュタインは当局の許可も得る。
それには条件が2つあり、ひとつは非政治的な絵にすること、もうひとつは変名にすること。

こうして、e.o.プラウエンというペンネームが誕生。
e.o.は本名の頭文字。
プラウエンは子ども時代をすごした故郷の地名。
「おとうさんとぼく」の連載は、1934年から1937年まで続き好評を得る。

その後の運命は痛ましい。
自宅が空襲で破壊され、クナウフとともに避難した家の同居人が2人を密告。
ゲシュタポに逮捕され、オーザーはクナウフの釈放を上申する遺書をのこして自殺。
クナウフは死刑になる。

《オーザーは非政治的にという執筆の条件を逆手にとって、永遠に人間的なものを守りとおし、人びとの心をしっかりつかまえたのでした。そういう仕方で体制への不参加を貫きとおしました。みごとな抵抗だったといえないでしょうか。》

と、上田真而子さんは解説で、作者と「おとうさんとぼく」を称えている。



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